第13話 近江山の酒呑童子

『朝日野さんって、いつも無口だよね』



 だからなんだと言うのだ。話すこともないのに話続ける意味が分からないだけのこと。



『そうそう、授業中もうわの空っていうか? 頭良いんで聞く必要ありませんって感じだよね』



 別にいいだろうに。お前たちより頭が良いのは事実なのだから。



 私は廊下に立ち、暮れゆく陽を眺めながら、三人分の笑い声を聞いていた。私の悪口に花を咲かせる彼女たちの言葉はとても稚拙で醜かった。


 彼女たちの口からは根も葉もない噂話が紡がれる。彼女はそれを面白おかしく話しては、品のない笑い声を出す。



 ──くだらない。



 私は聞こえないようにため息をつき、その場を離れようとした。


『でもこの間のさぁ、ボランティアで朝日野さん問題を起こしたじゃんか』

『ああ、あの孤児院の』


『孤児院』

 その単語が出てくると、私は足が止まった。

 彼女たちは話続けていた。


『子供二人が『叱咤』されている所に割り込んで、職員に大怪我させたって』

『先生から聞いた。親も呼ばれたって』

『叱咤されてた子供たちは根っからの悪童だって話じゃん。よく退学にならなかったよね』

『それ、先生と寝たって噂があんの』

『ウソォ!』


 女子がよく盛り上がる話だ。そしてそのまま私の噂はエスカレートする。

 私だって、それを黙っているわけが無い。



『さっさと退学になれば良かったのに』



 ──私が嫌いなら、退学にしてあげる。



 一週間もしないうちにその女子三人は退学になり、二人の教師がクビになった。

 私は教室の窓から泣きながら学校を去る彼女たちを見下ろした。


 担任が代わり、新たな担任となった教師が差し障りのない言葉で説明をする。

 私はぼぅっと空を見上げた。

 そして、ふと知ってしまった。



 ──私に、味方はいないのか。······と。



 ***


「ごっはぁ!」


 木の根に背中を叩きつけ、私は空気の塊を吐き出した。

 力の入らない腕でやっと上半身を起こすと、目の前には酒瓶さけがめをぶら下げた男が立っていた。


 だが、耳には荒ぶり猛る音が聴こえる。

 森の音ではない、その男から聴こえてくるのだ。


 顔は良い。現代でもなかなか居ない美形だ。だが服は頓着が無いのか、ボロボロになった着物を纏い、宝玉の割れた首飾りを身につけていた。

 黄金に輝く髪なのに手入れもせずにぼうぼうとして、頭からは二本の角が生えていた。


 離れていても臭ってくる酒。そして京都に棲う鬼。

 そこまで言ったら誰かはすぐに分かる。


「酒呑童子に会えるとは思わなかった······」

「何じゃこの娘。まだ話す力があったんか」


 酒呑童子はボリボリ頭を掻くと、片手で私の首を絞めた。酒をあおり、酒呑童子はさっさと消えろと言わんばかりの目を向けてくる。


 私は酒呑童子の指を剥がそうと手に力を込めるが、彼の指は固く、隙間も作れない。

 私は何とかもがいた。酒呑童子は殺意とも取れる眼差しで私を睨んでいる。


「ようこの山に入れたもんじゃ。わしの寝首でもかく気じゃったか?」

「なっ······なん、の···こっ······!」

「とぼけるな。変なもんが山をうろついとるんくらい知っとるわ。それに紛れて入って来たんじゃろ」

「だっ······から! な、ん·········」

「姿を現せ。わしの御前でまだ偽るつもりか。どこの妖か言うてみせい」


 私は抵抗する力を無くし、だらんと腕を下げた。すると酒呑童子は不思議に思ったようで、私から手を離した。


 私は地面に落ちると激しく咳き込んだ後、胸いっぱいに空気を吸った。


 ──生き返った。いや、死んでいるが。


 酒呑童子は手にしていた酒瓶の残りを私の頭に浴びせた。冷たい感触に強すぎる酒の臭いが鼻に刺さる。

 私は袖で顔を拭うと、酒呑童子は更に不思議な表情で私の前にしゃがむ。


「おっかしいのぉ。絶対に妖じゃと思うたんじゃが。まさか、本当に人間か?」


 私は全身が熱くなるほど怒り、酒呑童子の顔を蹴り飛ばした。酒呑童子は横に飛んで、木の幹に体を打って地面に落ちた。

 私はパーカーの汚れを落とし、聞こえるように舌打ちをした。


「いきなり何してくれてんだ。この酒乱野郎」

「おお口の悪い。こんな娘がいてたまるものか」


 酒呑童子は腰を擦りながら起き上がると、私の顔をじぃっと見た。私はまだ怒りが収まらず、もう一発だけ殴ってやろうかなんて考えていた。



「お前、ひどく禍々しい奴じゃな」



 酒呑童子はそう言った。

 私はその言葉の意味が分からなかった。酒呑童子はボロボロの袖から小さな瓶を出し、それを飲み干した。


「悪いことは言わん。それを手放せ。お前はあまりにも危険すぎるんじゃ」


 酒呑童子は翡翠の瞳で、私を見透かすように言った。

 私はそれが何かを言われていないのに、胸の内が怒りで満たされていくのを感じた。

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