第21話 僧侶と忌み子

『またか! 何度言ったら分かるんだ!』

『うるっさいなぁ! そんな細かいこと気にしてられっかよ!』

『いい加減、目上の者に敬意を払え! 表出ろ!』


 一日一回は欠かさない喧嘩。

 それが私と望月を繋ぐものだ。

 いつだってくだらない言い争いから始まって、手が出て足が出て、誰かに仲裁されるまで終わらない。


 それはいくら不完全燃焼でも、飯を食えば何が原因かも忘れている。

 そして千代や生馬にからかわれて、楽しげな時間が過ぎていくのだ。だがその時間すら私には苦しいとしか感じていなかった。


 今なら分かる。きっと、三人が嫌いだったんだ。

 生前の職業も違い、身分も違い、性格も違うのに、お互いを分かり合える彼らが。

 どんなに傍にいても、私が彼らの輪に入ることは無かったから。




「止めてくれ!」




 望月は私の拳を受けながら必死に声をかけ続けた。

 私はそんな言葉を無視し、反撃の隙も与えずに攻撃を続けた。


 顔面をめがけて殴り、望月が腕で防ぐと脇腹が空く。そこを蹴ると、望月は反対側の腕で私の足を叩いて弾く。

 腕が交差して動けない望月に、すかさず足払いをかける。望月はそれを跳ね避けて、私に説得を試みる。


「これ以上恨みに身を委ねるな! 自分を律しろ! 自分を制せ! お前はっ、こんなことをして喜ぶような奴じゃないだろう!」

「お前になニガわかル!」



 分かったような口を聞くのが嫌い。

 偉そうな態度が嫌い。

 真面目なのが嫌い。

 僧侶のくせに腕力に頼るところが嫌い。



 私を制御できると思っているところも。

 私を自分の理想の型に押し込めようとするところも。

 私を哀れむように見る眼差しも。



 望月の全てを否定してやりたい。

 望月の全てを奪ってやりたい。

 望月をその恨みごと、喰ってしまいたい。



 私は気味の悪い笑みを浮かべた。

 私が笑う度に、望月は苦しそうな表情を浮かべ、私の拳を受け止める。


 私はもう自分の体を制御出来なくなっていた。

 見える世界も、音も、匂いも、感触も。全て透明な壁を隔てた先にあるようで、現実感がない。

 意識もまるで、自分の意思からかけ離れているような気がしていた。


 望月は防御さえ出来なくなり、壁に突き刺さった錫杖に手を伸ばした。

 私は望月が錫杖を取るまで待った。


 錫杖を手にした望月は鬼に金棒だ。

 悪霊も亜種妖怪も、錫杖があればいかに相手が強かろうとしたたかに殴りつけ、物理的に大人しくさせることが出来る。


 この際だ、本気を出した望月と殴りあってみたい。そんな欲が私の中に生まれた。

 望月の指先はあと数センチを保って錫杖に伸びる。だが、その僅かな距離を、望月は縮めようとしなかった。

 望月はずぶ濡れの手をきつく握り、錫杖を持つことなく、私に向き直った。


 ──興ざめだ。

 抵抗出来なくなるまで痛めつけてやろう。そしてこいつを先に喰って、私はさらに力を得る。




 私は幸せになる──!




 高鳴る鼓動に身を任せ、私はもう人の形を成していない拳で望月に殴りかかった。

 望月は私の拳を片手で受け止める。


 望月の手は震えていた。血管が浮き出るまで、指先にまで力が入っているのに。望月の手は私の拳を包んで震えていた。





「──止めてくれ」





 望月は何度も繰り返した言葉を、また言った。

 私は苛立ちを抑えられず、もう片方の手で望月の顔を殴ってやった。

 望月の頬を貫いた腕を、望月はがっちり掴むと私に真っ直ぐな眼差しを向ける。


 望月の顔は泣きそうだった。

 いつも威張り散らし、涙とは無縁そうな男が、泣きそうな表情で私を見つめている。

 山吹色の瞳が揺れている。私の顔が映っていた。そこにいる私は人の形さえも捨てかけた、醜い姿だった。


 望月は震える声で叫んだ。

 いつものように怒鳴る声なのに、声は変わらないのに、乗せた感情は全くの別物だった。




「自分を殺すような真似をしないでくれ!」




 懇願するような望月の叫びに、私は動きが止まった。望月は胸の内をさらけ出すように私に語りかける。


「自分を恨んでもいい。傷つけた誰かを憎んでもいい。だがそれを自分を滅ぼす道具にしないでくれ。恨みで己を殺してくれるな」

「馬鹿イえ! 私ラはモウトっくに死ンでルンダぞ!」

「本当の感情を塞ぎ、歪ませることこそが俺たちに与えられた二度目の死だ!」


 感情を塞ぎ、歪ませる?

 私がそんな事をするはずがない。私はいつだって、失敗はするが間違えはしない。


 だが望月は、確かに雨に隠れて泣いていた。私の腕を軋ませるほど握って、耐え忍ぶように。

 鼻をすすって望月は言った。


「お前は自分の気持ちを口にしたことがあるか? 自分の思いを、考えを、ちゃんと口に出来たか? 生前だろうと死後だろうと変わりない。俺は、お前と喧嘩していても、お前の口から本音を聞いたことがない!」


 いつだって、私は本当のことを言っている。それを否定されるなんて、私の中で怨みが膨らむだけだ。

 望月は顔を拭い、私の肩を掴む。


「寂しかったんだろう。辛かったんだろう。弱音も愚痴も、許されない環境で。言いつけをちゃんと守る良い子であろうとして」

「──ワかっタヨうな口を!」




「お前は何も悪くない!」

「私ガ悪いんダ!」




 努力が足りない。

 性格が悪い。

 頭も悪けりゃ運動も出来ない。

 なんの才能も無ければ、気遣いさえ出来ない。


 ただ飯を食い、眠るだけの愚物を、誰が愛すると思っていたのか。

 最初から知っていた。分かってて知らん振りをした。そしてその事実を突きつけられて呆気なく死んだ。



 ただそれだけのこと。



 望月はそれを、おかしい事だ! と声を大にして言う。

 望月は続けて言った。


「お前の歌う唄が好きだ。お前のししゃも好きなところに親近感が湧く。誰にでも分け隔てなく接せるところが羨ましい。誰かのために怒れるところも、誰かのために声をかけられるところ。俺は、お前の長所を全部言える。

 だからこそ捨てないで欲しい。だからこそ見間違えないで欲しい。お前の根本にあるものを。お前の本当の心を」



「どうか、歪ませないでくれ。自分の長所を全て否定しないでくれ。あるべきものから目を逸らさないでくれ」





「······頼むから」





 望月は顔を上げずに、私の肩を揺らした。

 私は情けない姿を晒す望月を、冷ややかな目で見下ろした。私の後ろから、囁く声が聞こえる。



『ドウセ千代ヲ探スタメニ言ッテルンダ』


『オ前ミタイナ奴デモ、人手ハ多イ方ガイイ』


『耳ヲ貸スナ。本気でオ前ヲ必要トシテイナイ』



 ヒソヒソと話す声はとても耳障りだ。

 ねっとりとまとわりつくように私の耳に言葉を発する。その声はとても枯れているが私の声のようにも聞こえた。


 嫌な気分でしかない。

 過去に振り回され、捨てたはずの自分は背中に覆い被さるようについて来る。そして今みたいに、私を人の道から外そうとして、私を否定する。



 私を、古びた型に押し込めようとする。



 私は目を閉じた。

 里での記憶、ほとんどが喧嘩ばかりの記憶だが、それでも楽しいことはあった。


 千代にお酌した時に、見せてもらった式神の演舞。後に望月に怒られたが。

 生馬と買い物に行って、大通りの駒芸を見て遊んだこともある。後に望月に怒られたが。


 喧嘩に埋もれた記憶の中に、確かに笑った記憶がある。楽しかった記憶がある。

 だが私はどうしても、三人の隣には並べなかった。

 憎んでいたから──いや、きっと違う。





「────頑張ったのに」





 私の口から、そんな言葉が溢れた。望月は驚いたように歪んだ顔を上げた。


「全部全部、我慢した。学費も自力で稼いで友達なんて作らずにただ必死に勉強してスポーツもして、学年一位を三年も保って慈善活動にも参加した。なのに私は一度として褒められたことがない。なんで怒られなくちゃいけなかったの、なんで要らないなんて言われなくちゃいけなかったの!」


 私は全身から力が抜けていくのを感じた。

 立てなくなり、土の見えない泥水に膝をつくと、望月は覆い被さるように私を抱きしめた。

 私は望月にしがみついて、しまい込んだ感情を見つめ直す。私は三人を嫌っていたんじゃない。私がずっと、見ないふりをしていたのは──


「望月も生馬さんも千代さんも、皆ずるい。誰かに必要とされて、誰かの役に立てる」

「そうか」

「羨ましい。妬ましい。私は一人で浮いてるのに。見た目も時代も違うってだけで仲間はずれだ」

「そうだな」

「私の何がいけないの。私の何が気に食わないの。生きてても死んでも居場所がない。私が存在することがそんなに嫌か」

「そんなことは無い。決してそんなことは」



「腹立たしい腹立たしい! 私は自分の居場所が欲しいだけだ! 家族に認められたかっただけだ! それさえも許されないなんて不平等すぎる!」



 望月は私の口から、溢れる十数年分の愚痴と文句を赤子をあやすように背中を叩きながら受け止めた。

 私はそれに甘えて、全ての感情を吐き出した。


 私が怒りを吐くと雨が止む。

 私が悲しみを吐くと風が止まる。

 全ての思いが体から抜けきると、里を覆っていた嵐は止み、荒れた里に虹がかかる。


 望月はびしょ濡れになったまま、錫杖を引き抜き、私を抱えて屋敷に戻った。

 錫杖をつきながら歩く望月の背中は大きく見える。私は疲れきっていたせいか、望月の肩に手を回してそのまま眠ってしまった。


 シャン、と錫杖が鳴った。

 とても凛々しい、毅然とした音だった。

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