第8話 お煎餅とお茶と縁側と老後と


 非常階段を昇る最中、目的の階が近づくにつれて奇妙な音が聞こえ始めた。


「なんだこりゃ」


 バリボリバリと、何かを砕くような喫煙中に響くとは思えない音が静かな夜に響く。

 首を傾げながら到着すると——


「よひくんおひゅかれー」


 口をパンパンにした芽依さんのふにゃふにゃした言葉が出迎えてくれた。


「口に物入れて喋らない」


「ひょめん、ちょいまっふぇ」


 芽依さんはバリボリバリバリボリバリとすごい音をたてて何かを咀嚼している。

 寒いからかよく響くその音を聞きつつ、空いていた右隣に腰掛けた。丁度そのタイミングで飲み込み終えたようだ。


「何食ってるんですか」


「お煎餅。店長がくれたんだよね、ほら」


「ほー。高そう」


 芽依さんが差し出したのは、デザインこそシンプルだが見るからに質の良い箱。目上の人の家にお邪魔するときとかに買いそうな手土産って感じだ。


「プリンあげれなかったお詫びだってさ」


「店長いい人だ……お金持ってそう」


「ヨシくん着眼点が下世話。ま、店長はお金持ちだけど」


「メイド喫茶って儲かるんですかね」


「うちの店長、他にも手広く事業やってるからねぇ」


「やり手経営者……羨ましい限り」


 それに比べて俺はしがないフリーター。会ったこと無いけど人間としての格の違いを感じる。


「考えると鬱になっちゃうよー。それよりヨシくんも一緒に食べよ」


 そう言って開かれた箱の中には、個別包装の煎餅がまだまだ沢山入っている。


「じゃあありがたく……」


 いくつか種類があるようだが、中でも一番オーソドックスそうなやつをチョイス。おそらく醤油味だろう。


「初手は攻めない、と。安定思考だね」


「そうだったらフリーターしてませんよ」


「あっはは! それもそうだ!」


 膝を叩いて笑う芽依さんを見ながら、煎餅を一口。結構な硬度のそれはちゃんと力を入れて噛まないと砕けない。


「かってえ」


「でも美味しいでしょ」


「うまい」


 普段煎餅そんな食わないけど、これがうまい煎餅だということは分かる。

 ただ、咀嚼するのに労力がかかるから駄弁りながら食べるのに向いてない。


「……」


「……」


 2人で黙々と煎餅を咀嚼する時間が続く。ようやく1枚食べ終わった頃――


「もっと食べてね。1人でもって帰っても湿気らせちゃうだけだし」


「えぇ……もう煙草吸いたいんですけど……」


 美味い、美味いがしかし一度に何枚も食べたいものじゃない。顎疲れるし口の中の水分失われるし。


「だーめ。まだノルマ未達だよ」


「嫌です煙草吸います」


「だぁめだって。ほら食べてー」


 断固拒否する俺だったが、芽依さんは勝手に新しい1枚を取り出して俺の口に押し付けてくる。


「んんん~」


「もー。口開けてよー」


「んんんー!!」


 ゴリゴリの煎餅に唇付近を擦り付けられて痛いが、こうなりゃ意地だ。俺は頑なに口を閉ざす。


「ねーヨシくーん。お口開けてくださーい」


「んん」


「いっぱい食べないと大きくなれませんよー」


「んんん!!」


「駄々こねてないであーんしてくださーい」


 煎餅食ったところでこれ以上成長するかとツッコミたいところだったが、口を開いたら芽依さんの思うつぼだ。


「もぉ~、頑固だなぁ」


 芽依さんも引く気はないようで……俺のほうへ体が密着するほど身を寄せて、顔を覗き込んでくる。

 不意打ちで至近距離へやってきた芽依さんの顔に思わず仰け反りそうになるが、グッと胸元にかかった力によって阻止された。


「ふっふ、逃さないよ。これはもう意地の勝負だかんね」


 ちらりと視線を下ろすと煎餅を持っていないほうの手で服を掴まれていた。芽依さんの浮かべる笑みはいたずらっ子のそれだ。


「さーヨシくーん、あーんしましょうねー」


 逃げの行動も奪われ間近で見る芽依さんの大きな瞳。楽しそうに緩む唇……をより間近に迫った煎餅越しに見る。


「ヨシくん大人なんだからあーんできるでしょー」


「んんん」


「……流石に抵抗しすぎじゃない? お煎餅嫌いなの?」


「んんん?」


「もしやヨシくん……この状況を楽しんでるね?」


「あ、バレました?」



 途中から、芽依さんとわちゃわちゃするのが楽しかったから抵抗していただけだ。というのを看破されたので、自分から煎餅にかじりつく。


「もー。私の貴重な煙草休憩がヨシくんのお楽しみに消費されちゃった」


 わざとらしく不満げな顔をしながら、俺から離れて元の位置に収まり、自分も新しい煎餅をくわえた芽依さん。


「ならなんで追加で食べるんすか。ヤニ吸ってればいいのに」


「食べる気あるうちに食べちゃわないと食べ時失っちゃうからさ」


「そういうもんですかねぇ……?」


 あんまり分からないけど、まぁいいや。さっさと食べ終えて煙草が吸いたい。咀嚼に集中しなくては。

 ちらっと芽依さんのほうを見やると、煎餅を大口開けてバリボリ食ってるせいでメイド服の裾にカスがこぼれまくってる。


「ねーねーヨシくん……大変なことに気がついちゃった」


「藪から棒になんですか」


「お煎餅の食べ過ぎでお口パサパサ……あったかいお茶飲みたい……」


「あー。たしかに」


「ヨシくん……あったかいお茶飲みたい……」


「ですねぇ」


「ヨシくん……お茶買ってきて……」


「……」


 やはりこうきたか。確かに俺だってお茶飲みたい気分だけど階段降りてまたここまで昇って来るのは流石にめんどくさい。


「おねがい、ヨシくん。お茶……」


「自分で行けばいいじゃないですか」


「メイド服姿の女をコンビニいかせるとかヨシくん羞恥プレイ好きなの?」


「好きか嫌いかで言えば割と好きですね」


「好きであるなよ。嫌いであってほしかったぁよ……」


「とにかくお茶は諦めてください。貧弱な俺にその体力はないっす」


「え~。おねがいヨシくん……お茶、買って?」


「可愛く頼んだって嫌なもんは嫌ですー。さっさと煙草吸いたいんですー」


「買ってきてくれたら何でも言うこと聞くから――」


「行ってきます」


「行くんかい」


 呆れ顔の芽依さんを横目に俺は勢いよく立ち上がって階段を駆け下りる。昇りよりも下りのほうが楽だし、ここでタイムを稼がなくては。

 そこそこのペースで一気に地上へ降り立った俺は小走りでコンビニに突入。そしてすぐさまホット飲料コーナーで緑茶を2本ピックアップ。


「っしゃせー……って先輩。息荒げてどうしたんすか」


「はぁ……はぁ……スイカで、袋いらない」


 電子マネーでさっさと支払いを済ませ、すぐさま店を出て非常階段へ。少しだけ立ち止まり、息を整えて一気に走り出す。

 歩いても息が上がる階段を駆け上がるのは命の危険すら感じるが、今更止まれない。今年一番の全力走で芽依さんのもとへ……!!


「か……買って……来ました……」


「死にかけじゃん……ヨシくん大丈夫?」


 帰り着いた俺はすでに満身創痍。2本のお茶を託し、芽依さんの隣に座ってそのまま倒れ込んだ。こんなに疲れたのはいつぶりだろうか……


「ほんと大丈夫? お茶飲む?」


「飲みたい……」


 体が水分を求める……なんとか上体を起こし、芽依さんが蓋を開けてくれたペットボトルを受け取り……一口。


「……あったかいお茶、不向きすぎる」


「運動後に飲むもんじゃないよね。でもお煎餅には合うよ、食べな」


「はい……」


 ぼんやりした頭でお茶を飲みながら煎餅も受け取り……かじる。


「これも……今食うもんじゃねぇ」


「あははっ」


 ともあれ、お茶を飲んで息も落ち着いてきた。煎餅をちびちびかじりながら、くわえた煙草に火を付ける。

 煎餅関連でごたごたしていて故、遅ればせながらの一服だ。体中にニコチンが染み渡る。疲れも吹き飛んだ……ような気がした。


「ふぅ……やっぱりお煎餅にはお茶だねー。染み渡るよ~」


「今ならもうちょい食えそうっすね」


「まだまだあるよ。食べる?」


「いらないっす」


 今食べてるので3枚目、これ以上は過剰摂取だ。食べられると食べたいは違う。


「こーしてお茶すすってるとさぁ、穏やかな気持ちになるよね」


「縁側で日向ぼっこしてる時みたいな?」


「そ。まーここは夜の街で非常階段だけどね」


 煎餅の最後の一欠片を咀嚼し終え、お茶で流し込んだ芽依さんは煙草に火をつけ紫煙をくゆらせる。


「ふぅー。老後はそんな風にまったり過ごしたいね」


「気が早い」


「爺さんや、晩後飯はまだかのう」


「さっき食べたばかりじゃろう、婆さん」


「婆さん扱いなんてひどいよヨシくん……」


「そっちが先でしょうが!」


「あははっ!」


 誘って潰すタイプのボケをかまして笑っている芽依さんだったが、ひとしきり笑い終えると、その笑顔に少しだけさみしげな色が混じった。


「どうしたんですか?」


「自分で言っといてなんだけど……老後のこと考えちゃって」


「だから気が早いですって」


「そうは言ってもさー。ちゃんとした爺さん婆さんになれる自信なくない?」


「まぁ……これっぽっちもないですね。さっさと死にそう」


 俺も芽依さんもフリーターだし、将来の保証なんてない人種だ。今はそれなりに楽しく生きているけど、老後怪しさランキングで言えばトップ層に食い込める。


「何よりも気になるのは……じじいになったとき煙草がいくらになってるかですね」


「ふふっ、なにそれ。ヨシくんってば生粋のスモーカーだね」


「人生なんてそんくらいの気持ちでいいと思うんですよ」


 俺の楽観的な言葉を聞いて、芽依さんは遠い目をして煙を吹かし、そして……


「そだね。私ってば急に不安スイッチ入っちゃってた」


 と、柔らかく笑った。どこか憂いを感じる大人っぽいその姿に、ドキッとする。芽依さんが寂しそうなのは喜ばしいことじゃないのに。


「さてと、さっきはお茶買いに行かせちゃってごめんよ」


 芽依さんはやり切り替えるようにカラッとした笑みを浮かべた。さっき見せた憂いを少しも感じさせずに隠せるのは、職業柄なのだろうか。


「約束通り、何でも言うこと聞いてあげるからね♪」


「え? あれマジだったんですか?」


「マジのマジよ。メイドは嘘をつかないのさ」


「いつも嘘つきまくりじゃないですか」


「今回はほんとだよ? 約束だもん」 


「う、うーむ……何でも……何でもか……」


 いざそう言われると困る。こう見えて俺も常識のある大人だ、なんでもと言われたからって滅茶苦茶なことを言うわけにはいかない。


「ふふっ、無期限だからゆっくり考えるといいよ」


 俺が悩んでいる間に芽依さんは吸い殻を捨て、煎餅の箱を小脇に抱えて立ち上がった。


「じゃーね、ヨシくん。今日もありがと」


「ありがとうって、何がです?」


「色々、だよ。本当に色々。またね」


 別れの言葉をかける間もなく、早足で去っていった芽依さんを見送る。


「……なんか暗い話になっちゃったな」


 冗談ぽく始まった縁側のくだりから将来の不安の話になるなんて。

 芽依さんは基本明るいけどたまに不安スイッチが入ることがあるなと再確認した。


「まぁ、それはそれでいいか」


 芽依さんと楽しい話ができても楽しいし、芽依さんが俺に不安をさらけ出してくれるならそれはそれで嬉しい。

 縁側でお茶をすする穏やかな老後がこなくとも。どんな形であれ、非常階段で肩を並べて煙草を吸う今がありさえあればそれでいいのだから。

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