第27話 茜色の鬼

 身が焦げるほど熱い。

 鎖が罪を咎めるようにくい込む。


 私はだだっ広い床に転がされ、建物四階分にもなる高い天井を見つめていた。

 ······人は死後、地獄で裁判を受けるという。私が地獄の門を開いたということは、少なからず嘘ではないらしい。ならばここは、裁判所なのだろう。


 ······大した人生を送っていない。まともな思い出なんて一つあるかないかだ。

 どうなろうと構わない。もうどうだっていい。



 私は自分にさえも、もう興味を抱かない。



 私はゴロンと寝返りを打った。

 横を向いた時、誰かの足が視界に入る。


 綺麗な素足だ。だが爪は伸びて尖っている。

 綺麗な着物も裾は焼け落ち、襦袢までがズダボロだ。

 その人はしゃがんでいた。

 私を見下ろしている。

 茜色の美しい髪が、私の頬に垂れた。



「酒くせぇ。てめぇまさか、未成年飲酒とかやってたんじゃねぇだろうな?」



 自分で言えたことでは無いが、随分と口が悪かった。私は目だけを上に向けると、そこには顔立ちの良い、目つきの悪い鬼女きじょが私を冷たい眼差しで見下ろしていた。


「おい人間、名を名乗れ」


 鬼女は私にそう言った。私は名乗ろうとした。


「私は、朝日野──」


 そこまで言って、続きが出てこなかった。

 まるで望月と出会ったばかりに戻ったような気がした。

 あの時も、自分の名前が言えなかった。


「朝日野、続きは!」


 鬼女は苛立ったように私を急かす。

 だが、私は言えなかった。

 何とか「奏」と答えたが、鬼女はさらに苛立ったように私の髪に掴みかかった。


「違ぇだろ。聞いてんのはお前の本当の名前だ。身体に定着してねぇような名前じゃねぇ」

「やっぱ、分かるんだ······っ!」

「当たり前だろうが。ここに名前の重要性を知らねぇ奴はいねぇ。まさかな乗れねぇような名前なのか?」

「違う、違う!」

「じゃあ名乗ってみやがれ!」



「名前を忘れた!!」



 ──二度と言いたくはなかった。

 私が親からもらった、唯一無二の贈り物。季節の行事や誕生日でさえ、プレゼントを貰ったことがない私には、名前だけが縋りつける親との絆なのだ。


 鬼女は宙吊りにした私に鼻を鳴らすと、手を離して床に落とす。

 骨の軋むような音と肺が潰れる痛みに咳き込んでいると、鬼女は遠くに向かって叫んだ。



「おい!」



 たった二文字に、この上ない威圧感があった。遠くのドアから現れた鬼は鬼女に一礼すると、「お呼びですか」と丁寧に聞いた。


「こいつの記録探して来い! 苗字は朝日野! 三〜四ヶ月前に帰ってきた俱生神くしょうじんからも探せ! 恐らく第陸だいろくに保管してる!」

「はい! すぐに探します!」


 鬼女は指示を出し終えると、面倒くさそうに息をつき、私の前を横切った。


「さぁて、こいつはどうしてやろうかな」


 そう言った先には、呻き声をあげる雲外鏡の姿があった。鬼女は雲外鏡の首を絞め、虫けらを見るような目でじぃっと見つめる。


「江戸の頃、元禄から先のどっかじゃねぇかな。こりゃまた恨みを溜め込んだもんだ。今まで何百人喰ってきたんだよ。ええ?」


 鬼女に首を絞められ、雲外鏡は激しくもがいた。

「我ガ美シキ」「気高キ風」「ドコニ、ドコニイル」「愛シキヤ」「見ツケ出ス」「私ノモノダ」

 この期に及んでまで千代に執着を見せる。

 鬼女は面白そうに笑った。


「こりゃあすげぇ。本物の妖怪みてぇなナリしてんのに、くそ人間くせぇな!」




オレぁ、お前みてぇな奴は大嫌いなんだよ!」




 私はその様子から目が離せなかった。

 鬼女が雲外鏡の首に歯を立てると、雲外鏡は断末魔を上げて火の玉に変わる。そして鬼女は桃でも食うかのように味わい尽くすと、種のような物を吐き出して、袖で口を拭った。



 ──鬼女は雲外鏡を喰った。



 それを目の前にして、自分も喰われるのではないかという不安が押し寄せてくる。

 鬼女は今しがた吐き出した種を持って、大きな扉を開けた。炎が揺らめく外に種を放り投げると、扉を閉じて私の元へと戻ってくる。


 私はぎゅっと目をつぶった。次は自分だ。そう思うと震えが止まらない。鬼女の手が、私に触れた。私の体は恐怖に跳ね上がった。


「そうビビんな。裁判前の奴を取って喰いやしねぇよ」


 鬼女は私の鎖を外すと、服を乱暴に掴んで立たせた。

 私は服のホコリを払って鬼女を見た。

 思いのほか背の高い鬼女は、私に指を一本立てて見せる。


「一つだ。オレは死者の願いを一つだけ叶えてやれる」


 死者は未練を断ち切るために、地獄からの救済措置として、一つだけ願いを叶えてもらえるらしい。

 家族の様子を見たいとか、最後にこれが食べたいなど、『遺品を捨てたい』『生き返りたい』を除く望みはほぼ十割叶えられるという。


 本来であれば、私は『人が無理やり地獄の門を開く』という横暴をしたため、その措置の適用はされないらしい。

 だが、この鬼女はしれっとその規約を破ってきた。



「お前から酒呑童子の『酒』の匂いがする」



 理由はそれだけだった。その理由の詳細も何もなく、鬼女は私に望みを言え、と迫る。

 私は生前から望み続けてきた事があった。

 少し恥ずかしいものの、鬼女に告げた。




「あのさぁ、『親に褒めてもらう』ってこと、出来たりしないかな······」




 満点のテスト、オール五の通知表、何だったかも覚えていない表彰状、ボランティア······──


 数えきれないほど、親の望みに答え続けてきた。

 それでも、一度たりとも褒めてもらったことがない。

 夢でもいい、幻でもいい。

 たった一言、「すごいね」くらいでいい。「よくやった」なんて言われなくてもいい。

 頭を撫でてもらうことも、抱きしめてもらうことも望まない。だから、たった一言、親からの、褒め言葉が聞きたかった。


 私に足りない部分があったから、それを得ることは出来なかった。それは重々承知の上で鬼女に頼んだ。




 だが、鬼女から許可は出なかった。

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