第4話 ある寒い日の予兆


「あれ? 風邪ですか?」


 10月も後半に差し掛かった寒空の下。俺よりも少し遅れていつもの非常階段に姿を現した芽依さんは、マスクをつけていた。


「うん。まだ前兆って感じなんだけどね」


「ここ最近、寒そうにしてましたもんね……お大事に」


「あんがと。はいこれ今度こそ返すね」


 隣に腰掛けた芽依さんは、何やら紙袋を差し出してきた。覗いて見ると、中身は俺の貸したパーカーだ。

 今日はちゃんと自前の上着を着ているみたいだし今度こそ手元に返ってきたわけだ。おかえり、パーカーくん。


「はー。ヨシくーん喉痛いよぉ」


「はいはい……」


 不調を嘆きながらも芽依さんは、マスクを顎の位置まで下ろし煙草を咥えた。


「痛いなら吸わなきゃいいのに」


「ヨシくんだって風邪でも吸うでしょ?」


「ただでさえ風邪で辛いのに禁煙なんて苦しみ背負えませんよ」


「正解。御褒美に火ぃつけさせたげる。ほれっ、ん〜」


「褒美かこれ?」


 子分扱いされてるだけのような……と思いつつ、口をすぞめて火をせがむ芽依さんを見るのは好きなので褒美かもしれない。


「ありがたき幸せ」


「ん。ご苦労」


 ライター出すの面倒なだけだろというツッコミは飲み込んで、さっさと火をつけてあげる。煙を吸い込む芽依さんは、いつもどおり幸せそう……


「んあ〜でもちょっと喉にひっかかる感じするなぁ」


 ……ではなく。喉の辺りをさすりながら渋い顔をしていた。


「風邪なら仕方ないでしょ。我慢するしかないですって」


「まーねぇ。喫煙者ってのは悲しい生き物だぁよ」


「嫌ならやめればいいんですよ」


「もー。やめられないのわかってるくせに。意地悪だなぁ」


 しかめっ面の芽依さんが目を細めて見つめてくる。


「風邪しんどいなら仕事休んだほうがいいんじゃないですか?」


「んー。それほどじゃあないかなー。かわり探すのもめんどいし」


「人手不足?」


「それなりにね。若い子は多いけどバータイム出れる子少なくて」


「なるほど……世知辛いですね」


「世知辛よー。気づけばまわりは女子大生ばっかりで気分は長老さ」


「長老って……まだ若いでしょ。見た目は特に」


 芽依さんは24歳、見た目はもっと若い。とてもじゃないが長老なんて言葉は似合わない。

 というか3個上程度にもう長老の称号を冠されるのは俺としても悲しい。


「まぁね。私はどうせ見た目だけならヨシくん好みのちびっ子よ」


「人をロリコンみたいに言わないでください」


「違った?」


「大体あってますよ」


「ほーらやっぱり」


「冗談です。違いますって」


「あっはは。そーいうことにしといたげる」


 なんでこんなこと言われなくちゃならないんだ。俺は風邪気味な芽依さんを気遣おうとしただけなのに。


「……でも冗談抜きで、こじらせないように気をつけてくださいよ」


「ロリコンを?」


「風邪を!」


「あはは。分かってるよ、ありがと」


「はぁ……」


「ヨシくんは優しいねえ」


 しみじみとそう言いながら灰を落とすと、芽依さんはこう続ける。


「一人暮らしだとさ、風邪引くとやけに心細く感じるよねー」


「体が弱ってると孤独感は強まりますよね」


「ねー。誰も看病してくれないし、普通に大変だぁ」


「芽依さんは実家近いんですか?」


「んー? 都内ではあるから近い方かな」


「だったら家族に看病しにきてもらえたりするんじゃないですか?」


「んー。それはないかなぁ……うち、別に仲良くないし」


「ありゃ、そうでしたか」


 話の流れでつい聞いてしまったが、触れない方がいい話題だったのかもしれない。


「大した話じゃないんだけどね。大学進学するときちょっと揉めてね」


「なるほど」


「まーそんな感じで私は孤独な女なのさ」


 どう揉めたのか聞いてみたい気もしたけど、芽依さんが自分から話さないということは……触れぬが吉だろう。


「あーでも。看病にきてくれそうな子はいるかも」


「……なるほど」


「あはっ、何そのヘンな顔。別に男じゃないから安心していーよ」


「そういうんじゃないんで。……で、どちらさまですか?」


「職場の後輩ちゃん。ヘンに懐いてくれてる子がいてさ」


 なるほど、そういうことか。そういえば職場の人間関係の話とか、あんまり聞いたことがなかったな。


「どんな人なんです?」


「花の女子大生だよ、まだ19歳でキラキラしてて可愛い子なんだー」


「ほう」


「でも背高いしヨシくん好みじゃないかな」


「だからロリコンじゃないって」


「まっ、気になるんなら店きなよ。普通に金とるけど」


「貧乏フリーターにメイド喫茶はいけませんって」


「あははっ、世知辛さんだぁね」


 高いんだ、メイド喫茶は。……昔、芽依さんの働いている姿を拝むために行ってみようかと画策した時に調べたが、どれもこれも強気な値段設定だったし。

 ……いつかは不意打ちで来店して芽依さんに接客して欲しいって気持ちはあるけど……ってその話は今はどうでもいい。


「ともかく。看病しに来てくれる後輩がいるのは羨ましいっすわ」


「そう? 私的にはあんまり来て欲しくないけど」


「え? じゃあこの話なんだったの?」


「来てくれそうってのはいい言い方で、実際は無理やり来ちゃいそうが正しい」


「……なるほど、そういう慕い方ね」


「そそ。自分でいうのもなんだけど狂信者的な存在?」


 現実世界の人物の話で狂信者って例えを聞いたのは初めてだな。そこら辺を歩いていていい人間には思えない。


「……ヤバそうな人ですね」


「かなりね。この前も雑談の中で行きつけの店の話になったんだけど……こんな店があってさーって具体的な名前とかは出さずに話したワケよ」


 と、言葉を切った芽依さんは短くなった煙草を捨て、新しい一本を咥えた。どうやらここから長くなるらしい。俺も芽依さんにならって次の一本に手を伸ばす。


「こんな小物が置いてあるーとか、こんなメニューがあってーとか。当たり障りのない話し方よ?」


「ふむ?」


「そしたらさ、次の日にその子『先輩の話してた店行ってきましたよ♪』っていい笑顔でいうワケ」


「……なるほど」


「たった1日よ? たった1日で細かい情報から店特定してその日のうちに行ってくるって行動力凄すぎない?」


「……な、なるほど」


 それは確かにちょっと引くかも。普通なら発揮しようと思わない方向にパワフルな行動力が働いているというか。


「そんな話はよくあるもんで、この前その子が付けてたネックレスを何の気なしに『可愛いね』って褒めたら、次の日には全く同じのをプレゼントしてくれたり」


「自分がしてたのではなく?」


「なく。全く同じ新品のやーつ。『お揃いですね♪』って笑ってたよ」


「あ、愛されてますね……」


 それもかなり重たい愛。


「そもそも教えたことないのに私の家知ってたりね」


「えぇ……」


「気付いたら遊びに来てたよ」


「oh……」


 狂信者というよりストーカーなのでは? 同性だから許されてるのかもしれないけど、同じことを俺がしたらすぐ犯罪者だろ。


「まっ、悪気はないだろうし可愛いからいいんだけどね」


「可愛いは正義……」


 笑って話すということは、芽依さんも本当に嫌な訳じゃないんだろう。ちょっと困っているくらいで。総括すると……


「大変っすね。色々と」


「大変だよー。何事も」


 そう呟く芽依さんの顔は相変わらず笑顔だけど、その奥にちょっとだけ苦労の色が見えたような気がした。


「まー。慕ってくれるのは嬉しいんだけどね。看病やらで、過剰に心配されたりしたらこっちも疲れちゃうからさ」


「それは分かります、なんとなく」


 自分の想定しているよりも心配されると「もしかして俺本当にやばいかも」と変に引っ張られてしまうことはままあったりする。


「だからどーせ看病に来てくれるならヨシくんがいいかなー」


「……それはどういう意味ですか?」


「どういう意味だと嬉しい?」


 言葉の真意を読み取るべく、芽依さんの様子を横目で確かめる。だが芽依さんは柔らかな微笑みを浮かべているだけで、答えは分からない。


「俺くらいの適当さが丁度いいってことですよね」


「あはっ、じゃあそーいうことで。実際ヨシくんだったら気も使わないしね」


 芽依さんはたまに、こういうドキッとするようなことを聞いてくる。いつものことではあるけれど、いまだに慣れない。


「本当にしんどくなって助けが必要だったら呼んでくださいよ」


「ん。あんがとーそうするよ。まっ、私は強いから風邪には負けないけどね」


「既に負けかけてるんだから調子のらんように」


「はいはーい」


 そう言って芽依さんは、いつのまにか火をつけて、いつのまにか吸い終わっていた2本目の煙草を灰皿へ投げ込み、立ち上がる。

 ……もう休憩終わりか、芽依さんと話しているとあっという間に時間が過ぎていくな。


「お大事に」


「ん。ヨシくんも気をつけてね」


 スッとマスクをつけ直した芽依さんは階段を登り、いつものように扉の向こうへと消えていく。


「……もし」


 俺が風邪をひいたら芽依さんは看病に来てくれたりするのだろうか? なんて思いながら、俺は残りの煙草をゆっくりと吸い切った。

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