14.劇物クレープと対策会議

 パチパチと拍手で案内妖精の手際を評価したのは、カフェラテ色の魔人だった。

 ゆったりと歩み寄り、ナビィに笑みを向ける。


「簡単に捕縛したのは、護りの魔法の使い方が巧みだったからだろうね。良い判断だった」

「ーーどうも」


 面白くもなさそうに返答したナビィは、今度はカフェラテ色の魔人との安全距離を測り始める。

 しかし、この力ある魔人の射程圏内から逃げる場所はたったひとつ、女神の揺籠ことキッチンカーの車内しかなく、互いにそれも承知の事だった。無駄と知りながらそれでもと警戒を緩めないのは、守るべき主人がいるからだ。

 その守るべきサチカは、カフェラテ色の魔人に少しも気を配ることなく、膝をついてミミタマ族の顔色をうかがっている。


「あのっ、お怪我はないですか……?」


 光の輪に拘束されたミミタマ族の魔人は、滑らかな白い頬を地面につけて横たわり、濃藍の瞳でじっとサチカを見上げていた。


 近くで見ると、その造作が美しく整っていることがよくわかる。

 少し眠そうに垂れ目がちで温度の薄い瞳は、微かに混ざる憂鬱の色に引き込まれて、つい手を伸ばしたくなるような魅力を放っている。

 年の頃はサチカと同じくらいだろうか。すらりと伸びた手足は長く、男にも女にも、大人にも子どもにも見える狭間にあって、その危ういバランスが独特の色気を添えていた。


 ただいるだけで周囲を淡く染めるような雰囲気に当てられて、サチカは少し頬を赤くした。そして、健気にサチカを見上げてくる涙で潤んだ瞳に、憐情の真ん中をぎゅっと掴まれる。

 きゅーんと涙声で鼻を鳴らし雨の中で震える子犬のようないたいけな風情に、サチカの心はあっけなく憐憫の坂を転がり落ちた。


 そうっと伸ばした手のひらに、濃藍色の瞳が嬉しそうに蕩けてもぞもぞとすり寄ってきた。

 薄桃の髪は柔らかくて、同じ色の兎耳は卵型の時と同じくたりと垂れたロップイヤー。偶然に触れた指先は、はっとする程の滑らかな肌触りを伝えてきた。

 すべすべふわふわもちもちのそれは、手のひらに収まる卵型のミミタマ族と同じもの。

 突然見知らぬ美人になってしまった魔人は、確かにサチカが孵化を見守ったあの子だった。


「……いつのまに、こんなに大きくなって」


 思わず撫でながら、久しぶりに会った親戚みたいな感想を零していると、案内妖精がサチカの頭にぽすりと手をかけた。


「もういいな?」

「なー君?」

「そいつの意識がなくなったから、撫でるのは終わらせろってこと」

「……?」


 ナビィの指先に導かれるままに足元を見れば、ミミタマ族の魔人は目蓋を下ろしてぐったりと意識不明に陥っていた。


「うえっ、なんでいつのまに!?」

「お前のその祝福の手がトドメになって、今し方」


 丁寧な回答に、サチカは問題の両手を見る。

 特に、何の変哲もない手のひらだ。


(祝福の、手?)


 祝福という割に、その戦歴は揺るがず連戦連勝。確実に対戦相手を打ち倒してきた煌びやかなものである。

 掴んだ案内妖精を大きくして、案内妖精を倒し、案内妖精を爆破させ倒し、作ったクレープ生地でミミタマ族を大きくして、ミミタマ族を倒した。


「大きくして、倒す祝福……?」

「違う」


「その事は、ゆっくりと話そうか」


 声に振り返ると、カフェラテ色の魔人が無垢木の椅子を引いてサチカを待っていた。



 というわけで、劇物クレープ緊急対策経営会議が開催された。



 今度のお茶は水色が淡くダージリンのような華やかな香りのする紅茶に、カフェラテ色の魔人御用達の丸いカステラがころんと可愛く添えられている。

 そんな上品なティーテーブルの中央に置かれたクレープは、一部が欠けたいびつな円を見せ、異彩を放っていた。

 薄くもちもちとした生地の焼き色も美しいクレープだ。けれど、これはミミタマ族を急速に進化させた実践を持つ、食べたら危険、劇物指定のクレープなのである。


 よって、本日の議題は、食品の安全性についてとなる。


「普通に作ったんですけど……ダメだったのかなあ」


 テーブルにつく案内妖精とカフェラテ色の魔人をしおしおと伺うと、ふたりとも真剣な目でサチカのクレープを観察していた。

 どちらも、この劇物クレープを味見しようとはしない。


(安心して口にできないなんて、そんなの、クレープって言えるのかな……)


 この世界で初めて作ったクレープがこんなことになり、サチカはしゅんと肩を落とした。

 自分で味見した時には特段異変はなく、強いて言えば普通よりも美味しくできたクレープ生地だっただけにショックも大きい。


 クレープ生地を眺めながらお茶を一口飲んだカフェラテ色の魔人は、優雅な手つきでカップを下ろし、息をつくように笑った。


「俺も長く在るけど、ここまでの祝福の手は初めて見たな。なかなかにして、凄まじい」


 目を細め、面白がる声音で称するのは、サチカの手とクレープのこと。しかし、当の本人にとってはさっぱり覚えがないので首を傾げるしかない。

 そんなサチカの隣で、案内妖精は小さな首を振り気持ちを立て直す呼吸を吐いて、サチカにもわかるように解説を入れてくれた。


「個人差もあるが、女神の祝福の効果は概ね成長や進化に繋がるものが多い。過去の事例で多いのは、草木の成長や錬成の促進だ」


 緩やかな草木の成長促進程度ならば、緑の手とも言われている。

 出現頻度は概ね数十年に一人程度。

 短期的に見れば稀ではあるが、一世代に一人は存在しており、長い異世界史の中においてはさほどのものでもないという。

 例えば願いの魔法を蓄えた卵の木だとか、女神に遣わされた案内妖精だとか、勇者の剣に選ばれる英雄や魔王の出現などに比べれば、特筆するような珍しさではないのだ。

 しかし、その効果範囲は限定されていることがほとんどで、サチカのように副産物ーー今回で言うとクレープにまでその祝福効果を持続させ、尚且つ進化までを成すのは大変に稀だと言う。


「稀というより、前代未聞だね」

 カフェラテ色の魔人はゆったりとした口調で付け加える。

「お嬢さんの齎す祝福の密度は、史上最高値になるだろう。……極めれば、神化にも至るかもしれない」


 全てを見透かすような紅瞳が真っ直ぐにサチカを捉えた。

 サチカは視線を下げ、膝の上に置いた両手を少しでも隠そうとぎゅっと握り込む。

 それを見たナビィは、どこか痛みを堪える目をして、サチカの肩に手を置き悲しい現実を告げた。


「残念だが……このままだと、クレープ作りは危険だ」

「……うん」


 サチカにとって、クレープ作りは人に誇れる技術で大切なものだ。

 でも、だからこそ。


(美味しくて、楽しくて。みんなが笑顔になれるクレープじゃなきゃ嫌だもの)


 膝の上で丸めた両手をゆっくりと解く。

 この世界の案内人であるナビィと、迷宮をよく知る魔人の二人にサチカの問題がよく見えるよう、ティーテーブルの上に手を乗せた。

 彼女のために遣わされた案内妖精ですら予測しなかったサチカの祝福の手。

 クレープ作りでは器用に動いて、魔法のように調理器具を操った職人の手。

 けれど今は、問題ばかりを起こす厄介な手でしかない。


「クレープを作れるようになりませんか? 作りたいんです。女神様も、お客様もみんなみんな幸せになれるクレープを。どうか、教えてください」


 頭を下げた拍子に、涙が込み上げそうになって、慌てて瞬きを繰り返した。


「解決のためには、元凶に聞くのが良いだろうね」


 カフェラテ色の魔人は言って、伸ばした指でサチカの目元を拭う。

 睫毛についた涙の粒を取り払って、カステラを一粒、サチカの唇に押しつけた。

 押し込まれる美味しいカステラを口に入れて、サチカは目を白黒させる。


「あの人を起こした時に、お嬢さんが泣いていたら俺たちが怒られてしまうから。お茶も一口飲んでーーそう、落ち着いたね?」


 カフェラテ色の魔人の指が宙に複雑な模様を描く。

 軌跡が輝いて、どこか遠くでしゃららんと鈴音が響いた。


「まさかーーそんな召喚がありえるのか?!」


 はっと息を飲んだナビィの問いに答えたのは、喚びかけに応じたそのひと。



「ーーーーわたくしを起こしたのは、だあれ?」



 その声は決して大きなものではなかったが、耳の奥へ届き聴く者の心を響かせる神託の力に満ちていた。

 宙に解けた軌跡の代わりに、じわりと空気から滲むように姿を現したそのひとは、波打ち内側から輝く金色の髪をふわりと肩に落とす。


 鈴が転がるような可憐で美しい声は、サチカが夢うつつに聞いた、創世の女神のものだ。


「めがみ、さま」


 サチカの声に、創世の女神はゆるりと瞳を上げた。

 淡い桃色と藤色が混ざった朝焼けの色がサチカに向けられる。

 完璧に整った美貌に同居する慈愛は、緩やかに弧を描く唇と優しい瞳から滲むものだろうか。


 花びらのような唇が、まぁ、と驚きの型に綻んだ。


「……サチカちゃん? あなた、サチカちゃんね?」


 可憐な声に名前を呼ばれるなんて思ってもみないことだったので、サチカは束の間その音に聞き惚れてしまう。

 しかしながら、それ故に反応が遅れたというのは、サチカに限っては言い訳にならないだろう。



「サチカちゃん、会いたかったわー!!」



 テーブルを越して飛びついた創世の女神が、サチカをぎゅっと抱きしめる。

 当然のことながらサチカは、いつもの反応速度で、いつものように逃げ遅れた。

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