【8】
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【8】
進むほどに低木の生いしげる細い道の先に、どうしてこんなところにと思うような小さなほこらが建っていた。
古ぼけている。
いつから人が来なくなったのか。
そもそも人が作ったものなのか。
崩れかけた屋根を支える木材も腐りかけ、蔓性の植物が巻きついている。
その背後にそびえる二本の大木に目をやった瀬名は、息を飲んであとずさった。
隣で綱が身構える。
木の枝と枝の間には、美しい蜘蛛の文様。 丹念に編まれたレースのような機微は、いっそまがまがしいほどに華麗だった。
朝露がついているかのようにキラキラと輝く蜘蛛の巣には、人間がかかっていた。
じわりじわりと生かさず殺さず置いておかれたのだろう。顔は青白かったが、からだには生気が残っている。
土蜘蛛の毒で仮死状態にあるのだ。
このままじわじわと死を待っても、一年はかかる。意識が昏睡したまま、息絶えるまで生気を少しづつ引き抜かれていく。いままさに、瀬名の両親はその過程にいた。目の前で、宙に浮いている。
「瀬名。気を抜くなよ」
綱の声に、我に返る。
小刀の『吠丸』をジャケットの裏ポケットから取り出して、手に握りしめた。
じわじわと熱が伝わってくる。
大きなエネルギーの波動だ。
吠丸も、土蜘蛛の気配に気づいている証拠だった。
「きららは?」
「姿隠しの術が敷いてあるんだろう。俺の刀が反応してる」
言った綱が小刀の『獅子の子』を鞘に入ったまま逆手にかまえた。
流れるような動きで、宙に動かす。
最後に大きな丸で囲い込む。
円陣だ。綱は宙に描いた魔法陣に向かって息を吹きかけた。
作動の合図だ。
キーンと、耳鳴りのように尖った高温が響き渡った。
瀬名は思わず耳をふさいだ。
脳裏に響く音がそれで防げるわけじゃないが、波動の衝撃は慣れない肉体には苦痛で、そうするしか気の紛らわしようがない。
「耐えろよ、瀬名」
好戦的な綱の声が高揚に呼応して弾む。
結界の空気ごとふるわせるような円陣のあぶり出しにあったきららが、ほこらの前に転がり出るように現れた。
瞬間に放たれる糸を綱が避けた。ついでに突き飛ばされた瀬名も、すんでのところで攻撃を逃れる。
「受け身取れよ!」
「この身体じゃ、まだ拾得してないよ!」
相棒の乱暴さに叫び返した。
「それなら、まっこうから受けるかっ」
「ごめんだよ」
どうなるかは知っている。
あの糸に触れれば、痺れが走るような激痛だ。でも、綱の助けも、肘をしたたかにぶつけて、同じような痛みだ。
「シャァァツーー!」
きららが人語ではない、奇妙な音を発した。不快なおたけびだ。
学校一の美少女だった顔にはくっきりと女郎蜘蛛の模様が浮かび、衣服のかわりに全身を黒と黄色の短い毛が覆っている。
そして、背中から突き出た蜘蛛の足にも、短い毛がびっしりと生え、それぞれが意志を持つようにうごめいている。
「いきり立ってんなぁ! やるぜ。瀬名」
「ちょ、ちょっと待って!」
あわてて飛びついた瀬名がさっきまで立っていた場所を、きららの放った糸が、むちのように貫く。
背後の低木の葉が散らされ、瀬名は顔をしかめてきららを見た。
醜悪だ。
からだのラインもあらわに、全身を覆う蜘蛛の体毛がおぞましい。
言葉は、もう通じないのか。
なぜ、と問うこともできない。
「おとなしくさせれば、少しは落ち着くだろう」
心の中を見透かしたように、瀬名を背中に守りながら綱が言った。
「成長しきっているなら、もうムリだ」
「あきらめるのか。おまえらしくもないな」
綱が、小刀を胸の前に持った。
「あがくのは、俺の得意分野だ。まかしておけよ! 期待には応える男だから、なっ!」
綱は刀を思い切り前に突き出して叫んだ。
「いでよ! 我が剣!!」
「そんな決めゼリフ、いままではなかっただろ!」
瀬名の叫びはむなしい。
時放たれた小刀は鞘から離れるごとに強い光を放ち、一振りの見事な大太刀に変わる。
綱の愛刀。獅子の子。
軽く降ると、その身が発火した。
赤い、赤よりも赤い、紅連の炎。
兄弟刀である吠丸が、瀬名の手の中でわななくように震えた。
自分も放てと、まるでせかすような強いパワーだ。
きららの攻撃を、綱は器用に刀を振って防ぐ。火花が散り、金属音が響く。
「ぎぃぃ!」
土蜘蛛は生まれたときから、土蜘蛛だ。
人が人であるように。
でも、生まれたての土蜘蛛は人と同じ姿を持ち、人語を理解し、理性と思考能力を持つ。
成長の過程でそれらを捨て、本能と闘争本能を持ち、霊力を貯めていくようになる。
そして術師に利用され、国家に仇をなす存在になっていく。
「ギャワッッ! ぎゅいいい!」
きららがどうして、人間の姿を持ち、瀬名の幼なじみとして生き、そして、命を狙ったのか。それを解明することはできないかもしれない。
いつだって、ものごとは理不尽だ。
「綱! 死なせない程度に攻撃してくれ! あきらめるわけがない!!」
「そう来ないと、相棒!」
「引きずり戻してやるッ」
瀬名は叫んだ。
おもいっきり叫んで、自分の手にした小刀の鞘をはずして投げ捨てた。
未熟な肉体のまま受け入れるにはつらい、臨戦状態の吠丸の霊力が怒濤のように身体を巡り、脳天を貫いた。
コンマ一秒。
瀬名は確かに失神していた。
意識はまたしても吠丸のパワーに呼び起こされ、からだの底から突き上げてくる衝動に奥歯をかみしめた。
久しぶりの獲物を前に、吠丸も暴走寸前だ。
「言うこと聞いてくれよ・・・・・・」
懇願するように呟いた。
手にした吠丸はずっしりと重く、両手で持っていても切っ先が下がる。
綱が地面を蹴って駆け出して行くのを横目で見ながら、瀬名は柄を両手で握り、大きく深呼吸した。
吠丸を使うのに腕力は関係ない。
重く感じるのは、波長がまだ同調しないせいだ。タイミングは一度きり。
失敗してもしなくても、脱臼ぐらいは覚悟するべきだろう。
「頼むぞ、吠丸。やってくれよ」
大事なのは、きららを救うことだ。
かつて、心を通わせた。そのことを呼び起こさせる。
きららの中に、あの頃が残っているなら、それは必ずできるはずだ。
そう、瀬名は信じている。
信じたのだ。それしか道がないから、信じるほかにはなにもできないから。
手にした大太刀から流れ込んでくる、冷たい水の波動を精神の奥深くで受け止める。
昔は簡単につなぐことができた吠丸との絆さえ、今は指にひっかけることも難しい。
綱はきららへと間合いを詰めている。
糸を防ぐ度に激しい音が響き、綱の気合いの声が聞こえてくる。
青白い光を放つ吠丸に、瀬名は意識をめいっぱい集中させた。もしもいま、攻撃されることがあれば、吠丸は暴走するだろう。
「ぎゅぐわぁぁぁ!」
きららが、ひときわ甲高い奇声を発した。
綱のふるった剣が、肩に食い込んでいる。身を翻した綱は姿勢を低く保つ。きららの肩から血が吹き出した。
よどんだ緑色の体液だ。
瀬名は現実から目をそらすように、強くまぶたを閉じた。
制服のスカートを翻し、いたずらな笑みを浮かべていたきららの顔。
だらだらと延びた坂の途中で、初めて会ったとき、あどけない目で見上げてきた、かつてのきらら。
どれも大切な存在だ。
自分の愛するものは、すべて等しく、かけがえがない。
吠丸が低い音を出した。
大太刀が震え、刀身から清水が湧きだしてくる。激しくうねり、きよらかな水泡を含み、きらきらと静かな輝きを放つ。
「よしっ!」
大きくうなずいて、瀬名は顔をあげた。
腕が抜けそうな重さは変わらないが、吠丸から伝わってくる波動が、ゆるやかに、けれど激しくからだを巡っている。
確かな自信がみなぎる。
迷いも疑いも、今は忘れるべきだと、精神に蓄積された長い年月の記憶が教えてくれる。
「綱ぁ!」
おぞましい怪物と化したきららを痛めつけていた綱が、後方宙返りで土の上に着地した。肩越しに振り返って、にやりと笑う。
間髪入れずに繰り出される、針のように尖った糸の攻撃を、大太刀を片手で振り回して軽々と打ち落とした。
悪臭のする体液をまき散らしながら、土蜘蛛は苦痛とも怒りとも取れるすさまじい声を発する。
背中の皮膚を突き破って伸びた節足動物の足は無惨にへし折られ、攻撃を繰り返す腕も一本すでになかった。
攻撃力を半減させる有効な手段だが、綱のやり方は遠慮というものがない。
「来たか、遅い!」
「ってか、もう少し、手加減しろよ!」
「腕の一本や二本。仕方がねぇだろ」
土蜘蛛の最終的な攻撃は口からの濃硫酸のようなものを含んだ糸だ。それをまだ繰り出して来ないところを見ても、きららはそれほど攻撃力が高いとは言えない。
「もう少し遅かったら、もう一本ぶったぎるとこだったな」
駆け寄ってきた綱をにらみつけてたしなめ、
「一本だけでも、あとで責任は取ってもらう」
「時間を稼いでやってんのに、その言い方はないだろ」
「関係ないよ」
ばっさり切り捨てて、瀬名は刀の切っ先を下げて正面に構え直した。
「決着つけろよ」
いつでも攻撃できる態勢を整えた綱が、隣で言った。
「俺が切り込むから、その後に続け」
「わかった」
手短かに同意した。
チャンスは一度だ。
吠丸との同調も、体力から言っても、それが限界だろう。
「行くぞ!!」
綱がゴーサインと共に駆けだした。その背中だけを追って、瀬名も走り出す。
土蜘蛛の攻撃を打ち払い、綱が片膝を土についた。
「次が来るぞ!」
叫んだ声に、応える暇はない。
立て膝を踏み台にして、瀬名は飛び上がった。両手にしっかりと握りしめた吠丸を頭上に構えて、ジャンプに合わせて振りおろす。
刀身が風を切る。
腕に風圧の痺れが走る。
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