第3話 一擲千金
半間が眺める車窓の風景は鴨川サービスエリアに到着するまでとは異なって見えた。それは違う場所を走っているからではなく、車内の雰囲気が変わったからだった。
守屋の運転する四駆の最後尾の座席、というより荷物を置くスペース、そこに刑事が二人乗っている。
半間だけではなく、誰もが、道路交通法を執行する機関で働いている人達なのだろうかと思ったが、本人達のたっての希望ということで、押し通された。
守屋は最後まで反発したが、刑事二人は緊急事態だということで何とかなると言い張った。
「大人って理不尽ですね」助手席に座っている美野島が運転席の守屋に言った。
「俺、もう知らね」
守屋は若干不貞腐れていた。
守屋の車に刑事二人が乗っているのは、これから行く目的地が同じだからだった。
一時間前、午前十時半
鴨川サービスエリアの男子トイレで発見された男性の死体に関して、法医解剖の結果を聞いた蘭らは、刑事二人とその結果の議論をしていた。
しかし、そもそも蘭らが関わるべきことではないことは明確な事実だった。
「いや、偶然居合わせたとはいえ、こんな話で時間を使わせてしまったね。すまなかった」
笹倉が蘭ら四人に謝罪した。
「そんなことは無いです。私たちもこの状況ではちゃんとした調査もできませんでしたから」
蘭はそんな笹倉に慰めの言葉を掛ける。半間はなぜか背筋がゾクゾクしたが、気にしないことにした。気にすると、何か新しい扉を開けてしまいそうになったからだった。
寿は数分前に掛かってきた電話に蘭達から離れたところで出ながら、器用にメモを取っている。
「警察としてはこれからどうするんですか?」
守屋が笹倉に質問をした。
「まあ・・・そうだな。とりあえずあの男性の目撃証言を聞いて回るかな。人員も増えたことだし」
「サービスエリアを出てしまう人たちもいるんじゃないですか?」
美野島が焦った表情になった。
「その点は一応、出口を出る時には車のナンバーとドライバーの免許証の提示をしてもらっている」
笹倉はゆっくりとベンチを立った。
「心配いらないよ」
笹倉は笑顔になった。美野島も安心したように頷く。
笹倉はきっと若い時はモテたに違いないと半間は思った。今の雰囲気はぼんやりとしているが、背筋はしっかりと伸びているし、ルックスは悪いわけではない。
半間が笹倉について考えていると、電話を終えた寿が戻ってきた。
「笹倉さん、男性の身元、わかりました」
寿は手帳に目を落とす。
「被害者は建設会社社員の鏑木重雄さん、四十二歳ですね」
「建設会社の社員か。どこの?」
「えっと。K建設です」寿は発言をしてから手帳に目を落として確認した。
守屋が僅かに驚いた顔をした。
「今日、鏑木は何故ここにいたんだ?」
「足取りも会社に確認していますが、今日は有給を取っていたそうです」
「有給・・・旅行にしては家族がいないな。既婚か?」
「いえ、独身だそうです」
寿はペンで頭を掻きながら言った。半間はそんな仕草をする人を初めて見た気がした。
「友人や知人との旅行で来たということも考えられるが」
笹倉は寿を見る。
「もちろん、そんな報告は受けていません」
「なるほど・・・一人旅をしていたということも考えられるな」
笹倉は顎を摩りながら考え込んだ。
「車は?ここにいたんだから車で来ているはずだろう?車内からは何か見つからなかったか?」
「陸運局に登録してあるナンバープレートの番号から駐車している車を発見しましたが車内からは何も見つかっていないそうです」
寿は残念そうに言った。
刑事二人は共に考え込んでいた。守屋も何か考え込んでいるようだった。
「車内から、旅行鞄のようなものは見つかっていないんですか?」
蘭が二人の刑事に向かって言った。
「見つかっていない。確かにそう言ったものがあれば旅行だって言い切れるけれどね。旅行でなくても、気晴らしに車を走らせるっていう趣味もあるだろう?」
蘭は短く頷いた。
「さっき、目撃者を捜しているって仰っていましたけれど」
美野島が発言をする。
「その男性、鏑木さんを覚えている方っているんでしょうか?そんなに特徴的な人だったんですか?」
「正直、普通の格好だし、特徴的な顔もしているとは言い難いけれどね。誰か見ている可能性もあるからさ」
寿は丁寧に答える。
「防犯カメラってないんですか?」
守屋が寿に尋ねる。
「ああ。もちろんある。丁度トイレ方向を撮影しているカメラがあったから、今、鑑識の人間が管理会社に行って調査している」
「それならば、犯人はある程度絞られそうですね」
「砂漠から塩の結晶を探すよりは、楽になりそうだな」
笹倉が言った。
「ちなみに何ですけれど、死亡推定時刻って何時くらいなんですか?」
半間は言った。
「半間君、そんなこと気になるの?」
美野島が不思議そうに尋ねる。
「いや、だって、一応俺らが関係ないって確認しておきたいじゃない?」
美野島はふーん、と言って頷いた。
「死亡推定時刻は今からおよそ二時間前だよ。八時半くらいだそうだ」
「ちょうど俺らは第二常磐に向かっていたころですね」
半間は安心していた。自分達は容疑の圏外にいたということが分かったからだった。
「さて、じゃあ。私らは仕事に戻るか」
笹倉がコートを直す。寿もそれに頷いた。
「時間取ってすまなかったね。君らはこれからどうするんだ?」
笹倉は蘭に尋ねた。
「私たちはこの先のサービスエリアやパーキングエリアを調査しに行きます」
「そうか。わかった。まあ、また何かあったら、いろいろ意見をくれるないか?」
寿は蘭に言った。
「そういった機会がないことを祈っています」
そりゃそうだ、と寿は苦笑する。
「次はどこのサービスエリアに行くんだ?」
笹倉はトイレの方に向かう足を止めて言った。
「勝浦のパーキングエリアに行きます」
そうか、とだけ笹倉は言うと、前を向いて、蘭たちには背中を向けたまま片手を挙げた。
気を付けて行けよ、という意味だと半間は勝手に思った。
刑事達が歩いて行くのを蘭たちは見送った。
「どうする?」
守屋は蘭に言った。
「次に行きましょう。みんな、トイレは良いわね?」
蘭は母親みたいなことを言った。
「ランランさん、お母さんみたい」
美野島は微笑みながら言った。四人は車に向かって歩き出す。
「そうね。母親は私に向いているかも」
蘭も美野島の言うことに納得しているようだった。
「お前に母性とかあるのかよ・・・」
守屋は懐疑的だった。守屋の言葉を蘭は無視するようにして車まで歩いた。
駐車してあった守屋の車まで着くと、遠くから声が聞こえた。
四人がそちらの方を見ると、寿と笹倉が走ってくるのが見えた。
時折、動いている車を避けながら二人は守屋の車までやってきた。
笹倉も寿も顔が緊迫していた。
「どうしたんですか?」
半間は息を切らしている二人に言った。
「君らの車、まだ人乗れる?」
寿は矢継ぎ早に言った。
「の、乗れますけど・・・」
守屋はそんな二人に気圧されるように言った。
「ちょっと勝浦パーキングエリアまで乗せてくれないか?二人分」
寿は自分と笹倉を指差した。
「急ぎですか?」
蘭は寿に尋ねる。
「ああ。勝浦でまた死体が見つかった」
蘭以外の学生が声を上げた。
「ああ。面倒ね」蘭は表情を崩さなかったが、目が僅かに細くなった。
蘭が面倒と言ったのは、自分達の調査がまた進まなくなるのではないかということに対して、面倒といっているのが半間にも分かった。
「だから、私たちも移動しなければならん。それで君らも同じ場所に行くならば車に乗せてもらおうと思ってな」
息が整った笹倉が蘭達に向かって言った。
「ご自身の車があるのでは?」
蘭の発言は半間も疑問に思っていた。わざわざ自分達の車を使わせる必要が感じられなかった。
「今日はパトカーに乗せてもらってここに来たんだが、移動手段はここでは重要だからさ。出来れば温存しておきたいんだ」
つまり自分達にとって都合が良いということだと半間は思った。
刑事二人は何度も頼み込み、守屋は渋ってはいたが、ほぼ刑事二人が押し切った。
車の最後部、荷物置きの場所に刑事二人は体を押し込むと、四人を急かすようにして車を発進させたのである。
出口付近の検問は笹倉と寿両者が顔を出して、文字通り、顔パスという形になった。
半間は守屋に同情した。できればそんな乗り方はして欲しくなかっただろうと思った。新車なのである。
現在、午前十一時半
守屋の車は渋滞に巻き込まれていた。
「進みませんねぇ」助手席の美野島が言った。
「事故の情報は出ている?ちょっと調べて」
守屋は美野島にお願いする。
美野島はスマートフォンで交通情報を検索した。
「あー、自然渋滞っぽいですね。五キロですからすぐに動くと思いますよ」
守屋はハンドルから手を離して鼻息を出した。
「パトカーの方が良かったんじゃないですか?」
蘭は最後尾の刑事に言った。
「まさか、渋滞とは・・・予測できんかった」
笹倉は自分の前方の座席を叩いた。そこには半間が座っていたので、上半身に衝撃が走った。
「パトカーだったら、サイレン鳴らして路肩走って行けましたね。失敗でした」
寿も反省していた。
「ちょっと考えればわかるだろう」
守屋が運転席で呟いた。咄嗟に美野島は反応して右手を守屋の手に添えた。半間の席でかろうじて聞こえた程度だったので、刑事二人のいる位置まで完全に聞こえたかはわからない。半間は後ろを微かに見るが、笹倉も寿も全く動じていなかった。
「あ、そういえば、君らって交通の分野も勉強しているんだろう?」
寿は席から前のめりになって言った。
その時、僅かに守屋の車は前進した。
「まあ、そう言った分野もありますね。私たちの研究室でもその方面を研究している学生はいます」
蘭は真面目に答えた。
車は僅かに進んでは止まるということを繰り返した。
「疑問なんだけれどさ、なんで渋滞が発生するんだ?事故ならわかるんだけれど、今みたいな自然渋滞って何で起きるんだ?」
寿は蘭に言った。半間は寿の口調から、本当に興味があるのだなと感じた。
「おい、寿、今そんなこと聞いている場合か?」
笹倉が注意をした。しかし、特に怒っている様子ではなかった。
「え?聞きたくないっすか?」寿は不思議そうな顔で笹倉に尋ねた。
笹倉は黙って手の平を寿に差し出した。お好きにどうぞという意思表示なのだろうと半間は思った。
「あ、寿、ノートPC貸して。後、ポケットWi-Fi」笹倉は両手を差し出した。
寿は肩に掛けていた鞄からノートPCとカードサイズのポケットWiFiを取り出すと笹倉に差し出した。
笹倉はそれを立ち上げると何やら操作を始めた。
「じゃあ、教えてもらえる?」
やはり聞くのか、と半間は思った。
「やり取りは大丈夫だったんですか?」
蘭も同じことを疑問に思っていたようだった。
「ああ、大丈夫、笹倉さんは監視カメラの映像を確認してもらっているだけだから」
それは寿も確認しなくても良いのかと半間は思った。
蘭は寿の発言に疑問を持たなかったようだった。
「そもそもですが、渋滞って何だと思いますか?定義をご存知?」
蘭は淡々と言った。
「え?渋滞の定義?車がなかなか進まないっていうことじゃないの?」
それは個人の感想ですね、と蘭は突き放すように言った。
「全国の高速道路を管理しているNEXCOの各社では、『時速四十キロメートル以下で低速走行あるいは停止・発進を繰り返す車列が、一キロメートル以上かつ十五分以上継続した状態』としているんです」
「へー。いや、知らなかった」
寿も驚いているが、半間も知らなかった。ちゃんとした定義があるのだと思った。
「自然渋滞はいわゆる渋滞の中で八割以上を占めています。事故や工事は二割程度何です」
「じゃあ、渋滞のほとんどは自然渋滞ってことだな」
「そうなります。その原因も明確になっています」
「そういうことって何でもっと周知されないんだろうなぁ」
寿は腕を組んで言った。
「自分で知ろうとしないからじゃないですかね?ほとんどの情報は世の中にあふれていますよ」
蘭ははっきりと言った。半間は蘭の言っていることに納得していた。今はインターネントの環境も良くなり、人々は誰もがスマートフォンを持っている。知りたければ自分で調べることだって可能なのだ。
「自然渋滞の原因は簡単です。道路が下り坂から上り坂に変化するところで発生しると言われています。これはサグと呼ばれる部分です」
「つまり坂の勾配が変化するところっていうことか?」
「そういうことです。しかも、わかりやすい所であればアクセル操作ができますが、見た目には坂だということがわからない場合などで発生します」
蘭は正面を向いたまま話し続ける。
「例えば、下り坂でアクセルを緩めた状態のまま上り坂に入ると車は減速していきますね。これは交通量が多い道で発生すると、その後ろの車にとっては車間距離が短くなります。そうすると後ろの車はブレーキを踏むことになりますね」
「そうするだろうな」
「そうすると、さらにその後ろの車もブレーキを踏むっていうことになりますから、減速の波動が伝わることになるんです。そうなると、どんどん後ろに伝わって最終的には止まってしまう車も出てくるということになります」
「なるほどなぁ。そうやって自然渋滞が出来るってことか。あ、じゃあ、その最初の一台をどうにかすれば良いってことだな」
寿は笑顔で言った。
「マジか」守屋がまた聞こえない程度に呟く、
「それが自覚出来たら、素敵ですね」
蘭の言葉に感情は籠っていない。
寿もあまり気にしてはいないようだった。
「でも、どの車がその最初の一台になるかなんて、誰にもわかりません。何の意識もなく、軽く速度を落としたり、ブレーキを踏んだことで、後ろの列は大渋滞です。その最初の一台に、後方で起こっていることの責任を求めたって、自覚がないからわからないでしょうね」
蘭は淡々と説明した。半間は確かにその通りだろうと思った。後ろに進んでいるわけではないのだ。高速道路を走っている以上、後ろの事まで考えることは出来ないと思った。
「ランランさん、サグが原因の自然渋滞ってどう対処すれば良いんですか?」
美野島が助手席から振り返って言った。
「簡単よ。常に速度を一定に保つように走れば良いの」
蘭はにこやかに微笑んで言った。
「つまりね。自分でも意識せずに、下り坂から上り坂に入って速度が低下してしまうことを避けるために、常に一定の速度で走れば良いの。そのためにアクセルやブレーキを使いこなせば良いのよ」
美野島は何度も首を縦に振る。
「言われればそうですよね・・・簡単なことだったんだ。速度を一定に保つか」
美野島は守屋の車の速度計に無意識に視線を移していた。
「うんうん。勉強になったよ。確かに、高速道路で走行速度が上がったり下がったりするのはおかしいもんな」
「勾配が分かり辛いところはありますからね。道路計画上もそうするしかないっていうこともありますから」
「うーん・・・」
笹倉が重低音の唸り声を上げていたのに、寿は気が付いた。
「あ、すんません、防犯カメラの方、どうでしたか?」
寿は申し訳なさそうに笹倉に尋ねる。
一行が乗る車は自然渋滞を抜けて、あと二キロで勝浦パーキングエリアに到着するところまで来た。
「とりあえず・・・ほら見てみろ。鏑木がトイレに入る前の十分間と、現場が封殺されるまでの二十分間の映像だ。鑑識が編集してくれた」
笹倉はノートPCを寿に手渡す。
「ついでだから、ランラン、一緒に見よう。君が持っていてくれる?俺は後ろから見るから」
寿は蘭にノートPCを手渡す。笹倉は何も言わなかった。
半間はなぜこの刑事二人が蘭にこんなに頼るのか不思議だった。蘭はただの一般人である。大事な捜査情報を漏らしても良いのだろうかと思った。
さらに、半間は寿に苛立ちを覚えていることに気が付いた。なぜかは半間にも分からなかった。
蘭は寿からノートPCを受け取る。画面にはすでに動画再生ソフトが立ち上がっていた。
半間も蘭の膝に置かれたノートPCを覗き込むようにして見た。
画面中央にトイレが映っている。トイレの左斜め上あたりから、見下ろすような画角だった。画面の手前、画面の端には、屋台型の店舗が確認できた。
そして、反対側の画面端には、駐車してある車の先端、バンパが僅かに映っていた。
蘭はトラックパッドを操作して、動画の再生を始めた。
動画が始まると、男女それぞれのトイレに人が入って行くのが映し出されている。
半間は動画の右下に並んでいるカウンタを確認する。数字の並びから撮影時刻だと考えた。
動画の最初は鏑木がトイレに入る十分前からだということだった。時刻は九時十五分を過ぎたところからだった。
鏑木の死亡推定時刻が午前九時半頃ということを半間は思い出す。
動画の中は男女ともに人がトイレに出入りをしている映像が続いている。
「怪しい人間は映ってないな」
寿が呟く。
「見た目に怪しい人間がいたら、誰もが覚えているのではないですか?」
蘭は画面から目を離さずに言った。半間もそう思った。
再生開始から五分ほど経過したところで、半間は既視感に襲われた。男子トイレに入って行く人物に見覚えがあった。服装と僅かに見える横顔の雰囲気に半間の意識が集中した。
その人物はゆっくり歩いてトイレに消えて行った。
半間がその人物を思い出したのは、動画に鏑木がフレームインしたタイミングだった。
「お、鏑木が出てきた」
寿も呟くように言った。
「もう、勝浦パーキングに入りますよ」
守屋が声を張って言った。
「分かった。ありがとう」笹倉が返事をした。
動画の方は、鏑木が画面中央であたりを見渡しているところだった。鏑木は何度が辺りを確認するとトイレの方に消えていった。
「一分」
蘭は声を上げた。半間は一瞬彼女を見るが、すぐに画面に視線を戻した。車は勝浦パーキングエリアに入るためにウインカを出した。
「倍速で見ても良いですか?」
蘭は寿に言った。
「どうぞ」
蘭はコントロールパネルを操作して再生速度を変化させた。人々の動きが滑稽になるが、行動がわかり難くなるわけではなかった。
そして、鏑木が入ってさらに一分ほど経過した。
「え?」
寿はそう声尾を上げると、後方から手を伸ばして、動画を止める。
「何か見つけたんですか?」半間は寿の顔を見て言った。
しかし、さっきまでの柔和な、どこか気の抜けた寿の顔はそこになかった。緊張感が憑依したような表情となっていた。
半間は画面に目を向ける。
そこには不思議な格好の人物が映っていた。
「この人は・・・特徴的ですね。頭にこれ、手拭い、いやタオルか、黒いタオルだ。それで下は袈裟ですかね」
「作務衣だ」
黒の、と寿は言った。
「お知り合いですか?」
蘭は画面を見ながら言ったが、寿は何も答えなかった。蘭は動画を進める。黒の作務衣の人物は一分ほどで出てきた。その後に半間が既視感を覚えた男が出てくる。
それから五分ほどして、何人もの人間が走って男子トイレに入って行った。時刻を見ると八時五十分だった。
守屋の車はハンドルを切り返しながら駐車スペースで車を停める。
蘭はノートPCを寿に返却した。寿は無言でそれを受け取る。
「蘭さん、何か気づいたことあったかい?」笹倉はその様子を見ながら言った。
守屋と美野島はすでに車を降りていた。半間と蘭もまずは下車する。
「一分間」
蘭は最後尾から降りてきた笹倉と寿に言った。
「鏑木さんはトイレの前で一分間辺りを見渡していました。すぐに入らなかったんです」
「それは気が付いたよ」寿が言った。まだ強張った顔をしていた。
笹倉も頷いた。
「では、何か手元を確認していたのは気が付かれました?」
寿と笹倉は顔を見合わせる。
「スマホとかか?」寿はノートPCが入ったカバンを肩に掛けながら言った。
「いえ、もっと小さいものだと思います。具体的には良く判りませんが」
蘭が言い終わると同時に遠くから寿と笹倉を呼ぶ声が聞こえた。二人の刑事はそちらに向かって走る。
蘭たちもゆっくり歩きながらそちらに向かった。
その途中、半間はすれ違った人物に気を取られた。
振り向くと、先程、鴨川サービスエリアで人垣の中、半間の隣に立っていた老人だった。顔は見えなかったが同じ服装だった事と、背丈から間違いないと判断した。
「おい、半間、どうした?」守屋が声をかけた。
三人とも先に進んでいたので、半間はそちらに向かって行った。
後で寿に伝えてみようと半間は思った。あの老人が何か関わっているのか、半間には判断できなかったが、人が亡くなった場所で二回も見かけることはそこまで頻繁にあるわけではないと思った。
勝浦パーキングエリアは、鴨川と比べると規模は小さい。店舗なども全くなく、あるのは自販機群とトイレだけというシンプルな構成だった。駐車している車もほとんどなく、今は警察関係の車の方が多く駐車されていた。僅かにある一般の車も自販機の前は避けるようにしてトイレの方に向かっている。
寿と笹倉は自販機群の前で別の刑事と話をしている。その傍にはスーツに作業着を着用した三人の人物がいた。
自販機の後ろに見える風景は、非常に長閑である、
森などがあるわけでないのに、緑が多いと半間は感じた。
それは家屋や建物よりも田んぼや畑が多くあるからだと半間は思った。もっと近づいてよく見れば、緑ではなく、茶色の割合が多いはずだが、なぜかそう思った。
蘭らはゆっくりと歩いて寿の側に近づく。すると、先に来ていた小柄な刑事が話を止めて、蘭たちを制した。
「一般人は立ち入らないで。これ見えない?」
小柄な刑事が指し示す先に黄色い『立入禁止』のテープが貼られていた。
蘭たちはその手前まで来ていた。
「ああ、彼らは良いんだ。オブザーバってやつさ」
笹倉は小柄な刑事を制した。
「え?はあ。オブザーバ・・・」
「ただ、やはりこちらには入ってこないようにしてくれ」
寿は蘭たちに向けて言った。
蘭たちは誰も好き好んで入りたくはないので、その場に留まった。寿たちはそれぞれ情報共有をし始めた。
「また、ここでも調査できませんね」
美野島が呟く。
「誰か、貧乏神でも憑いてんじゃねぇのか?」
守屋は特定しなかったが、明らかに半間を見て言った。
「あ、はは。えっと、あそこに立っている三人ってどちらの皆様なんでしょうね?」
半間は自分でも怪しい日本語で話を逸らした。
「え?お前、わからないのか?」
守屋はさらに発言を強めた。
「わ、わからないっす」
守屋は社名を半間に告げた。高速道路管理会社の名前だった。
「ああ。なるほど。それはここにいてもおかしくないっすね」
半間は大げさに言った。半間の声が大きかったのか、三人の作業着のうち一人が半間を睨んだ。
「ってことは、ここで亡くなった人は同じ会社の社員さんってことですかね」
半間は小声で守屋に言った。
「さあな。まだわかんねぇだろう」
半間は空回り気味になっていることに木が付いた。しばらく大人しくしていようと考えた。
「私、先生に電話してくるわ。全く、本当に今日はツイてないわね」
蘭がその場を離れて電話をするために距離を取った。
半間は周囲を観察する。しかし、自販機群とトイレくらいで、後は車が並んでいるだけだった。パーキングの出口付近を見ると、鴨川で見た光景と同じように警察が検問を張っていた。警察が来る前に逃げてしまった場合はどうするのだろうかと半間は思った。
半間は目前にある立入禁止のテープを見る。トイレの方にはブルーシートなどが張っていないことからそこで人が亡くなったわけでないとわかる。
利用者にとっては幸いな事だろうと思うが、今回は自動販売機が使えない状態になっている。
自動販売機群は、マンションの駐輪場のような屋根のあるスペースに十台並んでいるのが半間には見えた。
各社の清涼飲料水のメーカの名前が印刷されている自販機の他にも棒状のアイスを販売している自動販売機もある。
現在はそのどれもが立入禁止の内側である。半間は少し動いて、自動販売機が並べられているスペースを横から見てみる。
並べられているスペースのすぐ後ろは胸の高さ程度のコンクリート製の塀があり、自販機のスペースと塀との間にブルーシートが張られているのが目に入った。
つまり塀と自販機が並べられているスペースとの間で人が亡くなっていたということになる。
半間はこんな狭いスペースで人が亡くなっていたのかと思った。自販機スペースの基礎部と塀との間には人が二人入るくらいの幅しかなかった。
なぜここなのだろうかと半間は疑問に思ったが、すぐに、トイレ以外ではこの場所くらいしか人目に付かない場所が無いのだと思い至った。
半間は漠然と納得のいかない思いがあった。まだ、どのようにして亡くなっていたのか、事件性も含めて判然としていないが、それ以前の問題で何か半間の頭に引っかかっていることがあった。半間自身もそれが何かわかっていなかった。
寿と三枝は刑事に連れられてブルーシートの中に入って行った。しばらく、作業着の三人と半間らだけになったが、誰も目を合わそうとしなかった。一度、三人の誰かのため息が聞こえた。
五分ほどして笹倉と寿はブルーシートから姿を現した。小柄な刑事は出てこなかった。
笹倉と寿は作業着の三人に話を聞きに向かった。
その会話が微かに半間らにも聞こえてきた。
「ちょっと詳しい話を聞かせて欲しいのですが」
寿が手帳を開きながら三人に尋ねる。
「さっきも刑事さんにお話ししましたが」
作業着の中で最も体格が良い一人が寿に言った。先程半間らを睨み付けた人物だった。
「すみません、正しい情報が必要なんです。間に人間を挟むとそれだけでバイアスがかかりますから。それに時間を置くと人間の記憶は簡単に改ざんされます。お手数ですが、ご協力ください」
やんわりと、諭された男性は黙って頷いた。
「ではまず、お名前と年齢をお聞かせください」
お勤めの場所は亡くなった方を含めて同じですよね、と寿は守屋が言った会社名を挙げる。三人とも頷いた。
「横峰雄星、三十五です」
寿に意見した男性が答える。三人の中では最も背が高いが、寿ほどではなかった。整髪料で髪を立てている。
「菱川雄太郎です。あの、四十五歳です」
一歩下がって立っていた男性が答える。三人の中では最も背が低い。体格も極めて細いことが作業着のサイズ感から半間には分かった。三人が来ている作業着の袖は手首の部分がボタンで留められるようになっているが、菱川の作業着は袖から下に来ているワイシャツの袖がはみ出して見えていた。それだけ作業着が大きいということである。
また、話し方から非常に気が弱いのだろうと半間は思った。
寿はメモを取ると三人目に身体を向ける。
「龍川正蔵です。二十七です」
三人目の龍川は菱川と横峰の間の背丈だった。背の順に大中小と揃ったことになる。その話し方は、全く感情の籠っていない、極端に言えば覇気がなかった。年齢的にも、半間らと同世代、と言って良い。
半間にとっては、こういった同世代は珍しいものではなかった。
「はい、ありがとうございます」
寿はそんな龍川の態度に全く気にも留めず、ただ事実だけを書き留める。
寿は笹倉に目配せをする。
「では、経緯を教えていただけますか?」
笹倉はゆったりとした口調で言った。
作業着の三人は顔を見合わせるが、菱川が軽く手を挙げた。
「あ、じゃあ、私・・・」
菱川自身が喋るということだった。
「先生に電話してきたわ」
蘭が半間達のもとに戻ってきた。
「調査はもうできないから日を改めましょうってことだったわ」
蘭は僅かに不機嫌になっていたようだった。
「明日じゃダメなのか?」守屋が腕組みしながら言った、。
「事件の捜査が終わるかどうかわかってないから、ちゃんとした人と車の流れが把握できるかどうかわからないだろうって。まあ、そうよね」
守屋は頷いた。半間もその通りだろうと思った。
「先生が、つくづくツイてないな、君たち。だってさ」
守屋は鼻で笑っていたが、全くその通りだと半間も思う。しかし、教授の言う君たち、というのは間違いだろうと半間は思った。ツイてないのは、蘭と守屋である。
「今何しているの?」
蘭は半間に尋ねた。半間は小声で事情聴取を受けている三人の名前と年齢、そしてなぜ半間が小声で話しているのかを説明した。
「あなたのデリカシーの無さはとりあえず良いわよ」
最後の説明は余計だったと半間は反省した。
「じゃあ、お願いします」
笹倉は菱川に促す。
「えっと、今日は、その、仕事で、あ、この高速道路の全休憩所が、その運用開始出来たので、確認を兼ねて、回ることになりました」
菱川はたどたどしく話し始めた。先程刑事に同じ内容を離したと言っていたように半間は思ったが、それでもまだ改善されたのかもしれないと思った。
「亡くなった方、えっと名前は」
「三枝、三枝太一」
横峯が腕組みをしながら言った。
「三枝さん、はい、ありがとうございます」寿は手帳に書き込む。
「では、三枝さんを含めて四人で回っていたということですね?」
「うー、はい。そうです」
菱川は汗を拭きながら言った。日差しがあるとは言ってももう十一月である。コートが必要な気温である。それほど菱川は緊張しているということなのだろうと半間は思った。
「ちなみに、鴨川で人が亡くなっていたことにはお気づきでしたか?」
寿は三人に尋ねた。
「無線で聞きました」
横峰が言った。
「あ、でも、私たちはすでにここにいました」菱川が焦った様子で言った。
「そうですか。ちなみに、午前八時から九時の間はどこにいらっしゃいましたか?」
寿は三人に向かって尋ねる。
「ここに着いたのはちょうど十時くらいかな。だから、まだ高速道路を走っていた頃だと思う」
寿も笹倉も頷く。
「あ、すみません、こちらの話を優先した方が良いですよね。ここに来てからの事を教えてもらえますか?」
「あ、は、はい、えっと、それで、ここに来まして、三十分ほどかな、四人で手分けして施設を見て回りまして、えっとそれで」
「菱川さん、ここからは私が話しますよ」
横峰が見兼ねて口を出した。笹倉も寿も何も言わなかったが、すぐに変わった方がスムーズには違いないと半間も思っていた。
二人の刑事はこう言ったやり取りから、短時間で人間関係などを把握しているのかもしれないと半間は推測した。
「見回りも終わって、ここに集合しましてね。こいつが長閑湧いたから自販機に行きたいっていうことで、そこの自販機に行ったんだよ」
横峰は龍川を指して言った。龍川は表情を変えずに佇んでいた。
「俺らも喉が渇いていたんで、全員が飲み物を買ったんだけれど、龍川がお金を入れ損なって、硬貨が自販機の間に入って行ったんだ」
半間は自販機の方を見る。確かに、硬貨が入るくらいの隙間はあった。
「龍川が立ちすくんでいたら、あいつ、三枝が見兼ねて一緒に見てあげたんだよ。そしたら、裏側に転がって行ったって言うから三枝が見に行ったんだ」
「お一人で、ですか?」
寿は確認する。
「そう。あいつは後輩の面倒見は良かったからな」
横峰は憮然とした態度で言った。
「あなた方三人はこの場にいたと」
笹倉も再度確認する。確かに、その確認は重要だろうと半間は思った。
「そうだよ。それで三枝はこっちから回って自販機の裏側に行ったんだ」
横峰は三人が立っているところからトイレ側、自販機群を正面に見て右手側を指差した。
「なるほど」寿はメモを取った。
「そうしたら、五分経っても戻ってこないんで、俺が声をかけたんだ」
菱川も龍川も黙って横峰の説明を聞いていた。二人とも訂正することは無かった。
「なんて声をかけたんですか?」
笹倉がゆっくりとした口調で言った。
「おい、三枝、あったか?だよ。同期だし、普通じゃないか?」
いえ、確認ですので、と三枝は口元に笑みを浮かべて言った。
「それで何も返事がなかったから、俺も裏側に回ってみたんだ」
そこで、横峰は一度、声を詰まらせる。
「そこで、三枝さんが首を吊っているのを発見したんですね?」
寿が横峰の言葉を受けて言った。
横峰は態度や口調が上から目線だが、ただ粗暴な性格、というわけではないのだと半間は思った。性格的な点に比重が置かれているのだと考えた。
寿の発言に横峰は黙って頷いた。
「首を吊っていたって言ってますね。だったら自殺じゃあないですか?」
美野島が横に立つ守屋に言った。
「そう簡単じゃないっていうことだろう?知らんけど」守屋は投げやりに言った。
横峰の発言からさらに話を引き受けた寿は手帳を見ながら話し始めた。
「三枝さんは、ちょうどこの自販機が並んでいるスペースの裏手、塀と自販機側との間に立っているポールにロープを結んで首を吊っていました。えっと、この時、身体を塀の外にはみ出すように、と報告を受けているんですか、正しい・・・ですか?」
寿は三人を見る。三人とも黙って頷く。
半間は目線を上げる。確かに自販機が並べられているスペースの裏手に一本だけ、金属製のポールが立っているのが見えた。半間の立っているところからでは自販機に隠れて全長の半分ほどしか見えていない。塀に沿って左右も確認するが、等間隔に並んでいるようだった。
「つまり、三枝さんは、自分の身体を塀の外に放り出すように首を吊っていたんですね?」
寿は表現を変えて、再度三人に確認した。
「その後のことについても教えていただけますか?」
「その後は・・・急いで三枝を引き上げて、後ろの方に寝かせておいてから、菱川さんに警察に連絡してもらったんだよ」
「わかりました。ありがとうございました」
半間は、今の話が正しいのだとしたら、三枝は状況的には自殺ではないかと考えた。
しかし、半間には全く納得できなかった。
「その、ちゃんと皆さんが話してくれているとは思うのですが」
笹倉はそうやって切り出した。
「その、突然すぎるというか、自殺だとすればあまりにも非現実的な状況を選んで亡くなったということになります」
笹倉も半間と同じように考えているようだった。
「自殺だとしましょう。そうなると、龍川さんがタイミングよく、硬貨を落として、上手い具合に自販機の裏に回ったから、三枝さんはチャンスだと考え、裏手に回って、手ごろなポールにロープを結び付けて自分の首に掛けて、塀を乗り越えて落下する。こういった手順になりますが。よろしいですかな」
笹倉は確認するように話しかける。横峰らは、頷くが誰も納得している様子ではなかった。
「そもそも、三枝さんは自殺するような心理状況だったのでしょうか?」
寿が笹倉の発言を受けて言った。
「そ、それなんですが、あの、えっと、表立って思い詰めるような様子はありませんでした。毎日の業務中もそうです」
菱川が管理職としての意見を出した。しかし、表情や仕草に思い詰めるような様子が出るような状態ならば、少なくとも業務に支障が出るはずである。そんな状況であれば誰かしら声をかけるなど、対応が取られるはずだと半間は思う。
それが出来ないほど気持ちが押し込まれてしまうから、それを本人も気が付かないようにしているから、ある時、抱えきれなくなって破裂してしまうのだと半間は思う。
「良識ある社会人なら、普通、そんな顔しないわよね」
蘭は言った。
「社畜ってことだろ」守屋も同じような考えだった。
そこまでは言ってないわ、と蘭は表情を変えずに言った。
「あいつは俺と違って、上からは頼りにされて下からも慕われてるから、職場で何かあったとは思わないけどな」
横峰は自分と比較しながら言った。
「だけど、最近は元気がなかったのは間違いないと思う」
「元気がなかった?どういった理由でしょうか?」
「知らないな。だけど、いつもより表情が暗いと感じたな。あとは話をしている時の感じかな。具体的に言葉にはできないよ。ちょっとした違いだからな」
半間は意外だった。横峰と言う男は案外、気が利く人間なのかもしれないと思った。
「そんなことじゃあ、判断できませんよ」
龍川が呟くように言った。
「どういう、ことですか?」寿は慎重に尋ねる。
「毎日元気に、朗らかに見えている方が、僕には異常に思えます。人間なんですから、気分の浮き沈みはあるでしょう。偶々、落ち込んだ気分の時とその他の外的な嫌な事とかが重なった時に、死のうと考えることだってあるかもしれませんよ」
いきなり饒舌になった龍川に笹倉も寿も僅かに驚いているようだった。それは半間達も例外ではない。
「では、龍川さんは三枝さんが自殺されたと?」
寿は龍川を見据えながら言った。
「いえ、そういうことは言っていません。気持ちとか、そんなことを指標にして判断するのはいかがなものかって言っているだけです」
龍川はほとんど口を開かずに言った。
「しかし、自殺にしては不自然、というか無理がある状況ですよ?」笹倉は確認するように言った。
「そうですかね」
龍川は間髪入れずに言い返す。
「何か、考えがあるのですか?」
「無理がある状況っていうのは、自販機の裏手に回る機会と、ロープの持ち込みと結びつけの問題でしょ?」
龍川は聞き辛い声で言った。
「まあ、そうですね」笹倉は頷いた。
「少なくともロープ関連の問題はどうとでもなるでしょう」
龍川は言い切った。
「僕らが来る前からここに準備してあれば良いんです」
「つまり?」寿は先を促す。
龍川は僅かに苛立った顔をした。
「だから、最初からこのポールにロープを結んでおいたんですよ」
明らかに苛立っていた。
笹倉と寿は焦り顔になったが、はあ、と寿が言いながら手帳に龍川の意見を書き留めた。
「わかりました。龍川さん、ありがとうございます。ちなみに、三枝さんが裏手に回ってからこの周囲に人はいましたか?」
笹倉が三人に尋ねる。
「いや、いなかったよ。な?」横峰は菱川と龍川に尋ねる。二人共頷いた。
「それは確かですか?自販機の利用者もいなかったと?」
「少なくとも、俺等がここに来た時は誰もいなかったよ。そもそも駐車している車の数を見てもらえれば。人が少なかったから。利用者もトイレがほとんどだったし。ま、高速道路作った方からすれば、塀の外の景色も楽しんで欲しいもんだけどな」
横峰の意見に菱川も頷いていた。それほど自信があるということなのだろうと半間は思った。
「わかりました。ありがとうございます。もう少し、ここに残ってもらえますか?遺体を運び出した後に、現場の確認を一緒にお願いします」
寿は三人に礼を告げた。
蘭達をこの場に残した張本人達が四人のもとに戻ってきた。
「待たせてすまない」笹倉は謝罪した。
「いえ。我々の方はもう調査は諦めましたから。あと二ヶ所あるので回って帰ります」
蘭は事務的に言った。苛立っていると言えば、蘭の方も龍川に負けてはいなかった。
「本当、ここまで連れてきてもらって、申し訳ないね」
寿も申し訳なさそうな顔をする。
「何か、我々がいたから事件に巻き込まれたような形になってしまったな」
笹倉が寝ぼけた表情で言った。
「いえ。お二人が人を殺したわけではありませんから」
蘭なりに気を遣っているのだろうが、ストレートだった。刑事二人は特に気にしてはいないようだった。
「鶏が先か卵が先かに似ていますね」美野島が生き生きと言った。
「違うんじゃね?」守屋も速球で打ち返した。
「笹倉さん」
刑事二人が驚いて飛びあがった。笹倉と寿の牛ラオに背の低い刑事が立っていた。
「驚かさないでよ」笹倉は心臓に手を当てながら言った。
「なに?」寿に至っては怒っていた。
「いや、ちょっと」
背の低い刑事は笹倉と寿を蘭達から距離を取らせた。オブザーバとは言え、自分の口から情報が漏れることを良しとしない性分なのだろうと半間は思った。
背の低い刑事がデジタルカメラを見せながら何か説明をしている。笹倉も寿も真剣な表情でカメラの液晶部を見ていた。
「なんすかね?」半間は守屋に言った。
「知らんよ。ああ、俺、車の中、暖房つけてこようかな」
守屋はチラチラと自分の車を見ていた。
笹倉と寿が戻ってきた。背の低い刑事は現場に戻っていく。
「大丈夫ですか?もう、僕らは行っても?」半間は二人に言った。
「ああ・・・そうだな。問題はないよ」寿は天然パーマの中に指を入れて掻いていた。
「何かあったんですか?」蘭は素直に尋ねた。
何かあったに決まっている、と半間は思った。
「さっきの会話で出てきた通り、亡くなった三枝はロープによって首が圧迫されて亡くなっていた」
笹倉が話始める。
「念のため、司法解剖に回すけれども、頸部圧迫が死因だろうというのが鑑識の見立てだ」
横峰らの言っている通りの死因だということだった。
「ただねぇ」寿は蘭らの方に身体を向ける。自分の腹に右手の人差し指を置くと、臍のあたりで時計回りに円を描いた。
「え?マジか」守屋も声は小さいが本気で驚いているようだった。
「嘘っ」美野島は心の底から声が出ていた。
半間は何も言えなかった。蘭も同じだが、半間のように口が半開きになってはいなかった。
「また丸ですか?」
蘭は判りきったことを聞いた。この場の全員を現実に気付かせる一言だった。
寿は黙って頷くだけだった。
寿は横目で笹倉を見る。笹倉はその視線を受けて軽く頷く。
「鴨川の鏑木と同じ位置に同じ方法で丸が書かれていた。これが写真だ。もちろん、傷をつけた刃物は周辺に落ちていない」
蘭は腕組みをして聞いていた。
寿はスマートフォンに送られた写真を拡大して見せる。
写真は鴨川の時に寿が見せた写真と同じように腹部を拡大されている写真である。
蘭以外の三人は覗き込むようにして写真を確認する。蘭はその間から見ていた。鴨川の時と同じように臍の周りを囲むように血が滲んでいるのが確認できた。鏑木の腹部に描かれていたものと同じように下腹部の方で閉じていない円だった。
「ああ、本当に同じですね」
美野島はすでに慣れたのか、目を隠すことなく真剣に見ていた。
「そこまで深く傷つけられたものじゃないんだな」守屋も写真を見て呟くように言った。
「そうだな。鴨川の時もそうだったけど、切り傷レベルだそうだ。あ、ちょっと待って、こうすると比較できる」
寿はスマートフォンを操作して再度半間らの前に見せる。自分は見ないで画面をスライドさせると、鏑木の腹部が映し出された。何度もスライドさせて、鏑木と三枝の腹部の写真を映し出す。比較してみてくれという意味だった。
「ああ。確かに同じだなぁ」半間は一秒おきに入れ替わる写真を見て言った。
「まあ、そうだな。細かく見れば多少線が揺れていたりとかはあるだろうが、同じ図形っていうことで良いと思う」
「三枝さんが吊るされていたところの下は確認されましたか?」
それまで黙って見ていた蘭が言った。
「今、指示を出したよ」笹倉は頷きながら言った。
「え?どういうことですか?」美野島は蘭に言った。
「今回は塀の外に吊るされていたでしょう?また、三枝さんが自分でつけたのか、誰かにつけられた傷なのか、それは分からないけれど、鏑木さんの時と違う点は傷をつけた刃物、鋭利な物体を簡単に捨てられるのよ」
美野島は納得したように頷く。つまり、腹に円を描いた後、塀の外に投げ捨てることが最も簡単で効果的な廃棄の方法だということである。
「この下ってどうなっているんですか?」半間は蘭に聞いた。
「さっき地図を見た限りでは、陸地側から海側に国道が走っていて丁度交差しているわね。他は林になっているはずね」
それならば、簡単には発見できなさそうだと半間は思った。
「まあ、しかし、それよりも問題だな」
「そうですね」
笹倉と蘭は言葉を掛け合った。
「何がですか?」美野島はまだわかっていなかった。
「杏奈ちゃん、つまりね、鏑木さんと三枝さんに同じ形の傷跡があったっていうことなんだ」
「連続殺人?」美野島は口元に手を当てて驚愕の顔をした。
「いや、まだ殺人だと決まったわけでは無いけれどね」半間は落ち着かせる。
「つまり、鏑木と三枝に何らかの繋がりがあるかもしれないっていうことだ」
寿は美野島と半間を見て言った。
「それは、そちらの仕事ですよね?」蘭は確認するように言った。
「はい。もちろんそうです」
寿は神妙な顔になって頭を下げた。
蘭はそれを確認すると、片手を挙げる。
「あの、ここに監視カメラは無いんですか?」
「設置されている。まだ映像を管理しているところに署員がいるから、確認を取ってもらっているが、ほら、あれがカメラだ」
笹倉が蘭たちの右後方を指差す。パーキングエリアに入ってすぐ、左手に電灯が設置されているポールがあり、その上部にカメラが設置されていた。
「あれだけですか?」
「そうらしい。そこまで広い場所じゃないから、あれだけでカバーできるらしい」
「それで、何か映っていましたか?」
「詳しくはまだ解析しているらしいが、とりあえず、彼らの言っていることと同じような動きだったらしい」
蘭は、そうですか、と一言だけ発言すると黙った。
半間はそんな蘭の顔を見ていたら、別の顔が重なった。
「あ」半間は大きな声を上げていた。
全員が半間を見る。
「あ、す、すんません」
「どうした」守屋が心配そうな顔で半間を見た。余程、おかしい顔だったのだろうと半間は思った。
「あ、あの、直接関係ないかもしれないんですけれど」
半間は前置きをする。
「この件に関することか?」寿が半間の顔を見て言った。。
「いや、良くわからないんですけれど、いいですか」
刑事二人は頷く。
半間は、鴨川の人垣で何が起こっていたかを尋ねた老人と、このパーキングエリアでもすれ違った事を話した。
「半間君、偶然でしょ?」美野島は目を細めて言った。
「いや、それはこちらが判断するから、そういった不審な、ちょっと心に残ったことでも話してくれてありがとう」
寿はちゃんと手帳にメモを取ってくれた。半間は少し嬉しい気持ちになった。今度は顔には出さなかった。
「さて、あとは我々の仕事だ。本当にすまなかったね。我々はここでしばらく捜査してから、パトカーで帰るから」
「もう乗せねぇぞ」守屋が呟いたが、半間は聞かなかったことにした。
寿と笹倉に別れを告げると、四人は車まで戻る。
「やっと解放されましたねー」美野島は思い切り背伸びをした。
「ランラン、先生は戻って来いって言ってたか?」
「いえ。言ってないわ。調査は出来ないだろうけれど、他のサービスエリアに関しては、下見ってことにすれば良いって」
「まあ、プロジェクトの中から調査予算出ているからなぁ。理由が無けりゃまずいってことね」
守屋はうんざりとした顔で車のロックを外す。
ここに来た時と同じ席順で車に乗り込む。
「じゃあ・・・九十九里に行っちゃうか」
守屋はギアをドライブに入れると、バックミラー越しに蘭を見た。
「そうね。先生は別に良いって言っていたけど、チャンスがあれば調査しておいた方が良いと思うのよね」
そりゃそうだ、と言って守屋はアクセルを踏む。
車は勝浦パーキングエリアの出口に向かう。警察の検問があったが、笹倉達が伝えておいてくれたのか、ノンストップで出ることができた。
「気が利くんだな、あの刑事達」
守屋は少し機嫌が良くなった。
車は外房線の本選に入り、順調に進み始めた。
九十九里サービスエリアまではここから五十キロ離れたところにある。一時間もかからないだろうと半間は思った。
「刑事さんの仕事って大変だなぁ」美野島が前方を見ながら言った。
「なんで?」守屋が参加する。
「だって、死体見なきゃいけないじゃないですか」
「仕事だから、仕方ないんじゃない?仕事だって言い聞かせていれば、普通の感覚なんて麻痺していくんじゃない?」
半間は素っ気なく言った。
「そんなもんかなぁ」美野島は理解したような文面を、納得していない口調で言った。
でも、と美野島は続ける。
「あの人って自殺ですよね?そんなに調べる必要あるのかな」
美野島はそう言うと半間の方を振り返って、草餅はまだ残ってないか、と尋ねた。
「あら、自殺って決まったかしら?」
半間が、あなたもう全部食べたでしょ、と言う前に蘭が美野島に投げかける。
「いや、まだそうとは決まってないですけど、もう自殺じゃないですか?龍川さんの言っていた方法でできるじゃないですか?」
美野島は前方を見ながら言った。
「あのあらかじめ準備しておくっていう方法?」
「そうです。その方法だったら、後はロープに首を通して塀から飛び降りるだけですから五分もあれば十分ですよ」
美野島は自信たっぷりに答えた。
「じゃあ、あのお腹の円は三枝さんが自分でやったっていうことね?」
蘭は確認するように言った。
「えーっと、まあ、そうです・・・ね」
美野島の自信は早くも揺らいできた。
「そうなると、鏑木さんの死にも三枝さんは関わっているっていうことになってこない?」
「うーん・・・そうですね・・・あ、そうだ。きっと二人は自殺サークルみたいなもので出会ったんじゃないですかね。それで繋がりがあった」
半間は美野島の危うい発言に何も言えなくなっていた。
「感受性・・・いや、想像力が豊かなのね。そうなの?」
蘭は半間に尋ねる。
「入学当初はかわいくて良かったんですけれどね・・・」
半間も、遠くを見るような目で言った。
「ちょっと半間君、忘却の彼方に、自分を置くのやめてくれない?」
「杏奈ちゃんが言っていることは面白いけれどね。その自殺サークルで知り合った二人がこの高速道路を舞台に、自殺を遂げたっていうわけ?」
「違いますかね」美野島は自信を無くすことが早いなと半間は思った。
「ない、とは言えないわね。でも、極めて考えにくいわ」
蘭は苦笑しながら言った。
「鴨川の方は、置いておくとしても、勝浦の方はちょっと単純に自殺として処理するのはどうかしら?」
「勝浦の方ですか?どちらかと言えば勝浦の方が自殺っぽいと思ったんですけれど」
美野島は振り向いて言った。
「それはどうしてかしら?」
「え?首を吊っているから・・・」
「それは自殺をする、イコール首吊りっていうイメージがあるからじゃないかしら?」
美野島は、うーん、と言って前方を向いた。
蘭はそれを確認するとゆっくりと口を開いた。
「三枝さんが自殺したんだとして、さらに龍川さんが言っていたようにあらかじめ準備をするくらいの労力をかけてまで、勝浦パーキングエリアを選んだ理由は何かしら?」
蘭は諭すように言葉を発した。
「自殺するのであれば、自分の部屋とか他にも適切な場所があったはずでしょう?」
「ああ。そっか」
美野島はゆっくりと言った。
「さらに言えば、近くに三人もいる時に実行に移すっていうのも変ね」
「まあ、止められる確率は高くなるよな」守屋もハンドルを握りながら参加していた。
「でも、実際に首吊りを実行しているじゃないですか」
美野島は二人に向かって言った。
「そうね。結果、三枝さんは首を吊った状態だった。でも、それだけよ」
蘭はあっさりと言った。
「それだけ・・・」
「そう」
蘭は美野島を見ながら言った。
「で、でも、三枝さんは体を塀の外に向けて首を吊っていたじゃないですか。それって、発見されにくいように外に投げ出したんじゃないですか?」
「よく聞く話だけどさ、梁とかにロープを引っ掛けてするような方法じゃなくて、ドアノブとかにロープを引っ掛けてする方法もあるよな。有名人がそうやって自殺したっていう話も聞いたことあるぞ」
それは半間も記憶にあった。ロープやタオルをドアノブに引っ掛けて、自分の首に通して後はその場に座わることで首を絞める方法である。
半間が子供頃にニュース等でそれを知って、漫画や小説で見るように天井にロープを通す必要がないのだと思った記憶があった。自分の部屋のドアノブでできてしまうということに死が身近にあるという感覚を覚えたことを思い出した。
「だから、塀の外にわざわざ宙づりになったのは発見を遅らせようとしていたかもしれないよな」守屋は美野島の話をフォローした。
「それは少し違うと思うの」
蘭はすかさずに言った。
「どうしてだよ?」
「ロープを結べるものがあのポールしかなかったからよ」
「良く判らないです」美野島は不安そうな声で言った。
「守屋君が言った方法を実行するには、突起物が地面と水平に出ている必要があるの。あのポールでそのタイプの首吊りをしようと思ったら、ロープで作った結び目は滑るのよ。つまり実行不可能なの」
蘭が言い終わると、車内が五秒ほど沈黙した。
「なるほど・・・」守屋はそう言って黙った。
半間は納得したが、まだ釈然としない部分があった。
「ああ、そっかぁ。じゃあ自殺じゃないんだ。だったら、あの三人の中の誰かが殺したっていうことですか?」
美野島はすぐに自殺説を捨てた。
「いえ、私は自殺ではないとは言ってないわよ」
蘭はあっさりと言った。
「ぱにっく!」美野島は車内で両手を挙げた。
「単純な自殺とは考えられないって言ったのよ」
蘭は美野島が笑いのツボに入ったのか、笑いを堪えながら言った。
「単純な自殺とは考えられないことがあったっていう意味ですか?」
半間は美野島がパニックになったので、代わりを引き継ぐ。
「そうね。まず、お腹の傷」
半間もそれは気になっていた点だった。
「ただこれはなぜ傷が入っていたか、っていうよりはなぜそんな傷を入れたのかっていうことがわからない」
蘭はゆっくりと言った。
「自分で傷つけたものだっていう可能性もあるっていうことですか?」
「そうね。それで二点目がさっきも言ったけれど、なぜあの場所を選んだのか」
半間は頷く、先程も蘭自身が言っていたことだった。他に適切な場所があるはずだということである。
「あのランランさん。自殺の場合、自販機の裏手に回るのにタイミングが良すぎませんか?」半間は蘭に言った。
蘭は、そうね、と言って半間を見る。
「でも、龍川さんが硬貨を落とさなくても、適当に理由を言って裏手に回っていたかもしれないわよね?あの人たちはそもそも見回りのためにあそこにいたんでしょう?」
蘭は半間の顔は見ないで言った。
「三点目は、どうして塀を乗り越えて首を吊っていたのか?」
「それなんですけれど、俺も杏奈ちゃんが言っていた、発見を遅らせるためっていう目的が一番しっくりくるんですが」
半間は思っていたことを伝える。美野島が言っていたことは間違いではないと思ったからだった。
「でも、結果はどうだった?」
半間は黙った。確かにすぐに発見されている。
「それにね、発見を遅らせるって言っているけれど、他の場所ならともかく、あの場所と状況でそれをする意味があるかしら?」
半間は反論しようと思ったが、何も言えなくなった。蘭が言っている意味が分かったからだった。
「いい?あの時、三枝さんを含む四人であの場所に訪れて、ちょっとしたタイミングで自販機の裏に回ったわね。自殺をしようと考えて、首を吊るってなった時に、発見を遅らせるために塀の外に身体を投げ出そうって考えるかしら?」
「逆に言えば、水平首吊り、あ、さっき俺が言ったやつね。それが駄目だとしたらそうやって高さを確保するしかないんじゃないか?」
守屋が言った。
「それを言ってしまえば、首吊りを選択しない方が良いわ。鏑木さんのように毒物を煽った方が遥かに簡単よ。飲んでしまえば成功するから」
半間は暫く考えていたが、訳がわからなくなった。
「つまり、どういうことですか?」半間はギブアップ宣言をした。
「わからないわ」
蘭はきっぱりと言った。しかし、その後に、ただ、と付け加える。
「塀の外に身体を吊るす、っていうことそのものに意味があるような気がするのよ」
「そのものに意味・・・ですか?」
蘭は頷く。
「そうじゃないと、不自然が過ぎるわ」
前方の道に、九十九里サービスエリアまであと十キロという表示が現れた。
「あとちょっとね」
半間は蘭の発言が別の意味に聞こえた。
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