12.迷宮産クレープと進化する毛玉

 九個の卵の実が入った薄桃色の収穫籠に、願いの魔法を結んだ最後の一個を乗せる。

 サチカの手元で、リンと澄んだ音がして、持ち手に巻き付いた蔦の花が光を帯びた。皺を寄せていた一重咲きの薔薇の花弁が広がって、淡い光が朝露のように滑り落ちる。


「できた……?」


 透明な翅を広げてふわりと浮いた案内妖精がよしと頷くのを見て、サチカはほっと肩の力を抜いた。

 これで卵の実の収穫が完了したのだ。


「籠に一定数を入れた後は、好きな時に好きなだけ受け取れるんだよね? クレープ生地の願いを込めたのは一個で他の九個は何もしてない卵だけど、取り出した時はどっちの卵になるのかなあ」

「どちらでも、サチカが願う方になる。試しにやってみるか?」


 籠の中の卵の実を一度全て取り出して、空になった収穫籠の中へ手を入れる。


「クレープ生地の卵の実をください」


 女神特製の収穫籠はシャランと鈴の音を振るわせて、持ち主の要望の通りに白い卵の実を授けた。


「す、すごい! なー君、卵の実が出てきたよ!」

「ん、やったな」


 割ってみないと中身がわからないものの、新たに手に入れた卵の実を大事に持ち上げる。ナビィに見せると、案内妖精は満足気に微笑んでくれた。



「そろそろ準備は終わったかい?」


 外からの呼び掛けに、サチカは販売カウンターの窓を開けて、キッチンカーから身を乗り出した。

 カフェオレ色の魔人とミミタマ族の王が、外でサチカたちの収穫作業を待っていた。

 サチカとナビィは女神特製収穫籠の作業場所として、女神の揺り籠ことキッチンカーに乗り込んでいたのだ。女神謹製の規格外なものばかりなので、部外秘扱いなのである。


「はぁい、いま焼きますね! 少々お待ち下さい」


 自然と顔が緩むのは、久しぶりのクレープ作りばかりではなく、外にいる魔人がクレープを列び待つお客様のようで嬉しかったからだろう。


 サチカは明るく返事をして、白い琺瑯のような小さなキッチンシンクでさっと手を洗うと、ボウルに卵の実を割り入れる。

 カツリと、卵よりもやや硬質な反発があったが、綺麗に二つに分かれた卵の実からとろりと中身が流れ落ちた。


 キッチンカーの中を見渡せば、決して広くはないものの小柄なサチカには十分なスペースが用意されていた。天井が低いのは多少圧迫感があるが、座り心地の良いスツールがあってクレープ作りはそこでできるようになっている。

 雲母が入る薄灰色の大理石のような作業台とその隣に丸い鉄板が二つ。鉄板は直径が四十センチを超える大きさで、職人の腕が試されるものだった。

 調理器具はサチカの手の届く高さの壁に吊り下げられていて、コンパクトながらも使いやすいようにまとまっている。

 白い竹のような素材で作られたロゼルを器に入った水に浸して、案内妖精に教わりながら鉄板に火を入れたら準備は万全だった。


 ちなみに、サチカが働いていたクレープハウスでは専用の調理器具をちょっと聴き慣れない用語で呼んでいた。

 ちょうど一枚分の生地が掬える小さなお玉をレードル、ペーパーナイフのような平たい金属のヘラをスパチュラ、竹トンボに似たクレープ生地を薄く伸ばす器具はロゼルと言う。

 けれど、泡立て器は泡立て器のままだったので、こだわりの線引きはちょっとわからなかった。


 お椀サイズのボウルに割り入れたクレープ生地は艶やかなクリーム色で、レードルで掬い上げるとややもったりとしている。

 ふわりと甘い卵の香りがして、早く美味しいクレープにしてあげたい可愛さだった。


「これなら美味しくできそう……なー君、焼いてみるね!」

「お、おぅ」


 ぽかんとした顔の案内妖精に気付いて、サチカは首を傾げた。

 どうしたのかと尋ねれば、サチカの動きに驚いたのだと言う。


「お前、そんなに素早く動けたんだな……」

「そう? ここに来る前にも言われてたけど、そんなに違うかなあ」


 答えながらもサチカの目はしっかりと火加減を探っていて、初顔合わせの鉄板の癖を見極めるように備え付けの食用油を塗り込めた。

 普段のトロイノロイのサチカとはまるで別人のように流れる手捌きで垂らした水滴が、じゅうじゅうと音を立てながら鉄板の上を走っていく。


「すごい、火の立ち上がりが早いし、火力も強い……」


 大きな鉄板のポテンシャルに目を輝かせてレードルを手にすると、口元に笑みを浮かべてクレープ生地を流した。

 じゅわりと軽やかな音がして、甘い香りが立ち昇る。


 サチカが操るロゼルがくるくると舞い踊るように三周すると、いつの間にか大きな鉄板の端ギリギリにまでクレープ生地が広がっていた。

 どこもかしこも均一かつ下の鉄板が透けて見えてしまいそうな程の薄さの生地が急に現れたようで、ナビィが目を見張る。


「そんなに薄くして、焦げてしまわないのかな?」

 魔人がカウンター越しに身を乗り出し、まるで観客のように張り付いていた。ミミタマ族の王もまたカウンターに乗って、サチカの手元をじっと見つめている。

「さぁな」

 魔人の疑問に短く返す間にも、ナビィの目の前で鮮やかにクレープが焼かれていく。


 学生アルバイトではあったものの、サチカはその道を極めんとするクレープ職人のひとりだ。

 周りと生きる速度が違うのではと言われる程にのんびりしたサチカだが、これだけは人に誇れるもの。


(美味しくなあれ)


 心の中で唱えるのは、とっておきのおまじない。

 食べる人が笑顔になるように、一日が幸せであるように。

 熟練の域に達したその手は、魔法のように美しいクレープを作り出す。


 チリチリと鉄板から生地が浮いたのを見逃さず、素早くその隙間にスパチュラを走らせる。

 あっと思う間に薄い生地がひらりと舞って、裏面が火にかけられていた。


「ーーおぉ」

「これはすごい技だ」


 案内妖精と魔人が唸り、ミミタマ族の王が興奮したようにぴょんぴょこぴょんぴょこ飛び跳ねる。

 ふわり、とサチカが二度目に生地を持ち上げると、そこにはホカホカと甘い湯気を立てる綺麗な焼き目のクレープが生まれていた。

 観客達が、知らずこくりと生唾を飲む。


「うん、鉄板の熱も均一で、焼き色も良いですね」


 職人サチカは手を止めて、にっこりと微笑んだ。

 手応えと見た目的には、満足の出来栄えだった。控えめで暖かな生地の色合いに鮮やかなフルーツのデコレーションを乗せたら、どんなに素敵になるだろうか。

 さて、肝心の味は、と端を千切って口に入れると、それは高級な洋菓子のような繊細さと家庭的な素朴さという相反する魅力が程良いバランスを保ち、それでいて中庸にはならない素材の良さが感じるられる理想的なクレープ生地だった。

 卵の豊かな甘味と小麦の香りがする。薄いながらも適度にもちもちした食感で、生クリームにもカスタードにもチョコレートにもアイスクリームにも良く合いそうだ。


「……うん、美味しい」


 ほろりと笑み溢れるような、幸せの味。

 基本でいて、まだここから先の新しい出会いがあるクレープ生地だ。


 迷宮産の材料と女神印の初めて使う調理器具に、少しだけ緊張をしていたらしい。

 サチカはほっと肩の力を抜いた。


「皆さんも、味見しますか?」


 職人サチカの申し出に一も二もなく頷く一同。

 真っ先に跳ねたのがミミタマ族の王だったので、サチカは四等分に切り分けた扇型の一片をくるくると巻いて小さな毛玉の小さな手に渡してやった。


「本当はトッピングがあるんだけど、まだ材料が揃ってなくてごめんね」


 ミミタマ族の王が濃藍色の瞳を輝かせ、ぱくとクレープ生地を頬張る。

 丸い卵型の身体が半分もげたんじゃないかと思うくらいにガバリと開いた口らしき部分に慄いていると、それ以上の驚きが巻き起こった。



 カローン、コローン。



 どこからか。

 天上から、遠い場所から。

 柔らかな福音の鐘の音が響く。


 いつもの微笑みを削ぎ落とし、驚きに目を見張った魔人が紅い瞳でミミタマ族の王を注視する。

 ナビィはサチカの後ろ襟を引いて距離を置かせると、素早くカウンターの上の毛玉を蹴り落として、そのまま前に出て主人の盾になった。


 ぽんと飛ばされたミミタマ族の王は、地面で一度跳ねてからふわりと宙に浮いた。

 淡い桃色と紫の身体が光を帯びる。

 後光が差すように輝く光は、何度も見た女神に由来する色合いに似ていて、この世界の常識に疎いサチカにも特別な事が起きていることがわかった。


「な、な、な、なー君」

「なんだ。とりあえず安全な距離を取って落ち着いとけ」

「なー君、なー君! どうしたの、あの子。もしかして、クレープはミミタマ族に食べさせちゃいけないやつだったとか!?」


 犬にタマネギとか、猫にイカとか。内臓機能的に毒素排出や消化できない要素があったのだろうか。


 それとも、卵の実だから?


(まさか、共食い的な!?)


 サチカはこれ以上ない程青ざめる。

 自分が作ったものが誰かを害したかもしれないと思えば、恐ろし過ぎて足が震えた。

 知らなかったでは済まされない。なんて残酷なことをしてしまったのだろう。



「ここまでの進化を施すとは、規格外の力だな」


 面白いと、魔人が目を細めて笑う。


 ミミタマ族の小さな身体から放たれる光は、朝焼けのようにくるくると色を変えて複雑な織り模様を描きながら繭を成していく。

 月色から深い紺碧と輝く陽光の末に、空気に解けて散らばって行った。



 そして残ったのは、淡い髪色の人影がひとつ。



 サチカ達の目の前で、ミミタマ族の魔人が誕生した。

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