4.森の走路と魔力酔い

 サチカにとって、迷宮グランシャリオのドライブは、過酷なものだった。



 光溢れる広場から、瞬きの間に景色が変わったのは、転移陣によるものらしい。

 よくわからないながらも理解しようとナビィの説明に頷いてるうちに、駆動音も振動もなく、滑らかにキッチンカーが前進を始めた。

 丸いヘッドランプで行先を照らし、深い森の道なき道を真っ直ぐに走る。

 ただ真っ直ぐに。比喩ではない直進に気付いてサチカは悲鳴をあげた。


「な、なー君、まえ、前!!」


 足を投げ出すように運転席に座る案内妖精は、ただでさえ体長四十センチ程なので、その視界はもちろん前方を映すはずもない。

 うっかりと心の中の呼び名でナビィに呼びかけてしまえば、彼はサチカを見上げて苦い顔をした。


「まさか、俺のことか?」

「ひゃわわ! それより前!」


 大人が両手を広げても抱えきれないような大木が見る見るうちにフロントガラスに迫ってくる。

 衝突を覚悟したサチカは、彼女史上最高の素早さで案内妖精の小さな体を掴んで抱え込んだ。


「う、ぶわ!?」


 胸元で上がった少年の声が、半ば押しつぶされたようにくぐもり落ちる。


「…………」

「…………」


 ぎゅうと抱きしめた案内妖精の身体は少しだけ冷んやりとしていて、触れた手のひらからサチカの体温がじんわりと移っていく。


「…………」


「………?」


 そのままの体勢でしばらくして。

 いくら待っても衝撃がないことに気付きゆっくりと顔を上げると、目の前には思ってもみなかった光景があった。


 真っ直ぐに空を目指して伸びる黒々とした硬い幹が衝突直前でぐんにゃりと曲がり、恭しくお辞儀をするように道を譲っていく。次も、その次の木も、ドミノ倒しのように後に続いて、キッチンカーが走れるだけの道幅で、サチカ達の為に森が開いていた。

 足元に咲く色取り取りの釣鐘草が誘導灯のように淡い光を点しては、後ろに流れて消えていく。

 驚きのあまり案内妖精を抱えた腕に力を込めてしまえば、うぐ、と小さな呻き声が上がった。


「はわ、わ、えええ!?」


 案内妖精を潰してしまったかと慌てて抱き締めていた腕を解く。慌てていたせいで、腕の中の案内妖精がその大きさを変えていることには全く気付いていなかった。

 吐息が触れそうな近さで、金緑の瞳がサチカを映す。


「……いま、なにをした?」


 顔を上げた少年は、サチカの顔の近くに手を置いて上体を起こした。線の細さを残しながらも、筋肉の筋がわかる長い手としっかりとした作りの肩幅は、サチカとは異なる性別のものだ。

 居心地の悪い狭い座席から抜け出そうとした少年が、喘ぐように浅い息を吐く。狭い車内ではあまり大きな動きは取れなくて、彼の身体は半ばサチカに乗り上げたままだった。

 少年の背で、光を弾く翅が震える。


「……あまい、な」


 甘え匂いがする、と呟く少年の声は、サチカが名付けた案内妖精のものだった。

 頬に触れそうな距離にある水色の髪も整った顔立ちも、サイズこそ異なるものの先程運転席に座っていたナビィと変わらない。


 さっきまで体長四十センチだった彼の突然の変化に、サチカは目を見張る。

 もうサチカとさほど変わらない、むしろ彼女より背が高いかもしれないナビィは、サチカを見下ろして瞳を覗き込んできた。


「これは、……魔力譲渡のせいか」


 サチカの瞳の奥に甘く香る魔力を見つけて、ナビィが大きく息を吐く。


「まさか、なー君?」

「……は、」


 囁き声で呼び掛ければ、目元をほんのりと赤く染めたナビィが苦しげに眉を顰め、サチカの首元に顔を伏せた。

 美少年な妖精の唯ならぬ色気に、サチカは持ち前の鈍さでゆるく瞬く。

 二拍遅れで熱が頬に上がった時には、案内妖精は次の言葉を加えていて、さーっと同じ速さで青ざめた。


「酔った」

「え、酔った? 車酔い?? 気持ち悪いの!?」


 身動きが取れないながらも精一杯伸ばした手でナビィの背を撫でる。

 輝く粉をまぶしたような妖精の翅をすり抜け当てられた温かな手のひらに、ナビィの肩が大きく揺れた。


「……っ!」


 狭い座席の上でナビィが身じろぎ、あ、と思う間もなくサチカの手首が捕われる。

 思いの外大きな手でぎゅっと握られて、拘束するように背もたれに押し付けられた。

 見返した先の金緑色の瞳が、サチカの目を強く射抜く。


「動くな。……少し、待ってくれ。いま、何とかするから」


 ゆっくりと視線をそらして再びサチカの肩に額を寄せたナビィが途切れがちに説明するところによると、突然の変化を含めたこの状況は、サチカからの魔力譲渡なるものの影響らしかった。

 くらくらと目眩う酩酊のような魔力酔いから醒めるには、少し時間が必要で、甘い魔力の残滓が香り立つ今は、極力動かないのが良いと言う。

 突然に供給過多な魔力を充てられ、頬を染める案内妖精の表情は、慣れない酒精に翻弄される美少年でしかなく、初々しくあえかな風情だ。


 仕組みはさっぱりわからないものの、原因が自分にあることを理解して、サチカは自由になる左手をそろりと持ち上げた。

 不自由な姿勢の彼にせめて座席を譲ろうと、シートベルトをカチャリと外す。しかし、ベルトから解放されたはずの肩は、安全装置よりも強い力で、ぐいと座席に沈められた。


「動くなって言っただろ」


 低い恫喝に続いて、軽い痛みが首元に走る。

 皮膚に触れた感覚では、チクリというよりも柔らかで、


「! ……え、いまガブってした?」

「次に動いたら噛みつくからな」

「ええ!? もう噛んだよね、いま!?」

「こんな甘い魔力寄越しといて、更に煽るお前が悪い」

「待って、なー君。なー君て、魔力っていうのを食べるの? 美味しいの?」

「…………まあな」


 返事をしながらも、再度目眩を起こしたナビィは、サチカからの呼び名に否定を入れる余裕を失くしている。

 自損事故で魔力酔いを深めた案内妖精は、くたりと身体の力を抜いて、サチカに身を預けてきた。


「うぎゅう」

 どさりと落ちてきた少年が転がらないよう手で支えて、また動いてしまったことを叱られやしないかと、そろっとナビィの方を見れば、案内妖精はサチカの拘束を解き、ゆらりと瞳を揺らせていた。


「少し、眠ることになる。目的地周辺で揺り籠は停止する、から、」


 とろりと緩んだ金緑色を見惚れる程長い睫毛が覆い隠す。それきり、静かな寝息だけが落ちた。



 案内妖精が沈没しても、キッチンカーは真っ直ぐに走って行く。

 ナビィの肩越しに見える外の景色は、今までの暗い森を抜けたようだった。低木が増えて空を覆う枝の密度が減っている。

 サチカにとっては許容範囲を軽く超える不思議のひとつだが、広大な迷宮の中を正確に突き進む走路は、ナビィがあらかじめ指定した座標のおかげだった。


 森の隙間から光が差し込み始め、くったりと身体の力を抜いて眠るナビィの横顔を淡く照らす。木漏れ日を受けた頬はシミひとつなく、光放つように美しかった。

 ナビィはサチカのことを甘いと評していたが、サチカにしてみれば、この案内妖精こそが甘い花のような良い香りさせていると思う。

 甘さを抑えたジャスミンと温かみのある柑橘系の香りは至近距離になってから気がつく柔らかさで、どこかほっとして眠りに誘われるようだった。

 サイズ変更をした眩いばかりの美少年にのし掛かられた体勢も相まって、そんな場面でもないのに胸がそわそわしてしまう。



「……なー君、寝た? 寝ましたか?」


 首に触れる案内妖精の髪と小さな吐息がくすぐったくて、そーっと囁きかけると、溜息のような深い呼吸が返ってきた。


 動くとまた叱られ、齧られてしまいそうだが、今ならバレないに違いない。


 狭い座席上の不自由な姿勢でも起きない眠りの深さを確かめて、サチカは座席のリクライニングレバーに手をかけた。


「手はそーっとゆっくり。お腹はぐぐっと力を入れて……よし」


 手順を確認して、一気に倒れないよう少しずつレバーを引く。同時に二人分の体重を持ち上げようと反対側の腕をナビィの肩に回し、なけなしの腹筋に力を込める。

 少年サイズの案内妖精は見た目より重たく、しかも意識のない身体は支えがより複雑で難易度が高かった。


 プルプルと腕とお腹を震わせながらの静かな戦いは、努力虚しく最後の数センチでガクンと落ち、驚いたサチカが脱力した二次災害でナビィの背中がどさりとドアにぶつかった。

 ごちんと音がしたのは、ついでに頭も打ったのかもしれない。


 けれど、ナビィが転がったおかげでサチカは上半身の自由を得ることができ、ほうっと息を吐き出した。

 脆弱な腹筋と二の腕がまだ細かく震えるようで、明日は筋肉痛が来るのかもしれない。


 次なる目標の足の自由に狙いを定めてそろーっと腰を運転席側にずらしてみると、ほんのり甘い花の香りがサチカを包み込むように近くなって。



 金緑の瞳がこちらを向いていた。

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