第14話 誰を恨むか

「何を捨てろって?」


 私は声を低くして問う。酒呑童子は変わらず小さな瓶の酒をあおって言った。


「分かっておろう。その禍々しいものの根幹じゃ。悪いことは言わん。お前にそれは大きすぎる」


 酒呑童子の言っている事は理解出来る。私も、自分が持つには相応しくないと思っているのだから。

 それが、その身を滅ぼすとしても私は手放せないと知っていた。


「恨みを捨てられたなら、私がこの世を彷徨うことは無かった」


 私が突っぱねるようにそう言うと、酒呑童子は呆れたため息をついた。


 それが諸刃の剣だとしてもか、と酒呑童子は問う。

 それでも捨てることは出来ない、と私は答えた。


 恨みを捨てて、私に何が残るのか。私がここにいる意味を知りたかった。だがそれは誰も教えてはくれない。だから私は恨み続けるのだ。


 酒呑童子は拒み続ける私に意地になって「やめとけ」と忠告する。


 妖怪が人間に忠告するとはなかなか笑える話だ。だが、彼は嘘を言ってはいなかった。

 それを証明することは出来ない。相手は大酒飲みの平安の鬼。私のような小娘を、騙そうと思えば騙せるのだ。


 だが、彼は私に温かい瞳を向ける。キツく聞こえるその言葉にも、優しさが溶け込んでいるのだ。


 私はそれを全て拒んでいる。幼子おさなご我儘わがままのように情けないほどに、その言葉を受け入れられなかった。


「聞き分けんか、小娘。お前がその身を変ずることがあれば、必ず鬼となろう。そして必ず、自分が大切にものを壊すことになる」

「私が大切にものなんてない!」



 声が聞こえた。


 泣き声が聞こえていた。



「私は何も出来なかった!」



 暗闇で泣き続ける声が聞こえた。


 それはあまりにも、耳障りな声だった。



「私は誰の望み一つ、満足に叶えてやれなかった!」



 泣き声は段々近くなってくる。


 後ろから忍び寄るように泣き声は近くなってくる。



「私が最期に叶えた望みさえ、誰にも喜ばれやしなかったのに」



 雑音が聴こえる。


 酒呑童子が目を見開いた。



「私がやめてしまったら······」



 私が後ろを振り向いた時、手遅れなのだと悟った。


 あの泣き声は私の目の前にあった。




「──『私』を恨むのをやめてしまったら、私には何が残るんだ」




 鏡を持った爺が、私を鏡に映し出す。

 胸を赤く染めた私が、鏡に映っていた。

 私はその姿を目に焼き付ける。


 彼女の、煩わしい泣き声が、耳元にまで──


 瞼が重くなる。体が怠くなり、音が遠のいていく。

 私は眠るように、意識を失った。


 倒れた私の体を、酒呑童子が支えた。

 だらしなく投げられた手を揺らす私に、酒呑童子は「だから言ったのに」と呟いて、空を睨んだ。


 木の上には、爺がじぃっと鏡を見つめていた。

 すると、爺は鏡を捨て、どこかへと去っていく。



「······ああなる気か。お前は」



 遠くから望月の声がした。酒呑童子は山道の傍らの木に私を座るように置いた。

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