第20話 恨みは鬼と化して

 私の何がいけなかったのか。


 私が何をしたのか。


 私はどうしたらいいのか。


 それが聞きたかった。


 ただそれだけの事だった。


 勉強も運動も、何だったかも覚えていない賞も、慈善活動も。


 出来る全てをこなしても誰も、一度も、褒めてはくれなかった。


 何をしたら褒めてもらえるのか。どうしたら認めてもらえるのか。


 それが知りたかっただけ。ただそれだけだった。


 でもそれは、親の逆鱗に触れた。




『自分で考えろ! 出来ぞこないがっ!』




 ──頑張ったのに。


 胸の内が弱音で震えた。


 親の激怒を前に、私は絶望を味わった。



 ──こんなに、頑張ったのに。



 長年重ねた努力は脆く崩れ、灰となって消えてゆく。


 両親は、兄や妹の優秀な成績を私にまくし立て、私がいかに劣悪かを語り責めた。


 兄は有名企業に就職していた。妹は街の文芸コンテストで受賞していた。



 私は何も無い。


 私は何も無い。


 私は何も無い。



 秀でた部分も。


 良い性格も。


 優れた容姿も。


 何もかもが無かった。




 ──憎らしかった。




 期待にも応えられない。




 ──恨めしかった。




 兄や妹よりも劣っている。




 ──殺したかった。




 何も出来ない自分を。



『お前なんか生まれなければよかった』



 両親から通告された、『不要』のレッテルは私の胸に深く突き刺さる。


 何も出来なかった。それどころか、私は要らない娘だった。


 いや、最初から要らなかったんだ。出来ぞこないだから。二人は優しいから言わなかったんだ。




 ──役立たずめ。




 心が歪み、精神がすり減った私に、救いの手が差し伸べられた。


 私は縋るようにその手を取った。


 せめて最後くらいは、親の期待に応えよう。


 そうしたら、私も、一度くらいは───



『さっさと死んで欲しい』




「ハイ。ワカリマシタ」




 ***


 がんじがらめのはずだった。

 一方的な約束で身動きが取れないはずだった。


 幾重にも巻かれた鎖の中から、私の手が突き抜ける。あちこちに傷を作ってその腕は空へと伸びる。

 助けを求めるようなその手には、恨みが、憎しみが、怒りが、悲しみが、握られていた。



「私だって──」



 私の足元を黒い煙が包み込む。

 歯を食いしばった。爪を立てた。毛を逆立て、私は正面を睨みつける。




「ここに居たくなかったんだ!!」




 どうして死後に破壊を繰り返したのか。

 どうして他者の幸せを壊したのか。

 今まで忘れていたことを思い出した。



 私は、誰かに必要とされる人間が嫌いなんだ。



 骨が軋む。感情が昂り、身体ごと形を変える。

 腹が立って仕方なかった。里の人たちはお互いを助け合い、必ず誰かに必要とされるのだ。

 それなのに私は何も必要とされない。居ようと居まいと構わないのだ。


 壊してやりたい。全てを絶望の底に落としてやりたい。皆無くなってしまえばいい。跡形もなく、燃え尽きてしまえばいい。流れてしまえばいい。吹き飛ばされて、地の底に埋まって、何もかも消えてしまえばいい。




 私が──必要ないと思うから。




 煙は体の半分まで包み込んだ。

 爪が伸び、歯が鋭く尖る。視界は赤く染まり始め、聞こえる音も歪み出した。

 私を囲う人々は悲鳴をあげ、蔑みは恐怖に変わる。

 鏡を見ずとも分かる自分の変化に私は気分が高揚する。


 甘美な気分だった。

 恨みが力に変わる瞬間の指先に伝わる感覚が。心が歪な形になる刹那の鼓動が。

 初めて自由になれたような爽やかな心地に私は酔いしれる。これが本当の私なのだと。



 だが、恨みが足りない。



 完全な姿を得るには自分の恨みだけでは、全くといっていいほど足りなかった。自分が開放されるためには、もっと恨みが必要だ。


 私はぐるりと辺りを見回した。そして、気味の悪い笑みを浮かべた。


「なァんダ。たくさンイるじゃナいか」


 私がそう呟くと、私を虐げた人々は悲鳴をあげ、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 私は奇声を上げながら追いかけた。


 人が逃げ込んだ店を壊し、道の先を蹴り飛ばした人力車で塞ぐ。

 私が一度ひとたび歌えば風が吹き荒れ雨が降り、雷を呼んで地を穿つ。


 風は屋根を吹き飛ばして壁を切り裂く。悲鳴をもかき消す雨は形あるもの全てを押し流す。

 落ちた雷が家を燃やして灰にする中、隆起したり割れたりする地面が道を無くして人々の避難を遅らせる。


 鼻先を漂う甘い匂いが、耳に届く断末魔が、目に見える地獄が、とても心地良かった。


 割れた地面の川に流された人々は助けを求めるように手を伸ばす。

 私はそれをただじぃっと、眺めていた。


「いイ気味ダ」


 私は一人の手を掴み、川から引き上げる。

 恐怖に引きつった男の首を絞め、私は喰らいつこうと口を近づけた。


 が、私は手を離す。

 また川に落ちた男は腹の底からの悲鳴をあげた。

 私は鼻先を掠り、壁に突き刺さった錫杖を見つめる。


 年季の入ったいい品だ。

 長過ぎず短過ぎず、太過ぎず細過ぎない、丁度いい大きさだ。それを使う人間を、私は一人だけ知っている。

 私は眉間にシワを寄せて、それが飛んで来た方向を睨んだ。そこには哀れみ怒る、望月がいた。


「······止めろ。奏」

「ヨぉ。いマ来たノか」


 私はへらりと手を振った。

 望月はさらに苦しげな表情を見せる。

 私はケラケラと笑ってやった。


「そちら側へ行くな」

「私ガドコにいクッて?」


「恨みに呑まれるな。お前はそんな事をしない」

「周りヲミロよ。こレを、誰ガヤったト思うンダ?」


「それより先に踏み込んでくれるな! 俺はお前を祓いたくはない!」

「知ルカよ。止めタキャ祓っテミセろ」



「······奏、戻ってこい」

「イツもみたい二かかッテこイヨ。モチヅキィ」



 望月は、とても苦しげな瞳で私を睨んでいた。

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