第2話【失われた黎明】
『いなり喫茶店』と書かれた真裏。
木の枝に、首周りが白いカラスが一羽
その下には靴下を履いたような黒猫が木の根っこに
二人の視線の先にはバルコニーと大きなガラス窓があり、季節外れの暖かさ
窓際のテーブルには母親らしき人物が二人。髪が短い方の隣にはベビーカーがあり、一歳半ほどの赤ちゃんが眠っていた。
バルコニーでは四歳くらいの子ども二人がケラケラとそれぞれの世界観で遊んでいた。
「ねぇレトロ? あの人たち一年前にも来たよね」
「そうかしら? 興味がないから覚えてないわ」
レトロと呼ばれた猫は確かめる素振りもなく言った。
「あの赤ちゃん、もうあんなに大きくなったんだなぁ」
「……なによベア。近所のジジィじゃあるまいし」
レトロは眠たげな声で言った。
ベアは今では人間らしくなってきた赤ん坊を
母親達は子どもや自分達の話で盛り上がっていた。あれが欲しい、痩せたい、綺麗になりたい、など願望ばかり。あとは子どものあれができない、これが大変、といった内容であった。
母親達はペチャクチャお喋りをし時々大笑いをしているが、笑っているときでさえ瞳の奥は子どもたちを監視する
「…………人間の母親も割りと野性的よね」
それを見ていたレトロは少し引きつったように笑った。
「……そ、そうだね」
母親達の鋭い眼光にベアも本能的にたじろいだ。
髪の長い母親が騒がしい子を
「あ、またやった」
「またって何よ」
「前も同じことをしたんだよ。一年前。あのときも水をエルボーしてた」
「エルボーって……。あんたの記憶力には
レトロは皮肉めいて言ったが、ベアには伝わらなかった。
暖かな
「でもさ、不思議だよね」
「なにが?」
カウンターでベアの左隣に座る少女が尋ねた。
「レトロも見たでしょ? 今日のお客さん」
「?」
「もう覚えてないの!? 信じられない!」
ベアの椅子の上には高さを調節する為の箱が積み上げられているが、驚くベアの
レトロと呼ばれた少女は首を
「あー、今日のお子ちゃま達のことかしら?」
「そうそう! さすがミョウメイ」
ミョウメイと呼ばれた彼はカウンターを挟んだ所にいた。
「子どもは一年であんなに成長するのに、大人は一年かけても何にも変わってない。話の内容だって前とあまり変わらないし、なんでかな?」
「それはそうでしょ。見て取れる成長は子どもの方が大きいわよ」
レトロは至極当然のことのように言うが、ベアはあまりピンときてなかった。
「んー。そういうことじゃなくて……。人間って生きる時間がたくさんあるのに生きてないなって思ったの」
「はぁ? なにそれ」
レトロは驚いたような、呆れたような顔でベアを見る。ベアは
「僕は限られた時間、色々知りたいし学びたい。やりたいことは全てしたい。だけど人間ってある程度の歳までくると、それが無いようにみえる。あの母親達だけじゃなく、
レトロは面倒くさいのか、ただ黙って聞いているだけだった。ミルクティーに浮かぶ氷を指で
「僕は
ベアが言い終わると、カウンター越しに話を聞いていたミョウメイが
「ベア。自分が見てる世界が全てじゃないのよ。ベアが必死に生きてるのは知ってる。だけど、貴方は人間の何を知ってるの? 私達のことも生きてないように見える?」
普段より低い声でミョウメイはカウンター越しにベアに詰め寄る。
「こんなに近くに居る人間ですら貴方は知り得てない。全て見ていない貴方に言われる筋合いはないはずよ」
珍しくミョウメイが真剣な口調なのでレトロもベアも驚いていた。
「人間からしたら貴方もただのカラス。ただ死ぬだけのカラスよ」
「……そうだね。ミョウメイの言う通りだ。当事者じゃない自分には誰も責められないや。……謝るよ」
ベアはミョウメイの発言を聞いて態度を
「……焦る気持ちはわかるわ。時間が少ないものね」
溶けていきそうな黒い物体を見てミョウメイは優しい
「そうだ! チンパンジーなんかどう?!」
「はぁ?」
「だからチンパンジー! 彼らは一番人間に近いですもの!」
ミョウメイはカウンターから身を乗りだしながら興奮気味に言った。
「そうか! なんで今まで思い付かなかったんだろ!」
凝固したベアの顔がぱぁっと明るくなった。今度はその明るさで溶けてしまいそうだった。
「そんな簡単に行くとは思えない」
ネガティブな発言は顔を
「これはこれは! ようこそ!」
「こんにちは」
大勢の中から、年老いたチンパンジーが手を広げながら朗らかに話しかけてきた。
ベアはミョウメイに教えてもらった動物園のチンパンジーのエリアを訪れていた。そこは岩山で、周りには高い壁がそびえ立っていた。その高い壁の上から見物客がこちらを見下ろしている。
平地に緑はあるが、ゴツゴツとした岩山と無機質な壁の
タイヤのブランコや木材で作られた遊び場のようなものがあり、岩山には削られたように
「あなた達はこの世界で幸せ?」
「それはそれは、とても素晴らしい世界ですよ。ねぇ?
老いたチンパンジーは後ろを振り返り、周りのチンパンジーに尋ねた。
周りのチンパンジー達も、ええ、そうとも、そうですわ! と口々に語った。
「なによりもここを治める
「偉大?」
「ええ。こうして争いもなく穏やかに暮らせているのも、あのお方のおかげなのです」
また周りのチンパンジーはウンウンと
「そうなんだ。そのお方には会わせてくれるの? ええっと……」
ベアは老いたチンパンジーを見て、何と呼ぼうか考えた。
「ああ、これは失礼。私はルーベルトと申します」
ベアの
「僕はベアです」
「ベアさんですか。素敵なお名前で」
にっこりと笑う。実に甘ったるい顔。
「先程の申し出ですが、すみません。あのお方……パウロ様に会わせることはできません」
「どうして?」
「パウロ様は部屋から出ることは
ルーベルトは残念そうな顔を左右に振り、上げている手をだらりと下げる姿は自分の感情を
「へぇ……。え? でも、ご飯とかどうしてるの? さすがに出てこないと食べられないでしょう?」
「そこは
今度は胸にポンッと手を当て、誇らしげに言った。
「ふーん……。でも『滅多に』ってことは、会える日もあるってこと?」
「ええ。月に一度、集会があるのです。そのときにはお出になられますよ」
そう言うとルーベルトは腕を組ながら上を向き、指を折り曲げ何やら数え始めた。
「ああ、そういえば今日でしたね。ベアさん! パウロ様に
「本当? やったぁ!」
ベアは喜ぶのもそこそこに、パウロに何を質問するかで頭がいっぱいだった。
そんなベアをルーベルトは相変わらず笑顔で見ていた。
夜まで時間があるからと、通された場所は同じく岩と少しばかりの緑だけで代わり映えがなかった。違うのは、沢山の食事がテーブルを
「わぁ! すごい! こんなにどうしたの?」
「みんな集会の為にエサを少しとっておくんです。そして当日にこうして食事会をするんですよ」
声からして若めのチンパンジーが優しい
ルーベルトはベアをここに連れてきたあと他にやることがあるからといって、このチンパンジーにベアを
「お祭りみたいな感覚かな」
綺麗に並べられた果物をよく見てみると、日にちが
食事も落ち着き、チンパンジー達はそれぞれ会話を楽しんでいる。
「どうやったら人間になれると思う?」
ベアも近くにいたチンパンジー達と会話をしていた。
「んー、難しい質問だね」
「そう思う心が
「そんなことは聞いてないのよ。ベアさんは根本的な解決が欲しいの。もっと真剣に考えなさい!」
周りのチンパンジー達はニコニコとしながらも真剣に話を聞いてくれた。様々な意見が飛び交う。そんな様々な意見に
しばらくしてルーベルトがやってきた。
「楽しくやってますかな?」
「そりゃもう! こんなにもてなされたことなんてないよ!」
「ほぉ? それはそれは良かった」
ルーベルトはニコニコとしながらベアの隣に座った。よっこいしょ、と吐く息に混ざるように小さく聞こえた。
ルーベルトは
「私達は本当に幸せです。代わり映えのない景色ですが、かけがえのない仲間達と仲良く暮らせている。幸せです。……なにより
周りのチンパンジー達を見るとさっきと同じようにウンウンと頷いていた。
「……昔はね
「え? そんな風にみえないけど」
確認するように辺りを見渡すベアを横目にルーベルトは
「昔の
「……とんでもないやつだなぁ」
「そんなある日、パウロ様は立ち上がったのです!」
ルーベルトそう言うと力強く拳を握り顔を上に向けた。
「最初は
ルーベルトは今度は手の内を見せるようなポーズをしてみせた。
「そして見事に勝利を勝ち取った彼は新たな
またも感情を
「へぇ。英雄なんだね」
ベアは淡々と言う。それを聞いたルーベルトはニコッと幸せそうに笑った。
「ええ。私達にとってなくてはならない存在なのです」
急ぐように日が落ち、動物園は静寂に包まれた。石同士を叩くようなカチカチと乾いた音が響く。その音につられてチンパンジーが緑の平地にゾロゾロと集まってきた。これといった決まりはなく
ベアも
皆が集ったのを見計らうように、突出した岩の上からルーベルトに支えられながら一匹のチンパンジーらしきものが出てきた。
らしきもの、というのも顔に
「皆さん、今宵もお集まりいただきありがとう! これから集会を始めます」
そう言うと、ルーベルトはパウロの顔に耳を近付ける素振りをみせた。ウンウンと頷き、それから下にいる皆に告げた。
「パウロ様から
集会は短かった。終始ルーベルトが代弁するだけで結局パウロの声は聞くことが出来なかった。それでも、お言葉が終わるとチンパンジー達は拍手をしたり指笛を鳴らしたりしていた。ベアにとってその光景はチンパンジー独自の
賛美歌が終わるのと同時に、ベアはパウロの
「こんばんは。パウロさま」
岩穴に帰る途中のパウロを支えていたルーベルトは驚いたように振り返った。
「ベアさん、いけませんよ。パウロ様とお話ししたい者は沢山おられます。いくらお客様でも、
ルーベルトの顔に笑顔以外の表情が張り付くのを初めて見た。
すると、パウロがまた何か言い出したのかルーベルトは耳をパウロの顔に近付けた。良いのですか? などと大袈裟に言うが、暗闇から見ているベアにとってその仕草はもっともらしく見えた。
「パウロ様は
「もちろん! ありがとう!」
そういうと、ルーベルトはパウロを支えながら岩穴に入っていった。
「足も悪いのかなぁ」
しかしベアは
「お風呂もあんまり入れてないのかな」
残り
平地に戻ると大勢いたチンパンジーは姿を消していた。ベア自身もそろそろ帰ろうかと考えていると、寒さとは別の震えをした一匹のチンパンジーが岩の影から覗いているのが見えた。
「どうしたの?」
ベアは少し近付き
「………こ、こ」
「はい?」
チンパンジーは震えている
「とりあえず落ち着こ――」
「ここに……いっ、居ちゃいけないっ……」
「えっ?」
チンパンジーの蚊の鳴くような声は暗闇に溶けていく。ゼンマイが錆び付いた
「どうして?」
そう言いながら震えるチンパンジーに近付こうと
「おやおや、ここに居ましたか。ロン君」
「!」
ベアには振り返らずともその声の持ち主が誰なのかわかった。
ロンと呼ばれたチンパンジーは震えを止めていた。左右に振られていた目も動きを止め、ルーベルトに
「パウロ様がお呼びですよ」
ルーベルトが優しく微笑む。甘ったるい笑顔で。
ロンは震えを再開していた。しかしそれはベアも気付かないほど
「ベアさん、すみません。少しお借りしますね」
「……あ、うん……」
そういうとルーベルトはダンスでも踊るかの如く上品な仕草でロンの手を取った。
「行きましょうか?」
「…………」
二人には対照的な表情が張り付いていた。そして何も
二人を見送ったあと、近くを通りすぎたチンパンジーに話しかけた。
「僕そろそろ帰るね」
「あら、ベアさん。真っ暗ですけど大丈夫ですか? 明るくなるまでお待ちになったら?」
「大丈夫。カラスは
「そう……。でもっ」
チンパンジーは何としてでも引き留めたい様子だった。離れ
「一日くらいどうですか? まだまだ語れることは沢山ありますし」
送り終えたのか岩の中からルーベルトが出てきて言った。
「あの、さっきのチンパンジーは?」
「先程のチンパンジーですか? 彼ならパウロ様とお話をしておりますよ」
「……そう」
先程のチンパンジーが気にかかり顔を曇らせるが、ルーベルトは
「あの、僕少し眠くなってきたから」
帰る――そう伝えようとする前にルーベルトは食い気味に言った。
「おお! そうでしたか! これはこれはすみません。気が付かなくて。今お部屋にご案内しますね!」
「え……ええ?!」
ルーベルトはベアの羽を引っ張り、強引に岩の中へと連れていく。
中はアリの巣穴のように枝分かれしていて時々、部屋の
「ここ! 丁度良いと思うんですが、どうですか?!」
ルーベルトは掴んでいた羽を離し、
通されたのは一羽丁度の大きさの窪みで、なぜこんな小さな窪みが作られているのかベアは不思議に思った。
「是非ここをお使いください。何かあればすぐ申し付けくださいね!」
おやすみなさい、と言うと有無を言わさぬ速さでルーベルトは去っていった。
言われるがまま、
やはり居心地のよい場所へ帰ろうと、ルーベルトを探しに岩の中を探し歩いた。
入り口には布が垂れ下がっており、中が覗けないようになっていた。
「おじゃましまーす」
ルーベルトと声をかけようと思ったが、違う部屋の可能性も
中は暗く、隙間から月明かりがもれている。そして臭い。
少しばかりの通路を進むと
目を
「……パウロさま?」
顔には布が掛けられていて先程同様、暗闇と
「あ! ごめんなさい! 間違えて入っちゃった!」
言葉とは裏腹にベアは落ち着いていた。この際、声をかけられるのなら誰でもよかった。
「…………」
パウロは何も
「お、怒ってる?」
ベアは羽を少し浮かせ、焦った表情をした。怒られるよりも無視されるほうが
「…………」
やはり、何も
「パウロ……さま?」
ベアは近付いた。そして気付く。カチカチに固まった物体。その異臭の正体。何も話さない訳を。
「しん……でる……?」
ベアの体は無意識に震え出した。目の前が歪む。自分の中に流れる血が音を立てて脈を打つ。ベアは動転した。言葉も発せず、飛ぶことも忘れ、逃げ去るように部屋を出た。
動転しながら平地を走っていたそのとき何か踏んだ。
「……?」
微かに濡れた
ぬいぐるみのように横たわるそれは、
「ヒィッつ!!??」
声を出してしまった。それが
ドカドカと足音がこちらに向かっていた。
「に……げて……」
「?!」
その声に覚えがあった。
しかし、覚えてるものとは比べ物にならないほどそれは違っていた。
彼は確かロンと呼ばれていた。しかしそれは先程までの彼だ。今は何かで殴られたのか顔の半分は
「どうされましたかー?!」
ルーベルトの大きな声にビクリとしながらも、目の前のそれを見つめることしかできなかった。
「にげ……げて……ヒュゥ」
空気の漏れる音、血の混ざる声は恐怖を
「どうされましたか?」
ルーベルトがベアのすぐ後ろにやって来ていた。やっと普通の声をかけられてベアは我に返った。
「たたたたたたいへんなの! この人が……誰かにっ!!」
使い方を忘れた羽をバタつかせ、懸命に助けを求める。
「! これはこれは、大変ですね!」
ベアの懸命な訴えによりルーベルトはベアの下に倒れているモノに気付き、慌てた様子で言った。
ベアは重大さが伝わったことに少しほっとした。
「ちゃんと片付けるよう言い付けたのに」
「…………へ?」
声が
「お見苦しいところをお見せし、申し訳ありませんねぇ。おーい! 誰か出てきておくれ!」
答え合わせはすぐに終わった。そしてそれはどうやら正解だった。そればかりか◎を付けられてしまいそうなほど彼は笑っていた。
ルーベルトの声に反応し、ゾロゾロとチンパンジーが出てくる。
「こっ、こんなことしてっ……許されると思ってるの?! だいたい、パウロに見つかったらただじゃっ――」
そう発した瞬間、先程の光景を思い出す。
「そうだ……パウロはっ……!」
「シーッ」
ルーベルトは人差し指を口に当てながらベアに近付く。朗らかに笑いながら全てを察しているようだった。
「こんなこと、皆が知ったら……」
「大丈夫ですよ」
「え?」
大丈夫。その言葉に恐怖を抱いたのは初めてだった。そしてルーベルトは
「パウロ様は私なのですから」
ベアにだけ聞こえるように
いつもより低く
「それに、これパウロ様の命令ですから」
「これ……?」
ルーベルトの視線を辿ると、地面に転がる
「……パウロが命令したと? 殺せって?」
「ええ。まぁ、正しくはパウロ様が命令したテイですね」
ルーベルトは顎をポリポリと掻いた。笑っていた。
「ここは争いをしない世界でしょ?! 皆が承諾するわけ……そもそも、あの部屋にいたパウロは誰だ!?」
ルーベルトは、顎から手を離しやれやれと肩を
「口の聞き方もわからない無礼なお客様に一から説明してあげましょう」
――消えた。ルーベルトにいつも張り付いていた朗らかな表情は消え去っていた。代わりに新しく張り付いた表情は、見たこともないほどの無だった。表情だけでなく声ですら
「平和というのは、同じ考えの持つもの同士でなくては作りあげられません。考えの違う者は
「だ、だから殺すって……?」
「ええ、そうですよ。でないと争いは絶えませんから。みんな同じでなくては。ねぇ?皆さん?」
最後の方だけ声を大にして周りのチンパンジーに訪ねた。チンパンジーを見渡すと、昼同様ウンウンと頷いていた。
そのとき気付いた。改めて一人一人の顔を見てみると、皆の目は
「ですが、皆をまとめるためにも
ルーベルトは振り返りまたベアだけに聞こえる声で言った。
「……それがパウロ?」
「ええ。パウロという名の偶像です」
ルーベルトは至近距離でベアの目を
硬い
「あ、でもパウロ様は本当に実在してましたし逸話は本当です。
単調に話す。相変わらず顔には無が張り付いている。
「あの部屋にあったのは異物の死体をお借りしているんです。ええと、何て名前だったかな」
ルーベルトはこめかみに手を当て考える仕草をするが、表情から見て形だけなのだとすぐに気付いた。
「……人間にバレないの?」
「ええ。基本隠していますが、
まるで当たり前でしょう、と言わんばかりに言った。
「そこまでしてっ……! い、いつか皆にバレるぞ」
恐怖からか
「気付かれませんよ」
「なっ……どうして……」
「わかりませんか? 馬鹿なのですか? 『こんな世界間違っている!』 『パウロは死んでいる!』なんて言ったらどうなると思いますか? 自分が異物として殺されてしまいますよ。だから何も言えないんです。皆に
ルーベルトは笑った。しかしそれは今までのような笑顔ではなく、人を食う――猿を食ったような笑みだった。
「みんな同じがみんな良いなんです。その代わりといってはなんですが、違う考え、違う種族はいたぶって良い決まりなんですよ」
「それって……」
ベアは察した。そして今回も信じたくない
「争いのない世界、
ルーベルトは笑うことで感情が入るのか、大袈裟に手を広げてみせた。
「たまにいるんですよ。ベアさんみたいに。知らずにやってきて、持て
語っているのは残忍で聞きたくない内容なのに、ルーベルトは夢を語るかのようにキラキラしていて、それが一瞬だけベアには
「最近はお客様が来なくてねぇ。久しぶりのお客様だったから、みんな浮かれてしまって……ねぇ? ベアさん?」
鋭い眼光にベアは
「おかしい……こんな世界おかしいよっ……」
先程話を聞いたばかりなのにベアはつい口走ってしまった。
「おかしい? おかしいですか?」
ルーベルトは待ってましたと言わんばかりに周りに聞こえる大きな声で言った。
チンパンジー達はその声に反応し長い手を引きずりながらベアにジリジリと近付く。手には石や枝を持っている者もいた。
飛び立つタイミングを逃したベアに、石を持ったチンパンジーが襲いかかる。
血が舞い散る。
しかしそれは花のように綺麗なものではなく、得たいの知れない気色の悪いものだった。
「逃げて!」
「!」
振り絞られた声を背にしベアは飛び立った。背後から石が弾丸のように飛んでくる。
石の届かない安全な高さまできてベアはようやく振り返った。
届かないにも関わらずチンパンジー達はまだこちらに向かって石を投げつけていた。
そして、何かに群がるチンパンジー達。静かな闇からブチブチと鈍い音が響き恐怖を煽る。
楽しそうにそれを
どうやって、あれが
――パタン。夜の二時に静かな音が喫茶店に響く。玄関に付いている動物用の扉が閉まる音だった。
「やっと帰ってきた! 帰らないなら連絡くらいちょうだ――」
「あんたね、こんな時間までどこに――」
同時に放たれた言葉は同じくして同時に言い
「ちょ、どうしたのよ」
レトロが珍しく焦ったように言った。
「と、とりあえず、落ち着きましょうか! えっと、えーこういうときは、そうね、ホットミルクにしましょ!」
落ち着かない様子のミョウメイがベアをいつもの席に座らせ、
それを飲んで少し落ち着きを取り戻したベアはこれまでの
「そんなことが……。ごめんなさいね、私があんなこと言ったから」
「あんたのせいじゃないわよ」
話を聞き終わったレトロは苛立ち
「あんたね、少しは慎重になりなさいよ。危なっかしくて見てらんないわよ」
「まぁまぁレトロ。今日はお説教はなしにしてあげて? ベアも。こう見えてレトロも心配してくれてるのよ?」
「なっ! 心配なんかしてないわよ!」
いつも通りの会話も今のベアには苦痛に感じるほど余裕が無かった。油断した隙間から赤黒い
「うん。ありがと。……ちょっと疲れちゃったから寝るね」
そういうとベアは首を
「……私もそろそろ寝ようかしら」
「そうね。遅くまでご苦労様」
「別にっ……。眠れなかっただけよ」
いつの
ミョウメイはレトロの
天板に付いている温度計は【250】辺りを指している。ミョウメイが空気を絞ると、メラメラと燃えていた新しいであろう薪が徐々に炎を
それを
まだ暖かい部屋の中でベアは
「あーお腹すいたー」
「もうできるわよーん」
恐怖の次の日の朝は爽やかだった。大きな窓から光が差し込み、朝日に照らされてキラキラと何か漂っている。妖精が通ったかと勘違いするほど綺麗だが、それはただの
サティのジュ・トゥ・ヴーが流れる店内にいつも通りの
「あんたねぇ……」
さっそく人の姿をしたレトロが不機嫌そうに言った。
「昨日の今日でよくそんなにケロっとしてられるわね……なに? 馬鹿なの?」
「失礼な! 思い出さないためにもこうしてるんだよ」
そう言うとベアはすでに用意してある珈琲に
「はいはいそーですか」
レトロも
「今日の珈琲も美味しいでしょう? 今日のはコピルアクって言って、これまたすんっごいんだから!」
「んーよくわかんない」
ベアは味を確かめるように再度
「これはね、とっても貴重なのよ? ジャコウネコの糞から採れた豆を洗浄して――」
そう言いかけると、何処からともなく
「うげぇ!? 糞!?」
「……あんた達なんてもん飲んでんのよ」
レトロはひきつったような恥ずかしいような表情をしていた。
「もう! れっきとした豆よ! これは!」
ミョウメイが
「レトロももしかして……出るの?」
ミョウメイの話を聞いて疑問に思ったベアが純粋に尋ねる。それを聞いたレトロは徐々に顔を赤らめていった。
「はぁ!? ばばばかじゃないの?! 出るわけないでしょ?!」
「えー? 珍しいから見てみたかったのになぁ」
レトロは人を殺せそうな視線でベアを
「ほらほら馬鹿なこと言ってないで。さぁ出来たわよー!」
ミョウメイは色鮮やかな料理をフライパンから皿に盛り付けていた。
「え! なになに?!」
「どーせたいしたものじゃないわよ」
そう言いながらも気になる様子のレトロはそっぽを向きながらもはジト目で伺っていた。ベアは昨日からろくなものを食べていないのでとにかく待ち遠しかった。
「ジャジャーン!」
真っ白なお皿に色がふんだんに乗っていた。ブロッコリーやきのこパプリカそして海鮮の食材。その食材達はあっさり塩味の
「………………なにこれ」
ベアはその中から未確認生命体の足のようなものを発見した。
「うっ……気持ち悪っ」
レトロは嗚咽した。
「えー! そんなこと言わないのぉ! これはタコよ! 見た目はグロテスクだけど本当に美味しいんだから!」
ミョウメイはそういうと、タコをつまみ食いした。口から少しだけはみ出たタコの足はミョウメイの
「…………遠慮します」
「……わ私、猫だからタコ食べれないから」
「それは猫の姿のときだけでしょう? 人の今なら大丈夫よ!」
ミョウメイはスプーンを取り出し、あーんとベアとレトロの口元に差し出した。
「い、いらないって!」
「ミ、ミョウ! 押し付けは良くないわよ!!」
二人は焦りながら口をへの字に曲げて断固拒否した。
「あーあ。みんな好きなものが同じなら良いのにねぇ」
ミョウメイはがっかりしたようにタコを自分の口元に運んだ。
「……そういうところからチンパンジーみたいな異常な世界になるのよ」
「失礼しちゃうわ! 私はそんな
「……ミョウ、何か食べるものは?」
「タコがあるわよ」
朝の店内は流れるBGMにそぐわず騒々しかった。
二人の食事のやり取りを見ているとベアはふと、昨日の食事会を思い出した。
「そういえば、あの肉は何の肉だったんだろ?」
考究のベア 凍ノ絵しらたきを @sirataki3
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