死に至る病

「…………異変……?」

 数葉は俺の言葉を、これまでになくか弱い口調で繰り返す。


「傷の直りが遅くなったり、時には古傷が開いたり……歯は抜け、体にはあざができ、皮膚は乾燥し、体に力が入らなくなる。まるで老化が進んだかのように……誤って玉手箱を開けてしまったかのように」


 数十秒、いや一分近くかかったか。数葉はしばらく黙って考え込んだあと、再び口を開く。

「……それは確か昔……」

「いや、昔じゃない。それは太郎がもといた時代からみれば数百年後、船乗りたちが大いに苦しめられることになる、あるやまいと同じだ」


 そんな俺の言葉を聞き、数葉は何やら思いつめた表情で結論を口にする。

「……壊血病かいけつびょう……」

「その通り。その正体は、海産物からはほとんど摂れない、ビタミンCの欠乏症だ」

「……太郎の時代には、壊血病の治療法はなかった?」

「治療法どころか、壊血病そのものが知られていなかったはずだぞ。知られるようになったのは確か、13世紀以降の大航海時代だ」

 また数葉は、目を伏せ思考に沈む。まるで乙姫たちの代わりに、太郎を救うすべを探すかのように。


「竜宮城が海の中ならば、そこの住人たちはほぼ海産物だけで生きていけたはず。でも太郎はそうはいかない。のちの世の船乗りたち同様に、生きていくために必要なものが足りなくなる」

「……乙姫たちには、ビタミンCに関する知識はなかったの? 文明は地上より、ずっと進んでそうなのに」

「ビタミンCよりもむしろ、人間が特殊な例なんだよ」

「……特殊? 人間が?」

 そう言いつつ数葉は、自分の手や体を落ち着かない様子で眺めていた。

 いや、そんな外から見てわかるようなもんじゃない。


「哺乳類の中で、モルモットと一部のサル、そして人間だけが体内でビタミンCを合成できない。本来持っていたはずの能力を、なぜか進化の過程で失ってしまったんだ」

「……じゃあ、それさえなければ人類は、もっと野菜を食べろとか言われずにすんだ?」

「いやそういう問題か?」

 さっきからの暗い表情は、そんな問題で悩んでいたんじゃないような……。

 っていうか、野菜はちゃんと採れよ。


「いずれにせよ、竜宮城の住人たちは人間の体をよく知らず、太郎を救うすべもなかった」

 何やらまた、普段は見せることのない悲しげな表情。


「……いや……」

 あれ? 何か地雷踏んだ?


「……ハッピーエンドを、所望しょもうです……」

 ああ……言いたいことはわかる。

 わかるけど……。


「いや、まだ話は終わってないぞ。よくあるだろ、SFとかで。難病の治療法が見つかるまでコールドスリープするやつ」

「……あるけど……あるけど……」

 やはりお気に召さなかったか。


「だから、太郎は未来に送られる。竜宮城の住人たちか、地上の人間たちが壊血病という病を知り、原因を見つけ、そして治療法を確立するその日まで」

「……そして浦島太郎は、七百年寝太郎に」

 だからそれは別の話だって。


「とはいえ、人間の世界において壊血病の予防法がある程度確立するのは十八世紀から十九世紀、ビタミンCの発見は二十世紀になるぞ」

「……つまり、太郎を助けたのは、乙姫?」

「そうなるな。そして地上に戻った太郎だったが、彼の家も、彼を知る人々もすでにこの世にはなかった。悲しみにくれる太郎を見かねた乙姫は再び彼を竜宮城に招く。さすがに過去に遡るすべなどはなかったが、太郎の心の傷は乙姫により癒され、二人は結ばれて幸せに暮らしましたとさ」

 めでたしめでたし。


 ……とはいかないみたいだな。数葉の表情を見るかぎり。

 やっぱり病気ネタとかがまずかったんだろうか。


「これでも一番いい未来選んだつもりなんだが。他のだと、もっと酷いことになるぞ」

「……例えば?」

「二人の結婚に反対した家臣たちが、太郎を乙姫のいない未来に送ったとか。竜宮城の存在を隠蔽いんぺいするために、太郎を知人たちから引き離したとか」

「……にゅううう」

 そうにらむなよ……。

 そんなのしか思いつかん俺にも問題があるんだろうけどな。


「とはいえ、そんなこと言われてもなあ……原典からしてほぼバッドエンドみたいなもんだから……」

 さて、どうしたものやら。

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