21

 白装束から用意された服に着替え、屋敷を出た途端に飛んできたヘルメットを瀬名は間一髪のところで受け止めた。

 あやうく、こめかみに食らうところだ。

 にらみつけると、緑地迷彩のアーミーパンツを履いた綱はケラケラと笑って歩き出した。

 瀬名はヘルメットを抱えて、後に続く。

 綱のアーミールックをカジュアルダウンさせた豪快な服装に対応するような、瀬名の細身のワークパンツと長袖のシャツは、公時のチョイスだ。

 彼ほどの体格があると着こなせない、こぎれいなファッションを真っ向からぶつけるセンスはあなどれない。


「マメ。瀬名のジャケットは」


 門を抜けてすぐに目に飛び込んできたのは、どかんと存在感のある赤い大型バイク。

 綱の愛車だ。


「ここに」


 卜部とともにバイクのそばに立っていた公時が、ジャケットをひなぎくから受け取って答えた。


「気をつけてね。瀬名」


 手渡されたジャケットは、ライダーズジャケット。綱は小脇に抱えていた、ダメージの入ったカーキ色のジャケットをはおる。


「知ってるか、瀬名。今のナチの制服着てると白い目で見られるんだぜ」


「昔だって着てる日本人はいないよ」


「このジャケットは、ドイツ軍モデル」


「ダメージは本物?」


 腕のあたりにあるほつれのような生地の傷を指さすと、卜部が公時の後ろから現れて、眼鏡を指先で押し上げながら眉をひそめた。「本物だよな。新品のバイクに乗ってすぐに、そこの山でスリップして投げ出されたんだよ。だから。自前」

 言葉の端々から、チクチクと責めるムードがにじみ出てく来る。

 綱は目をそらし、


「そう。納車されて三日目だったよね」


 公時はあきれたように肩をすくめた。


「仕方ないだろ。馬と違うんだから」


「それさぁ。初めて車に乗ったときも言ってたよな」


「忘れもしないよ」


 卜部がうなずきながら、あとを奪う。


「あ。まだ忘れてないんだ」


 瀬名は驚き半分納得半分で、道長が融通する軍資金の管理を任されている卜部を見た。


「思い出したんだよ。高級バイクを一瞬でおしゃかにされて、記憶が走馬燈のように」


 要は怒りで目の前が暗くなったと言うことか。


「そんな話。今はいいだろう」


 話を右から左へすらりと流して、綱はヘルメットをかぶった。


「行くぞ、瀬名。日暮れにはつく」


「あ、わかった」


 まだ言い足りない表情の卜部に苦笑を向け、公時にも視線を向ける。


「行ってきます」     


「気をつけて」


 公時がまっすぐな子供の目で言った。


「瀬名。無理はしなくていい。綱に任せれば片はつく」


 卜部の視線が、バイクのエンジンをかけた綱に向く。


「邪魔にならないようにがんばってくるよ」


 笑って答えた。

 卜部は知っているのだ。きららがあの時の土蜘蛛だと知っている。


「役に立つとは、まったく、思ってないから安心しろ」


 バイクにまたがった綱が、指で後部座席を促す。瀬名はうなずいた。


「それじゃあ」


 手をあげて身を翻した瞬間、腕を掴まれ、驚いて振り返る。


「長く生死を繰り返して、それでも、明日の希望を忘れることができない。そうだろう、貞光。おまえも、そうだろう」


 あの時、貞光を探しにあの町に入って、彼は何を見ただろう。


「この国は滅びなかった。それだけでも良かったんだ」


「だけど、おれはもう知ってるよ」


 ヘルメットをかぶって、瀬名はまぶしさに目を細めるようにして卜部を見た。

 育ててくれた両親の愛は本物だった。

 いつのときだって、そうだった。

 記憶を忘れ、みんなが集まり、そうしてまた記憶を取り戻し、また失われていく。

 同じ繰り返しの中で、仲間がくれる暖かい存在感をいつも感じていた。

 幸福だった。

 だから、あのとき、救ってやりたいと心から思っていた。


「一度、地上に出た悪魔は、もう二度と地下には潜らない」


「貞光」


「結果はもう変わらない」


 もしも変えることができるとしたら。

 方法はたったひとつなのかもしれない。

 それを信じて貞光は、記憶を遠くに封じ込め、一人の少年として育つ瀬名に期待を込めたのだ。

 気遣うような卜部の表情に、にこりと笑顔を返して、瀬名はバイクにまたがった。


「瀬名ぁ。カッコつけてないで、腰をつかんどけよ」


 綱が勢いよくエンジンをかけた。

 バイクはいななきのような激しい音をさせて振動した。


「けっこう、暴れ馬だからなー!」


 あーはははと、大きな笑い声を門前に残して、綱はアクセルをいきなり開けた。


「ぎゃー! 死ぬ!」


 笑い声と悲鳴が入り交じって、バイクは急発進。

 その場に残された卜部はため息をつき、公時はけらけら笑って喜んでいるだろう。

 瀬名は、暴れ馬そのものの挙動に振り落とされないよう、綱の腰にしがみつき、悲鳴を押し殺すのに必死になった。

 バイクは山を越え、いくつかの町を抜け、そしてまた山の奥へと進んで行った。


 

 そこが目的地だと言うことは、瀬名にも人目でわかった。

 めったに車も通らない林道の途中に、長いスカートをはいたかずらが立っていたからだ。

 偶然にここを通りかかる人がいたら、間違いなく目を疑うだろう。

 長い髪と肉感的なからだを合わせ持ったかずらが、こんなところに一人でたっているのはあまりにも場違いすぎて、違和感を飛び越えてちょっとしたホラーかもしれない。

 しかも夕闇迫る黄昏時。

 昔、このあたりでどうにかなった女の霊が。なんて妄想が瀬名の頭の中を駆け巡る。


「お疲れになりませんでしたか、瀬名さま」


 柔らかく微笑んだかずらは、瀬名のくだらない妄想など百も承知の顔をしている。


「大丈夫だよ」


 手にしたヘルメットを綱に奪われた。


「お車でお連れできたら良かったんですけど、ここまでの道が混むものですから」


「これぐらいの距離なら、今はバイクの方が早い」


 ヘルメットをバイクのハンドルにかけた綱は、林道から山へと伸びる細い道をのぞき込んだ。


「わりに強い結界だな。瀬名、わかるか?」


「綱さま。まだムリですわ」


 のぞき込もうとした肩を掴まれ、瀬名は振り返った。


「およしになってください。障気にあてられます」


 潤んだ瞳と視線がぶつかった。


「え・・・・・・、うん」


「中はそれほどではないと思います。ご無理はなさらないでくださいね」


 かずらの両手が、手をにぎりしめてくる。

 ひんやりと冷たい肌の感触が心地いい。


「過保護だなぁ、かずら。一度ぐらいは俺にもそういう心配をしてくれればいいのに」


 思ってもいないのが手に取るようにわかってしまう口調で言った綱は、かずらに流し目でにらまれて肩をすくめた。


「貞光はそんなにやわじゃないだろ」


 さすがに色っぽいかずらのにらみには弱いのか、目をそらして腰に手をあてる。


「瀬名さまのからだがついていきません。そうでなくても、本来ならこんな急に」


 瀬名は二人の間に割って入った。


「いいんだから、かずら。おれが記憶を取り戻す前に、討とうと思えば討てたんだ。待ってくれたのは、これがおれの仕事だからだ」


 うつむいたかずらの肩は細く、抱き寄せたいほどに頼りない。

 式神だとわかっていても、目の前にいるのは一人の女性だ。


「中にいるのは、あの土蜘蛛なんですね」


「そうだよ、きららだ」


「かずら、つらいならひなぎくを呼んで代わってもいいんだからな」


 綱の言葉に、はじかれるようにかずらが顔をあげる。

 ウェーブのかかった髪が、細い輪郭の周りで揺れた。


「つらくなどありません!」


 叫んだかずらは、自分の声に驚いたように目を丸くした。

 一瞬、瀬名に視線を向け、すぐにすがるように綱を見た。


「おまえを指名したのは誰だよ」


「頼光さまです」


 消え入りそうなかずらの声。

 綱はおおげさに肩を上下させ、深く息を吐き出した。


「あの人は酷だな」


「あなたよりは、人の心がわかりますわ」


「お言葉じゃないか」


「そうでしょうか」


 ちくちくと言葉の刺でつつきあう二人の中に、瀬名はまた飛び込んだ。


「いまのおれだと、やっぱりかずらがいた方が助かるよ。一番、波長が合うから、力も安定するだろ」


「なんだよ、焦った顔して。俺とかずらが引っかき合うとでも思ってんのか」


「デジャブみたいに、昔を思い出したんだよ。いま」


 手が出ることはないが、この二人の口論はひどいのだ。このままにしておけば、聞いている方がトゲに刺されて痛くなる。


「申し訳ありません」


 かずらが、しゅんとうなだれると、元からのたおやかな美貌に可憐さが加わり、楚々とした色気が増す。

 綱はバツが悪いのか、ズボンの後ろに両手をあてて悪かったなとつぶやいた。


「行こう、綱」


 瀬名は暮れていく空の色に呼応するように、激しくなる虫の音に意を決した。

 行かなければならない。


「覚悟はできてる。もう、納得しているから」


 きららを討たなければ、両親を助けることはできない。

 それならば、もう迷うのはよそう。


「おまえは手を出さなくていい」


 綱の言葉に、ふっと息を吐きながら瀬名は笑顔を返した。


「そうはいかないよ。あきらめたわけじゃないんだ」


 短刀を隠し持っている胸のあたりを手のひらでたたく。


「おれには、これがある」


 かずらの視線に応え、宣言するように口にした。

 きららを倒さなければ、両親は救えない。でも、あきらめることもできない。

 たとえ命を狙ってきた土蜘蛛だとしても、きららはきららだ。

 瀬名の幼なじみで、そして、半世紀前、確かに心を通わせた、貞光の御使い。

 土蜘蛛として成長したのだとしても、名を与えた契約が簡単にちぎれてしまったとは思いたくない。

 だから。

 炎を従える、綱の愛刀が降魔の剣ならば、水を操る瀬名の太刀は、浄化の剣。

 いまは、それに、すべてを賭ける。 


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