21歳フリーター、非常階段でメイドと喫煙す。
丸腰こよみ
第1話 微糖とブラック。メイドとフリーター
缶コーヒーの味は何派? みたいな雑談はよくあるけれど、俺は明確な答えを持っていない。
微糖を飲みたいときもあれば、ブラックを飲みたいときもあるし、無茶苦茶い甘いやつを流し込みたいときもある。そんなもんだ。
「おつかれっす〜」
「おつかれ」
夕勤上がり。俺は2本の缶コーヒーをレジへ置いた。今日は微糖とブラックという組み合わせだ。冷たいやつ。
夜勤に入っている後輩バイトの安中が、気持ちのこもってない挨拶をしながら手際よくバーコードを読み取る。
「はぁ〜、夕勤羨ましいっすわ……260円っす」
「夜勤のほうが楽だろ客、少ないし。ほい260円丁度」
「いや単純に眠いっすわ」
「向いてねぇな。あ、袋いらない」
「へーい」
客がいないのをいいことに、適当な雑談をしながら会計を済ませた俺は、缶コーヒーを2本ともパーカーのポケットにねじ込んだ。
「んじゃ、おつかれ」
「おつっす〜」
安中に挨拶をし、俺は職場であるコンビニを後にした。
自動ドアに連動して流れる軽快なメロディーを聴くと反射的に「いらっしゃいませ〜」と呟いてしまうのはコンビニ店員のサガだろう。
「涼しくなってきたなぁ」
夏は終わり、もう9月も下旬。パーカー1枚羽織るくらいで丁度いい。
「……さてと」
勤務地から住んでいるアパートまでは、まっすぐ帰れば徒歩10分弱。だが俺は帰路へはつかず、このコンビニがある雑居ビルの裏手を目指す。
細く薄暗い……そして汚い路地を抜け、やってきたビルの裏側。俺は錆びに錆びた非常階段へと足をかけた。
「絶対いつか崩れるだろこれ……」
ギシギシ軋む踏板に不安感を持ちつつ、目指すはビルの8階。まだ若いはずなのに速攻で上がる息を無視しつつ無心で登る。
「お、きたきた。やっほー」
何階まで来たか分からなくなり始めた頃。頭上から聞きなれた女性の声が。ということはもうすぐ8階だ。俺は少しだけ足を早める。
「はぁ、はぁ……お疲れさまです……ぜぇぇ……」
「毎度思うけど息上がりすぎ。変質者みたい」
「肺が真っ黒なんだから仕方ないでしょ……」
「私も真っ黒だけどこんな階段くらい登れるもーん」
「はぁ、つよ……」
7階と8階の間。踊り場に腰掛けて足を組む、メイド服姿の女性。俺は彼女に会うために登ってきたんだ。
「まぁいいや、芽依さん」
「んー?」
息を整えながら、女性——芽依さんの隣へ向かった。何も言わずとも芽依さんは隣を開けてくれたので、そこに腰を下ろす。
「微糖とブラック、どっちの気分ですか?」
「んん〜〜〜。ヨシくんは?」
「芽依さんが選ばなかったほうの気分です」
「んじゃあブラック」
「ほい」
ポケットから取り出した缶コーヒーのうち、ブラックの方を手渡す。芽依さんはすぐに蓋をあけ、チビッと一口飲んだ。
「缶コーヒーってブラックって言っても甘いよね〜」
「そういうジャンルっすから。缶コーヒー」
俺も、微糖と言いつつ相当な糖を感じるコーヒーを一口。労働後の疲れた体にはこれくらいが丁度いい気がする。
「そだ、ヨシくん火ぃー貸して」
甘いと液体を啜っていると、芽依さんがヌッとこちらに顔を突き出してきた。その唇の先には、火のついていない煙草が加えられている。
「忘れたんですか?」
「ん。上着のぽっけに」
「取りにいきゃいいのに」
「めんどくさーい。早く火ぃ〜〜〜んん〜〜〜」
口を窄めて器用に煙草を上下させてねだる芽依さんは成人しているとは思えない子どもっぽさだ。
俺は短くため息を吐いてから、ポケットからライターを取り出して芽依さんの加える煙草に火をつけてあげた。
「ん。ご苦労」
無事に着火した煙草を思いっきり吸った芽依さんは、美味しそうに紫煙を吐き出した。
俺も芽依さんにならって、煙草を咥え火をつけ、大きく吸い込む。実に5時間ぶりのニコチンが体に染み渡る。
「どーよ、今日の労働は」
「いつも通りっすよ。芽依さんは?」
「わたしもー」
「……毎回なんも変わったことなんてないしこの問答に意味あるんすか?」
「さーね、まぁ聞くことに意味があるんじゃない?」
「なるほど」
などと。たわいない会話をする俺たち。そこで言葉は途切れ、お互い煙を吸い込んでは吐き出し、コーヒーをすする。そんな緩い時間が過ぎる。
紫煙を漂わせながら、俺は芽依さんの姿を横目で見た。艶やかで黒い長髪と、美人というよりは可愛いと言った雰囲気の幼さが残る顔立ち。
「んー? なんかついてる?」
俺の視線に気がついた芽依さんが、携帯灰皿に灰を落としながら尋ねてきた。なんとなく見てましたというと気持ち悪いし——
「芽依さんがヤニ吸ってると犯罪っぽさあるよな〜って」
「はぁ、君それ言うの好きだね〜。そういう趣味なの?」
「いや、まぁ……」
「そこはちゃんと否定しなよ」
実際、小柄で童顔なミニスカメイド服姿の女性が喫煙する姿はなんとも言えない背徳感があるわけで……と語るわけにはいかないので苦笑いで流す。
ジトーっとした目で俺を見ている芽依さんの顔は、煙草の火で照らされていてぼんやりと赤く見える。
黙って見つめ合っているのもバツが悪い。適当に話題を提供しよう。
「今日は何時までですか?」
「んー、2時くらいまで」
「過酷っすね」
「金曜はバータイム長いからね〜。しゃーなし」
仕方ないと言いつつ、芽依さんは分かりやすく落胆していた。この人も、労働が嫌いな性分なんだ。好きな人がいるかは知らんけど。
「はぁ〜〜〜〜〜〜」
紫煙を撒き散らしながらデカいため息を吐く芽依さん。見た目は子どもっぽい彼女だが、こういうとき纏っている哀愁は大人のソレだ。
「いつまでこんなことしてるんだかね〜」
「こんなことって?」
「メイド喫茶でニコニコするバイトしてること」
「うーん、さぁ……?」
「なんだよー冷めた反応だなー」
「俺がとやかく言うことじゃなくないですか?」
「もー、わかってないなー。とやかく言っていいよって合図じゃん」
「そういうことなら——」
「まー、地雷踏んだら根性焼きだけどねー。うりうり」
そう言って芽依さんは咥えたまんまの煙草を俺の顔へ近づけてくる。顔が近くてドキドキ……はせず、ただただ煙が目に入って痛い。
「やっぱりやめときます」
「いくじなしー。はははっ」
ため息は何処へやら、晴れやかに笑っている。うん、少しでも憂鬱を晴らす手助けが出来たのならよし。
「ヨシくん、火ぃー」
芽依さんは短くなった煙草の火を携帯灰皿にグリグリと押しつけ、また新しい煙草を咥え、既にスタンバイしていた。
「どうぞ」
「うむ、苦しゅうない」
「メイドってより殿様の態度ですね?」
「ヨシくん客じゃないし、今はメイドじゃなくてメイド服着たただの女だよー」
「言い方……」
火がついたばかりの真新しい煙草から、ジリリと燃焼する音がする。火の具合が気になるのか、芽依さんは咥えたまま伏し目で先を確認している。
「……」
やはり。ほぼコスプレとはいえメイド服姿の女性が喫煙している姿は、無茶苦茶絵になる。見ていて飽きない。
気がつくと俺の煙草も燃え尽きていた。芽依さんが俺との間に置いてくれている筒状の携帯灰皿の蓋を開けて吸い殻を放り込む。
ぽへーっとヤニ摂取中の芽依さんを肴に、俺も2本目に手をつけた。大きく吸い込んだ煙を流し込むように、コーヒーを煽る。
うーん。一口目は微糖でよかったと思ったけど。どうやら今日はブラックの気分だったらしいと今更気づく。
「ヨシくん今日は晩ご飯なに食べるの?」
「ん。別に何も。お腹空いてないし」
「ええーほんとにー?」
「強いていうならこのコーヒーが晩飯っすかね」
「液体だけで済むとか植物なの?」
「そうかも」
「あははっ、衝撃の事実じゃん。私も部屋に植えてみようかな」
「煙草とコーヒー与えてりゃ勝手に育ちますよ」
「煙草は吸い殻でも可?」
「不可です」
「じゃあ植えるのやーめた」
まったくと言っていいほどなんの意味もない会話。俺と芽依さんの話題といえば大体こんな感じで、それが居心地がいい。
たくさん話す日もあれば、そうじゃない日もある。俺達はそういう間柄だ。
「ん。そろそろ時間がやばいや」
スマホで時間を確認した芽依さんは強めに息を吸った。半分以上残っている煙草が、早いペースで短くなっていく。
「そだ、ヨシくんそっちのコーヒー貸して」
「はい? はい」
言われるがまま、微糖のほうのコーヒーを渡す。すると芽依さんは何の躊躇もなくそれをぐいっとあおった。一口どころじゃなく、ぐびぐびと。
「返す気あるんですか?」
「実はない」
「じゃあよこせって言ってくださいよ」
「こっちを返すからいいでしょ」
微糖のほうを空にしながら、ブラックのほうを渡してくる。これを貸し借りというのか釈然としないが、まぁいいや。
「微糖を飲んでから気づいたんですけど、今日はブラックの気分だったんですよね」
ちまちまと飲みかけのブラックをすすりながら話す。芽依さんは既にコーヒーも煙草も摂取し終えたようで、吸い殻を捨てたところだった。
「奇遇だね。私は微糖の気分だったってさっき判明したよ」
「そんなもんですよね。コーヒーに限らず」
「そんなもんよ。どっちの気分かなんて舌のみぞ知るなの」
「悲しいっすね」
「うん。まぁ結局は——」
芽依さんは「よっ」という短い掛け声と共に立ち上がり、大して汚れちゃいないだろうにスカートをぱたぱたと叩く。
「何事もやってみなきゃわかんないんだよね」
コーヒーの話でしかないはずだけど。芽依さんの言葉には言いしれぬ深みがあった。
「じゃあまたね。灰皿はそこらへんに置いといてー」
「はいはい」
なんて返そうか考えている間に、芽依さんは早足で階段を上がっていった。ガンガンガンとやかましい鉄の音が響く。
一度も振り返ることなく8階の扉へ消えていくその背中を最後まで見送り、すっかり短くなった煙草を根っこの根っこまで吸う。
「帰るか」
立ち上がり、静かになった非常階段をゆっくりと降りた。
本当は隙間の路地を通ってビルの正面に回ってから帰ったほうが早いけど、あえて遠回りの道を選んで帰る。安中に見られたら気まずいから。
「……あ。そもそもホットにすりゃよかったか」
1人の帰路に肌寒さを感じ、ふと思う。もしかすると今日は、微糖かブラックか以前に間違えていたのかもしれない。
「まぁ……いいか、どうでも」
冷たくなってきた指先をポケットにねじ込む。次に会うときはホットにしてみようなんて考えながら歩く道は、不思議と愉快だった。
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