第7話 優しさ

「こいこい!」


 滝の傍らに転がる岩に札を叩きつけて、私は言った。女郎蜘蛛は得意げに札を取っていっては、自分の持ち札を増やしていく。


 私は青ざめた。

 なんせ今の手持ちは猪鹿蝶とカス。女郎蜘蛛は勝ち誇った笑みを見せつけた。


「三光。青たん」


 私は悔しさで岩を殴りつける。女郎蜘蛛は岩越しに、私の額を蜘蛛足でつんつんしながら高笑いする。「所詮は人の子ね」なんて馬鹿にして上機嫌だ。

 私も負けていられない。



「もう一回だ!」



「その前にこの糸解け馬鹿者!」



 私の挑戦に被せるように望月が叫ぶ。私が振り向くと、望月は今だに蜘蛛の糸と格闘していた。


「なんだ。まだやってたんだ」

「当たり前でしょ。私の糸よ? 簡単に切れてしまったら意味ないじゃないの」


 女郎蜘蛛の言うように、望月が糸を切ろうと躍起やっきになればなるほど絡まっていく。糸に粘り気があるようで、一度くっつくとなかなか取れないようになっていた。


「妖怪の糸ってすごいんだな······。何で出来てんだよ」

「あら、教えてあげようかしら。妖怪の持つ妖力は自分たちの一番使いやすい形で現れるのだけれど、私の場合は糸に絡めた妖力が対象に付いたときに──」

「説明せんでいい! さっさと解け! 本当に地獄送りにしてやるぞ!」

「まぁ! 血の気の多い人! さっさと喰ってやれば良かった!」

「それはやめて。わざとじゃないから」


 私はここに来た経緯を女郎蜘蛛に話した。女郎蜘蛛は「女の子の声」と聞くや否や、不機嫌になって頬を膨らませた。覚えはあるらしい。

 だが、女郎蜘蛛は「嫌よ」とそっぽ向いてしまった。


「返してくれないか? 後が面倒だから」

「嫌よ! だってあの子ども! 私の滝に刃物を投げ込んだのよ! 私の顔に傷でもついたらどうするの!」

「転んだ拍子に落としたって言っていた! わざとじゃないんだ。さっさと返せ!」

「まぁ態度の悪い男! 絶対返さないわ!」

「望月マジで黙ってて。私に面倒かけんな」

「このクソガキ!」


 糸に絡まれたまま私に説教垂れる望月を無視し、女郎蜘蛛の説得を試みる。本日何回目かの花札を初め、女郎蜘蛛に「あなたは間違ってない」と伝えた上で、声を返してもらえるように話しかける。

 女郎蜘蛛はムスッとして、目だけで私をちらと見ると、「あなたになら返してもいい」と条件をつけた。


「私の遊び相手になってちょうだい。たまにでいいわ。暇なのよ。······ここには、私を怖がらない人間がいないから」

「分かった。それで構わない」


 私が承諾すると、女郎蜘蛛は滝壺に身を沈めた。

 私は彼女が戻ってくるまでの間、望月に川の水を頭からかける。


「うわ、おいっ! お前いい加減に──」

「何で黙ってられねぇんだよこのクソジジイ。あともがくな。女郎蜘蛛に頼めば、多分解けるかもしれない」

「······お前、よくあの妖怪がじゃないと分かったな」

「言ったじゃん。女郎蜘蛛から」



 ──、と。



 私の耳は、あらゆる唄を聴きとれる。人から音は聴こえない。自然の音以外は聞こえないのだ。

 だが女郎蜘蛛からは、はっきりとした音が奏でられ、一つの唄を作り上げている。


 妖怪とは自然現象や人の噂から生まれる、人ならざるものだ。人でない彼らを、私は音として聞き分けられる事が出来るらしい。

 だから私は彼女が妖怪だと断言出来た。


 望月はとても疑っていたが、同時に納得もしているようだった。

 水面に女郎蜘蛛が浮いてくる。手に収まるほどの小壺を私に渡すと女郎蜘蛛は滝壺に帰ろうとした。


「待って、望月の糸解いてくれない?」

「えー。それ大事なこと?」

「いや、すごくどうでもいい」

「お前らその滝に沈めてやろうか!」


 女郎蜘蛛はとても不満そうな表情をした。そして、はっきりと「無理」と言った。


「だって、私は気に入った男は必ず手に入れる主義なの。絡めた男が逃げるなんて、そんな失態は起こせないじゃない? 絡めることは出来ても、解くなんて私じゃ無理よ」

「あー······」


 私は思わず納得してしまった。

 望月は納得出来ず、自分に爆発札を貼りつけた。

 私は背筋が冷えて、その札を引き剥がす。


「自爆しようとすんな! お前の散らばった体を持って帰んの誰だと思ってんだよ!」

「体は爆散しない! 腹に穴が開く程度だ!」

「爆発させんなっつってんの! だーもうっ! ちょっと待ってろ自害待ったなし坊主!」


 そう言って、滝に向かって歩いていった。

 ちょっと待て、なんて言ったが実の所は何も考えていない。とりあえず、目の前で人の腹に穴が開くのだけは嫌という理由で、つい口走ってしまった。


 私は滝に足を踏み入れた。

 足首まで浸かると、水の冷たさがしん、と身に染みる。しかし、全く辛い冷たさではなかった。


 私は何となく目を閉じた。

 この場を乗切る策を講じるまで、時間を稼ごうと思った。その為だけに目を閉じた。


 ざぁざぁと流れる水の音が私の耳に滑り込む。

 同調するように木々のさざめきが聞こえ、風が私を囲うように吹いた。

 すると不思議なことに、『歌え』と、私の心に直接呼びかけるものがあった。



 たおやかに歌えや流れる川よ

 生命に踊れや清き水よ

 数多を清めん我が滝に 棲うは尊き水の精

 汝に偽りあるならば 我が身は悪しき毒と化さん



 私は意図せず歌っていた。

 葉についた夜露に触れるように優しい唄に、私はその正体をみたいと欲が湧く。


「ならばいらえよ波紋に乗せて

 姿を現せ精霊よ」


 私はそう言うと、滝壺の水面をとん、と軽く叩いた。

 私が立てた波紋は滝の中心まで広がり、滝の打ち出す波紋に相殺される。


 少し静かになったかと思うと、波紋のぶつかり合った所から、青い衣を纏った男が浮き上がってきた。

 流れる川のようにしなやかな髪を垂らす男は、私に向き合った。



「私は浄蓮の滝の精霊だ。······お前が私を呼んだのか?」



 心臓に直接響かせるようなその問いかけに、私は本当に精霊なんだと実感した。私が頷くと、精霊は辺りをゆっくりと見回した。

 蜘蛛の糸にがんじがらめになった望月を見ると、精霊はその容姿に相応しくない表情で、深くため息をついた。


「またお前か。先週コレクションとやらは手に入れたんじゃなかったのか?」

「コレクションは沢山ある方が、生活にいろどりが出るのよ!」

「やめろと言ったはずだ。そして、この滝から出て行けともな」

「ここが一番住み心地がいいんですぅー!」


 女郎蜘蛛と滝の精霊が言い争うその姿に、私はぽかんとした。

 妖怪と精霊。相反する存在が共に暮らすなんて、生きている頃なら多分信じていない。

 私はだんだん頭が痛くなってきた。


「私を呼んだ少女。何用だろうか」

「ああ、うん。えっと、望月の糸を解いて欲しい······です」

「なるほど。あの男を返せばいいんだな」


 精霊はうんと頷くと、滝壺に手を差し出した。

 細かい泡を立てて水が浮き上がり、雨のように零れた水の中から、宝石のように綺麗な杖が顕現される。

 精霊がその杖を一振りすると、川の水がうねり、望月を包みこんだ。


 絡んだ糸は水に溶け出し、川を流れていった。

 邪魔なものが無くなると、望月は溜め込んだ怒りを吐き出すように札を手に持ち、女郎蜘蛛を睨む。


「この野郎、地獄にたたき落としてやる!」

「はいはいはい。あの里に戻ろうね」


 私は怒り狂う望月を押して滝から離れた。

 精霊は「良いのか?」と聞きたげな瞳を私に向けた。そして女郎蜘蛛をちらりと見やる。


 ──退治するのならしても構わない、と。


 確かに相手は妖怪で、人ならざるものだ。だが、私は女郎蜘蛛を攻撃するつもりはなかった。

 その目的は私ではなく、望月の目的なのだから。


「別にどうでもいい」


 伝わらなくてもいい。私はそう思って精霊に目で返事をした。

 精霊は杖を抱くと、滝の底へと帰ってゆく。女郎蜘蛛も、一度振り向いてから滝の底へと帰っていった。

 私は振り向かないで望月を押していく。

 望月はずっと文句を言い続けていた。

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