第19話 それが八つ当たりだとしても

 目を覚まし、顔を洗って着替えを済ます。

 髪を結わえ、朝食までの時間を読書に当てる。


 妖怪や妖術、祓い屋の護身術や過去の記録から、何とか妖術を解く方法を探す。

 それを毎日続ければ、嫌でも読み終えた本は増え、未読の本は減っていく。

 今となっては、読み終えた本をまた読み返すだけの時間となっていた。


 いつもは一冊を半分まで読むと、味噌汁の匂いがして、望月のうるさい足音が聞こえてくる。だが今日は、生馬の軽い足音が二階を駆け回っていた。


 カタカタと天井が揺れた後、望月の怒っているかのような足音が近づいてくる。

 荒々しく開いた戸口には、めずらしく慌てた様子の望月が立っていた。


「千代を見なかったか!?」


 望月が私にそう聞いた。

 顔を洗いに行っても千代の姿は見ていない。

 私が首を横に振ると、望月は更に慌てた様子を見せる。私は千代相手にその慌て方を見て、てっきり飯当番が千代なのかと思っていた。


「千代さんのご飯美味しくないって言ってるじゃん。いつも千代さんの番だと望月も生馬さんもあんま食べないだろ。代わってやれば?」

「馬鹿者! 飯どころじゃない!」


 望月が怒鳴るように大声を出して、私はようやく気がついた。



「千代がいなくなったんだ!」



 ***


 昨晩少し語らった後、千代は何事も無かったかのように自室に戻っていった。

 私もそのまま部屋に戻って眠りについた。


 まさか突然いなくなるなんて、夢にも思わなかった。


 私は里を駆け回り、千代を探した。

 細い路地も、どこぞの家の裏手も、いじめを繰り返す子供を蹴り飛ばして井戸の中も探した。

 だが、千代はどこにもいなかった。


 里の人も千代がいなくなったと聞いて、てんやわんやの大騒ぎ。皆が皆あちこち駆け回り千代を探す。


「祓い屋の千代さんがいなくなった!」


「姐さんを見たってぇ奴はいねぇかい!?」


「姐さんが急に姿を消すなんて、今まで一度もなかったよ!」


 千代を探す人混みで、私は千代がどれだけ慕われているかを耳で知った。

 皆の口から出る言葉は心配や、千代に貰った恩ばかり。

 私は少し、羨ましく思った。


 ふと、いきなりパーカーのフードを掴まれた。

 私は後ろに引き倒され、地面を背中で滑った土にまみれ、手に負ったかすり傷を擦りながら起き上がると、私の周りを、里の人々が囲っていた。


 武士のような身なりをした男が、私を怒り顔で見下ろしている。

 私はその男につられたように怒る、皆の剣幕を不思議に思った。



「里をうろつく小娘め。貴様、千代殿をどこへやった!」



 男の声が鼓膜に響く。一体なんの事か見当もつかなかった。私が聞き返すと、男は「とぼけるな!」とまた怒鳴った。


「最後に会ったのは貴様だと聞く! 八神のご子息が仰っていたのだ!」

「いや、確かに夜中に会ったけど。時間で言ったら今日の明け方じゃ──」

「無駄口を叩くな! どうせ貴様が千代殿を追い出すようなことをしたんだろう!」


 とんでもない言いがかりだ。

 昔の人間は話が飛躍しすぎて困る。私が最後に会ったのは確かに真夜中ではあるが、屋根の上にいたというのにどうやって追い出せるのか。

 それも、世話になっている人を相手にだ。


 周りはそれに同調するように声を張るが、私だって黙っているわけがない。

 ────本来であれば。


 とっくに体は過去から現在にかけて受けてきた約束という名の命令にがんじがらめだ。

 今だって思いっきり怒鳴りつけて、昨日の夜の話を持ち出して偉そうな男を論破した上で罵倒してやりたい。


 だが、『口答えしてはいけません』『黙って言うことを聞きなさい』『相手を否定してはいけません』『人の言うことには従いなさい』──いくつもの制約が私を動けなくする。


 段々と周りからの非難は熱を帯び、あることないことを言われ始めた。

 里を崩壊させるだの、自分たちを陥れるつもりだの、それは証拠もなければ根拠もない突飛な話だった。

 しかし、それも言い続ければ現実味が出てくるもの。


「最初からそうだと思っていた。誰とも違う珍妙な装いをしているのだから」「笑いもしなけりゃ挨拶もしない。きっと最初から仲良くするつもりなんてなかったんだ」「千代さんに紙紐を買ってもらったってのに、喜びもしないんだ。どうせ、ハナから千代さんを狙ってたんだろうよ」「いつも変な唄を歌っていたぞ。きっと呪詛に違いない!」「望月の坊さんをしょっちゅう怒らせていたわよね。きっと恨みを膨らませようとしてたんだわ」「なんて非道な娘なんだ!」


 黙って聞いている間に私の見てくれから性格までが悪とみなされ、それをやや無理やりな形で結びつけられる。そこに普段の何気ない行動までもが邪悪に見られるのだから、私はすぐに孤立していく。


 体の末端から少しずつ力が抜けていく。前を真っ直ぐ見ているはずの視界は現実味が無くなり、まるで自分の視点じゃないような感覚さえあった。


 逃げ出したい。でも『逃げてはいけない』という約束がある。

 助けを求めたい。でも『誰かに頼ってはいけない』という約束がある。


 そんな一方的な約束を、『約束』なんて言ってもいいのだろうか? どうして私ばかりが我慢する約束事を結ばされたのだろうか。


 言い返したい。否定したい。説得したい。納得させたい。泣きたい。怒りたい。手を出したい。殴りたい。蹴りたい。逃げたい。消えたい。ここからいなくなりたい。自分を守りたい。自分を守りたい。自分を守りたい。自分を守りたい。自分を守りたい。自分を守りたい。





 ──────助けて欲しい。





 私の願いは全て胸の中だけに留まり、外に吐き出されることは無かった。全てその約束が私にそうさせたのだ。

 私が何も言わないのをいいことに、皆はやりたい放題だった。

 石を投げつけ、顔を殴りつけ、私を「悪霊」だの「化け物」だのと非難する。


 元々悪霊の一歩手前の者たちだ。彼らにとって人を虐げることは、何らおかしくないのだろう。私を助ける者などいなかった。私を庇う者などいなかった。私は無抵抗のまま、身体中に傷を溜め込んでいく。


 私は必死に我慢した。

 耐え難い痛みにも、苦しみにも、弱音も悲鳴もあげなかった。約束が私をそうさせたのもある。けれど、そんなものよりも、私自身が負けたくなかったのだ。



 そんな死にものぐるいの忍耐も、誰かの一言で消えてしまう。私の胸を深く突き刺したそれは、私がもう一度死ぬには十分過ぎる言葉だった。




『お前なんか、いなくなってしまえばいいのに』

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