第2話 飲み口の陰謀ともこもこ上着

「今日は趣向を変えて缶じゃないやつのホットです」


 10月初旬。まだまだ気温は定まらず、寒かったり暑かったりが続くこの頃。今日はどちらかというと寒い夜だ。

 俺はいつものように、夕勤終わりにビルの7階と8階の間にやってきて、メイドの芽依さんとヤニ休憩をしている。


「ん。レジ横のやーつね。気が利きますなぁ」


「お褒めに預かり光栄です」


 俺が差し出したホットコーヒーの紙製容器を「あったけぇ」と両手で包み込む芽依さん。その指先は寒さからか、ちょっと赤い。

 いつも通り、芽依さんの隣に用意されたスペースに腰を下ろした。煙草を咥え、ポケットのどこかに消えたライターをガサゴソ探す。


「あちっ」


 蓋に空いたちっちゃな飲み口からズズッとコーヒーを一口すすった芽依さんは、案の定温度にやられていた。

 そんな姿を横目に見ながら、ようやく見つかったライターで火を付け、煙を肺いっぱいに吸い込む。やっぱり労働後の一服は格別だ。


「飲みづらいっすよね、この蓋付けると」


「なんでこんな飲み口ちっちゃいんだろうね」


「液体が口に到達するタイミングを分かりづらくするためじゃないですか?」


「性格悪っ」


「そうとしか思えないじゃないですか……」


「まーね。私も今まさにそれでヤケドさせられたし」


「政府の陰謀です」


「くっそー、私のお口焼いてどーする気なんだ!」


 芽依さんは「邪魔っ」と蓋を外してチビチビと飲む。確かに持ち運ぶときには必要だけどこのまま飲む必要はないよな。

 「うまー」とつぶやく芽依さんはホッコリした表情をしていて、そんな顔を拝めただけでホットを買ってきた甲斐を感じる。


「いやぁ。あったかい液体が身に染みる季節になったねー」


 一旦コーヒーを置き煙草に火をつけた芽依さんが、空を見ながら、しみじみと呟いた。


「まだ10月なんですけどね」


「10月ってこんなもんじゃない?」


「そうですか?」


「さぁ?」


「……」


 このメイド、適当にも程がある。


「そんな目で見ないでよ。去年の気温なんて覚えてないって」


「まぁ、たしかに……体感しないことには分かんないか」


「そーいうこと」


「とは言ってもまだ10月は10月だし、まだまだ寒くなりますよ」


「えー。もう十分寒いのにー」


「薄着だからじゃないですか?」


 咥え煙草をしたまま寒い寒いと腕を擦る芽依さんの格好は、フリフリした半袖ミニスカートのメイド服姿だ。

 腕はともかくとして、脚のほうは寒そうだなーと思う。ニーソックスを履いているとはいえ、太ももは剥き出しなわけで——


「えっち」


 なんてじろじろ見ていたら、芽依さんは俺から太ももを隠すように足を閉じ、両手で覆ってしまった。


「寒そうだなって思ってただけですよ」


「このご時世それもセクハラになりうるよ?」


「まじですか?」


「嘘」


「なんだよ」


「あっははっ。ほんとのほんとは、世間的にはなりうるけど私は気にしない、が正解だよ」


「……気をつけます」


 とかなんとか。適当なやりとりを終えると太ももを隠していた手を離し、口元の煙草に手をやる芽依さん。たっぷりと煙を吸い込んでから、口から離して灰を落とす。

 さっきまで隠していた太ももは、心なしかさっきにも増して無防備に開かれているが、気にしている様子はない。


「メイドたるもの、足くらい閉じたらどうです?」


「ヨシくんが見たそうにしてるから開いてるのに?」


「じゃあ見ます」


「あっははっ。素直過ぎ」


 俺の返答に芽依さんはケラケラ笑っている。見てもいいと言うのならとりあえず見ておこう。

 芽依さんの絶対領域を眺めながらコーヒーとヤニで一服。こうして摂取するニコチンが一番うまいな。


「へくちっ」


 しばらくそうしていると、芽依さんのくしゃみが聞こえた。


「アニメみたいなくしゃみですね」


「癖になってるんだよね、可愛いくしゃみするの」


「メイドだから?」


「そそ、職業柄ね。可愛くしとけばくしゃみも美徳よ」


 可愛いくしゃみには作為モリモリだと聞いて微妙な気持ちになるが、それをあっけらかんと言えるのが芽依さんのいいところだ。


「うー……さぶい」


 うーむ、そこまでか。流石に寒がっているメイド服姿の女性を眺めているのも申し訳ないので。


「上着貸しましょうか」


「その言葉を待ってたよ」


「待ってたなら早く言ってくださいよ」


「はよはよー、ちょうだーい」


「はいはい……」


 ありがたがれとは言わないが、相変わらずメイドらしからぬ態度だ。まぁ、今は見た目がメイドなだけだけど。

 ともあれ一度抜いた刀は納められない。俺は羽織っていたマウンテンパーカーを脱ぎ、芽依さんに差し出した。


「どうぞ」


「わーいやったー」


 受け取った芽依さんはすぐに袖を通……さず。咥えていた煙草をわざわざ灰皿に置き。おもむろに——


「くんくん」


 パーカーの匂いを嗅ぎ始めた。御丁寧に両手で抱きしめて顔に押し付けるようにして。


「すーはー」


「いやいや嗅ぐな」


「お約束でしょ?」


 何かおかしいことしてます? とでも言いたげな表情で俺のパーカーに顔半分を埋めてモゴモゴと喋る芽依さん。


「……ちょっとわかりますけど」


「ねえヨシくんこれヤニ臭ーい」


「最悪の感想……」


 この人、自分で嗅いでおいて「うげー」と上着を離した。このリアクションはちょっと心にくるぞ。


「あ。これ私の息の匂いかも」


「俺が臭いほうがマシだ……」


「まぁ冗談はともかく、ありがとー」


 一通り適当なことを宣って満足したようで、芽依さんはようやく袖を通した。体格の差があるためかなりぶかぶかな着こなしだ。


「おおー。ぬくい」


「内側もこもこのやつですからね」


「ナイスもこもこ」


 サムズアップしているみたいだけど、ぶかぶかで袖が余っているため見えない。


「もこもこだしヤニヤニしよっと」


 暖かさを得た芽依さんが次に求めたのは当然煙草だ。上着の受け渡しで灰皿に置いていた一本に手を伸ばす。


「んん。燃え尽きてる」


「煙草って目を離すとすぐ終わってますよね」


「きっと妖精さんが吸ってるんじゃない?」


「喫煙者の妖精ちょっと嫌だな……」


「お布施お布施っと……ん」


 俺が小さくて黄ばんだ妖精さんが虚な目で煙を吹かしている姿を想像している間に、芽依さんは次なる一本へ火をつけていた。


「ぷはー。ヤニは染み渡るし温いし。気分がいいねー」


「それはなによりです」


 ニコニコしている芽依さん。


「でもこの一本が終わったらまた仕事だから気分悪くもある……」


 ……と思ったら今度はしょんぼりしている芽依さん。感情の忙しい人だなぁ。


「仕事中もそんな感じだったりするんですか?」


「どんな感じ?」


「感情ジェットコースター系メイド」


「馬鹿にしてる? そんなわけないじゃーん」


「いやいや、そういうキャラでやってるのかなって」


「お仕事中の私は終始にっこにこよー。顔だけね」


「じゃあ心は?」


「泣きながらあーヤニ吸いたーいって叫んでる」


「流石っす」


「でしょー。生粋のスモーカー舐めんなよー。ぷはーーー」


 得意げに煙を吹きかけられた。ちょっと目に染みる。仕返しに俺も「ぷはー」と煙を吹き返してやった。

 芽依さんは「やめれよー」と目を細めた。そんな姿が面白くて、俺はつい笑ってしまう。

 糸みたいな目で「うー」と小さく唸りながら煙を吹かす芽依さんを眺めて啜るコーヒーは美味い。


「あー煙草休憩終わっちゃうー嫌だよー」


 そんな戯れを続けていると、芽依さんがぽつりと呟いた。冗談っぽくというよりは、本当に嫌そうな感じで。


「一生こうしてサボってたいっすね」


「ほんそれよ。煙草吸ってるだけでお給料欲しー」


「いいご身分だこと」


「そりゃもうメイドですから」


「逆じゃない?」


 こんなに奉仕したくないってメイドとしてどうなんだろう。


「……本当仕事したくないっすね」


「したくないよーもう。だらだらしてたい」


 最早半分以下になった煙草を指で弄ぶメイドもどきの姿は、5時のチャイムを聞こえないフリする駄々っ子のようだ。

 俺はといえばもう今日の勤務は終わっているので、名残惜しげに終わりかけの煙草を見つめる芽依さんを尻目に、次の一本に火をつける。


「ヨシくんそれは残酷だぁよ……」


 人によっては消してしまってもおかしくない長さの煙草を、勿体ぶって根っこまで吸い込みながら悪態をついてきた。


「俺は自由の身なんで。明日の勤務時間までは」


「ずるいずるいずるい」


「じゃあこのまま仕事辞めて一生サボりますか」


 俺が冗談でそういうと、芽依さんは終わりかけの煙草を灰皿に放り込み——


「ヨシくんがこれから一生養ってくれるなら今すぐ辞めるよ?」


 突然の重たい言葉に心臓が飛び跳ねる。心なしか、トーンも真面目なもので、咥えてた煙草をうっかり落としそうになった。


「…………え? マジで?」


「嘘」


「タチ悪っ。心臓に悪すぎる……」


「あはっ、ピュアだねー」


「意地悪メイドに弄ばれた……」


「言い方よ。っと……流石にそろそろいかなきゃ。またねーヨシくん」


「また」


 芽依さんはいうだけ言ってさっさと階段を登り、扉の向こうへ消えていった。

 さて、この一本を吸い終えたら俺も——


「……あ。上着持ってかれた」


 ここに来る時は暖か装備だったのに、今の俺は半袖一枚の季節外れな格好だ。

 俺を寒さから守っていたパーカーは今や芽依さんの体を守っている……


「気付いてくれねぇかな」


 ……と、淡い期待を胸にゆったりと煙を吹かしていたが、根っこまで吸い終わるまでに芽依さんが戻ることはなかった。

 あの人のことだから、上着持ち逃げしてることに気づいてすらいないんだろうな。


「入るわけにもいかないし……今度返してもらうか……」


 上着を諦めた俺は、肌寒さに身を震わせながら帰路へついたのだった……

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