11.祝福の手と摘み食いの魔人
試練中に不注意で滑り落ちそうになった時とは異なり、今度は確実な落下だった。
ぶつんと枝が切れた直後に、サチカの身体はゴンドラの中でふわりと浮いてしまう。隣で同じように宙に浮いた案内妖精が飛び出さないように慌てて小さな手を捕まえる。
(なんで、こんなに落ちるのばっかりー!?)
心構えもなく始まった安全バーなしのフリーフォールに絶叫することもできず、ぎゅうと目を閉じる。今度の落下では疑問を挟む間もなく、ガツンと大きな衝撃に襲われた。
枝葉で編まれたゴンドラが、地上十メートルの落下の加重に耐えきれず、バラバラに砕ける。
当然、中にいたサチカが無事なはずもないーー防御魔法がかかってなければ。
「おやおや、派手な帰還になったね。おかえり」
のんびりと声をかけられて目を開けると、そこには穏やかに微笑むカフェラテ色の魔人の姿があった。
「……痛く、ない? あっ、みんなは!? みんな無事!?」
ペタペタと手足を触っても、特段痛む箇所はなかった。
一緒に落ちたミミタマ族が無事を報告するようにぴょこんと跳ねてサチカの手の上に収まる。案内妖精は無反応だったが、落下の衝撃にも変わらずにすやすやと眠り続けているのを見て、サチカはほっと息を吐いた。
眠り姫のような麗しさを保つ案内妖精の頬に降りかかった葉を指先で除けてやる。
「……良かったあ」
「かなり高位の護りの魔法が展開していたから怪我はないだろうが、立てるか?」
頷いて、目の前に差し出された魔人の手を取り立ち上がると、足の裏を冷たい下草がくすぐった。
試練の途中で裸足になったことを思い出して見渡せば、卵の木の幹近くに小豆色のスニーカーが落ちている。
助け起こしてくれた魔人の手を放し、サチカはにこりと感謝の笑顔を向けた。
ところが、礼を言う途中で何故か魔人の整った顔が近くなって、きょとりとする間にふわりと足が浮かぶ。
「ありがとうございま……ぅふわぁ?」
脇と膝の裏を掬うように持ち上げられて、じたばたと靴のない足を動かすが、魔人の腕は揺るぎもしなかった。
というか、顔が近い。褐色の肌に映えるスチームミルク色の髪がサチカの頬に触れる程近い。魔人の方から蕩然とするような良い匂いが漂ってくる気がする。
思わず息を止めたサチカがいわゆるお姫様抱っこで運ばれたのは、丸いティーテーブルに添えられた椅子の上だ。
サチカは小柄な身体を更に縮こませて、無垢木の椅子に乗せられた。この緊張の時間の終わりを捉えると、そろりそろりと呼吸を再開する。
「重ね重ねどうも、で、ございます……」
言葉が途切れがちになるのは、いまだに良い匂いが近いからだった。
おかしい。
顔が近いままなのがおかしい。
長身の魔人が窮屈そうに身を屈めてまでサチカと同じ高さに顔を寄せている理由が思い至らず、目を泳がせた。
「うん、どういたしまして。ところでこの手、見せてもらうよ」
魔人はサチカが持っていたミミタマ族を摘み上げてティーテーブルの上に放ると、大きな手でサチカの両手を包み込んだ。
雑に捨てられたミミタマ族の王が憤慨したようにぴょこぴょこ跳ねて、サチカの膝上に戻ってくる。
跳ねる度に垂れ下がった兎耳がふよんと浮いて堪らない愛らしさだった。
サチカがミミタマ族の王を眺めて現実逃避をしている間に、吐息も触れそうな程に顔を寄せてサチカの両手を検分していた魔人は何らかの結論に達したらしい。
「これはーー女神の祝福の手。進化を齎す危険な手だ」
先程までの、どこかゆるりとした口調とは違う温度のない声音。赤い瞳は、心の底まで見通すような重い静謐を湛えていた。
サチカがその手の平で、案内妖精を魔力酔いの行動不能にさせたのは今日だけで二回。
「魔力酔いも、その弊害だ。女神の祝福にお嬢さんの魔力が混ざり合って……下手に浴びると進化に至るな」
サチカの自白も聞いて、魔人はこれは危険物であると判じた。
「……しんか」
というと、手足を使って四足で歩く猿が、道具を持って二足歩行に至るあれだろうか。
サチカが描く進化図は、教科書で見るような数百万年におよぶ時間の中での変化だが、こちらの世界では速度も内容も全く違うらしい。
「案内妖精の進化は、そうだな……わかりやすいものだと外殻の変化があっただろう。例えば、大きくなるとか」
思い当たる内容に、サチカは目を見開いて大きく頷く。
魔人が言うには、キッチンカーで起きた事故で人間サイズになったナビィの姿が、彼の進化した外見で、それはサチカの魔力の影響らしい。
「あの、それはなー君の身体に悪いんでしょうか」
「急激な進化は負荷が大きい。そして、進化の祝福はとても珍しいから、お嬢さんが狙われるだろう。彼にとっては、今後の守護も重責になる」
サチカの右手をひっくり返すと、魔人は少し笑って目の前の皿からつまみ食いするみたいな気軽さで言った。
「少し、味見するよ?」
危機を一早く察知したのは、サチカの膝の上にいるミミタマ族の王だった。丸い目を険しく歪めて、躊躇いもせずに遥かに強大な魔人へ飛びかかる。
しかし小さな毛玉は振り払われるまでもなくポンと跳ね返って、壊れたゴンドラで横たわる案内妖精の所まで飛んでいってしまった。
目の前の出来事に、サチカは魔人を見上げるしかできない。
魔人がゆっくりと顔を傾けて、サチカの手の平に唇を寄せる。
カシャンとガラス細工が割れるような音がして、サチカを護る透明な盾が壊される。案内妖精が敷いた多重結界の全てが容易く破られた。
(かじられるー!?)
がぶりと噛まれる予感に顔を背けると、予想に反して手首に感じたのは小さな痛みだけ。
ちくんとした感じは予防接種や採血の注射に似ていて、思ったよりは痛くない。注射の怖いもの見たさでおそるおそるそちらを向けば、サチカの手首に唇を寄せた魔人と目が合った。
赤い瞳がサチカを映して、艶笑を浮かべる。
引きこまれて、全てが止まる。
ふわりとした酩酊のような目眩は、何故だったのだろう。
ちぅ、と可愛らしい音を立てて魔人がサチカの手を解放したが、ふわふわとしたままのサチカはその事には気づけずにくたりと椅子に背を預けた。
「おや、食べすぎたかな? ごめんね、つい美味しくて」
先程の壮絶な色をすっかり落とした穏やかな笑顔で、魔人がサチカの手を彼女の膝に右手を乗せた。
「そうだ、靴もなかったな」
案内妖精が目覚めたのは、サチカのスニーカーを拾ってきた魔人が手ずから履かせている所だった。
その魔人の背中に果敢に攻撃を繰り返すミミタマ族もいて、どこから指摘して良いか咄嗟に迷う光景である。
魔人を止めようとして、あわあわと手を振るサチカ。にこにこと微笑んで、親切を押し売る魔人。その背にモヨンと毛玉が当たって、ポヨンと柔らかく弾かれる。
「……何してんだ?」
「うん? いやこのスニーカーっていうのが意外に難しくてね。紐が縦結びになるな?」
「あぅ、自分で、自分でできます。あの靴下もあるのでーー」
椅子に座ったサチカのかかとを手の平に乗せた魔人は、彼女の正面に膝まづいてスニーカーの紐を解いていく。
しゅるしゅると紐を全部解いてしまってから結び直すためには両手が必要になることに気付いたらしく、サチカの足を立て膝の上に置いて獲物が逃げないよう回した腕で固定した。
靴を取り戻そうと伸ばしたサチカの手は、逆に魔人に捕らえられてしまう。
「あぁ、この手は危険だから、また食べておこうか?」
「ひあいぃえ」
「ーーそこまでだ」
悲鳴を上げるサチカの肩に、鋭い眼差しをした案内妖精が乗った。
主人を庇い魔人との間に立ったナビィは、チラリとサチカを見下ろして、何でまた靴を脱いでるんだと呆れた顔をしつつも、目視でその無事を確認したようだった。
ナビィはテキパキと魔人から靴を受け取り、サチカの足を地面に下ろして、最後に捕まえられた手を取り戻す。
「なー君! 具合はどう? 痛いとこない!?」
「問題ない。そっちは?」
「ええと、問題ない……かなあ?」
「何で疑問形なんだよ。怪我はないな? 試練はどうなった」
魔人から取り上げた靴の紐を整える案内妖精の手捌きは見事なもので、小さな指が器用に動き僅かな時間で準備を終わらせると、もたもたと靴下を履いているサチカに両足揃えて差し出す。
「うん。ありがとう。沢山助けてもらったけど、ちゃんとできたよ」
サチカは大事にポケットに入れていた願いを込めた卵の実を手にして、ほにゃりと笑う。
それを見た案内妖精は、金緑の瞳に浮かべた緊張を緩めて、まずは靴を履けと指導した。
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