第11話 いつも通りの朝
誰かと笑い合って過ごすのは久しぶりだった。
乾いた大地に水が染み込むような、曇り空から太陽が覗くような気分だった。
あの夜から一週間後の朝が来る。
赤い太陽が空を橙色に染め上げて、そのあとを水色が追いかける、心地よい朝だった。
気が合わなかった望月とも和解し、私は名前を思い出せるように努力しながら、屋敷の三人と和気あいあいとした生活を──
(──過ごせるのが理想、なんだろうな)
心の距離が縮まったはずの望月とは、一切口を聞かない日が続き、今日で四日目になる。
食器の音だけが響く広間で、私は千代と生馬の冷たい視線を浴びていた。
私と望月はあの夜以降から、毎日飽きもせずにくだらない口喧嘩を繰り返しては、殴り合いに発展させていた。
だが四日前の口喧嘩はそれまでの喧嘩とは違い、お互いに譲れなかったがために口も聞かず、顔も合わせずの冷戦に持ち込まれていた。
私は二人の冷ややかな視線にも無視を決め込む。
さっさと食事を済ませてこの場を離れることしか考えていなかった。
望月も同じことを考えているようで、食事のペースを上げる。
手に取るおかずも、食べる速さも、
空気だけで伝わる怒りは、今にも爆発しそうだった。「揃えてくるな」と言いたげな目が火花を散らす。
千代は呆れた顔で漬物をかじると、「ちょっと」と私たちに声をかけた。
「いい加減にしなァ。何だいこの前から喧嘩なんかしちまって。あたしらに心労おっかぶせる気かい」
「千代は黙ってろ。関係の無いことだ」
「その関係の無いことが、あたしらに迷惑かかってんだよォ。何で喧嘩したってんだい」
「別に大した理由じゃない」
「別に大した理由じゃない」
私と望月の言葉がハモる。
私は怒りが頂点に達し、食べ終えた箸を置くと、望月を睨んだ。
「少しくらいズラして喋ってくんねぇかな。さっきから人のペースに合わせてきやがって、イライラすんだよ」
「お前が合わせてきたんだろうが。嫌なら自分から動け」
「ああ? 随分と上から目線だな。次にはすぐ『最近の若者は〜』って言うんだろ。老害じゃねぇか」
「経験の浅い餓鬼が何言おうと痛くも痒くもないわ。自慢の屁理屈は終わりか?」
「クソジジイ表出ろ!」
「礼儀も知らぬクソガキが!」
私と望月が立ち上がった。そしてすぐに床に倒れた。
脳天から響く痛みがじわじわと骨に染みてゆく。
軽く揺れる視界が砂嵐のように暗くなった。モノクロの世界に映る、艶やかな赤い着物の裾が女の細い足の優美さを演出する。
「いい加減にしろっつったろォ! なんべん言わせりゃ気が済むんだい!」
千代は握った拳に筋を立てて怒鳴った。美しい顔にそぐわぬ怒りの表情を、目元や口元に乗せた紅が更に恐ろしさを引き立てる。
その鬼のような形相に私も望月も、怒りが引いていった。千代はふん、と鼻を鳴らすと私と望月の耳をぐいっと掴んで廊下を歩く。
千代に引きずられ、私たちは玄関から投げ出された。
「二人で仕事してきなァ! 京の方で
千代が玄関前に札を投げつけて結界を張った。そして文句を言いながら広間に戻っていった。私は石畳に投げ出された体を起こせずにいた。
今しがた打ちつけられた背中よりも、さっき殴られた頭の方がまだ痛かった。
望月と仕事はしたくない。かといって、屋敷に入る方法もない。ここで悶絶していても、文句を言っても、何も解決しないだろう。
私は仕方なく服の土埃を払うと、里の門まで歩いていった。望月は引っ張られた耳を擦りながら、私と歩幅を合わせる。
私と同時に深いため息をついた。
「千代さんのさ、拳って何であんなに痛いんだろうね」
「昔から腕っぷしは強かったがな」
「普段から殴ったりしてんの?」
「まぁそうだな。子供の小競り合いで何度かってくらいだがな」
それでもこんなに痛いはずがない。女の人の腕力なんてたかが知れているのだから。しかし、この痛みは確かであって、疑いようがない。
私は頭を押さえながら門を開けた。門から溢れ出す霧が、小馬鹿にするように体を掠めた。
私は霧に体を委ね、現世に向かう。冷たい空気がたんこぶに染みた。
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