第4話 一粒万倍

十三時。九十九里サービスエリアまで五キロ地点。

車内は沈黙を保ったまま、車の走行音だけが響いていた。

半間は、外の様子を見ながらその音に聞き入っていた。誰もBGMやラジオを付けようとは言いださなかった。

言いそびれただけかもしれなかったが、半間にとっては車の走行音だけが最適なBGMになっていると思っていた。

車窓には遠くに見える山や谷、点在する民家が流れて行く。半間はそこに見える山や谷の名前を知らない。それはただ半間が知らないだけで名前はきっとついているのだろうと考えた。知ることで、それは意味を持つことになり、存在ができるのだろうと半間は思う。

そんなことを考えながら、半間はその山や谷に忍者を走らせていた。

もちろん、実際に走らせているわけではない。車窓から見えるそう言った景色をあたかも横スクロールのゲームの様に見立てて、頭の中でキャラクタを創作し、勝手に動かしてゲームを進めているのである。

半間のこの行為は、家族で旅行や外出する時は決まって行っていた。家族でわざわざ車内で喋ることもないので、最初は暇つぶしでやっていた。

次第に、バスや電車に乗っている時でもその行為をし始めた。最近はスマートフォンを見たり、本を読むことも増えたが、ふとした時にそとに忍者を走らせることもあった。

ある時の家族での外出時に、ふと、そんな話をしていたら、両親と妹、全員がそれを行っていたという話になった時、驚くと同時に遺伝子の強さを感じたことを思い出した。

九十九里サービスエリアまで一キロの表示を半間が確認すると、道路の上空に橋が渡っているのが見えた。車は走っておらず、人が歩いているのが確認できた。

守屋が運転する車は車線変更をすると、九十九里サービスエリアの入り口に入って行った。

「ランランさん、さっき、上に橋みたいなのが見えたんですけど、あれって何ですか?」

美野島も同じものを見ていたのか、蘭に質問をした。

「あれはね、橋よ」

蘭は真顔で答える。

「いや・・・そうなんですけど・・・・あ、何の橋なんですか?」

「ああ、そういうことね」

半間は、それ以外に何かあるのかと思ったが、黙っていた。

「九十九里のサービスエリアはね、上下線のサービスエリア同士があの橋で繋がっていて、自由に往来できるのよ」

車は、ループ状の道に入っている。外に引っ張られるような加速度が半間の身体にかかる。体勢を崩してしまい、膝の上に置いていた半間の手が、シートに置かれていた蘭の左手に触れる。

「あ、すんません。わざとじゃありませんから」

半間は焦って弁明した。

「そう言われると、わざとじゃないかって思うわね」

蘭はわざとらしく言ったが、本気ではないと半間には分かっていた。

それ以上に、人形のような蘭の手の温度の低さの方が半間には気になった。

車はループを抜けて駐車スペースに入った。ループを回っている間に本線よりもわずかに低い高さになったため、駐車スペースが本線よりも低い位置にある。

「九十九里の海側の景観も楽しめるようにっていう設計ね」

蘭は美野島の質問の続きを答えた。九十九里サービスエリアの設計方針として、陸地側のサービスエリアに来た人も海側の景色を楽しむことができるということになる。

守屋は運転席で首を動かしながら、ゆっくりと車を動かす。そんな設計思想のサービスエリアで、土曜日のお昼時である。

ほとんどの駐車スペースが埋まっていた。

それでも何とか空いた場所を見つけ、守屋は華麗なバックで駐車する。

「前から思っていたけど、守屋君、駐車上手よね」

蘭も褒めるくらいならば相当なものだろうと半間は思った。

「俺、バックだけは上手なんだよ」

守屋も気分が上機嫌だった。

「先輩、そのコメント、私たち以外の人の前では言っちゃダメですよ?」

美野島は上目使いで言った。

美野島の発言に、蘭が声に出さずに笑いを堪えていた。その次に半間が意味に気付いて赤面し、車を降りるまで守屋には意味が分かっていなかった。

守屋が車を駐車したのは、店舗やトイレなどがある方から見て三列目の端、出口に近かった。

駐車スペースは全部で四列分ある。一列分の島に車は二台ずつ六十台は駐車できるようになっている。

「凄い車の数ですね」

半間はあたりを見渡しながら言った。やはり親子連れが多く、自分達と同年代の若者も見かけた。

「観光バス用のスペースにも三台停まっていますね」

美野島が反対側の入り口付近を眺める。

「それほど人を来させようっていう考えでしょうね。近くに海岸もあるから、夏場にはもっと人が来ることになるでしょうね」

「あ、そっか、近くが海なんだ」

美野島が反対側のサービスエリアを見る。

「海側は海岸にも降りれるようになっているみたいよ」

蘭は美野島に言った。

半間はその光景が簡単に想像できた。そして、夕方のニュースなどで特集が組まれるのである。

四人は駐車スペースを渡り切り、店舗の方にやってくる。

「どうする?まず便所か?」守屋が言った。

出口側の端にあるトイレには女子側に列が形成されていた。

「そうね。さきに済ませておいた方が良いかもね」

蘭と美野島は守屋の意見に従い、トイレに並ぶことになった。

守屋と半間は男子トイレの中に入り、用を足すと外に出てくるが、まだ蘭と美野島はトイレ内に入っていない状態だった。

二人に、店舗などに行ってくることを伝えて守屋と半間は歩き出す。

「女性って大変ですよね」

半間は横を歩く守屋に言った。

「まあな。でも解決は単純だろ。女子トイレの数か面積を増やせば良いだけだ。どちらも同じ面積で作るからこうなるんじゃないか?」

半間は土木計画学を大学院で学んでいるこの先輩の言っていることがどこまで的を得ているのか、判断できない。

「そうっすねぇ」

半間はこうした反応しかできない自分が情けなくなった。来年の四月からは自分も目の前の先輩と同じ学年である。

「俺、ランランさんや守屋さんみたいな院生になれますかね」

思ったことが何のフィルターも通さずに口から出てきていた。

「ランランはともかく、俺は今のお前の学年の時はアホだったぞ?」

守屋と半間は喫煙所の前に立つ。どちらが何も言わなくても、今は喫煙タイムであるという認識を持って喫煙所に向かうので、喫煙者同士のシンクロ率はこの時間に限って言えば、かなり高いと半間は思った。

「そんなもんですかね」

「ああ」

守屋は火を点ける。半間もそれに続く。守屋が一吸いすると、すぐに灰を落とす。

「俺が四年の時に上についてくれていた修士二年の先輩からボロクソに言われたよ」

「でも、それは鍛えようと思ってくれていたんじゃないですか?」

「そうなんだけどな。でもそれに俺が応えられなかったんだよな。それを後悔して先輩は卒業しちゃったよ」

守屋はゆっくりと煙を吐いた。

半間は守屋の表情を見て、心からそう思っているのだと分かった。

「でも、それからはかなり心を入れ替えてやったけどな。俺から言えるのはそういうことくらいじゃねぇかな?」

つまり、後悔したくないならば今からでも肚を決めろということだと半間は思った。

「ありがとうございました」

半間はちゃんとお礼を言った。

「まあ、でもお前みたいなタイプはどうにかなっちゃうんだよな」

守屋は口元に笑みを浮かべながら言った。

「どういうことっすか?」

「お前みたいに、変なモノが憑いている奴は自分でも気づかないうちに上手くいっちゃうことがあるんだって」

「変なモノって。やめてくださいよ」

「一日に二件も人が亡くなる場面に出くわすのは人生の中でもそうないからな」

「それは守屋さんも同じっすよ?」

守屋と半間は笑った。

「あ、そういえば、守屋さん、ここでは調査しないんですか?」

「なんで?」

「特に変わったこと起きてないんだから、調査できませんか?」

「うーん、そうだな。変わったことは起きてないけれど・・・お前、調査したいか?」

半間の内心はそんな気になっていなかった。それが正直なところだった。

「いや、そんな気にはならないですね」

「だろ?まあ、こういった日もあるさ。きっと日が悪いんだよ」

守屋は遠くの空を見て言った。半間は理系の学生が言うセリフなのかと思った。

「どうする?とりあえずブラブラしてみるか?」

守屋は吸殻を灰皿に入れて言った。

「そうっすね」半間も同意する。

喫煙所はトイレの脇、さらに出口の付近にあった。守屋と半間は店舗やインフォメーションがある方向に向かう。

その際にトイレの前を確認したが、蘭も美野島も姿は見えなかった。やっとトイレ内に入れたのだろうと半間は思った。

九十九里サービスエリアには、大きな建造物が中央に置かれており、その中に店舗やインフォメーションがある。

建物の案内板を見ると、宿泊施設や大浴場なども入っているということだった。

「はあ、凄いっすね。宿泊施設まであるんすね」

半間は案内板を確認しながら言った。

「そうだな。長距離トラックの運転をする人とか、助かっているんじゃないかな」

「なるほど」半間は頷く。

建物の中に入るのは蘭たちが戻ってきてからにしようと守屋から提案された半間は頷いた。

「外の店舗もあるからそっちも見てみようぜ。俺腹減ったよ」

守屋はニット帽に手を突っ込んで頭を掻きながら言った。確かにお昼時で、半間たちは車内でお菓子類を食べた程度だった。非日常的なアクシデントに巻き込まれたためか、半間はすっかり体から発する信号に気付かないでいた。

駐車スペースと建物の間に屋台形式の店舗が並んでいる。建物内のレストラン形式の店舗よりも手軽に購入できてかつ、ドライバに配慮しているためか、片手で食べられるようなものを販売している店舗が多い。

また、屋台形式と言っても、半間が子供の頃に見たような祭りで見られる屋台ではなく、そのほとんどがプレハブだった。

守屋と半間はゆっくりと歩きながら、まず何を取り扱っているか確認する。屋台を端から端まで歩いた後、今度は気になった店舗をじっくりと見て購入していった。

時間的には蘭達も戻ってくるだろうと守屋が言ったので、蘭達の分も購入していた。

そのほとんどを守屋が支払った。

「守屋さん、払いますよ」

「直接バイト代でないからさ。気にすんなよ。俺らも先輩に同じようにしてもらったからさ」

守屋は表情を変えずに財布を仕舞いながら言った。立ったまま食べるのも行儀が悪いという守屋の真っ当な意見を尊重し、守屋と半間は傍のベンチに腰掛ける。

「守屋さん、ランランさんって凄いですよね」

「どこが?俺から見れば変な奴、良く言えば不思議ちゃんだぞ?」

「不思議ちゃんって良い言い方ですか?まあ、良いですけど・・・」

半間はカレーパンを一口齧る。九十九里サービスリアの名物にしたいという思惑があるのか、大々的に売り出していた。半間はなるべく名物なものは試すようにしていたので、それに従って購入した。味はまずまずだった。カレーパンの中ではスパイスが強くパン生地にもカレーが練り込まれていた。半間は満足しながらカレーパンを食べきる。

「あいつは夏の事件の時もあの刑事の手伝いをしていたらしいからな」

守屋は言った

「あんまり言うなよ。ランラン、自分から話すことは無いからな」

「あ、はい。そうだったんですか。だから刑事さんたちもランランさんを頼ったりしていたんですね」

「本人はそっとしておいて欲しいと思っているだろうからな。迷惑だろう?」

半間は頷いた。

しかし、実際はどうなのだろうかと半間は考える。守屋が言っているだけで蘭自身はそう思っていないかもしれない。情報の精度を上げるならば、本人から聞いた方が正確だろうと半間は考えた。しかし、こんなこと聞こうとは思わなかったのも事実だった。

半間はカレーパンの包み紙をビニル袋に入れると立ち上がって正面にある施設案内板を眺める。守屋は肉まんを頬張っていた。

施設案内板を見ながら半間は中央に建物が描かれているのに気が付いた。建物の裏手に広くスペースが取られており、そこにはアスレチック場と書かれていた。

「守屋さん、ここアスレチックありますよ?」

半間は守屋に振り向いて言った。

「え?本当?」

守屋は立ち上がって半間に近づく。

「本当だ。広いな。行ってみっか」

守屋は肉まんの包み紙を綺麗に両手で畳む。

「そうっすね。あ、俺、美野島に連絡入れておきますよ」半間はスマートフォンを取り出して操作する。

「子供向けな気がするけどなぁ。どんなもんだろう」

守屋は腕を組みながら言ったが顔には笑みが浮かんでいた。こういった身体を動かすものが好きなのだろうと半間は思った。

「美野島にメール送っておきました。行きましょう」

「おう」二人は建物を回り込むようにして裏手に向かう。

建物側面の方に立て看板が置かれており、アスレチック場が裏手にあるということが案内されていた。

アスレチック場にはトイレとは反対側の建物側面を通ってしか向かうことは出来なかった。建物の側面は舗装路が敷かれていた。しっかりと整備されていることに半間は驚いた。

アスレチック場の入り口まで着くと大勢の子供たちが遊んでいた。

入り口と言っても、柵も門も何もなかったので、地面が芝生に変わったところがその境になっているのだと半間は考えた。

「おお、賑わってんなぁ。良いねぇ」

半間は守屋がこんなに笑顔でいるところを見たことが無かった。

「テンション上がってますねぇ」半間もなぜか嬉しくなる。

人が嬉しそうな顔を見ると、自分も笑顔になってしまう。実はそれは幸せな時間なのかもしれないと半間は思う。

「奥に向かって結構広いんだよな?」

守屋は半間の回答を待たずに歩き出す。

「確かそうなっていましたけどね」

半間は小走りで守屋の後に続く。

「手前は、ざっと見たところ、子供向けだから、奥側に行こう。邪魔しちゃ悪いからな」

守屋は子供のように笑いながら進む。アスレチック場の中は舗装した道はなく、芝生の上を自由に散歩できるようになっている。アスレチック場には木々が自生しており、もはや林に近い。それは奥に行けば行くほど、木々の密度が濃くなるようになっている。

その木々の間に器具が置かれている仕組みになっている。

守屋を先頭に奥へと進んで行く、いくつのアスレチック器具を通り過ぎて行った。半間は奥に行けば行くほど器具の難易度が上がっていくことに気が付いた、つまり建物すぐ裏手の器具に子供たちが多くいたのは、家族連れにはその難易度の方が楽しめるからだった。

奥に向かってすぐの頃は若者も少し遊んでいたが、しばらく進むと人はほとんどいなかった。

さらに進むと奥にフェンスが見えた。

「あそこが最後か、最後のアスレチックはどれだ?」守屋は辺りを見渡す。

少し離れたところに大きな櫓が見えた。

「守屋さん、あれじゃないですかね?」

半間が指差すと守屋も歩き出す。

半間と守屋は櫓に近づく。櫓の周囲を回って観察すると、木製の丸太が地面と平行にいくつも積みあがってスロープを形成し、そのスロープから頂上の櫓に向かって綱が三本ほど伸びていた。スロープは櫓の三方向に設置されており、それぞれ傾斜角が異なっている。スロープにある綱を頼りにしながら櫓まで上るというアスレチックだと半間は判断した。難易度が異なるスロープで楽しめるようになっている構造だった。

「何か、最も奥にある割にはそんなに難しくないなぁ。途中にあったやつの方が難しそうだったぞ」

守屋は不満そうに言った。

「せっかくだから上まで上ってみれば良いんじゃないですか?写真撮りますよ?」

半間は守屋の機嫌を取る様に言った。

「まあ、上からの景色は良いかもな。でもそれだけでロープを伝っていくのは嫌だな」

守屋は櫓の周りを歩く。

「お、階段があるじゃんか。これ上って行くから半間、下から写真撮って」

守屋は言い終わるより早く階段を上り始めた。階段は木製で二本の長い木に短い木が横に組み合わさっているような階段である。半間はこれを昇るだけでも大変だろうなと思った。

「わかりました。気を付けて上ってくださいね」

守屋はさっさと階段を上がっていく。一分もかからずに守屋の手が櫓に掛かろうかとした。

「うわぁー」

守屋は叫び声を上げて、階段から落下した、

「守屋さんっ」半間は近づく。

「痛ってぇ・・・」守屋は絞り出すように声を出すと、背中を手で押さえる。苦しそうな表情をする守屋の側で半間は何もできなかった。

「骨折れましたか?」

「いや・・・大丈夫・・・だと思う。少し強く打ったか。うー。芝生があって良かった」

「そんだけ喋れればとりあえず大丈夫っすね」

「そんなことより・・・上、上だ」

守屋は櫓を指差す。

「え?上?」半間は櫓を見上げる。守屋は驚くほどの何かを見たのだ。

「守屋さん」

美野島が走ってきて守屋のもとにしゃがむ。

「大丈夫ですか?」

守屋は黙って頷く。しかし、顔からは脂汗が流れている。

半間が櫓を再び見ると、蘭がすでに階段を上っていた。しかもほぼ櫓に到達していた。

半間も、駆け出して階段を上り始める。

すぐに蘭に追いつき、櫓に入る。

「うっ」

櫓に入った半間は吐きそうになった。口元に手を当てる。

「吐くなら櫓の外にしてね。せめて櫓から十メートルは離れて欲しいものね」

同じ口調で蘭が言った。

半間の目の前に、人らしきものが倒れていた。

半間はすぐにそれが人だと判断できなかったのである。しかし、それが人だと理解した瞬間に吐き気が半間を襲った。

櫓の中、その中央に倒れていたのは首が切り取られていた人間だった。

丁度、階段で上ってきた方向に首を切り取られた胴体の断面が見えていた。

半間は吐き気を堪えて櫓に上がり、蘭の方に向かった。

そして、なぜ蘭はこうして平然としているのか、疑問に思った。

「だ、大丈夫です。ランランさんは?」

大丈夫なのか?と最後まで言えなかった。

「そうね。あまり気にしてないわよ」

気にするかどうかの問題なのかと半間は思った。

蘭は死体の足元にしゃがみこんでいた。半間もなるべく首の方は見ないで観察した。スニーカにチノパン、上半身はポロシャツだった。左手には腕時計が嵌められている。

蘭は素早くスマートフォンを取り出すと写真を撮影し始めた。

「何しているんですか?」

半間は上ずった声で蘭に尋ねる。

「写真を撮影しているのよ」

それくらいは気が動転していても半間には分かる。

「それは・・・分かります」

蘭は撮影を終えると、立ち上がって電話をかけ始めた。

「もしもし、蘭です。寿さん、今大丈夫ですか?」

蘭は寿に電話を掛けていた。

蘭は暫く、はい、とだけ相槌を打ちながら話を聞いていた。すぐに状況を説明しないのかと半間は思った。

「そうだったんですか。実はこちらでも」

蘭は死体を見下ろす。

「死体が見つかったんです」

電話口から寿の、はあ?、という声が漏れてきた。余程大きな声で言ったのだろうと半間は思った。それは、蘭がスマートフォンを耳から離したことからも簡単に予測できた。

「はい。一応、写真は何枚か撮影しました。はいそうです。九十九里です。はい、わかりました。メールで写真は送ります。待っています」

蘭の通話はそこで終わった。

蘭は少し黙ってスマートフォンを操作する。寿に写真を送っているのだろうと半間は思った。

「あの、聞いて良いですか?」

半間はさっきの会話で気になっていたことがあった。

「もちろんよ。どうしたの?」蘭は笑顔で半間に言った。

なぜ蘭はこんな場所で笑顔になれるのか、と聞こうと思ったが、諦めた。半間より別の次元にいるのだろうと思ったからだった。

「さっき、電話で『こちらでも』って言っていませんでしたか?」

「ええ。言ったわ。神栖サービスエリアでも死体が見つかったそうよ」

半間は絶句した。一体何が起こっているのか、わからなくなった。そして本当に何か憑いているのではないかと考え始めた。

「神栖のサービスエリアでも人が死んでいたんですか?ああもう、本当に守屋さんが言うように何か憑いているのかな」

半間はぐったりとした表情で言った。

「なぜそう考えるの?」

蘭は涼し気な顔で半間を見る。死体が無ければこれ以上ない良い景色である。

半間は黙っていた。

「私たち以外にもこの騒動に遭遇している人はいるでしょう?その人たちも何か憑いているのかしら?」

蘭が言うことを半間は理解できたが、こうまでして一日に死体に遭遇することは無いということは事実である。

半間はまた黙った。

「今、勝浦から笹倉さんと寿さんがこちらに向かっているわ。地元の警察もこちらに向かっているとのことよ。寿さんはここで降りて、笹倉さんはそのまま神栖に向かうそうよ」

蘭はそう言うと、おもむろに死体の傍にしゃがみ込んだ

「ちょっと、ランランさん何しているんですか?」

半間は焦った様子で言った。

「死体を調べているのよ?」

蘭は何を聞いているんだという表情で言った。

「それは警察の仕事でしょう?」

「そうよ。ちょっと気になることがあってね。それを確認したいの」

蘭はそう言うと死体のポロシャツを捲った。

そこには、これまでの鏑木と三枝と同じように臍を中心に中途半端に閉じていない円が描かれていた。

「マジかよ・・・」

半間は描かれている円に見覚えがあるのに、驚愕していた。それは描かれた理由がわからない、その一点だけだった。

「なんで・・・なんのためにこれは描かれているんですか?」

半間は自分でも冷静に蘭に尋ねているのに驚いていた。

「良い質問ね。それは重要だわ」

蘭は死体の腹をじっと眺めていた。半間は何度見ても同じ、急いでテストの答案に先生が丸を付けた様に見えた。死体の右わき腹に向かって掠れるように傷つけられたその円は最後まで閉じることなく、下腹部で開いた状態である。

蘭はポロシャツを降ろすと、立ち上がる。

「降りましょうか」

半間は無言で頷く。先に蘭、その後に半間が続いて降りた。

下では守屋が座っており、その傍に美野島が付き添っていた。

「守屋君、身体はどう?」

蘭は守屋の横にしゃがんで言った。

「背中が痛いな」

守屋はそれだけ言った。

「災難だったわね。美野島さん、医務室があるかもしれないから、湿布貰ってきてくない?」

「あ、はい。分かりました。あの、上に何があったんですか?」

美野島はずっと下にいたのでまだ状況が呑み込めていなかった。

蘭は守屋を見る。守屋は首を横に振った。守屋は背中を打ったため、会話がし辛いのだろうと半間は思った。

蘭は簡単に櫓にあった死体の事を話した。そして同じように腹に円が描かれていたこと、そして神栖でも死体が見つかったことと寿が来ることを話した。

美野島は気を失いそうになったが、何とか堪えた。

「じゃあ、湿布お願いね」

美野島はその場から逃げるように走って行った。

その場には三人だけ取り残された。アスレチック場の最深部だったためか、人もほとんどいなかった。それだけが幸いだったと半間は思った。仮に子供や家族連れが多かった場所で発見されたら、パニックは必須だっただろうと半間は思った。

「人生で初めて死んだ人を見ました」

半間はゆっくりと言った。櫓の上に死体があるが、それ以外は小鳥もさえずり、柔らかな午後の光が木々の間から降り注いでいる場所である。

「そんなに何回も遭遇することはないわ。今日は直接ではないにせよ、二回遭遇していることになるわね。宝くじの一等当選よりは可能性はあるでしょうね」

蘭は冗談で言ったのかもしれないが、半間には冗談には聞こえなかった。

でも、と蘭は続ける。

「今回はちょっとこれまでとは違うわね」

守屋も座りながら蘭を見上げる。何か言いたそうだが、まだ喋れないようだった。

半間は思考が追いついていかない。脳が回転してないように半間には思えた。

「あの人は明確に殺されたっていうことがわかる」

半間は蘭の言葉について考える。

「頭が無いから・・・ですか?」

「その通りよ。見たところ頭がないこと以外に外傷は見当たらなかった。鏑木さんの様に毒物で死んだ場合、外傷はないから、解剖して調べてもらわないとわからないけれどね」

蘭は櫓を見上げる。

「いずれにしても、頭部が無いということは少なくとも頭を切断して、持ち帰った人物がいるわ」

蘭の言葉は、少なからず半間に衝撃を与えた。これまでの二件は単純に自殺とは言い難状況があるため、他殺という可能性が消えないでいる、と言う状況だったが、今回は明らかに死んだ本人以外の第三者が関わっているのである。その人物の意思を無視したとしても。

「なんのために持ち帰ったんでしょうか?」

半間は口に出したが、答えを求めてはいなかった。自分自身に問うているに等しかった。

「何故でしょうね。持ち帰った人に聞いてみれば早いわね」

蘭のコメントはなぜか優しそうだった。

建物の方から人の気配がした。

おーい、と呼ぶ声が聞こえる。美野島ではなく、男性の声だった。

「こっちでーす」

半間は率先して声を出していた。混沌としているこの場に秩序を取り戻したいという気持ちが半間にはあったからだった。

見ると、寿を筆頭に多数の警察官がやってきた。寿の隣には美野島もいた。

「上です」

蘭が言うと寿は頷いて制服警察官に指示した。

警察官が梯子とロープを使って櫓に上る。

「寿さん、ごめんなさい、遺体に触ってしまいました」

蘭はポロシャツを捲ったことを伝えた。それだけしか触らなかったことを伝えると寿は後から到着した鑑識に伝えた。

「ポロシャツを捲ったのはあれか?」

寿は真剣な顔で言った。

「はい。すぐにでも確認しようと思って捲ってみましたが、しっかり入っていました」

蘭の言葉に寿は天然パーマの頭を掻きむしった。半間は最初に会った時よりも寿の髪の毛のボリュームが増えているように感じていた。

「いや、それにしても・・・こんなにすぐに会うとはなぁ」

「今日はどちらもツイてないですね」

蘭はいつも通りの口調で言ったが、寿は笑わなかった。

寿は自分で階段を上って死体を確認した後、また蘭たちのもとに戻ってきた。

「ありゃきついな。君が梯子から落下したのもわかるよ」

寿は守屋を気遣った。守屋は湿布を張って多少痛みが軽減したのか、立ち上がれるようにはなったが、半間が肩を貸さなければ歩けなかった。

「しっかり、丸も刻んであるしなぁ」

寿はぶつぶつと呟くように言った。

寿は顔を上げると他の刑事に指示を出して笹倉に電話をすると言った。

「ちょっと今回は殺しの可能性があるから、Nシステムを使わせてもらおうと思ってね」

Nシステムとは自動車ナンバー自動読取装置の事である。高速道路上に警察が設置しているシステムである。

「もうこのサービスエリアにはいないでしょうからね」

蘭は言った。

「あの、寿さん」

寿は半間の方を向いた。

「まだ、ここにいなければいけませんか?守屋さんを車に連れていきたいんですけれど」

「ああ、すまない。分かった。俺も肩を貸そう。車の方で話を聞かせてくれ」

寿は半間と共に守屋の肩を持つとゆっくりと歩き始めた。蘭と美野島もその後に続く。

「あ、そうだ。ランランさん、これ」

半間は芝生の上に置いてあったビニル袋を手に取り、蘭に渡す。

「何これ?」美野島が袋の中を見ながら言った。

「カレーパン」

「何で?」

「お昼ご飯に買った」

半間はまた前を向いて守屋、寿と歩き始める。

「食べる?」蘭は美野島に言った。

「え?こんな時にお腹なんて空きません」

「ああ。そう?じゃ、頂こうっと」

蘭はカレーパンを食べながら歩く。

美野島はそんな蘭を引きつった顔で見ていた。

「良ければ・・・私の分もあげます・・・」

「本当?これ美味しいわよ。名物になるわね。じゃあ遠慮なく貰うわね。家に帰ってレンジでチンして食べるわ」

美野島は何も言わなかった。

五人は守屋がまだ早く歩けなかったので、散策程度のゆっくりとした歩調で戻って行った。

時折、守屋の、痛っ、という声が響いたが、足は止まらなかった。建物側に近づくと半分程度の距離の所で黄色いテープが貼られて、制服警官がその前に立っている光景に出くわした。

現場保存のために行われている、そのテープの建物側には野次馬が立っており。こちらを見ていた。もれなく手にはスマートフォンが握られていた。

「ああいうのは、本当に下品ね」

蘭は憤りも見せず、冷静に見下すように言った。

寿が合図をして、制服警察官がテープを上げる。そこを寿と半間に連れられた守屋が通り抜ける。その後ろを蘭と美野島が続く。その間もスマートフォンのカメラ音が半間らに向けて響いていた。

「ああ、SNSとかに晒されるんだろうなぁ」美野島が下を向きながら言った。

「今更じゃないかしら?」蘭は普通に前を向いて言った。

「杏奈ちゃんは他の友達のSNSに載ったことない?」

「えっと。それはありますけれど」

「じゃあ、気にしても意味ないわよ。すでにあなたの写真はネットワーク上に出回っているわ」

蘭はカレーパンを食べきった。

野次馬たちはまだテープの中が気になるのか、半間達にはすぐに興味を失くしたようだった。

一行は守屋の車まで到着した。守屋から鍵を受け取った半間はドアを開けて、後部座席を倒した。そこに寿に手伝ってもらい守屋を横にさせる。

「ごめんなさい。ご迷惑おかけして」

守屋は大人しく言った。

「それは君が気にすることじゃないさ」

寿はダウンジャケットを脱いで、汗を拭った。

「神栖でも事件があったんですよね?」

美野島が不安そうに言った。

「ああ。詳しくはまだわかってない。笹倉さんが向かっているから大丈夫だとは思うんだけれどね」

「ゆっくりしていて問題ないのですか?」蘭が寿を見て言った。

「ああ。こっちも大変だからね」

その時、寿のスマートフォンが着信を告げた。

寿はそのままそこで電話を取ると、相手と会話しながら車のボンネットまで移動して、手帳にメモを取り始めた。

すぐに会話を終えて戻ってくると、手帳を見ながら言った。

「櫓の上の人物の名前が分かったよ。栗田翔太、四十歳、Y建設社員だそうだ」

「え?」

守屋が首だけ寿に向けた。横になっているためか、話すのが楽になった様子で半間は安心した。

「守屋君、何か気になることがあったかい?」

「あの、もしかしたら、何ですが」

寿は頷く。

「死んだ三人に関係性があるかもしれません」

「どういうことだ」

「ああ、なるほど・・・」蘭は短く言って頷いた。

「なんだ?」

「三人はこの第二常磐自動車道の建設に関わっている人たちっていうことね」

蘭は守屋を見る。

守屋は横になりながら頷く。

「そうか。なるほど・・・ん?でも建設会社が二社あるぞ?」

「JVです」

守屋は答える。

「JV?」

「ジョイントベンチャーと言う意味です」

「船か?」

「いえ、違います。そんな名前の船があるのですね?」

「そう。米海軍の高速輸送船」寿は自信満々に答える。

半間はなぜ寿が米海軍の高速輸送船のことを知っているのだろうと思った。

「共同企業体の略称です。直訳すると合併事業ですけれどね。複数の異なる企業が共同で事業を行うっていうことです。土木の分野では、一つの工事を施工する際に複数の企業が共同で工事を受注するんです」

「ふーん。勉強になった」

「この外房線も、いくつかの工区に分かれて、それぞれの工区を複数のJVが担当する形で施工されたはずです」

「一つの施工会社が担当するっていう訳には行かないんだな」

「施工業者によって得意分野、不得意分野が会ったりしますからね。それに安定的に施工が出来ます。もちろん企業の振興っていう意味合いもありますね」

蘭は、簡単な説明でごめんなさい、と言った。

「確か、鏑木さんのK建設、栗田さんのY建設がJVで一緒だったはずなのです」

寿は手帳にメモをする。

「そして道路管理会社の三枝さんは高速道路開通後を管理運営する立場ですが、計画設計段階でも関わる仕事です」

「なるほどな。確かにこの第二常磐道に関わっている人間だな」

寿は蘭の顔を見て言った。

「ということは、神栖でも関係者が亡くなっているのか?」

寿は自問自答した。投げかけられても蘭も答えられない。

手帳を捲りながら、そういえば、と寿は続ける。

「半間君、君の言っていた人物の事なんだけれどね」

半間はあの老人の事を寿に伝えていた。

「どうでしたか?」

「やはり、勝浦でも鴨川と同じ人物が立ち寄っていたのが監視カメラに映っていたよ」

寿は言った。

「鴨川の監視カメラで俺が見たのはトイレに出入りしていくところでした。勝浦では僕らが車を降りてから、すれ違いに駐車場に向かう姿でした」

「その人の素性などは分かりますか?」

蘭は割り込んで寿に尋ねる。

「ちょっと待ってな」寿は手帳を捲る。

「えーっと、天童辰夫、六十五歳だな。監視カメラに映っていたナンバープレートから判明した」

「その車を本人が運転してれば、というところですね」

蘭は慎重に言った。

「今顔写真を取り寄せているところだ」

寿はまた半間を見る。

「勝浦での天童の行動なんだが、三枝ら四人が勝浦に到着する三十分前に駐車場に車を停めている」

「その後はどうしていたんですか?」半間は先を促す。

「ゆっくり歩いてトイレに向かってから自販機の前を通り過ぎて画角から消えた。まあ実際にみてもらった方が早いかな」

寿はノートPCを取り出すと、起動させて横になっている守屋の腹の上に置いた。

「え?マジ?」

「悪いな。丁度よい高さなんだ。背中が痛いだけだろ?落とすなよ」

「俺、見れないじゃん」

守屋の呟きは無視された。

寿は動画ファイルを選択して再生させる。

「必要なところだけ見せるぞ」

寿は早送りする。横峰が証言した午前十時より三十分前、勝浦パーキングエリアに一台の車が入ってきた。

画面中央のやや手前側の場所に車が停まると、そこから降りてきた人物は半間が鴨川で見た人物だった。

「間違いないです。この人です」

半間は証言する。寿も頷く。

「トイレに向かいますね」

半間は言った。

半間達が勝浦パーキングエリアに到着した段階では、パトカーなどが停まっていたが、この段階では駐車している車も多くなく、歩いていればはっきりと確認できるほどだった。

トイレに向かった天童は五分ほどしてから出てくると、車の方には戻らずに自販機の方に歩いて行った。

監視カメラの画角は、右手の下側に入り口から入る車が映り、その右奥には出口付近、画面中央にやや右手にトイレが映っていて、トイレの前の道が画面の左上から左下に向かって伸びている、

三枝が死んでいた自販機群の位置はちょうど画角の左手上側であり、その自販機群の端と屋根の部分で画面が切れていた。

天童はゆっくり歩いて画面左手下側に消えて行った。

「特に何をするってわけでもないですね」半間は画面に向かって言った。

「そうだね」美野島は画面を見ながらそれに答える。

「そうかしらね。彼の行動としては変よ?」

蘭も画面を見ながら言った。

「どこがですか?」

「トイレだけが目的なら真直ぐ同じ道を戻ってくるでしょう?それなのにわざわざトイレの前の道を自販機側に動いているわ。でも、飲み物を買う様子はないわね。素通りだもの」

「そうなんだよな・・・」寿も腕組みをして言った。

つまり、画面から消えた後、天童はどこで何をしていたのかということである。半間はそのまま画面を見続ける。

十時を回った頃、また一台の車が入ってくる、そこから四人の人間が降りてきた。三枝達である。

寿は早送りを押す。

三枝達は見回りをするようにバラバラに行動すると、一旦車のもとに集まり、四人でトイレに入った後、自販機のもとに集まった、自販機の前に立つ一人がしゃがんだり立ち上がったりしていた。龍川だろうと半間は思った。

龍川らしき人物に近寄る人影があった。横峰らの証言によるとこれが三枝ということになる。

三枝は龍川と何か話すと、カメラに映る方向から自販機の裏に回った。それから五分後、横峰が画面に映らない方向に消え、すぐに龍川と菱川が走って自販機の裏側に回る。三枝の遺体を発見したのだろうと半間は思った。

寿はまた早送りを押す。

三十分後、パトカーが一台入ってきた。それから数台の車が立て続けに入ってきた。天童の車はまだあり、天童自身も姿を見せなかった。そして、さらに三十分後、守屋の車が入ってきた。

守屋の車が停車したタイミングで、天童が画面の左下から出てきた。そして、警察の車の間を縫って自分の車に向かう。その時に半間とすれ違った。

「この時にすれ違ったんですね」

半間は言った。

寿は動画を止める。

「以上だよ」

寿は立ち上がるがスマートフォンの着信を確認する。

「寿です。はい。あ、了解です。はい、助かります。あ、笹倉さんは?まだ連絡が無いですか。分かりました」

寿は電話を切ると、PCを操作する。

「あの、熱いんですけど・・・」

「ああ。すまん」

寿は着ていたダウンを守屋とPCの間に敷く。

「ああ、うん、熱くない・・・」守屋は諦めた様に黙った。

寿は鞄からポケットWi-Fiを取り出して起動させると、メールを受信した。

「半間君、この人だったかい?」

寿のPCに表示された写真ファイルには、短く刈り込んだ白髪頭に浅黒い皺の寄った顔は見覚えがあった。

「はい。この人です。鴨川にいた人です」

半間は早口で喋った。

「そうか。わかった。ありがとう」

寿は次に、メールに添付されていた動画ファイルを再生させた。

「ここの監視カメラも分析してもらった」

「仕事が早いですね。研究室に欲しいわ」

蘭の言葉に寿は、仕事だからだよ、とだけ言ったが、半間と美野島は冷や汗が出ていた。

寿は動画を再生すると、着信があったのか電話を取って話始めた。会話しながらも視線はPC画面を見ていた。

監視カメラは建物の裏手につけられたものだった。この広いサービスエリア内でそれだけということはないはずなので、いくつかあるカメラ映像の中から、これが選択されたということなのだろうと半間は思った。

カメラの映像は正面の子供用のアスレチック器具が置かれているスペースを映し出していた。子供が多いことから、安全対策の意味も込めているのだろうと半間は考えた。

器具の位置などを見ると、画像の左端が守屋と半間が歩いた場所だと見当がついた。

十一時を回った頃、ポロシャツを着た鞄を背負った後姿が現れて、真直ぐアスレチックの奥に向かう。栗田だろうと半間は思った。

画面右下に映し出されている時刻が十二時半を回ると、画面の左手下側から天童が現れた。リュックを背負っている。そのまま奥へと天童は消えて行った。

画面の中央では子供達と親が遊んでいる映像が映し出されている。蘭は手を伸ばして早送りのボタンを押した。時刻が十二時四十五分を回ると天童がカメラ側に向かって歩いて来た。

そのまま歩みを止めずに画面の端から消えて行ったところで映像は終わった。

「鑑識によると、栗田の死亡推定時刻は十二時から十三時だそうだ」

通話を終えた寿が言った。

蘭達は黙って寿の方に視線を送る。

「それと、鑑識が櫓の周囲を調べていたんだが」

寿は僅かに苦い顔をした。

「櫓の死体の周りに血溜まりがほとんどなかった。これは櫓の下、スロープと階段で囲まれた空間の中の地面に血溜まりを発見した」

「つまり、首の切断は櫓で行われたということですね」

蘭の発言に寿は頷く。

「そう言うことだ。櫓も丸太が組み合わさってできているからね。その隙間を血が垂れていったんだろう。でもね。櫓から伸びているスロープ、三つあるスロープの正面のスロープの傍の地面で被害者の時計の風防が見つかった」

「つまり・・・?」

美野島が首を傾げる。

「櫓の下、芝生の所で栗田さんは最初に襲われた可能性があるっていうことですね?」

半間は寿に言った。

「そういうことになる」

「なんで櫓に上げたのか、っていうことね」蘭がさらに付け加える。

「それは・・・死体を隠すため?」美野島が言った。

「あそこは人がほとんど来なかったでしょう?手前のアスレチックで子供たちが遊んでいただけで」

「それはそうかもしれませんけど・・・来る可能性もあったわけですよね?」

「首を切断するのに、櫓が適していたからではないか?人目につきにくいし」

寿がそれに続く。

「確かに櫓の上は、人目にはつきにくいですね・・・」

蘭はそう言うと黙った。

「寿さん、腕時計の風防が壊れていたんですよね?」蘭が尋ねる。

「ああ。そうだよ」

「腕時計自体は壊れていなかったんですか?」

半間は質問の意味が分からなかった。

「ああ。壊れてくれていたら少しマシだったんだけどね。遺体の腕時計はしっかり動いていたよ」

「なぜです?」美野島が尋ねた。

「時計が壊れていれば、栗田さんが襲われた時間が正確に分かったのになって思ったのよ」

蘭は美野島に説明する。

「登山用の年季が入った時計だったみたいだよ。良い時計だって鑑識のベテランが言っていた」

「時計の風防だけ壊れるっていうか、外れるっていうことありますか?」

半間は質問する。

「古かったからじゃないかな。それくらいのことはありそうだしな。風防自体は割れていたっていうことは無かったから、例えば、襲われたときに腕時計を嵌めた手で防御したっていうことは無かったんだと思う」

ちょっと待ってくれ、と言って寿は手に持ったままのスマートフォンで電話を掛けた。

天童を重要参考人物として手配してほしいということを伝えていた。

「犯人ってことになるんですか?」

美野島が寿に尋ねる。

「いや、限りなく事件について何か知っている可能性が高い。今のところすべての現場の監視カメラに映っているからな。まず、身柄を確保して話を聞きたいんだ」

寿は言った。

「天童っていう人は、なんでこんなことしているんですかね?」

半間は疑問を口にした。

「もしかして三人の人間の死に関わっている可能性があるんですよね?」

半間は寿に詰め寄る。

「そうだな・・・神栖も含めれば四人の人間に恨みがあるっていうことだからな」

寿も半間を見て言った。

「自覚的に恨みを買うことの方が稀だと思うわ」

蘭は静かに言った。

「知らない間に買っている恨みだから、根が深いんじゃないかしら?」

半間はよく考えてから頷いた。

「あの・・・」

守屋が顔を上げて言った。

「そろそろ、PCどけてもらえませんか?」

寿が慌ててPCを持ち上げた。



守屋の車は蘭が運転することになった。

「俺、運転しますよ?」

半間は志願したが、守屋も蘭の方が良いということで、怪我人の希望を叶えることにした。

助手席には半間、後部座席には簑島が座り、守屋は座席を倒してベッド状にして寝転がっている。そして、寿も最後部に乗車していた。

「何度もすまないね、守屋君」

寿の顔が丁度守屋の頭の所にあった。守屋は、いえ、とだけ言って真顔で黙っていた。

守屋を病院に連れていきたかったが、神栖サービスエリアには医師が常駐しているということでそこまで走らせた方が早いという結論になった。

蘭の運転は守屋とまた違った趣のある印象を半間は受けた。

守屋の運転が荒々しいというわけではなく、安全運転だが、守屋は感情の乗った走りをしていたのに対して、蘭の運転は全く感情の籠っていない走りだった。安全運転であることは守屋も蘭も同じだが、なぜこうも違うのだろうかと半間は不思議だった。ハンドルを握ると人格が変わると聞いたことがあったが、車の性格まで変わるものだろうかと考えた。

「神栖の方は」

蘭はバックミラーで寿を見る。

「どうなっているんですかね?」

「全くわからないんだ。笹倉さんからも連絡はない」

寿の表情は僅かに不安の色が出ていた。

「急ぎますね」蘭は寿の顔色を見て言った。

「安全運転でな」寿もそれに返す。

寿がまた、スマートフォンを取り出した。半間は笹倉からだろうかと思った。

「寿です。はい。ああ。そうですか。お願いします。はい」

寿は揺れる車内でも手帳を取り出した。スマートフォンを耳と肩に挟んで器用に右手でメモを取る。

十分ほど通話をした後に寿は電話を切った。その間、寿は無言でペンだけ走らせていた。

「随分、無言でしたね」

美野島は言った。

「天童には動機があったな。推測だが・・・復讐じゃないのか?」

寿は呟くように言った。

「どういうことですか?」

半間は後部に身を乗り出して言った。

そのままの意味だが、と寿は言い、話を始める。

「天童は、二十年間、建設業に勤めていたそうだ。それから足を負傷したのをきっかけに退職して、設計事務所を開いていたそうなんだ」

寿は車内に聞こえるような声で言った。助手席の半間にもしっかりと聞こえた。

「天童には妻と娘がいた。娘はすでに結婚して、孫も生まれたそうだ」

「幸せな家庭じゃないですか」美野島は言った。

半間もそう思った。なぜこのような事をしたのだろうか、それだけが疑問だった。

「しかし、娘とその旦那は十年前に事故に巻き込まれたこの世を去った」

車内の空気が張り詰める。幸せだった一人の男の人生が狂い始めたことに誰もが気が付いたからだった。

「それからは、孫娘と妻と暮らしていたそうだ。孫娘を大学卒業まで面倒をみたそうだよ。自分の娘が出来なかったことをやり遂げたんだろうな」

寿の声量が僅かに落ちたように半間は思った。

「過酷だ」守屋も呟くように言った。

「だが、さらに追い打ちをかけるように自分の妻も亡くなった。もともと身体が弱かったようだ。持病が悪化してそのまま・・・」

「嘘みたいな話・・・」

「でも、本当だ。それでも孫娘がいたから。それが心の支えだったんだろうな」

寿は溜息を吐いた。

「孫娘、天童優衣と言うんだが、大学を卒業後、建設会社に勤め始めた。Y建設だ」

半間は身体が硬直した。Y建設は栗田が所属していた会社である。

「繋がってきたわね」蘭は平然と言った。

「Y建設に入った天童優衣は、この第二常磐自動車道の建設工事に関わっていたそうだ」

寿は蘭の発言を無視して言った。

半間と美野島は溜息をついた。

「その工事で、天童優衣は命を落とすことになる」

「あんまりだ・・・」

守屋は天井を見つめたまま言った。寿も悲しそうな目で守屋を見る。美野島は口元に手を当てたまま黙っている。

「優衣さんの死の理由は?」

蘭だけが冷静に質問した。

「会社の発表では、建設中の事故っていうことらしい」

寿は言った。蘭は、そうですか、とだけ言って黙った。

「天童の悲しみは想像するまでもないな。それから設計事務所も畳んで、山奥に一軒家を自分で建てて、半自給自足で住んでいるらしい」

寿は手帳を見る。

「短時間でよくそこまで調べられましたね。警察の情報網は素晴らしいわ」

蘭は感心していた。

「いや、実はこの人、結構有名になったことがあるんだ」

半間は首を傾げた。自分の記憶には天童の顔は無かったからだった。

「孫娘は殺されたんだって言って、一人この道路の建設現場で抗議していたんだ」

半間は天童がそんな人物だったのかと思った。

「それは・・・死因は何だったんですか?」美野島は恐る恐る尋ねる。

「足場から落下したんだそうだ。この道路、かなり急ピッチで建造していたらしいから、働き過ぎ、過労だったんじゃないかっていうのが、天童の主張だったらしい」

「天童自身がそう思っていたっていうことですか?」半間も尋ねる。

「本人から聞いていたんだろうな。辛いとか、職場で起こったこととか。天童自身も建設会社に勤めていたから、どういう状況だったか分かったんだろうな」

寿は顎を摩りながら言った。

「しかし、Y建設もどこもそんな事実はないと抗議を跳ね返したんだ。一人対企業だからね。分が悪いのは当然だ」

「弁護士つけてちゃんと戦えばもしかしたら勝てたかもしれないわね」

蘭は誰にともなく言った。

「そこは俺も良く判らんけどな。まあそれから天童は全く世の中に出ることは無くなったらしい。この高速道路もこうして完全開通できているからな」

半間は車窓から流れる道を見る。少なくとも人が一人亡くなった上にこの道はできているのかと思った。

蘭の運転する車は、順調に進んだ。

四十分ほど走らせると、道路標識に神栖サービスエリアの文字が出てきた。

「君らも・・・今更だけど、本当にツイていないよなぁ」

「諦めています。今日は厄日だと思って」

美野島は真顔で正面を向いたまま言った。美野島は道中で一度守屋の背中の湿布を張り直していた。

「本当・・・明日から運が良くなることを祈るよ」寿も自分のせいではないのに、申し訳なさそうな顔をしていた。

「あと一キロです。電話は?」蘭は寿に言った。

「ないよ。電話にも出ない」

寿の気持ちもわかりつつ、半間達は先に進むしかなかった。

あと一キロの表示が出てすぐ、半間の目の前に橋が見えた。九十九里と同じように車ではなく、人しか歩いていなかった。半間は九十九里と同じような構造なのかもしれないと思った。

「さっさと入りましょう」

蘭は車線変更をすると神栖サービスエリアに入る。



十四時半、神栖サービスエリア。

サービスエリアの入り口は渋滞が発生していた。渋滞の理由は駐車スペース前で警察の検問が実施されていた。

例によって寿が話を付けて入場できたが、二十分かかった。

蘭はすんなりと駐車する。

「寿さん、笹倉さんと合流してください。私たちは守屋君を医務室に連れていきます」

蘭の言葉に寿は頷くと走って店舗が入っている建物の方向に向かって行った。その方角に警察官が多くいたからだった。

半間はこれまでの三つの現場と比べて、警察官が多いことに気が付いた。

「ランランさん」

半間は蘭を見る。

「どうしたの?」

「神栖サービスエリアも海側のサービスエリアに行けるんですか?」

半間は先程道路上空で見た橋を見たことを説明した。

「そうね。ここも九十九里と同じよ。上下線のサービスエリアのどちらにも立ち寄れるようになっているわ」

半間は守屋を起こして肩を貸す。

「半間、悪いな」

守屋は言いながら痛そうな顔をする。九十九里では寿の力も借りることが出来たが、今は半間一人で医務室まで連れて行かなければいけない。

神栖サービスエリアの特徴は医者が常駐している点と、宿泊施設と温泉が併設している点である。

蘭達が近づくと、併設している宿泊施設の方に警察が集中している。

警察関係者が動いているのを脇目に、蘭達は建物の中に入る。

「このフロアにあるみたいね。行きましょう」

蘭を先頭に奥へと向かう。一般客もいるが、警察が動いているためか賑わっているとは言えなかった。

蘭達はフロアの奥にある医療スペースに向かう。廊下を挟んで左に内科と外科があり、右手に処方箋薬局まであった。

「利用者っているんですかね?」

半間は蘭に尋ねる。

「あれば利用するっていうことじゃないかしら?運転中に具合が悪くなる搭乗者もいるかもしれないじゃない?あって困ることは無いわよ」

蘭は外科に向かう。内科ではないだろうという判断からだった。

「すいません。診察をお願いしたいのですが?」

蘭の言葉に看護師が出てくる。守屋の症状を伝えると、今、医者は不在だということだった。看護師が言うには警察に呼び出されているということだった。

隣の内科でも診察は出来るということで、四人は追い出された。実際は自分達で出て行った。

「まあ、予想していたけれどね。隣に行きましょう」

蘭はすぐに内科の扉を開く。

「ったく、死んだ人間より生きている人間だろうがよ」守屋は悪態を吐いた。

内科には医者が在室していた。

待合室も誰もいなかったため、すんなりと処置ができた。

予想通り、打ち身ということで骨にも異常がないということだった。今回の行程の中で唯一安心できる報告だった。

痛み止めも売ってもらったため、守屋は多少楽になったようだった。

「ああ、もうアスレチックに行かねぇぞ」

暫く横になっていた方が良いということでベッドを貸してもらい、守屋は横になりながら言った。

「死体が転がっているアスレチックには行かないようにした方が良いですね」

美野島がベッドの隣の椅子に座って言った。半間はそんなアスレチック場はそうそうない、と言いそうになったが、ぐっと飲み込んだ。

「私、守屋さんに付いていますから、蘭さん、寿さんの所に行ってください」

美野島は蘭を見て言った。

「あら、そう?じゃあ守屋君のこと、お願いね」

蘭はあっさりと振り向いて出口に向かう。

「半間君、行くわよ」

蘭に呼ばれた半間はその背中について行く。

蘭を先頭に建物の出口に向かう。

「蘭さん、そんなにこの事件に興味があったんですか?やはり、天童さんの事が気になりますか?」

半間は、寿に意見を出すものの、自分から首を突っ込むようなタイプではない蘭が、美野島に言われたとはいえ、自分から寿のところに向かうのは意外に思えた。

「いいえ。全く興味なんてないわ。ただ、あの二人、一緒にしておいたら面白いことになるかなって思って」

振り向いた蘭の笑顔は、まるで幼い子供のようだと半間は思った。

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