7.クレープ生地と願いの試練

「……いや、それは不可能だ」


 女神が求めるクレープが今すぐできるかもしれないと、サチカが期待を寄せている願いの卵を慎重に見定めて、ナビィはそう結論を出した。


「お前のクレープは、まだここに存在しないものだ。願いの魔法は無いものは生み出せない。それに、今、魔人がやってみせた願い方も大分無茶苦茶なやり方だしな」

「そうなの?」


 ナビィは完全には警戒を解かない目で卵を収穫する魔人を見た。

 本来ならばこの様な迷宮の第一層だなんて最下層にいるはずもない魔人にとって、その有り余る力で願いの魔術を引き出し意のままに操るのは容易いことだという。

 説明を聞きながらカフェラテ色の魔人を見れば、彼はカステラを嬉しそうに摘み食いつつただ微笑みを返して、ナビィの言うことを否定しなかった。


 ちなみに魔人とは人型を取れる魔物の総称で、獣型のみの魔獣とは格が違う力ある存在だという。

 ナビィの目測によれば、目の前にいる魔人は迷宮グランシャリオの深層にいる上位の魔人で、その層で最も力を持つものとして他の魔物を従える層主をしていても不思議がない程のものらしい。

 妖精も人型を取るものとそうではない小さなものがいるが、魔物とはその成り立ちがまるで違うので人型を取らずとも魔獣のくくりには入らない。妖精は妖精の中での区分けがあるようだった。


「……うぅ、うん」

「……あいつがでたらめに強いから特別にカステラができたってこと」

「うん!」


 サチカは改めて、カフェラテ色の魔人を見上げた。スチールミルク色の髪や紅い瞳の配色は珍しいし、百九十センチは超えていそうな長身と人間離れした冷たい程に整った美貌が際立つものの特に魔物感はない。

 そもそもの前提として、サチカは魔物がよくわからないというのもあった。魔物と聞けばゲームの中のモンスターやハロウィンの仮装が思い出されるが、その半端な知識がこの世界に当てはまるとも限らないだろう。

 サチカはすっぱりと意識を切り替えて、先入観は捨てて仕事に取り組むつもりだった。


(だって、そうじゃないと何もかも追いつかないもの)


 ゲームやファンタジーに詳しくもなくただでさえ鈍いサチカが、元の世界からの薄い知識を引っ張り出している間に、目の前では不可思議を交えた時間が待ったなしで通り過ぎてしまうのだ。

 現に今も、にこにこ微笑む魔人からカステラ卵を渡されて続けて、両手のひらから溢れそうになっていることに静かに困っていた。


「あの、ありがとうございます。でもこんなに貰ったら、貴方の分がなくなっちゃいませんか」

「俺は二人分の茶菓子になれば間に合うから、気にしないでいいよ」

「でもあの、落ちそう……」

「ああ、もう持ち切れないね? 手が小さいからなあ。あと一つは乗せられるか」

「いえ、もう乗らな……あの、本当に、もう乗らないです!」

 言ってる傍から積まれたカステラ卵がぐらりと揺れて、サチカは慌てて腕で抱え直した。


 手のひらよりも容量が増えた腕の囲いに、魔人は更にカステラ卵を足して行く。


「クレープにはこれで足りるかい? 先払いになるけれど」

「?」

「お嬢さんは、これからクレープっていうのを作るんだろう?」

「はい、そうですが」

「美味しそうだから、一つ予約で」

「えっ、予約って、まだ材料も揃ってないからいつできるか」

「おや、そうなのか。でも時間なら飽きる程あるから気にしないでいいよ」

「えええと、そしたら配達になるのかな? 連絡先聞いとけばいいの? なー君、どうしよう?」


 困って案内妖精の顔を見ると、彼は腕組みをしたまま顔をしかめていた。美少年顏が苦し気に歪められていると、悲しいことがあったのかなと慰めたくなってくる。

 今は両手が卵で塞がっているからできないが、後で撫でておこうと心の隅に書き置いた。


 呑気なサチカの肩の上でナビィは頭を働かせ、サチカの身の安全と目的の達成までのバランスを測る。そして、しぶしぶながら魔人の案は採用に足りるだろうとの結論に至った。


「……それもありだな。迷宮グランシャリオの広さとサチカの鈍さを勘案すれば、食材集めは各層に棲む魔人や魔獣の手を使うのが効率的だ」

「ええと、魔人さんや魔獣さんにお願いして手伝ってもらうってこと?」

「いや、手伝わせる」


 片頬を持ち上げて、ナビィはちょっとニヒルな悪巧みの顔をした。



 というわけで、緊急経営会議が開催された。

 話し合いをするために卵の木の下へ座ろうとしたサチカを止めたのは魔人だった。

 彼がどこからともなく出したのは、無垢木の椅子とティーテーブルで、丸く小さな卓上には可愛らしいティーセットが用意されている。

 にこにこと笑顔で勧められて押しに弱いサチカが着席すると、魔人は遠慮する間もない流れるような動作で紅茶を淹れてから、長い足を優美に組んで向かいの椅子に落ち着いてしまう。すっかりと会議に参画する姿勢だ。

 甘い香りの林檎の紅茶は、サチカに前にひとつ、魔人にひとつ、そして案内妖精の手に合った小さなティーカップまで揃っていた。


「予約者として、協力しよう。この迷宮には長く住んでるから、それなりに情報をあげられるよ」


 サチカが案内妖精を見ると、彼女の椅子の肘おきに座ったナビィが嫌そうな顔をしつつも彼を認めた。

「サチカの思う通りにして良い。危険な時は止めるけどな」

「うん、なー君よろしくね」

 案内妖精に頷き返し、サチカはゆっくりと魔人と向き合った。

 上品なカフェラテのような色彩を持つ魔人は、怜悧に整った美貌に微笑みを浮かべてサチカの答えを待ってくれている。


 サチカには、この魔人が悪い存在ではないと思っていた。

 異世界で、出会った人を次々に信用するのは危険なことなのかもしれないが、サチカには危険があれば教えてくれる案内妖精という強い味方もいた。


(さっき、カステラをとても美味しそうに食べていたもの)


 甘いものは好きそうだ。まだ見たこともないクレープに期待を寄せてくれているのも嬉しいし、きっとクレープを好きになってくれるだろう。

 それならば、彼の好意を断る理由はなかった。クレープ好きに悪い人はいないのだ。


「あの、ありがとうございます。私はここのことを知らないので助かります」

 よろしくお願いします、と丁寧に頭を下げた。


 まずは、クレープの概要を説明すると、魔人はその紅い瞳を輝かせ、案内妖精も興味深い様子でサチカを見上げる。

「卵と小麦、牛乳、砂糖、それから塩ひとつまみを溶いた生地を薄く焼いて、クリームやフルーツをトッピングするお菓子です」

「ほう、それはそれは」

「ふぅん、意外とバリエーションがありそうだな」

 思い返せばごたごたしていて、ナビィにも卵が欲しいとお願いしただけで、詳しく説明できていなかったかもしれない。

 基本情報は女神を介して共有されていると思ってるのはお互のようで、コミュニケーションが足りていない点をサチカは反省した。

「なので、まず欲しいのはーー」


 そうして話し合いを進めるとすぐに、サチカの目的のために最適な選択肢を作れる案内妖精と、迷宮グランシャリオを熟知する魔人のタッグは最強だと言うことが判明した。

 サチカの簡単な説明だけで、広大な迷宮の地理と動植物の分布、そこに住む種族の特性が割り出され、彼女が挙げた欲しい食材が瞬く間に特定された。


「バターは、乳石か。少し離れるが、この層で採れるね」

「苺だと第四層……いや、第二層の人魚が作る真珠苺もあるかもしれない」

「第二層に住んでた人魚達は移動したよ。第六層だったかな。でも、人魚から手に入れた真珠苺を持った魔獣が、まだその辺りにいるかもしれないね」


 流れていく重要情報に、メモ帳ひとつ持っていないサチカが慌てていると、ナビィが後で内容をまとめてくれると言う。サチカの案内妖精は自動議事録機能付きという優秀さだった。

 この会議で、必要な食材の幾つかが近くに存在することがわかったし、第二層にもその次の第三層にも収穫すべきものがあった。

 入手困難な食材もいくつかあるが、それは基本的なクレープを作れるようになってから、それを迷宮内で売った対価で得れば良いという。


「売れるでしょうか。クレープが、魔物さん達のお口に合うかどうか……」

「それは心配しなくて良い。少なくとも俺は食べたいし、探索者以外で迷宮の層を移動するものは少ないしね、珍しいから歓迎されるだろう」

「各層に棲む魔獣や魔人、そして迷宮に潜る人間の探索者もカモにーーいや、顧客にすれば良いから、迷宮の中だけじゃなく、外の食材も手に入る。選択肢は広がるな」


「では、基本の生地というのは、この卵の願いの魔法で解決するのが良いだろう」

「え、さっきクレープはできないって」

「言ったな。完成品は無理だ。だが、魔人が言うのは生地のみだろう」

「そう、出来上がり前のクレープ生地だけなら、似たものがありそうだから、よく知るお嬢さんが願いを込めれば目的の生地を生み出す卵も容易いだろうね」

「だが、願いの魔法をサチカがするのか……試練の内容にもよるな」

「えっと、なー君、それって危ないことなの?」

 難しい顔をする案内妖精に尋ねると、大丈夫だろうと気安く請け負ったのは魔人だった。

「願いの魔法は多様な縛りがあるが、ここの願いの試練は簡単。歩いて、到達地で祈れば良いだけだ」


 形の良い指が空を示す。

 その方向を見上げれば、立派な枝振りとさわさわと揺れる白い葉があるばかりだ。


「?」

「見えないかい? ほら、幹の近く」

「なるほど、あれなら問題ないか」


 すぐに理解したナビィからも教えてもらい、ようやくサチカの目がそれを捉える。

 地上から十メートル程の高さにある一本の枝が、地面と水平に伸びていた。



「あれを渡ればいいだけだよ」


 ひどい話だった。

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