第17話 雲外鏡の探し物

 全ては我慢の連続だった。


 勉強も、何らかのコンテストも、部活も、バイトも。


 褒められるためだけの努力だった。


 だが何を頑張っても他人に紙の上で認められこそすれど、親が褒めることは無かった。


 ただの一度も。



 言われた通りにすべき事をした。


 言われた通りに感情も閉ざした。


 言われた通りに社会貢献もした。



 これ以上、何を頑張れば良いのか分からなくなって、私は両親に聞いた。



『私はあと、何を頑張ればいいの』



 それが、反抗だとみなされるとは思わなかったが。


 ***


 体が重い。

 もう起きるのさえも辛い。


 それでも私は体を引きずってどこぞの森の中を歩く。千代に買ってもらったリンゴをかじり、霊力を回復させながら耳を澄ませる。

 千代は式神の蝶々を追いかけながら優雅に煙管をふかしていた。


「ったく、なぁんでこんな時に夜来も生馬も仕事に行っちまうんだい。夜来に至っては奏の世話係だろォに」


 千代はぶつぶつと文句を言いながら私の肩を抱く。


「やっぱりあの木偶の坊にあんたを任せるんじゃなかったねェ。奏、今からでもあたしに乗り換えないかい? あたしの弟子ならあのポンコツと違って占いとか綺麗な式神の使い方を教えてやれる。それに同じ女なんだ。男連中に言えないことだって言い合えるだろォ? あと綺麗な服を着せてやるさ。あいつどうせ、あんたになァんにもさせないんだから」


 千代は紫煙をたなびかせ、私を説得するが、私はそれを流せるだけの元気がない。


 妖術と自力で闘って更に一週間が過ぎていた。

 妖術は過去までを遡り、昔の制約を引きずり出して私を蝕んでいる。

 表情まで動かなくなり始めている私は、もう霊力を補うくらいしか抵抗する術を見い出せなくなっていた。


 望月の話だと、死後の霊体は霊力が切れると消滅するらしい。その目安は体の透け具合だというが、それに従うと私はあともう少しで消滅することになる。


 半透明にまでなった体はリンゴとししゃもだけで保たれながら、一歩間違えれば消滅の綱渡りをしているのだ。


 千代はふぅ、と息をつくと私の頭を撫でた。

 そして「憎いモンだねェ」と呟いた。



「なんであんたが死ななきゃいけなかったんだい」



 私には千代の言葉の意図を読み解けはしない。だから何も言わずに紫煙の羽衣の下を、歩き続けた。


 ──雑音が聞こえた。


 耳を劈く音に、震え上がった。

 背筋が凍る。汗が吹き出す。反射的に耳を塞いだ。

 音だけで感じる恐ろしさが、すごい速さで近づいてくる。もう、見たくもなかった。


「奏どうしたんだい!?」


 千代には聴こえないのか。

 こんなにもうるさい音だというのに。

 私はその場にしゃがみ込んで動けなくなった。

 恐怖から逃れるように、聴こえた音を口ずさんだ。


 散る葉の温もりを数え 吹く風の冷徹を知る

 我が身は命のための依代 我が身は命の還るゆりかご


 我が身に宿る胎動はいつか空を望む

 我が身に眠る吐息はいつか夢を望む


 等しく眠れ 等しく目覚めよ

 母なる唄は全ての命のためにある



「恵をもたらせ 厄災を運べ

 命を愛する土の祝詞

 迫り来る悪鬼を穿つ刃となれ」



 逃れたいがために呟いたことだった。

 己のことだけを考えた言葉だった。

 私の言葉に応じるように、土の香りは強くなる。


 千代は私の後ろに迫る悪霊に気がつくと、私を守ろうと手を伸ばした。

 肌は黒く、目は落ち窪み、ミイラのような姿をした悪霊は、私の目の前で見えない力によって地面に叩きつけられる。

 そして必死の抵抗も虚しく、ヤツは土に飲み込まれてしまった。


 私は汗で張り付く髪を流し、震える手で悪霊が飲み込まれた土を掘り起こした。

 そこには、真っ黒な球体があるだけだった。



 何もない。私が恐れていたものは何も。



 私は手のひらに収まるそれに、安堵のため息をかけた。

 千代も安心したのか、深くため息をついた。


「驚いたったらないねェ。あんたいつの間にそんなこと出来るようになったんだい」

「いや、いいや、初めて知った」

「ふぅん。まぁ、良くやったよ。じゃあ仕事も終わったし、早めに帰ろうじゃないか! 屋敷に帰ったらあたしがご馳走を作ってやるよォ!」

「い、いや。それはちょっと······」


 千代に肩を組まれ、私は元来た道につま先を向ける。

 ぴた、と足が止まった。

 道の先には太陽の光を反射してきらりと光るものがあった。それが鏡だとすぐに分かった。

 そしてその横には、あの爺がいる。


 私はまた足がすくんだ。先程の恐怖心が蘇る。

 そして同時に、怒りが湧き上がってくる。



「あのクソジジイ!!」



 私は千代を置いて駆け出した。

 風は私の押し返し、草木は警鐘を鳴らす。私自身、恐怖でいっぱいだった。だがそれよりも勝る怒りが、体を支配していた。


 思いっきり殴ってやりたかった。

 気が済むまで罵倒してやりたかった。

 私の怒りが晴れるまで、私をこんな目に遭わせたことを後悔するまで──



「待ちな! 奏!」



 千代がそう叫んだ。

 私の体は奴の前で微動だにしなくなる。

 鏡に映った過去の自分は、愛おしそうに私に手を伸ばした。

 しかし、爺はしかめっ面で鏡を隠し、歯の足りない口を動かした。



『違ウ······違ウ············オ前ジャナイ』



 動かない私に背を向けて、爺はひょこひょこと森の奥へと消えていく。

 千代は動かなくなった私に「ごめんよォ」と謝った。

 草のかき分ける音に混じって聴こえた爺の独り言。


『ドコダ·····ドコニイル───』



『──高風たかかぜ



 爺の捜し物なんて興味も無いし知りたくもない。

 私はようやく動けるようになった体を伸ばし、爺の背中に鼻を鳴らした。


「帰ろう。千代さ──」


 私は千代の横顔を見上げた。

 千代は目を見開き、眉間に皺を寄せていた。

 まるで会いたくもない人に出会ったかのような顔だ。

 千代の瞳に、恨みが揺らいで見えた気がした。

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