第29話 帰る
里の大通りで、千代は目を輝かせていた。
綺麗な色の髪飾りや
付き添いで来ただけの私は退屈で、のれんの下から見える行き交う人の足元をじっと見ていた。
「ねェ奏、これなんかどうだい?
「さすが千代様お目が高い。それは手前共が仕入れた中でも飛びっきりの品でございます」
「そうかい。あ、奏コレ見てくれ! 金で編まれたように輝いてるよ!」
千代は楽しそうにはしゃいでいるが、適当に相槌を打ち、私は隠れて欠伸をする。
主人もその奥さんも、小間使いまでが私に背を向けて、千代に自慢の商品を見せる。千代はそれを満足気に手に取って、嬉しそうに悩んでいた。
くだらない。自分を飾って何になる。
私はそう思い、ごちゃごちゃと飾り立てただけの棒や紐を見下ろした。
ふと、目を奪われた髪紐があった。白と黒に別れたシンプルな紐だ。だが、それが綺麗だと思った。
千代は私の視線に気がついたようで、私に目を向けた。私は反射的に目を逸らし、知らんぷりを続ける。
「これもいいねェ」
千代はそう言って、私が見つめた髪紐を手に取った。
主人は大層嬉しそうな表情で、手を擦り合わせる。
「やはり千代様の目は素晴らしくていらっしゃる。こちらの品は、見た目こそ素朴ではございますが、唐の絹を使い、丈夫に編み上げました一品でございます」
「そうかい、そうかい。そりゃあ確かにいい品だ。奏、どうだい?」
「へっ? あぁ、いいね。とっても」
「うんうん、お前さんにぴったりだよ」
「そっかそっか······へぇっ!?」
千代は唖然とする主人たちをそっちのけに、その紐で私の髪を結わえ直した。
だいぶ古くなった布紐に
そして逆さの蝶々結びをすると、満足気に店の奥さんから鏡を取って私に見せる。
「うんうん、よく似合ってるねェ。ダンナァ、これ買ってくよ。値段は?」
「へっ、へぇ。ですが千代様、この品は店で扱う品の中でも、特に高価な物でございます。千代様がお使いになられるならばまだしも、このように······珍妙な小娘に似合うとは思いませんな」
店の主人の言うことはもっともだ。癪だが私も頷いてしまう。
だが、店の主人が見下すように私を見ると、穏やかだった千代は一変し、主人たちの手前を高下駄でガァンッ! と、強く踏みつけた。煙管をふかして、店の主人の耳にそっと囁く。
「······あたしの審美眼を褒めておきながら、まさかまさか、ケチつけるってわけじゃあないだろうねェ」
「い、いえ、滅相もございません! 千代様ほど、手前共の店を
主人たちの土下座を見下ろしてもまだ、千代の怒りは収まらず、煙管の煙が火山のように吐き出される。主人たちは千代の前で哀れなほど縮こまっていた。
「千代さん落ち着いて。あの、この髪紐、綺麗だよね。えぇっと、すごく気に入ったよ」
私は何とか千代を宥めようとして、つけてもらった髪紐を褒めた。たった一言だが、千代は満足気な笑顔で「そうだろォ」と言った。千代はすっかり機嫌が良くなると、髪紐の代金を置き、私を連れて店の外に出た。
「いっつもパッとしない格好してるからねェ。死んだ後くらい、自由に着飾ったらどうかと思ってたんだよォ。奏は顔が綺麗だから、なんだって似合っちまうねェ」
千代は鼻歌交じりに道を行く。老若男女問わず、見る人全てが千代に見とれて振り返る。千代はそんな事も気にせずに、煙管をふかして人々が開けた道を堂々と歩く。
私は慣れない髪紐をいじりながら、千代に聞いた。
「どうして私に髪紐を買ってくれたの?」
千代はケラケラと、太陽のように笑って私の背中を叩いた。
「アンタ、夜来のデカブツ相手に、よくやってんだろォ。頑張り屋には、ご褒美をやるのが筋じゃないのさ」
千代は最後の煙を吐き出すと、少し声のトーンを落とした。真面目とも、寂しげともとれる声だった。
「あんたはもっと欲張りなァ。欲があってこそ、生きんのは楽しいもんなのさ」
千代は私を見下ろすと、「もう死んじまってんだけどねェ」とウインクしてみせた。
私は千代の言葉の意味を、深く考えなかった。
***
集中力は足りている。
使えるだけの霊力も、イメージも、全て。
「だぁぁぁぁもう! 仕事しろ式神ぃ!」
だが、未だに式神は私に反応を示さない。うんともすんともいわない紙に、私もやる気が無くなりつつあった。
鬼女は私の奮闘を、肉まんを食べながら暇そうに眺めていた。
「ほらほらぁ、早くしねぇと地獄に霊力持ってかれちまうぞ。さっさと帰れよなぁ」
「じゃあお前が帰してくれよ! 願い叶えてくれるんでしょ!」
「叶えてやったろ。
「そういう現実的な部分じゃなくてさぁ!」
鬼女はケラケラと私を笑うと、残り一欠片を口に放り込み言った。
「やってもいいんだけどよぉ。今んとこ
鬼女はからかうように、「絶望的な技術だな」と言ってその場から居なくなった。
私は式神を握り、空を仰ぐ。炎に囲まれた黒く赤い空は、亡者の悲鳴が渦巻いていて、とても汚く見えた。
私は式神を胸に抱き、また「帰りたい」と呟いた。
──耳元で一滴の水が垂れた音がした。
私が前を向くと、そこは炎に囲まれた岩肌なんてなく、どこまでも続く青い
『願え。魂に刻まれた獣に』
声が聴こえた。浄蓮の滝の、精霊の声のようだ。
『祈れ。お前に与えられた獣に』
私は耳を澄ませた。
自分の胸にあるものなんて全く知らない。だが今ある水の音は、いつもより鮮明に聴こえた。
そして聴いたこともない低い唸り声と、偉大で慈しむような音が私の前に立っている。
この荒々しさには覚えがある。その優しさにも、その哀れみにも。
怒りも恨みも妬みも何もかも、全てだ。
私は笑みをこぼして目を開いた。
目の前にいるそれに手を伸ばし、額を寄せた。
その山吹色の双眸は、私に気づいてもらえたことを喜ぶように細くなる。
私は目を閉じ、涙を一粒こぼした。
皮膚に伝わる感触もその温度も、その吐息も鼓動も、全てが愛おしい。どうして今まで、気づいてやれなかったのだろうか。
「──お前だったんだな」
私よりも大きな、私の守護神は、応えるように空に鳴いた。私はその音を、魂が震えるほどの声で奏でてやる。
──枯れ井戸に水が湧く。
「空を讃えよ 風を讃えよ
大空を自由に舞う龍神の
闇を駆け抜け 光を目指せ!」
私がそう叫ぶと、式神からは水が溢れ、龍の形を成していく。青い鱗が煌めき、その巨体は守るように私を囲う。私は歌った。水の音を。龍神の音を。心の踊るままに。
同じ山吹色の双眸が私を見つめた。
「────帰ろう!」
私がそう言うと、龍は私を背に乗せて空を目指す。
雄叫びをひとつあげて龍は風を切ってどこまでも昇り続けた。そして、私が開けた門とは違う、大きな門を突き抜けると龍は現世の空にまたひとつ、雄叫びをあげた。
星空の広がる現世の住宅街は綺麗だ。
私は満月を背に龍を引き連れ空を駆ける。
行先はもう決まってる。龍の背を撫でて私は叫んだ。
「帰ろう! 霧の里に!」
***
「やれやれ、世話の焼ける」
昼も夜もないような地獄では、鬼女が空を昇りゆく龍を見つめていた。
いなくなるのを確認すると、意地悪な笑みを浮かべて柱にもたれかかった。
中国の宮殿のような御殿の長い廊下を、別の鬼が走ってきた。鬼女に怯えたような礼をして、
「
「お疲れさん。もう遅いけどな」
鬼女は巻物を受け取ると、つまらなさそうにそれを広げて中身を確認した。
「ふぅん。少なからず文武両道、慈善活動にも積極的。まぁ多少罪とも言える行動もあったが、こりゃあ情状酌量でなんとでもなるな。つーかよぉ、なんだコイツ。善行の数が圧倒的に多いぞ············」
鬼女はぶつぶつと独り言を呟きながら、目を丸くした。鬼女は記載された名前を見ると、鼻で笑った。そして巻物を持ってきた鬼から筆を奪い取ると、その名前を墨で塗りつぶした。
鬼女の行動に驚く鬼に、巻物を投げて返すと、「
「ですが、あの亡者は人間がしてならぬことを······」
「いいんだよ。あいつは帰るつったんだ。もうこっちで裁くことはねぇよ」
「しかし、
「くどい。殺すぞ」
鬼女はひと睨みで鬼を追い返すと、また意地悪な笑みを浮かべて空を仰ぐ。
「これは
そして鬼女は廊下を歩いていく。茜色の髪がなびいた。
「······どんな人間にも、愛してくれる奴と、悲しんでくれる奴は、必ず一人いるんだぜ。
その独り言は、炎にかき消された。
鬼女は身の丈より大きな木の棍棒を引きずり、刑場へと向かう。
「二度と来んなよ。朝日野『──』」
鬼女は、今しがた消したばかりの名を呼んだ。そして、「願いを叶えてやる」と言わんばかりに、鋭く研がれた赤い刀に炎を纏う。
鬼女がそれを振るった時、どこかで固い鎖がちぎれる音がした。
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