16.薬指の傾国と小指の運命

 傾国の美女、傾城の美姫。

 傾国と言えばそのようなきらきらしい表現を思い浮かべるが、普通の容姿を自認するサチカには、単語と自身の繋がりが全く見えない。

 左手の薬指を魔王に預けたまま、二度三度と瞬いた。

 サチカの反応の緩さに、カフェラテ色の魔王が口の端を持ち上げて小さな子どもを呆れるような、それでいてどこか慈しむような笑みを浮かべる。


「……けいこく」

「サチカに魅了された男達が争って、国のひとつやふたつが消し飛ぶだろうってこと」


 二度目の呟きに、耳元待機の案内妖精による解説が入った。やっと届いたその意味にぎょっとして、右手側の女神を見る。


「まぁ、そうねえ。けど、サチカちゃん可愛いから仕方ないわね」


 それこそ傾国の美しさの女神は、真顔で身内贔屓も極まった偏りまくりの肯定をしてくる。


「えっ、でもまさか、そんなこと」


 いくら創世の女神であっても、普通女子を外見そのままに傾国の美姫に仕立てるなんて無理だろう。しかも、当事者はニブイノロイの代表たるサチカである。

 ご冗談をと笑って流そうとして、くいと左手を引かれた。

 その先には、甘やかな笑みを浮かべた魔王がいて、サチカの左手を恭しく、けれど抵抗を許さない強引さで持ち上げる。


「国は潰さないだろう。この迷宮で育つのならば、まず俺が攫って閉じ込めてしまうから」


 薬指の付根に、ちゅと柔らかなくちづけが落とされる。

 この迷宮を統べる最も力のある魔人は、サチカの手を離す際に、名残惜しむようにするりと小指を撫でた。サチカは口を開けたまま声も出ないし、ナビィは苦虫を潰したように顔をしかめる。


「まあ、サチカちゃんをお嫁さんにしたいなら、ちゃんと口説いて、両想いになってからでないとだめよ?」

「おや、それはどうかな。恋に賢人はいないと言うし、愚かな過程を経ることがあるかもしれない。お嬢さんも、そう思わないか?」


 サチカはここに来てようやく左手を握りしめて、ぎゃあと心で悲鳴を上げた。声を出す余裕はないので、ノーの代わりに必死で首を横に振る。


「サチカちゃんがエルのお嫁さん……ありかしら」


 しかし、サチカの渾身のお断りを見ていなかった女神の不穏な言葉に、今度こそしっかりと声に出した。


「なし、なしです! わたしには不相応なので、その祝福はなしにしてくださいっ」

「おや、振られてしまったね?」

「えっ、いやその、そういうんじゃなくて、エルさんはわたしなんかにはもったいないですし」

「まぁ、サチカちゃん、少し考えてみて? エルは魔王だし、引退後も力のある魔人だってことは変わらないわよ。何で言ったかしら……あの言葉……こし? 玉の輿?」

「……たまのこし」

「ティア、随分と俗な言葉を覚えてくるね……」


 女神の麗しい口から出てきた世俗的な単語は、サチカのみならず魔王までもが驚きを示した。勿論、その驚き度合いは、サチカの方がとんでもなく深くて、思考は半ば以上停止している。

 主人の様子に気づいた案内妖精は、ぽんとサチカの肩を叩いて慰めてくれたが、実はナビィもこの状況の全てを飲み込めているわけではない。

 けれどここは一端自分の感情はさて置いて、サチカのサポートに注力をしていた。案内妖精の鑑とも言うべきその姿に、創世の女神が微笑みを浮かべる。


「でもそうね、このままではサチカちゃんが魔王に拐われるお姫様になってしまうわ。可愛いサチカちゃんには、もっと沢山の選択肢がないと」


 女神はふわりと笑って、サチカの左の薬指に祝福を施した。

 しゃりりんと甘い音がどこかで鳴って、新たな祝福が世界に書き加えられる。


「サチカちゃんを幸せにできる男性に、沢山出会えるよう留めておくわね」

「……え?」

「何て言ったかしら……サチカちゃん達の世界では確か、いけめ……いけめん?」

「……いけめん」

「もちろん見た目だけではなく評価ができる人に絞ってあるの。だから安心して、寄ってくる中から、サチカちゃんが好きな運命の人を選んでちょうだいね」

「……え?」


 ついでに、小指には運命の糸を結ぶ祝福が追加されたらしく、女神は満足の笑みでサチカの左手の調整を終えた。

 さらりと増えた割に人生を左右しかねない程の重さがある祝福に、サチカは瞬き戸惑うしかない。

 静観していたカフェラテ色の魔王は、女神の妥協案に苦笑を浮かべて頷いた。


「世界規模から個人に効果が収まるのなら、多少の付加は許容範囲だろう」


 迷宮グランシャリオに棲む魔人達や周囲の国々の王族などを巻き込んだ争奪戦になる傾国美姫の祝福から、女神が認める容姿と実力を備えた運命の人候補に出逢う程度へ効果が狭まったのならば、そのくらいの女神のこだわりはやむを得ないということらしい。


「エルにもまだ望みがあるわよ。選ばれるように、頑張ってちょうだいね」

「……あぁ、そうか。そうだね、女神様の思し召しのままに。お嬢さんも、あらためてよろしく」


「……えっ?」

「ひとまずは、常連客からかな」

「さすがね。その辺からじわじわ攻めていくのは賢いわ」

「ティア、作戦を漏らさないでくれるかな? お嬢さんの案内妖精が警戒してしまっただろう」

「あら、わたくしはその子のことも応援してるのよ。等しく、好機があることでしょう。ねえ、ナビィ」


 サチカの肩上で魔王に鋭い視線を送っていたナビィは、女神の言葉にティーテーブルの上へふわりと降りると、片膝を着いて女神に最上礼を示した。

 創世の女神は慈愛に満ちた声で、案内妖精に言葉を贈る。


「力をつけなさい。案内妖精の本分と、そして己の心に従い未来を導いて」

「思し召しのままに」


 ナビィの背で翅が淡く輝いて、金緑の瞳に複数の光の色を映した。

 サチカには案内妖精が得た女神の祝福がどのようなものかはわからないが、ナビィは理解したのだろう。横顔に強い決意を乗せて頷いた。


 そうこうしているうちに、サチカの両手に蓄えられた女神は祝福の調整も終わり、その結果を確かめる段となった。

 サチカは自分がキッチンカーに移動するつもりだったが、サチカの近くにいたいのとクレープを作るところを観たいと熱望する女神のために、案内妖精が代わりに行って、キッチンカーをティーテーブルに近くへ寄せることになった。

 召喚された女神は、この場から無闇に動けないのだ。


「顕現しているこのわたくしは、創世の女神の欠片なの。全てが目覚めたら皆が困ってしまうから」

「創世の女神が微睡みから目覚めたら、この世界は滅びるだろうね」

「ふぇ!?」

「そうね、エルったら準備もあまりせずに気軽に喚ぶから、うっかり目覚めそうだったわ」

「ええ!?」


 うふふと微笑みながらティータイムを楽しむ女神と魔王。

 気軽にうっかりで世界は滅亡の危機に瀕したらしく、そのスケール感には震えるしかない。


(なー君、早く帰って来て……)


 サチカひとりには重たすぎる会話に、縋る思いで案内妖精が飛んで行った方を見る。

 すると、少し離れた場所に、ひっそりと佇む人影があった。

 黒髪に黒一色の服装のためか本当に影のようで、すらりとした長身なのにどこか気配が薄く感じる。いつからいたのかと瞬いていると、サチカの隣でカフェラテ色の魔王が人影を手招いた。


「テラ、こちらへ」


「まぁ、やっと紹介してくれるのね」


 早くからその存在に気づいていたらしい女神が、お茶請けに出されたカステラを優雅な仕草でつまみながら微笑んだ。

 ぱくりぱくりと供しているのは、召喚の安定を図るためらしく、魔王もせっせとカステラを差し出している。


「いや、ティアは前にも会ったんじゃないかな」

「そう……ああ、エルが孵化させた子ね? 何十年ぶりかしら、大きくなって」


 黒い人影は音もなくするりと近づくと、女神に恭しい礼をして、持参した箱を献上する。

 漆塗りのような光沢の箱は、宝石が入った宝箱を思わせる重厚なもので、ドーム型蓋を開けると、中には淡いクリーム色でゴツゴツした多角形の塊がひとつと、輝く砂のようなものを詰めたガラス瓶があった。


「お嬢さん、これはテラ。俺の後継者候補だから一応見知っておいてくれるかい?」

「あ、はい。サチカです、よろしくお願いします」


 ぺこりと頭を下げてから、紹介されたのが次期魔王とも言うべき実力者であることに気づいて、ふわわと目を見開く。

 目の前の青年の深い色の瞳がサチカに向けられ、目礼なのか興味がなかったのか、さらりとした動作でそらされる。

 一瞬交わった瞳は、何の感情も浮かべられていない無機質さで、ただ黒と見紛う深い色だ。だからだろうか、それが何の色かを知るためにじっと覗き込みたくなってしまう深さがあった。


(何色だろう?)


 サチカが色味を思い出そうしているうちに、周囲の会話は進んでいく。

 カフェラテ色の魔王が瓶を手に取り、検分のために輝く砂をざらりと傾けた。


「だいぶ光を溜め込んでいるな、どこで手に入れた?」

「第一層、茉莉の河岸の糖砂と、乳石は雨森の園にて」

「雨森産の物は夏葉の丘よりも品質が上がったのか、良い選択だね。ご苦労」


(あ、わかった……紫だ)


 その瞳の色は深い深い黒にも見える紫色で、陽に透かして初めてその色味がわかる山葡萄のよう。

 疑問を解決してひとり満足しているところに、カフェラテ色の魔王から驚きの言葉があった。


「お嬢さん、求めていた食材の一部だけど、クレープに使えそうかな?」


 箱の中身は、バターとグラニュー糖だった。

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