知られざる時を求めて

「……それ以前?」

 俺が何を言ってるかわからないといった表情で、数葉は問い返す。


「地上と竜宮城で時間の速さが違うという前提で話を進めよう。竜宮城で三日間すごした後には、地上では七百年っていた。ならば竜宮城において太郎がやってくる三日前、地上では何年前だった?」

「……えっと……七百年前?」

 キョトンとした表情の数葉。まだ状況が理解できていないようだ。


 さらに、畳み掛ける。

「乙姫が生まれた時、地上はどの時代だった? 竜宮城に文明が発達し始めた頃、地球はどんな状態だった?」

「……え、ちょ、ちょっと待って。ちゃんと計算、しよ?」

「じゃあ、倍率を計算するか。まず太郎が実際に竜宮城ですごした時間は、本によって差があるけど、まずは最短で三日としよう」

「……長く見積もった場合は?」

「乙姫と結婚生活を送った場合になるけど……仮に三年にしようか。恋愛は三年で冷めるとか言う話もあるし」

「…………」

 なぜ俺をにらむ? 一般論であって、具体例を挙げたわけじゃないだろ。


「で、地上の経過時間の方。三百年から七百年、といったところかな。まず倍率が一番低い場合、三年と三百年で百倍だな」

「……倍率が高い方、三日と七百年で……うるう年を考慮に入れて、約八万五千二百二十二・七倍」

 さすがに、こういう計算は得意だな。


「さて、先ほどの話だが、まず乙姫が生まれた日。ちょうど二十歳だと仮定して最短で二千年前、最長だと……」

「……およそ十七万年前」

「やっと現代に近いホモ・サピエンスが生まれた頃だな」

「……じゃあ、竜宮城に文明が生まれた頃だと?」

「人間の文明は一万年前ぐらいから記録されているらしいが……」

「……竜宮城の一万年前は、地上では最古で約八億五千万年前」

「エディアカラ紀よりさらに前、まだ微生物しかいなかったころだ」

「……さすがに、さかのぼり過ぎじゃない?」

「やっぱり、数葉もそう思うだろ?」

「……ふぇっ?」

 急に話の流れを変えたせいだろう。数葉が間の抜けた声をあげる。

 うーん。こういうのも、『萌え』とかいうやつに入るんだろうか。いまだよくわからん。


「人類の時代なんて、地球の長い歴史から見れば一瞬。そんな話はよく聞くだろう? だけど、竜宮城の時間が数万倍遅く流れるなら、そうはならない。下手をすれば、地球の歴史からはみ出してしまうかもな」

「……ええと……と、いうことは?」

「だから、この時間の流れの違いは、最初から存在したものじゃない。竜宮城の住人たちが、現代の人間よりもはるかに進歩した文明の力をもって生み出したものなんだ」

「……何のために、そんなことを?」

「この地球を襲った大災害の影響をまぬがれるため」

「……大災害」

 また、数葉の顔が曇ったように見えた。

 これだけ聞くと、さっきの病気ネタよりひどい気もするだろうが……。

 

「まあ、最後まで聞いてくれ。大絶滅は地球の歴史の中で何度も起こっている。だけどそれは、バッドエンドにつながるものじゃない」

 沈黙を肯定とみなし、俺はさらなる仮説を口にする。


「かつて、のちに竜宮城の住人となる生き物たちは、浅い海の中で高度な文明を発達させ、当時の生き物たちと共に平和な暮らしを続けていた。だがある時、地球の生き物の七割の種が絶滅するほどの大災害が起こったんだ。それは、高度な文明を誇っていた彼らの力をもってしても、逃げることも止めることもできないものだった」

「……地球から逃げてたら浦島太郎の話が始まらないとして……止められなかったの? その災害」

「いや、もしその災害が止められてたら、浦島太郎どころか人間そのものが生まれてこなかった可能性がある」

「…………」

 再び何も言わなくなった数葉を置いて、俺は語り続ける。


「大災害による爪痕は大きく、生き残った者たちはいたものの、地上が元の繁栄を取り戻すには長い長い時間が必要と思われた」

 数葉は言葉をはさむことなく、それでもじっと俺を見つめ続ける。


「だから竜宮城の住人たちは深い海に潜り、時の流れを操作した。自分たちがゆっくりとした時間の中で過ごすうちに、地上の傷が癒えるのを期待して」

 話の間、そんな彼女とじっと視線を合わせたまま。

 こんなに女子と見つめ合ったりしたら、少し前だと体調を崩していたかもしれない。そうやって女性に慣れた原因は、彼女の存在が大きい。

 だから、その期待には応えたいが……。


「世代を繰り返し、彼らにとっても長い時間が過ぎた後。そろそろ大災害から回復している頃だろうと、地上へと使者を送ることになる。竜宮城の時間にして数千年、地上の時間に直せば、およそ六千六百万年ぶりに、ね」

「……あ……」

 これで数葉も、地上で起きた大災害とやらが何だったのか、気付いたはず。


「偵察に出るにあたって、その環境に適応するため、地上の生き物に化ける必要があった。でも、深海に隠れ住んでいた彼らは、大災害前の海の生き物しか知らなかった。はたして彼らは、どんな生き物の姿を借りたのだろうか」

「……例えば?」

「小型の種だと、肉食獣の餌食になるから、ある程度大きな……生態系の上位に位置する種がいいな。首長竜。モササウルスのような大型の海生トカゲ類。サメ類。シファクティヌスのような大型硬骨魚類。アンモナイト。そして……」


「「亀」」

 二人の声が重なった。

 やっといて何だが、なんか背中がムズムズする。不快な気分ではないが……何だろうな、これ。


「だいたいこんなところだろう。ちなみに大型の海生哺乳類はまだいなかった」

「……魚竜は?」

「例の大災害は白亜紀の終わりなんだけど、魚竜はそれより少し前、九千万年前ごろに姿を消している。あと、大型の海生ワニもジュラ紀にはいたが、白亜紀にはほとんど絶滅した」

「……ジュラ紀って、ティラノサウルスとかもいたよね」

「有名な映画とかのせいもあって、誤解している人が多いんだけど、ティラノサウルスやトリケラトプスはジュラ紀ではなく白亜紀の恐竜だぞ。ジュラ紀は白亜紀の前の時代だ」

「……えぇと、それで、いま何の話をしてる?」

「地上に出た乙姫、または竜宮城の使者が……」

「……ふぇ?」

「ん? どうかしたか?」

「……い、いや、何でもない」

 ……はて……? いや、まあいいか。


 えーと、いま何の話をしているか、だったっけ。

「竜宮城の使者が……面倒だから乙姫でいいや。地上に現れた彼女が、亀の姿をとっていた理由」

「……つまり、さっき挙げた中から、どうして亀を選んだか」

「そうなる。甲羅を持ち、高い防御力を備えている。肺呼吸であり、ひれを用いて短時間であるが陸上でも活動可能。戦闘力はないが、狩りに行くわけでもなし、それほど重要でもないだろう」

「……でも、それが裏目に出た、と」

「もうひとつ言うなら、人間を含む哺乳類が、なぜ変身の対象とならなかったか、だな」

「……そもそも哺乳類を知らなかった、と」

「うん。まあ、乙姫だって生物に詳しかったわけじゃない。決して亀が最適解ってわけでもないだろうけどな」


 さて、そろそろこの物語も、ついでに部活の中断も、終わりにしよう。

「だが地上は、乙姫たちの予想をはるかに超えた速さで回復していた。彼女は今までに見たことのない生き物に遭遇し、襲われ、そして救われる。かくして物語のバトンは、浦島太郎へと渡されることになるわけだ」

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