6.願いの魔法と魔人のカステラ
肩の上に乗るナビィが、ピリリとした警戒を纏って、突然現れた長身の男に低く誰何をあげた。
「魔人が、こんな低層へ何をしにきた?」
金緑の瞳を眇めて、サチカに対しては端的に移動を指示する。
「左に五歩、名前は呼ぶなよ」
「はい、なー……はい」
ぐいと耳を引っ張られて、言葉の制止と足元の動きを急かされる。サチカは慌てて口を噤み、真横に伸ばした足で男から遠ざかる方向へきっかり五歩分を移動した。
最後の一歩でくるりと身体の向きを変えて相対すれば、珍しい小石を見つけた少年のような好奇心と日向で猫を撫でる好好爺のような穏やかさが混ざる紅い瞳と相対した。
容貌だけなら青年、二十代後半を思わせる円熟にさしかかった雰囲気で、小柄なサチカが仰ぎ見る程に長身の男だ。冷たく整った美貌をしているのに、身に纏う色合いと浮かべる表情のせいか、どこかゆるりとした雰囲気があってその印象が掴みきれない。
金糸の縁取りがある深い藍色の布を重ねた不思議な装束は、腹部や肩口から滑らかな褐色の肌としっかりと割れた腹筋が覗いていた。
金の輪でまとめる髪は腰までの長さで、色はスチームミルクのような柔らかな白をしている。全体的なバランスとしても、カフェラテを連想させる白だった。
しかし、カフェラテと言っても、それはサチカが見知った駅前の喫茶店やカフェスタンドの品ではない。とんでもなく上質な素材を更にこだわり抜いた、違いが分かる人向けに厳選されたカフェラテだろう。
(三つ星とか五つ星とかのホテルにあるカフェの御カフェラテ様的なやつ……御ラテ様)
敬称必須、たった一杯で大衆的な店のランチが食べれてしまう程の価値がある迂闊には注文できない高貴なカフェラテだ。
「おや、案内妖精とは珍しい」
耳心地の良い低い声が呟き、彼の視線がサチカの肩へ向けられる。
その場所は魔力酔いを無理に覚ました反動で未だ調子を取り戻せずに飛べないナビィの止まり木になっていて、サチカの肩に立った案内妖精は美少年らしからぬ舌打ちをしたようだった。
「やっかいなくらい力のある魔人だ。気を付けろよ」
耳元に囁かれた助言に、よくわからないままにも頷いておく。
この案内妖精が、たった一人、身一つで異世界にやってきたサチカの味方なのだ。
心の端で、もしかしたら刷り込み的な信頼なのかなとも考える。
けれど、雛鳥が目の前で動くものを親鳥だと思い込むような心の動きだったとしても、今ある絶対的な安心感は手放しがたいものだ。
ゆっくりとした瞬き一つでその考えに蓋をして、不安な気持ちを閉じ込める。
「そんなに悲壮な顔をしなくても大丈夫だよ、案内妖精君。ここで君たちに害を成すつもりはない」
「魔人の気まぐれを信じろと? 今はってだけで、数秒後には違うだろ」
「おや、これは手厳しいなあ。では誓おうか」
魔人が歌うような朗らかさと世間話の気安さで言う。
ナビィは目を見張って、黙り込んだ。
先を促す賢い沈黙に、彼は微笑みを深める。
「お嬢さんの行手を遮らず、その身を損なわないと誓おう」
ゆったりとした口調で、魔人が宣誓する。
りぃんと遠くで音がして、肩の上の案内妖精が詰めていた息を吐き出した。
どこかで聞いたことがあると思えば、初めて会った時に案内妖精がその魔法で奏でていた見えないグラスハープと同じ音色だろう。
「こいつ、本当に誓いやがった……」
「これで安心だろう?」
唖然とする案内妖精を悪戯っぽい笑みで交わして、魔人はサチカに話しかけた。
「お嬢さんが妖精の主人かな?」
「ええと、たぶんそう……なの? あ、はい、そうみたいです」
案内妖精を伺うと、彼は渋い顔で頷いてみせた。
サチカには、先程のやり取りで何が変わったのかわからなかったが、ナビィの様子からして大きな変化になったことは察することができた。警戒を完全に解かないまでも、会話ならば危険がないということだろう。
「おや、上位妖精の使役を持つ割に、だいぶ謙虚なことだね」
「……しえき?」
「……うん、使役がわからない?」
知らない単語につまずくサチカが首を傾げると、カフェラテ色の魔人も同じ速度でゆるりと瞬く。
「もしや初心者か。迷宮は初めてかい?」
「初心者というか……でも、まだ初心者ですらないそれ以前っていうか……」
女神によってここに来たばかりのサチカは、ある意味では魔人の言う通りの迷宮初心者だった。
しかし、迷宮のことなど何一つわからない初心者以下の状況なので、肯定することすら躊躇われてしまう。
「迷宮は初めてです」
「そうか。では、この卵の木は驚いただろう」
「はい、とっても」
サチカは力強く頷いて、もう一度木を見上げる。
白い葉を透かした優しい木漏れ日が落ちてきて、まるで輝きを浴びるようだった。
「見たことないくらい綺麗で、びっくりしました」
「うん、俺も初めて見た時は驚いた。グランシャリオでもここまで育つのは珍しいんだ」
「そうなんですかー」
にこにこゆるりとした会話は、初めて会ったとは思えないくらい落ち着く雰囲気で、いつの間にか肩の力が抜けて居心地の良さすら感じ初めていた。
サチカは瞬いて、ああそうかと魔人を見上げる。
会話のペースが、サチカと似ているのだ。
「確か樹齢が五百年を超えた辺りだったなあ、蓄えた願いの魔法が満ちたらしくてね」
「樹齢、五百年……!」
卵の木の樹齢に驚いた隙に挟まれてサチカの速度では反応できなかった願いの魔法とやらは、卵に進化を齎すもので、この白い卵の木には迷宮産の卵の木の中でも特別な質の卵が実るのだと言う。
地元民なのだろうか、とても詳しい解説にサチカは感心して頷くばかりだ。
妖精の仮設止まり木になった肩を見れば、ナビィにも知らない情報があったらしく、とても真剣に耳を傾けている。
「もちろん普通の卵としても料理に使えるけれど、この卵は願った物を生む。といっても卵に関する物だけで、願う側の力も試されるが」
「……ということは?」
一粒で二度美味しい的な話を感じ取りつつも魔法周りをまるでわからなかったサチカの疑問を見て、彼は気軽な様子で実践してくれた。
「やってみようか」
手近な枝から一つもぎ取ると、白磁の卵を手のひらで包み込んでゆっくりと口を開く。
耳心地の良い低い声が、願いを紡いだ。
「ーーカステラに」
ぽわりと卵に蓄えられた願いの魔法が温かな光を宿す。まるで桃色の光源を収めた卵型のランプのようで可愛らしい雑貨のようだった。
一度瞬いた光が消えると、魔人はにっこりと微笑んで卵がよく見えるようサチカの目の高さに手のひらを下ろしてくれる。
「カステラになったよ」
「……かすてらに」
「……何でカステラなんだよ」
覗き込んだ先には、木に実っていた時と変わらぬ卵の姿があった。
桃色の光の名残はなく、つるりとした表面は硬質で、サチカが持つ籠の中の卵と見比べても違いを見つけることはできない。
魔人が指先でこつりと殻を弾くと、表面にひび割れが走った。ゆで卵のように殻を剥けば、言われた通りにそこには卵の形をしたカステラが現れる。
「わぁ、本当にカステラだ」
「だから、何でカステラなんだよ?」
ナビィはそこが疑問らしい。
ふんわりと卵の甘い香りが広がるカステラは、二等分にされてサチカの手の中でほこほこの湯気を立てている。
残りの二分の一のカステラをぱくりと食べた魔人に試食を促され、更に半分こにしてナビィと分け合った。
一口齧れば、ふくよかで素朴な甘さが口の中に広がっていく。
出来立てのカステラを食べたことはなかったが、それはまさにサチカも知るカステラの味だった。しかも、お土産ですら滅多に貰えることのない蜂蜜を使った高級なやつだ。
「ふぁ、美味しいです……!」
「うん、王室御用達のカステラを再現したんだ」
「すごい、美味しいです!」
瞳を輝かせたサチカに微笑み返して、彼は今日のお茶請け用にと卵を収穫していく。
サチカは最後のひとかけらを至福と共に飲み込んで、肩に止まる案内妖精を見た。
「ねえ、なー君。この卵に願えばクレープも出来立てで出てくるの?」
王室御用達の菓子ですら願うだけで再現してしまう卵ならば、サチカのクレープも生んでくれるかもしれない。
「クレープとカステラなら、小麦粉、卵、牛乳までは同じだし……あ、でもカステラはバターを使ってないかも」
腕の中の籠には十個の卵。
しかも女神様仕様の特別な籠は、一度収穫したものを無限に取り出せる複製機能付きらしい。
さすが異世界、魔法で一気に仕事が解決するのではと期待したサチカに、腕を組んだナビィは難しい顔をして見せた。
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