10.試練の終わりと孵化

「そなたの力で、我らミミタマ族が宿る卵の実を孵化してたもれ」


 ミミタマ族の族長の小さな手が示したのは、収穫籠の一番上に乗った卵の実だった。

 ミミタマ族の族長のつぶらな瞳にきゅんとしていたサチカは三拍程遅れて頷き返す。


「ええと、温めますか?」

 お弁当販売みたいな発言ながらもサチカ的には飲食ではなくて抱卵のイメージで尋ねれば、ミミタマ族の族長はふぉふぉふぉんと軽やかに笑った。

「いいえ、我らは卵の木の眷属にして願いの魔法を糧に生まれる魔物。神託の乙女、そなたの願いが成就する時に、美しき王の魔人と成るであろう」


 派生したばかりの魔物が、いきなり獣型の魔獣を超えて進化した魔人な上、族長よりも力のある王様決定なあたりに期待値の高さが現れていたが、サチカが気付くはずもなく、自分にできることならばと気軽に請負った。

 他の卵と混ざるとサチカには違いがわからないが、実は十個目に収穫した卵は他の卵の実とは異なるもので、ミミタマ族の族長はサチカが手ずからその実を収穫したを見て運命を感じたらしい。


「それは一族の仔が宿る実。それを収穫するそなたを見て、妾は王の孵化を確信したえ。神託の乙女の道行きに触れたならば、一族にとっても得難い祝福となろう」

「あの、どこまでお役に立てるかわからないけど、こうやって試練を受けさせて貰っているお礼になれば嬉しいです」

「いいえ、試練は試練。礼など及ばずに」


 そうこうしているうちにゴンドラが終点に達し、ゆらんと大きく揺れて停止した。

 さすがに最後は枝の上に立ち、試練の到達点を踏むものらしく、サチカはミミタマ族の族長に指定された王が宿る卵の実をポケットに入れてゆっくりと腰を上げる。

 すると、サチカの動きに合わせるようにゴンドラの左右から枝葉が優美に伸びて、ざわりと白い階段を象った。

 勾配が急にならないようカーブを描き、安全安心な手摺りまで設置された階段は、一段ごとに花手毬の飾りが下がり周囲に甘い香りを放っている。


「すごい……お城の階段みたい」


 白い踏板は土足が惜しい程で、どうせ片方は脱げてしまっているのだからと反対側のスニーカーも椅子に残し、ついでに滑らないために靴下も脱いでしまって裸足で登る。

 回り階段の途中で振り返れば、細い枝で吊り下げるように支えられたゴンドラは、外から見ると繊細な鳥籠に見える。その中で眠る案内妖精は童話の眠り姫のように麗しかった。


 最後の一段は、細くなった先端の枝とピタリと高さを合わせ踏み幅を広げていた。隙間もなく、絶対に躓くこともないバリアフリーの至れり尽くせりな試練だ。


(これでいいのかな……?)


 サチカですら戸惑いを持つ過保護な試練はそれでは終わらなかった。

 サチカが登り切った後ろで、ざわざわと音を立てて階段が解体され、代わりに不安定な足場を広げる半円のバルコニーが作られる。


「うわぁ、今度のも可愛い……」


 思わず呟いて手摺りの丸い支柱を撫でれば、蕾が次々に開いて花いっぱいの足場になった。

 不思議なことが起き続けているので、サチカは全てを慈悲で包み込むお地蔵様のような微笑みで卵の木の動きを受け止める。

 この状態は、ひとまず受け止めてはいるが、受け入れるまでには至っていない。やるべきことをやり切るまで全部を保留にするのは、トロイノロイのサチカが生きる知恵なのだ。


 卵の木の願いの魔法の試練は、一歩でも歩いて、最後に到達地で祈るものだ。

 サチカは枝先に実った卵の実に両手で触れて、目を閉じる。

 ざわざわと風にそよぐ葉の音も不思議と止まり、サチカの周りを静寂が包み込んだ。


(クレープ生地をください。卵と小麦粉とそれから砂糖に牛乳、もちもちとした食感には……)


 材料のひとつひとつ、その配合。熱した鉄板にレードルから落とす時のもったりとしたクリーム色、じゅわりと音を立てて円状に伸ばす時のロゼル越しの手応えと、端に金属のスパチュラを差し入れればパラリめくれる生地の軽さ。

 そして、湯気と共に上がる甘い甘い卵の香り。

 その全てがサチカにとって心踊る楽しい瞬間で、目の前の出来事のように脳裏に思い描くことができる。


 閉じた目蓋の外側に淡い光が灯っている事に気づき目を開けると、包んだ手の中で卵の実が光を放っていた。


(桃色の灯りは、カステラの時と同じ色だ)


 カフェラテ色の魔人が卵の実を美味しいカステラにした時に見たばかりなので、間違いはない。

 深く呼吸するように一度ゆっくり明滅すると、冷んやりした白磁に戻った卵の実は捥ぐまでもなく自然に落下してサチカの手の中に収まった。


「……成功した?」


 ひっくり返して全体を見るが、外見上には何の違いもないようだった。

 卵を割ったらわかるのかもしれないが、ここでクレープ生地を取り出しても受ける容器がないので確かめようがない。

 けれど、審判役のミミタマ族にとって成否は明らかだったらしい。


「願いの成就じゃ! 皆の者、祝いの舞を!」


 弾むように明るいミミタマ族の族長の号令で、沢山のミミタマ族が姿を現した。

 いつの間にか整列し、サチカが歩くはずだった試練の枝に連なるその数は数十。

 小さな生き物がくるくると回りながら順に跳ねる様はおもちゃのようで可愛らしかった。

 よく見れば、ミミタマ族はそれぞれに毛色と耳が違っている。頭部にちょこんと付いた耳は、ピンと立った犬耳、長い兎耳、ふかふかの狐耳な三角形の猫耳、広がる象耳まであって、バリエーション豊かだった。


「わぁ……!」


 愛らしい一族の登場にサチカがきゅんとしているうちに、揃いの花飾りをした三匹のミミタマ族を引き連れた族長がしずしずと進み出て、小さな両手を空に掲げて歌い始める。


 ふぉふぉふぉん、ろろろん、ふぁふぁふぁ。


 柔らかな音が輪唱のように重なって、ふくよかに広がり、祝いの舞のミミタマ族達が、その音に呼応する鍵盤のようにくるくると跳ねた。


 ふぉふぉふぉん、ろろろん、ふぁふぁふぁ。


 美しい歌と可愛い踊りにほっこりしていると、ミミタマ族の族長がサチカを見て、こくりと頷いてみせる。


(……あ、王様の卵の実)


 持ってきた卵の実をポケットから取り出すと、手のひらの上にそっと乗せた。


 サチカの手の上で、白磁の実がふるりと揺れる。

 小さな震えは歌に共鳴するように段々と大きくなり、蜘蛛の巣のような小さなヒビが入った。

 ミミタマ族の舞手達が、一斉に跳ねる。

 その着地の反動がサチカの身体を揺らした時に、卵の実がぱりんと割れた。

 内側から桃色と藤色の光が溢れて、周りの白い枝葉を束の間の朝焼け色に染める。

 命の誕生の瞬間に、サチカは息を飲んだ。

 身体の内側から手のひらに向かって、じわじわと熱が集まっていくのを感じる……そして。


 温かく、柔らかなものが触れた。

 目を射ることのない柔らかな光が収縮すると、そこには灰桃色と藤色のグラデーションが愛らしい小さなミミタマ族がいた。


「族長さん、孵化しました……!」

「まあ、これはまさしく我らが王。王よ、お待ちしておりましたえ」


 喜びに声を震わせるミミタマ族の族長に、周囲のミミタマ族から歓声が重なる。


「皆の者、祝いと感激の舞を!」

 族長の号令で歌い踊るミミタマ族の中で、サチカはゆっくりと膝をつき、手の上の新たなミミタマ族を下ろした。


 手の甲を足場の枝につけてどうぞと促すが、ミミタマ族の王は動かず濃藍色の瞳でじっと見つめてくる。

 サチカはにこりと微笑んで、小さな王に挨拶をした。


「お誕生、おめでとう……でいいのかな? はじめまして、ミミタマ族の王様」


 ぴょこんと小さく跳ねたのが返事だったのだろう。

 派生したばかりのミミタマ族はまだ族長のように滑らかに話すことができないようで、つぶらな瞳でサチカを見つめ続ける。淡い色の長い毛並みに埋もれてロップイヤーの兎のような長い耳が垂れ下がっていて、とても可愛らしかった。

 降りやすいように手を傾けると、イヤイヤと身体を揺する。


「まあ、王は神託の乙女がお気に入りのよう。行かれますかえ?」


 族長に尋ねられたのはサチカではなく、ミミタマ族の王だった。

 王がこくりと頷けば、族長もこくりと頷き返す。

 いつの間にかぴたりと止まっていた舞い手と歌い手達も、同じようにこくりと頷いていた。


「え?」


「ならば王よ、神託の乙女と旅立ち、世界を知りなされ」

 こくり。

 サチカの手の上で、ミミタマ族の王が神妙に頷いた。

「……え?」

 ミミタマ族の族長は寂しさを振り払い、旅立ちを寿ぐ。


「我らが王の旅路に女神の祝福がありますよう。神託の乙女よ、頼みましたえ」

「……ふえ?」


 さあさあと促されて、再び作られた階段を下りて椅子型のゴンドラに乗せられた。


 白い枝に鈴なりに並んだミミタマ族は、揃って小さな手を振って見送りの体勢を取っている。

 ミミタマ族の族長が熱心に手を振り、サチカの手の上で王が厳かに手を上げてそれに応えた。


「良き旅を」


 サチカ達を載せたゴンドラを吊り下げる枝が、ぷつりと断たれた。

 帰り道は、自由落下だった。

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