第6話 寂しさと距離感

「ヨシくんおひさー」


 名も知らぬ後輩さんに絡まれた数日後。いつもの場所に向かうと芽依さんが待っていた。

 メイド服の上にダウンを羽織った姿は、いつもより暖かそうだ。


「もういいんですか?」


「ん。大体バッチリって感じよ」


「どっちだ……?」


「治ってる治ってる、健康体だぁよ」


 そう言って煙を吹かす芽依さんは晴れやかな笑顔を浮かべている。


「そりゃよかった」


 隣に腰掛けて煙草に火をつける。いつもより少し期間が空いただけなのに、芽依さんの隣に収まるのは随分と懐かしく感じた。


「ヨシくんはなんだか浮かない顔してんね」


「そうですか?」


「喉に魚の小骨がぶっ刺さってる感じの顔」


「神経質なんでほんとに刺さってたらもっと険しい顔してると思いますよ」


「じゃあ魚の身が引っかかってる感じの顔」


「そんな引っかかることある?」


「あははっ。ないかも」


 紫煙をくゆらせケラケラ笑う姿はいつも通りの芽依さんだ、本当に元気になったらしい。

 しかし……指摘されるまで自分が浮かない顔してることに気づかなかったな。


「さっ。お姉さんに聞かせてみなさいな」


「うーん……そう言われてもなぁ」


 引っかかり、もやもや、悩み。そんなもの抱えてる覚えは——


「あ、ごめん……ヨシくんロリコンだから妹のほうがいいよね」


「言い方の話じゃねえ」


「悩みがあるならわたしに相談してほしいな、お兄ちゃん♪」


「アニメ声! クオリティ高いな!」


 目をキラキラさせていつもより高い声を作った芽依さんは見た目も相まって妹みが強い。くわえ煙草してるからアンバランスだけど。


「興奮した?」


「自分より立場が上のロリが好きなので妹みたいだけど実は姉じゃないと興奮しません」


「体はちっちゃいけど私はいつまでもヨシくんのお姉ちゃんだからね。なんでも相談して♪」


「対応力よ」


「興奮した?」


「興奮した……」


「ただのロリコンじゃなくてこだわりのあるタイプのロリコンだったとはね」


「だからロリコンじゃないですって」


「あっはは」


 芽依さんのわざとらしい声音に興奮したのは確かだけど断じてロリコンではない。


「で。浮かない顔の理由は?」


「うーん……」


 煙を吹かし、考える。そもそもうだつの上がらない日々を送ってるし、浮かないのがデフォみたいなものだし……


「あ。思い当たる節は少々」


「なにさなにさ」


「いや……」


「珍しく煮え切らないねー。どしたのさ」


「ま、まぁ芽依さんに言うことでは……」


「なおさら気になっちゃうよ」


 いやしかし。その思い当たる節は芽依さんのことに関してだから、本人に言うのはそれなりに憚られてしまうんだが……


「ヨシくんが相談してくれないのは普通に悲しいな……」


「う」


「ね? 言って?」


「うぅ……」


 しまうんだが、こんなふうに上目遣いで見つめられながら頼まれたら断るわけにもいかないのが男のサガだろう。


「笑わないでくださいよ?」


「うんうん」


「風邪引いたとき、芽依さんが呼んでくれなかったのが気になってて」


「……なるほど」


「結局俺はいうほど頼りにならんのだなと。寂しい気持ちになったという話です」


 我ながら女々しいことを言うなと情けない気持ちになる。そんな内心を誤魔化すように煙草をくわえた。


「なるほど、なるほど……」


「引きました?」


「ううんそうじゃなくて。なんというかその、うんと、なんといいますか……」


 芽依さんは頭を抱えてぐにゃぐにゃと身悶えしている。どういう感情なんだろう。

 しばらくそんな様子を観察していると、吸殻を灰皿に投げ込み何やら居住まいを正して視線を向けてきて、


「普通にお姉さん心をくすぐられてしまいました」


 と、神妙な面持ちで言った。


「は?」


「お呼びが掛からなくてしょんぼりしてたなんてヨシくんにも可愛いとこあるんだなーって」


「は、はぁ……」


 予想外の反応だ。気持ち悪い告白をしたというのに可愛いと返ってくるなんて。


「かわいいやつめー! うりうり!」


 お姉さん心とやらが暴走したのか、芽依さんが両手を伸ばして顔を触ろうとしてきた。

 好き放題触らせるのは色々とまずいので、手首を掴んで必死に止める。


「私にあえなくて寂しかったんでしょ、スキンシップとろーよ!」


「別にそういうことする距離感じゃなかったでしょうが!」


 そこからしばらくは戦いだった。押す芽依さんに押し返す俺。暴走する芽依さんの昂りが治るまでそれは続いた。


「ぜぇ、はぁ……ヨシくん、疲れちゃったんですけど……?」


「あなたのせいでしょうが……」


 2人して肩で息をしながら、各々煙草を取り出してくわえ、火をつける。


「ふぅ……落ち着いた。ごめんねヨシくん、取り乱しちゃって」


「問題ないっすよ……ふぅ」


 お互いニコチンを摂取してクールダウン。ようやく落ち着いて話せそうだ。


「なんだったんすかあのテンションは」


「嬉しくってついね。ヨシくんがそのこと気にしててくれたのが」


「……なんで?」


「風邪こじらせる前はあー言ってたけど、ほんとに呼んで引かれたら泣けるからさ」


「それで呼んでくれなかったと」


「うん、それでうじうじ考えてたら風邪治っちゃってたよ」


 そう言って芽依さんは「あはは」と笑い、煙を吐き出す。

 俺も密かに胸を撫で下ろす。ネガティブな理由で看病に呼んでくれなかった訳ではなかったのかと。


「いざ呼ぶとなると照れくささもあったといいますか。部屋散らかってたし……ね?」


「気にしないのに」


「そーだとしても私が気にするの」


「まぁ……言われてみれば確かにそういうのって招く側のが気になりますよね」


 ひとんちが散らかっててもそんな気にならないけど、自分ちが「散らかってるなー」と思われるかも、ってのは気になりポイントかもしれない。


「他にもさ、部屋臭くないかなーとか色々気にしたわけよ」


「確かに芽依さんちって煙草臭そうですよね」


「失礼なっ。臭いけど」


「臭いんかい」


「別にヨシくんちだって臭いでしょ?」


「ヤニ臭いですね」


「あははっ、やっぱり。部屋臭い同盟だ」


「最悪のチームだ……」


 部屋がヤニ臭いことで仲間意識を感じる2人組って相当終わってる。


「あともう一つハードルがあってさ、呼ぶとなるとラインすることになるじゃん?」


「ですね」


「よくよく考えると……ヨシくんのライン知ってはいるけどあんま連絡したことないなって」


「…………たしかに」


「文面にも悩むなーって思ったんだよねー」


 言われてみれば、逆の立場で考えたときにどうお声をかければいいのか想像つかない。

 風邪ひいたんで看病来てくださいって人を呼ぶのってクソハードル高くないか?


「俺たちは案外難しいことをしようとしていたのかもしれませんね……」


「それよ。話すは易しだったけどいざ行動に起こすとなるとね」


「……」


 不意に思い出されたのは、喫茶店での後輩さんの『良きお友達でいてくださいね』という言葉だった。

 俺と芽依さんの仲は、どこまでが『あり』でどこからが『なし』なのか。

 風邪を引いたから看病に行く……それができる間柄って、なんて定義すればいいのか。


「ヨシくんどしたの、急に黙っちゃって」


「あぁいえ……」


 気になりはしたけど、俺たちってなんなんですかねと直接聞くのは違う気がした。だから俺は……


「とりあえずいざというとき文面に悩まないように普段からラインしましょう」


 それとなく話題をずらす。俺たちがなんなのかなんてわざわざ言葉にして決めてしまうことじゃない。


「あははっ、名案だね。そーしよ。寝ても覚めてもくだらない話しよ」


「そうしましょう」


「あ。でも会えばそんな話してるからわざわざすることでもないかも?」


「もっと話題の解像度下げる方向で」


「じゃあ『お空きれい』とか送るね」


「反応に困る……」


「それなら『地面平ら』とかにするよ」


「もっと困る……」


 今のうちからそれらに対する洒落た答えを考えておかなくちゃ。


「ともあれ。もしまた病床に伏したら遠慮なくヨシくん召喚するよ」


「どうぞどうぞ」


「むしろ呼んであげないとヨシくん渋い顔しちゃうからなー」


「もうしません」


「ふっふっ……どーだかね?」


「しませんってば」


 ニヤニヤ顔に見つめられるのがむず痒くなってしまい、目を背けた。


「っと、もうこんな時間……お勤めに戻らなくちゃだぁ」


「頑張ってください」


「ん。じゃあねー」


 視線を外したまま、芽依さんにねぎらいの言葉をかけて見送った。タッタッタッと、軽快に階段を駆け上がっていく音が聞こえる。


「ふぅ……」


 今日も芽依さんと共に煙草を吸う時間は穏やかで、楽しいものだった。

 この時間が、この距離感が心地いい。だからこそ改めて思う。

 近づき過ぎれば戻れなくなるかもしれない。この関係が壊れるかもしれない。


「踏み込みを誤っちゃダメだよなぁ……」


 看病に呼ばれたからと言って本当に行くべきなのかどうかは……まだ分からないなと、紫煙をくゆらせつつ思うのだった。

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