竜宮城へのいざない
まあ俺も、漫画やライトノベルに出てくるような鈍感系主人公ではないつもりだ。
それ以前に主人公じゃないという説があるが。
でも、数葉の言いたいことはわかった、と思う。
「要するに、今日の一連の茶番は……」
「……茶番ゆーな」
いや、茶番だろこれ。もとはといえば、一言ですんだことなんだから。
「水族館……ええと……」
ああ、自分がこんな言葉を口にする日が来ようとは。
普通の単語なんだろうけど、当事者となると妙に気恥ずかしい。
「水族館デートのお誘いの、前振りだったと」
そらしていた視線を戻せば、数葉は静かにうなずいてくれた。
ああ、よかった。これで外れだったら、黒歴史の上塗り。ここから脱兎のごとく逃げ出して、退部届を書きに行かなきゃならなくなっていた。
「結局、一緒に水族館に行こうの一言ですんでたんじゃ……」
「……女心が、わかってない」
……わかるもんか。少し前まで、同世代の女子なんていじめの加害者でしかなかったんだから。
いや、やっぱり断られるのが怖いのだろうか。
「水族館の話をするために、浦島太郎の話を振って……そのうえ太郎を知らないとか、それをネタにネット小説が書きたいとかいう話まで作って……」
うちの部は実質俺と数葉の二人なので、妙な噂が流れていたりもするが、今のところデートに行くような仲ではなかったりする。
「しかしその目論見は、道半ばにしてもろくも瓦解して、俺の黒歴史が爆発して大脱線した、と」
そう指摘すると、数葉は頬を赤く染めて、何度もうなずいた。
それで、俺から水族館に行こうと言われるのを待っていたか。それとも、水族館の話が出た時に数葉の方から……思い返せば、それは失敗に終わったようだが。
「しかしまあ、特に急いで水族館に行く予定はないけどな」
「……なん……ですって?」
美少女のくせに妙な顔芸やめろ。
「いや、リュウグウノツカイって、飼育は非常に難しいんだよ」
「……動画とかで、見たことあるけど」
「生きたまま捕まえられて、すぐ水族館に運ばれても数時間展示されるのがやっと。長くても次の日には死んでいる。さっきも言ったろ。深海魚が浅いところで見つかる時点で、ただ事じゃないんだ」
「……じゃあ、水族館は?」
「さすがに学校さぼって水族館に行く訳にはいかないし、放課後に行くには遠すぎる。週末まではリュウグウノツカイが
「……むううぅぅ……」
自分のせいで数葉がこんな顔をしているかと思うと、悪い気もするが……。
「もう一つ、すっごい野暮なこと言っていいか?」
「…………うん」
何かいつもより間があったな。
本能的にいやな予感でも感じ取ったか?
「水族館とは、水生生物などの収集・展示そして研究のための施設であって、決してデートスポットとかそういうチャラチャラしたもんじゃない!」
「……………………」
何でそんな、『デート中のカップルに親でも殺された?』とでも言いたげな顔をしてるんだ。
「……何でそんな、デート中のカップルに故郷の星でも滅ぼされたみたいなことを」
「異星人扱い!?」
デートに誘おうとしてる相手にかける言葉じゃなくない?
「……かわいそうに。ろくでもない水族館デートしか、したことがないんだな」
「いや、そもそもデートなんかしたことないし……」
……今後する予定もなかったんだが……。
あれ? そんなことを言い出すということは、数葉の方は、経験があったりするんだろうか。
一瞬そんな考えが頭の片隅をよぎり、心臓が一瞬大きく跳ねた気がした。
右手で自分の左胸を押さえる。今のは、まさか……。
俺にこんな、嫉妬心めいたものが存在したとは。正直、自分でも意外なんだが。
「……私もないけど心配するな」
俺の様子を見て心のうちを読み取ったのか、数葉がそんな言葉を掛けてくる。
「心配するわ!」
あ、いや……でも高校生カップルなんて、恋愛経験ないもの同士のことも多いだろう。
二人で色々と試行錯誤していくもんなんだろうな……普通は。
「いや、デート中のカップルに何されたかといわれても、ゆっくり魚を観察してるのを邪魔されたくらいだが」
「……確かに……水槽の前でいちゃついてるカップルとか、よくいる」
「そもそも、アジとイワシの区別もつかんようなバカップル相手に、学術的に貴重な魚を見せたところで何の役にも立たないだろうに」
「……バカップルって、そういうのじゃないと思うな……」
「そんなことがしたければ別に水族館である必要はどこにもないだろ。そこらへんにラ……いや何でもない」
「……ラ、ブ」
「待て地図検索するな!」
ちょっと暴走しかけたが、今ので頭が冷えた。
「確かにあの水族館の近くにはそういうもんもあるが、行き帰りにちょっと見かけただけで俺とは何の関係もない代物だぞ」
「……ほんとに、行ったことはない?」
「誰と行くんだよ、そんなとこ」
いや、そこで自分がいる、みたいな顔されても。
「女性恐怖症の発作でラブホテルから救急搬送とか、停学、いや下手すりゃ退学もんだぞ」
「……ラブホのことは、まだいい」
まだ⁉
「いや、あの……二人で出かけたいなら、水族館じゃなくても他にどこか……」
「……水族館デートが、したいです」
そんなバスケットボールみたいに……。
「正直、水族館デートとか、もう彼女ほったらかしで魚に熱中する未来しか見えんのだが」
「……か、かのじょ……」
「そっちに反応する!?」
また頬を赤らめた数葉だったが、不意に決意を込めた面持ちで、こちらを睨みつける。
「……大丈夫。絶対、魚なんかに負けない」
「なんで浮気された彼女みたいになってんの⁉」
時々妙な方向に暴走するな、この人。
「でもそれ、水族館に行って魚を見ないとか、行く意味ないんじゃないか?」
「……えっと、なくない……ちゃんと、ある」
「俺もデートなんてしたことないけど、何をすればいいんだ?」
「……それは、二人でしゃべったり、ごはん食べたり、お茶したり、歩いたり、たまには静かに時間を過ごしたり……」
何か、いつになく饒舌だなあ。
いやしかし、それは水族館じゃなくても……っていうか。
「それ、いつも学校で俺たちがやっていることと変わらないじゃないか」
「……ゑ」
その一言だけを発して、数葉の動きが止まった。
「理数部は、実質部員二人みたいなもんだからな」
うちの高校、全員がいずれかの部に所属しないといけないという校則がある。しかし実際は、名前だけ籍を置いただけで、事実上の幽霊部員だの帰宅部だのは多数存在する。
だから、二人だけの部活動を中心とした高校生活は――。
朝、別に待ち合わせたわけじゃないけど、同じ時間に通学路で出会い。
また昼休み、と言葉を交わし、それぞれの教室へ向かう。
教室は居心地悪いから、部室まで来て二人で弁当を食べる。
また午後の授業はそれぞれの教室で別れ別れになるけど、授業中もどこか放課後を楽しみにしている自分がいて。
部活中はそれぞれ別の作業をしながらも、時々声を掛け合って。
たまに休憩して、おやつを食べて。
時には今日のように、部活に関係ない話に熱中して。
下校時間を迎え、名残を惜しみながら家路につく。
そしてまた、同じような日々が続く。
そんなたった二人の部活動だけど。
『理数部』が今廃部になっていないのは、俺たち二人が実績を残せているから。
そして俺の実績は、近くの山で絶滅危惧種の昆虫を見つけて、博物館に報告したとかそういうことなので。
「もし数葉がいなかったら、俺はさっさと学校飛び出して外で部活やってたぞ」
放課後に部室に入り浸るようになったのは、部の統廃合で数葉と同じ部になって、そこからトラブルを乗り越えて少し仲良くなってからだ。
その時、フリーズしてた数葉の唇がピクリと動くのが見えた。
あ、再起動した。
「……この……アウトドア引きこもり……!」
「俺の扱いひどくない?」
そう一瞬思ったが、人付き合いはずっと苦手で、野外で昆虫や魚、植物を相手に部活をしてたから、残念なことにあながち間違いでもない。
正直、よく俺を見ているなと思えるほど。
「……違うの! 日常生活と、ちゃんとお出かけするのは違うの!」
わ、わかったようなわからんような。
「で、それは具体的にどう違うんだよ」
「……知らない」
「いや知らんのかい!」
ぷい、と顔を背ける数葉に、思わず脊髄反射でツッコんでしまう。
数葉の方だっていままで男友達も彼氏もいなかったようだから、知らなくても当然かもしれないが。
「……だから、どう違うのか。確かめに、行こ?」
俺だって、興味がないと言えば嘘になるだろうし、数葉にそこまで言われると応えたいとは思う。
小学生のころ、いじめのせいで孤立していた俺。中学になっても人付き合いが苦手で、一生一人で生きていくなんて甘いことを考えていたこともあるが。
たとえ恋愛、結婚をするつもりがなくとも、女性恐怖症を抱えたままでこの世を生きてゆくのは、やっぱり面倒だ。
高校に入ってからの一年半、彼女にはいろいろと世話になった。
この借りは、必ず返さねばなるまい。
まだまだ時間はかかりそうだし、どんな形になるかもわからないが。
そして俺は、期待と不安の入り混じった瞳を向ける数葉に対し、再び口を開く。
「それじゃあ、今度の土曜、あの水族館に行こう。待ち合わせは――」
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