竜宮城からの使者

 パチパチパチパチパチパチ――


 数葉の拍手に、ふと我に返る。


 うう、黒歴史をしゃべりすぎた。


 恥ずかしさをごまかすかのように数葉に背を向け、俺はペットボトルのミルクティーに手を伸ばす。


「……あっ」

 数葉の小さな叫びが、俺の耳に届いた。

 振り向けば、俺にはなんだかよくわからないデコレーションを施されたスマホが、彼女の手から転がり落ちるのが見えた。


「スマホ持ったまま拍手なんかするから……」

 俺の足元にまで滑ってきたスマホを拾い上げようと左手を伸ばし……。

 

 そして、数葉のスマホのすみっこにあったその文字列が、まっすぐに俺の目に飛び込んできた。


「あ……っ」

 別に、盗み見をしようとしたわけではない。最低限のマナーぐらいわきまえている。

 ただ、偶然目に入ったその言葉には、無視しがたい存在感があった。


―― リュウグウノツカイ ――


 亀を助けた浦島太郎が招待された竜宮城。その名を関する深海魚の名が、そこには記されていた。


 リュウグウノツカイ。


 アカマンボウ目リュウグウノツカイ科の魚。


 さすがに実物を見た人は少ないかもしれないが、その名は深海魚の中ではかなり有名な部類だろう。


 ある種の刀剣にも似た細長く銀色の体には、『にえ』を彷彿とさせる黒い斑紋が散りばめられている。

 一方、その鰭は鮮やかな紅色べにいろに染まり、まるで羽衣のように背鰭せびれ胸鰭むなびれから長い条が伸びている。

 通常は二百メートルから千メートルの深海の浅い部分に生息しているが、まれに海面近くで確認されることもある。

 神秘的ともいえるその姿から、『竜宮のつかい』の名がある。 


「……解説、乙」

「えっ!? 今の、声に出てた!?」

 いかん。また無意識のうちに余計なことをべらべらと。

 そして俺は、拾い上げた数葉のスマホをまだ持っていたことに気付いた。


「あ、ごめん」

「……ん。ニュース、見ていいよ」

「ニュース? あ、いや、それなら俺のスマホで見るから大丈夫」

 数葉のスマホを返すと、カバンから自分のスマホを取り出す。


 検索をかけるまでもなく、サジェスト……普段の検索履歴などから持ち主の興味のある情報を優先的に表示する機能……により、それはあっさりと見つかった。


 それは幻の魚、リュウグウノツカイが発見されたという記事であった。


 今朝未明、隣の県の南海上で漁をしていた漁船の網に、見慣れない魚が掛かった。

 それが貴重なものである可能性を考えた漁師は、すぐに知人の水族館職員……水族館の人は職業柄、漁師の協力を得ることも多いのだ……に連絡を取る。

 その後、紆余曲折を経てその魚、リュウグウノツカイは無事に水族館に届けられた。

 そして水族館は、急遽その珍魚の生きたままの展示を決定する。


 記事を要約すると、大体そんな感じだった。

 

 その水族館は俺の家から電車で一時間ほど。もちろん何度か行ったことがある。

 生きたリュウグウノツカイなんて見たことはないし、ぜひ見てみたいとは思う。


 しかし……これは……。


「……それで……もし…………よかったら……」

 数葉が小声で何か言おうとしたが、その声は途中で途切れる。

「え? あ、ごめん。記事に集中して聞いてなかった」

「………………」

 そのまま、なぜか数葉は黙り込んでしまった。何か言いたいことがあるのかもしれないが……無理に聞き出すのも悪いかもしれない。

 そんなことを考えるうち、もう一つ気になることが頭をよぎった。


 数葉が浦島太郎の話をした日に、ちょうど同じ竜宮城がらみのリュウグウノツカイのニュースが流れるとは、なんという偶然だろうか。

 いや、これはほんとにただの偶然か?


「数葉はこのニュース、いつ知った?」

「……今日の昼休み」

 ネットニュースが出た直後じゃないか。

 俺は学校内では私用でスマホは使わん主義だから、いまだに気付いていなかった。たぶん家に帰った後に気付いたとは思うが。


 数葉の話より、リュウグウノツカイのニュースの方が先か。

 それを知った上で、なぜ数葉は急に浦島太郎の話を始めたのか。単なる思い付き?

 それとも……。


「もしかして、このリュウグウノツカイ、助けたいとか思ってる?」

「……え? 助けられるの?」

「いや、難しいだろうな。深海魚が海面近くで見つかった時点で、かなり弱ってるだろうし、そのまま放流したところで、深海には戻れないだろうな。さすがにリュウグウノツカイのためだけに、潜水艇を動かすのも難しいし」

「……そう」

 再び数葉は口を閉ざす。

 別にリュウグウノツカイの行く末を案じて悲しんでいるわけでもなさそうだが。


 はて……?

 数葉が浦島太郎の話を始めたのが、ただの偶然じゃない。そう仮定して、その理由を考えるとすれば……。


「そうか……わかった」

 その言葉にはっと顔を上げた数葉に対し、俺は宣言する。


「浦島太郎を最近まで知らなかったって、嘘だろ」

「そっち⁉」 

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