声に死を許して

諸根いつみ

声に死を許して

 レオが連絡してきたのは、あいつの葬儀から一か月ほどあとのことだった。

 俺のもとには、某有名女性歌手のツアーに帯同してくれないかという依頼も舞い込んできていたし、新しい仕事への足場を固める準備で忙しくしていたこともあり、レオからの電話は、煩わしいものでしかなかった。もうお前と一緒に仕事をする気はないと伝えても、レオは、そういうことではなく、どうしても会って話したいことがあると言ってきた。

 レオが会う場所として指定してきたのは、あるファミリーレストランだった。あいつとレオと俺で、よく行っていた店だった。あえてその場所を選んだということは、よくない予感がした。

 レオはまず、何枚もの資料を俺に見せた。最新ボーカロイドソフトの宣伝資料。悪い予感は確信に変わったが、俺はあえて、「これがなんだ?」と、レオの口から言わせるように水を向けた。

 やはりそうだった。レオは、あいつの声を売ろうと提案してきたのだ。

 俺が、そこまで金が欲しいのかと罵ると、レオは激しく否定した。

「金が欲しいんじゃないよ。なんなら、売り上げは全部慈善団体に寄付してもいい。俺は、あいつの声を残したいだけなんだよ」

 今まで俺たちがつくってきた曲があるじゃないかと言っても、レオは首を横に振った。

「それだけじゃ全然足りないよ。あいつ、死ぬのが早すぎだよ。あいつに歌ってほしかった曲が山ほどある。まだ俺も作曲家として成長の途中だから、これからどんどんいい曲ができそうな気がするし。あいつが死んでショックだけど、なんか逆にどんどん創作意欲がわいてきてるんだ。その曲にあいつの声を乗せたいんだよ」

 俺は怒りに口を閉ざした。自分だけがそう思っているみたいな面をしやがって。

 レオは俺の沈黙を迷いと受け取ったのか、あいつの家族にはもう話をつけてあるということまで言い出した。あいつの家族や俺たちのためだけじゃない。俺たちのバンドは目指していた地点まで到達しないまま終わってしまって、もうどうにもならないけど、あいつの声はまだ生かすことができる。あいつの才能は俺たちが一番よくわかってるはずだ。埋もれさせていいものじゃない。もしかしたら、何年後かに天才的作曲家が現れて、ものすごい名曲をあいつの声に歌わせてくれるかもしれない。そういう可能性があるって、すごく嬉しいことじゃないか?

 俺は話を聞いているうちに、レオが気の毒になってきた。こいつは、まだ現実を受け入れきれていないのだ。同じ夢を追いかけたあいつはもういないのに。

 最終的に、俺はレオの提案を受け入れた。売り上げの半分をあいつの家族に平等に、あとの半分を、きちんと実態を明らかにしている慈善団体に寄付するという条件で。

 どうせ売れないだろうと思った。それほどメジャーとは言えないバンドの早逝したボーカリストの声をボーカロイドソフトにしたところで、誰が興味を持つのか。レオだって、そのうち現実を受け入れて、あいつはもう過去の存在なのだと悟るだろう。今までも、レオの単独の楽曲制作の仕事もあったし、彼の作曲能力なら、この先も十分に音楽業界でやっていけるはずだ。今までとは別の仕事をしているうちに、忘れる。


 そう思っていたが、あいつの声をもとに製作されたボーカロイドソフトは、なかなかの売れ行きだった。

 厚かましくも、レオが見本を送ってきたが、そこには、あいつのプロフィールも記載されていた。しかし、商品名としてつけられている人名は別のものになっている。そのほうがいい。これはあいつそのものとはまったく別物だから。

 俺のもとには、ファンからの様々なメッセージや曲が送られてくるようになった。売り上げの扱いに関する説明も記載されているのに読んでいないのか、あいつの声を不当に商売道具にしているという批判もあった。しかし、そのような意見はほんの一部で、ほとんどは好意的なものだった。

 ファンからのメールやレビューによると、ソフトのクオリティは申し分ないらしい。ギターを弾くしか能のない俺だって、最近のソフトは一昔前のボーカロイドソフトとは違い、簡単にかなり自然なボーカルを作成できることは知っている。有名歌手やアイドルの声を素材にしたソフトもたくさん売られているし、それらを使ってつくられた曲も聴いたことがある。それらは人間が実際に歌っているものと区別がつかないものがほとんどだ。

 しかし、ファンがつくって俺に送ってくる曲たちは、実際のあいつの歌とは似ても似つかないものばかりだった。確かに、あいつの声以外には聞こえないし、あいつが多用していたニュアンスのつけ方もよく再現されている。あいつの歌を熟知しているファンならではの曲だと思うものもあった。

 しかし、やはりあいつの生の歌とは違った。素材となる声を録音してつくったのではなく、今まであいつが歌ってきた音源を分析してつくったソフトだからかもしれないとも思ったが、同じ方法でつくったソフトでつくられた曲も、録音してつくったソフトと変わらないクオリティのものもある。何年も前に死去した歌手の声を分析してつくられたソフトでつくられた曲が、最近もヒットチャートに上ってきていて、生き返ったようだという評判だった。

 俺にとっては、あいつは完全に死んだままだった。その理由はよくわからない。あいつの歌を聴きすぎたのかもしれない。あいつが死んでから、まったく聴いていないのに。とにかく、あいつの声と、あいつの声をもとにしてつくったソフトの声の違いは明らかだった。

曲を送ってくるファンが俺になにを求めているのかは知らないが、俺にできることはなにもない。今まで応援してくれたことに感謝するだけだ。

 俺は新しい道を進んでいた。来る仕事はすべて受けたし、全力を尽くした。ミスもしなかったし、関わる人すべてと上手くいっていた。

 それなのに、徐々に仕事は減っていった。なぜなのか、よくわからない。俺は天才ではないが、演奏力には自信がある。それでも、仕事に対して手ごたえがなかった。生活が苦しくなっていく中、どうしてなんだと考え続けて、やはり俺にはミュージシャンとしてなにかが欠けているのだということだけがわかった。それがなんなのかはわからなかったが、そこから先の思考の道は岩に閉ざされていた。

 少し前までは、借金をしてまでも新しい機材をそろえていた。いつか返せるという自信があったからだ。その自信もなくなり、機材のメンツは停滞し、人脈を広げるのも面倒になり、誰とも連絡を取らず、誰とも会わない日々が続いた。

 レオから連絡はなかったが、仕事は順調らしかった。様々なアーティストのもとで、作曲やらマニピュレートやらプロデュースやらの仕事をやっているらしい。きっと、ひとつのバンドで作曲とシンセをやっていた頃より、今のほうが充実しているんじゃないだろうか。

 俺はまた新たな道を進むことにした。地元に帰り、実家のラーメン屋を手伝い始めた。両親はむしろ喜んだ。あいつやバンドのことに触れてこないことはありがたかった。

 しばらくは未練に苦しめられるのではないかと思っていたのに、俺の心はあっさりと予想を裏切った。倉庫に預けていたギターも処分した。そのおかげで多少の収入があり、両親を旅行に行かせることもできた。

 気持ちは穏やかなまま、左の指先の皮が薄くなっていき、湯切りをする時に使う右の手の平の皮が厚くなっていった。手がギタリストのものからラーメン屋のものになっていくのも、残念とは思わなかった。

 しかし、俺の提案で、店のカウンターを新調し、古い木のカウンターが運び出される時、あいつのことを思い出した。昔、あいつがこの店に入り浸っていた時期があったことを。

いつもカウンターの一番奥に座り、ラーメン一杯で何時間も居座っていた。閉店しても、帰りたくないと駄々をこね、結局は俺の部屋に押しかけてくるのが常だった。一緒にバンドを始める前のことだ。

 カウンターが新しくなった時、これを新調しようと提案したのは、無意識のうちにあいつを思い出すからではなかったのかと自分に疑いを持った。やはり俺は囚われているのではないかと。

 あの頃は、ああいう図々しいところも笑って許せた。一緒にバンドを始めてから、あいつにはボーカリストとして本当に特別な才能があることを知り、ただの友達だったのが、共に人生を賭ける仲間になった。

 しかし長い時間を共にするうちに、あいつのいろいろな面が見えてきて、うんざりすることも多くなった。時間を守れないとか、気分の浮き沈みが激しいとかはまだいい。あいつの正直すぎるところが、俺とは合わなかった。俺に対してだけではなく、あいつのほかの人に対する接し方にも、俺は思わず反発してしまった。そんな権利はないと知っていたのに。お前には関係ないとあいつに言われると、さらに腹を立ててしまう悪循環。

 俺の冷静さを奪うあいつが俺は嫌いだった。あいつの歌は大好きだったが、あいつの性格は許せなかった。あいつがこんな性格じゃなければ、もしくは俺が違う人間だったら、もっと上手くやれたのに。今よりずっとなにもかもよかったのに。何度もそう思ってしまった。

 一緒にバンドをやらなければ、あいつのことなんてとうに忘れていただろう。でもやっぱり忘れられないのだな、と思った時、あいつの声を聞きたくなった。

 久しぶりに音楽アプリを立ち上げた。俺たちのバンドの曲どころか、音楽自体、何か月も聴いていなかったのだ。ライブラリに行く前に、何気なくストアをのぞくと、あのソフトの名前が目に飛び込んできた。

 俺は目を疑った。例のソフトを使った曲がチャートのトップに鎮座していた。なにかの間違いかと思いながら、俺は再生ボタンを押した。

 やはりなにかの間違いだった。あいつの声じゃない。と思ったのは一瞬で、ひとつのメロディが終わる前に、俺はこの作曲者の意図を完璧に悟った。

 低音には深みを、高音には緊張を。レンジは広めで倍音を増やす。この声は慎重に操作されている。この操作が与えているのは、劣化ではなく、成長の年月だ。おそらく、十年くらいか。

 あいつが年を重ねたら、こういう声になったのではないかと、この作曲者はシミュレートを試みたのだ。俺は見くびっていた。ソフトの機能も、俺以外の人間のあいつの声に対する理解も。

 しかし、感心よりも、怒りのほうが圧倒的に勝った。あいつの声からなにかを奪うのはまだ許せる。でも、なにかを与えるのは、本当の冒涜ではないか。あいつはもう変化しない。変化しないということは、もう完璧に完全に完成しているということなのに、どうしてその事実を揺さぶるようなことを平気でしてくれるのだ。

 俺は作曲者情報の欄を見た。そこには、何年も見たことのない名前があった。

 デビュー前に、レオが使っていた芸名だった。俺の怒りはさらに募った。レオは、俺がこの曲を聴くことも見越していたのだ。あえて昔の名前に変えたのは、なにも知らせなくても、俺が気づくとわかっていたから。考え方が相いれない俺をおちょくっているのだ。いや、レオのことだ。これで俺がレオに連絡すれば、絆を確かめられるとでも思ったのかもしれない。もしそうだとすれば、やはりレオと俺は決定的に相いれない。

 あいつの声を聞きたいという衝動は、すっかりどこかへ消えた。


 わかっている。レオは俺を怒らせるつもりなんてない。レオはあいつを尊敬しているし、あいつの歌が好きなのだ。レオと俺は同じ。でも違うところがありすぎて、遠ざかってしまう。

 レオから再び連絡があったのは、あの曲はレオがソロアーティストとして書き下ろした第一曲目で、映画のタイアップの影響もあってチャートのトップになったということがネットの情報から判明して、さらに何か月も経ってからだった。

『データ整理してたら、埋もれてた曲が出てきた。あいつがつくったデモ音源。送られてきたまま一回も聴かずに忘れてたらしい』

 というメールに、三分間ほどの音声データが添付されていた。

 またよくない予感がした。埋もれていたデモ音源が今更見つかったなんて、怪しい。確かに、あいつがデモをつくってレオに送ることは普通にあったが、それを忘れるなんてことがあるだろうか。まあ、レオもあいつも、酔っ払って前後不覚になることもあったし、なにがあっても不思議ではないとも言えるが。

 俺は深呼吸をしてから、その曲を聴いた。

 確かに、あいつの声だった。簡単なリズムとアコギの音だけが入っている。あいつらしい雑さと、デモでの歌独特の照れたような力の抜き方。この曲調は、それまで全然聴いてこなかったジャンルの、ある海外アーティストにハマっていた頃にあいつが模索していた感じのような気がする。

 連続して十回聴いた。すると、疑いも不安もわだかまりも、どうでもよくなった。

 それから、ずっと聴いていなかった、俺たちのバンドの曲を聴いた。一気にアルバムを三枚通して聴いた。それが俺たちの歴史だった。

 聴き終わって息をついた。その時、レオから着信があった。すごいタイミングだ。

 聴いたか、と挨拶もなしに言ったレオに、俺は「うん」と答えた。

「どう思った?」

 スマホ越しのレオの声は無感情だ。

「どうって別に。なんであいつが送ってきたのに気づかなかったの?」

「いい曲だと思った?」

「いい曲だよ。特にサビ前のコード感が。で、質問に答えろって」

「お前、もう一回俺と仕事する気ない? ギタリスト探してるんだよ」

「は? 俺、もう音楽辞めて地元帰ったんだけど」

「知ってる。もちろん、お前がそれで幸せなら、無理強いはできないけど、もうこれきりって、俺は嫌なんだよ。お前、本気で音楽やってるんじゃなかったの?」

「いきなりなんなんだよ」

「俺のつくる曲、いいだろ? あれ聴いた?映画の影響もあって、結構売れたやつ。もしかして怒ってる?」

「なんであんな加工するんだよ」

「聴いてくれたんだ。いい感じだろ。もしあいつが生きてたら――」

「生きてないから」

「聴いてくれたならわかるだろ。俺って作曲家として才能あるって。これからもどんどんバリバリやるから。だから一緒にやろうって」

「勝手に一人でやってくれよ」

「今つくってるデモもめっちゃいい感じなんだ。できたら送るから聴いて」

 この話の流れを頭の中でたどり、俺は冷えた血を言葉に吐き出した。

「埋もれてたデモって、嘘だな。お前が最近つくったんだろ」

「ごめん。こうでもしないと、俺の曲聴いてくれないんじゃないかって思って」

「なんで」

「俺とはもう関わりたくないんだろ。あいつはもういないって実感するから」

「普通に頼んだら聴いたのに」

「怒ってる?」

「別に。でももう連絡してくんな」

「俺はまだ終わったと思ってないから。未練たらたらのストーカーみたいなこと言って悪いけど、俺、お前が乗り越えるまで待ってるから。お前にはそれだけの価値がある」

 俺は返事をせずに通話を切った。

すぐさま、レオの連絡先を削除した。乗り越えるまで待つ? 乗り越えられてないのはお前のほうだろ。

しばらく、全然関係のない曲を聴いて、気持ちを落ち着かせようとした。でも、すべては俺の表面を滑り落ちていく。

 俺の目の前にあるのは、長年使っているノートパソコンだ。これで録音もしたし、バンドのホームページもつくり、俺たちの音源を再生した。

 俺は立ち上がり、パソコンをつかむと、床にたたきつけた。何度も踏みつけても、なんのダメージも受けていないように見える平べったい物体を睨みつけている自分を想像すると馬鹿らしくなり、床に座り込んだ。

 自分を馬鹿にして笑おうとしたが、笑えなかった。頭の奥がジンジンとしびれる。レオもあいつも憎い。かつては大好きだったのに。それほど昔ではない。それなのに、どうしてこんなに変わってしまったのだろう。

 しかし、一番憎いのは俺自身だった。分析されたデータから構築された声と、あいつの本当の声を聴き分けられなかった。つぎはぎの音のパッチワークと、何度もそばで聴いてきた、あいつの体から出ている声の区別がつかなかった。

 俺のせいではなく、技術の進歩のせいにすることはできる。レオのデリカシーのなさ、無邪気に人を見下している安っぽい性根のせいにすることはできる。でもそれは全部言い訳だ。俺が、俺の期待していたものではなかったということ。俺は俺が嫌いだ。こんな自分とこの先もずっと一緒にいなければいけないなんて、こんな絶望があるか。

 その時、あいつのつらそうな表情が目に浮かんできた。あいつは、泣き言もたくさん言ったが、本当につらい時は、黙ってすべてから目をそらし、あいつにしか見えない景色を見ていた。歯を食いしばる様子もなく、ただ無表情に。それでも、あいつの気持ちが伝わってくるような気がした。俺の勘違いだったかもしれないけれど、あの時は確かにそう思ったのだ。

 その顔を見ると、俺は癒された。俺自身がつらい時に、その表情を思い出すと、俺の苦しみよりもあいつの苦しみのほうがずっと深いのだと思い、俺の問題なんてたいしたことはないと思えたから。

 とことんひどい人間だ。そんなつもりはなかったとはいえ、あいつが苦しんでいるのを喜んでいたんだから。もっと気遣うというか、寄り添うというか、いや、そんな簡単なことじゃなく、もっと違う心で一緒にいるべきだった。それでもなにも変わらなかったとしても。

 こんなに後悔にまみれているのに、気がつくと俺は再び同じ気持ちになっていた。

人はみんな平等に同じ価値があるなんて、綺麗事の嘘だ。あいつは俺なんかよりもずっと価値のある人間だった。そんなあいつを押しつぶした苦しみに比べれば、俺のこの脳内の不快なノイズなんて、取るに足らない。

 俺は部屋を片づけ始めた。


 それから数年が経った。音声の加工技術はさらに発達し、過去の歌手の新譜もリリースされ続けていた。別の言語に変換することもできるので、歌手や俳優の活動は国境を失くしていた。

 いいことばかりではない。証拠偽造や名誉棄損など、加工技術の進歩によって様々な犯罪や裁判沙汰が起こっていた。それでも少しずついろいろな問題に対して策が講じられ、人々に受け入れられていった。

 あいつの声をもとにしたソフトは、忘れ去られていったらしい。もちろん、俺たちのバンドも、俺のミュージシャンとしての経歴も同じく。

俺は訪れた平穏にほっとしていた。ある日、かつて一緒に仕事をしたことのある音楽ディレクターが突然俺の店に来た時、なつかしさしか感じなかった。

「近くまで来たから。レオから場所を訊いたんだよ。塩ラーメンね」

 彼女は、あるバンドのツアーに顔を出してきたところだと言った。「スタジオでふんぞり返ってるだけじゃつまらないし、地方の反応も見てみたいからね」と微笑む。

「実はわたし、レオと結婚するんだ」

「え? そうなんですか?」

 俺は驚いてラーメンのどんぶりを落としそうになったが、なんとかこぼさなかった。

「へえ。おめでとうございます」

「式にあなたも呼べばってレオに言ったんだけど、困らせるだけだからってレオが。そんなことはまあいいんだ。元気そうでよかった」

「おかげさまで。レオは今どんな仕事してるんですか?」

 彼女は、いくつかのアーティストや映像作品の名前を挙げた。

「作曲家として結構忙しくしてるよ」

「そうなんですか。すごいですね」

「知らなかった?」

「知らないうちに曲は聴いてるかも」

「レオってほんとに作曲馬鹿だね。依頼された仕事以外の曲もつくってるから、またソロでもやるのって訊いたら、いや、趣味でつくってるって」

「やつらしいですね」

「それも、いまだに彼の声のソフト使ってるんだよ」

 彼女はあいつの名前を口にした。

「リリースすればいいのに、したくないんだって。いつか、あなたに送ろうか迷ったこともあったみたいだけど、いや、もっといい曲できてからにするって。でも、もう何百ってストックしてあるんじゃないかな。全部彼の声で」

「へえ……馬鹿なのかな」

「いつか聴いてやって」

「その話をするために、来てくれたんですか?」

「別に。たまたまだよ。レオには今日ここに来ること言ってないし。でも、あなたに会ったこと、話してもいい?」

「もちろん。頑張れよって言ってたって、伝えてください」

「わかった。喜ぶと思う」

 その日から数週間後、知らない連絡先から、大量の音声データが送られてきた。聴いてみると、あいつの声を含んだ曲だった。なんの言葉もなくても、レオから送られてきたものだとわかった。せめて数曲に絞ってくれよ、と思いながら、数十曲を何日かかけて聴いた。すべて、あいつの声を使った曲だった。

 俺は、レオにメッセージを送ろうと思った。でも、なんと言葉をかけていいのか、なかなか思い浮かばなかった。この曲数をもってしか実行できないレオの試行錯誤、それをさせる気持ちがわかった気がして、俺は満足だった。だから、レオになにかを言って、発散したり、解消したりする必要がなかったから。

 そして気づいた。俺は誰かのためになにかを言ったことは一度としてなかったんだなと。レオは、俺のためにいろいろな言葉をかけてくれたのに。お前には価値があると言ってくれたのもきっと、俺にレオと一緒に仕事をさせるためではなく、俺自身のためだったのだ。レオは、俺がいなくたって、立派な仕事をしているんだから。

 初めて、レオのために言葉をかけたいと思った。でもそんなこと、俺のような器の小さな人間がしていいことなんだろうか。そんな資格はないのかもしれない。でも、レオはこれを送ってくれた。

 悩みに悩んだ末、『結婚おめでとう』とだけ送った。『おう』とだけ返信がきた時、なんだか滑稽に思えて、笑ってしまった。


 レオの披露宴の二次会で、久しぶりにしこたま飲んで、気持ちよく意識朦朧としていた。いつの間にか隣にいたレオも、かなり酔っぱらっているようだった。

「おいラーメン屋、俺の曲聴いたの!?」

 やっと尋ねてきた。

「聴いたよ!」

 周りで騒いでいる友人連中がうるさい。聞こえるように、渋々レオに身を寄せる。

「レオさ、もういいから。もう怒ってないから」

「俺、もうあいつの声で曲つくるのやめる」

 レオはきっぱりと言った。

「そっか。やっと乗り越えたか」

「そんなんじゃないよ。これで完成だから」

「完成?」

「あいつと俺たちの思い出が完成」

 俺は声を上げて笑った。

「もうとっくに完成してるんだよ」

「ああそっか」

 わかったようにうなずいたレオのふやけた顔がおかしかった。どんなにいじくりまわそうが、あいつが完璧なことは、あの絶望の日からなにも変わっていなかった。そのことに気づくのが、少し遅れてしまっただけ。

 レオと俺の思い出も、今日で完成ってことでいいかもしれない。もうこれきり会わなくても、それでいい。続けても、別に構わないんだけれど。どっちでもいいか。

 俺たちには、まだ未来への時間がある。

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声に死を許して 諸根いつみ @morone77

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