13
「・・・・・・あぁ」
口ごもった瀬名の居心地悪さを感じたのか、綱は押し黙るのをやめて口を開いた。
いつも怒ってばかりなのに珍しい。
「道長様は、政治家だって言っただろ」
「うん」
「晴明は呪術師だ。陰陽道は、魔を祓えても、調伏はできないんだよ。仏教は護国の術を敷き、陰陽道が生まれ出る魔を払う。それは一時的なものだ。外に追いだして、中に入れないようにする。相手が生霊や死霊の類なら、肉体に戻すか成仏させるって手があるんだけど。わかるか」
「わかるよ」
「じゃあ、術の歪みから、生まれ出たとしたら?」
視線を向けてくる綱に、
「実体がないって、こと?」
瀬名は自信なげに答えた。
「ご名答」
綱がパチンと指を鳴らす。
「追い出して中に入れないようにしても、消えなければいつかは侵入を許してしまう。そんなことは何度もあった。国を真空パックにはできないだろ? そんなことしたら、生きてる人間ごと死ぬからな」
「じゃあ、」
「そこで、俺たちだよ。まつりごとを行うのは政治家、呪術で守護するのは呪術師。俺たちは、魔を討つ。武士だから」
「あの、剣で」
ごくりと息を飲んだ。
「そうだ」
綱がうなずく。
「俺の『獅子の子』も名刀だけど、おまえの使ってきた太刀も比類ない宝刀だ」
幹線道路に立ち並ぶ飲食店の明かりで、綱の表情が良く見えた。
彼の中には、かつて見た貞光の大太刀が思い浮かんでいるのだろう。懐かしみを感じている瞳の奥は、慈しみでやわらかく潤んでいた。
綱の太刀は、降魔の剣。紅蓮の炎をまとった、灼熱の刃。
だとしたら、貞光の使う太刀は。
瀬名は自分の掌に視線を落とした。
水の剣。
その姿は、想像もできなかった。
明け方に、夢を見た。
ぼんやり顔をあげると、スミレ色の空に白い雲がたなびくように伸びていた。朝を迎える前の、ほんの瞬間のすがすがしさ。
まだ太陽の光に焼かれていない、冷たく澄んだ気配が窓越しにも伝わってくる。
「瀬名さま。お目覚めですか」
運転席から、ひなぎくの声がした。
静かで穏やかだ。
夜通し高速道路に車を走らせ続けた疲労の影もない。
式神だからではなく、彼女自身、よほど運転が好きなのだ。
綱は反り返るように腕を組んで目を閉じている。寝ているのか、実は起きているのかわからないが、厚い胸板のあたりは穏やかな呼吸に合わせて上下していた。
濃い眉が凛々しい、造形のはっきりした綱の横顔は、目鼻のおうとつがはっきりしている。いつもむすっとしているくちびるも、今はやわらかな曲線だ。
瀬名は視線を反対へと巡らせた。
澄んだ朝の空気に広がる太陽の光に、夜の色が一段と消えていく。
夢の中に出てきたのは、きららだった。
ツインテールの髪を揺らして、とても楽しそうに笑い声をあげながら振り向いた。
レースのスカートが波打って、小さな頃から少しも変わらない大きな瞳に、瀬名の姿が映り込む。
その姿に、あの日のあざやかな黄色の隈取りはなく、土蜘蛛のまがまがしさは微塵も感じられなかった。
彼女が敵だとは信じられない。
何かの間違えだ。きっと、からだを乗っ取られているだけで、きっと、助かる道はあるはずだ。
絶対に、ある。
くちびるを軽く噛んで、瀬名は窓の外をにらんだ。それから手のひらに視線を落とす。
湧き出ろと念じても、振ってみても、水らしきものは一滴も現れない。
でも確かに、指先から滴は生まれ、そして指先は頼光のからだへと忍び込んだ。
指先がなにかに触れたときの感覚を思い出し、瀬名は目を閉じた。
痺れに似たそれは、せつない心地にも似ていた。
タイヤ音さえ静かな車内で、再び綱へと向けた視線をそらすと、ミラー越しにひなぎくと目が合った。
見透かした優しい微笑みに、笑顔を返そうと思ったがうまく笑えなかった。
ケンカを売り続けてきた綱が不機嫌だった理由がわからないわけじゃない。
どんなに瀬名が身に覚えがないと言っても、貞光だと信じて疑わなかった公時や卜部以上に、かつて親友だった綱は歯がゆかったのだろう。
「高速を降りれば、すぐですから」
ひなぎくが言った。
記憶が戻れば、綱とのことも思い出すのだろうか。そのとき、自分はどう変わってしまうのだろう。
「ひなぎく、綱は、オレが貞光になればいいって思ってんだよな」
瀬名のままじゃいられない。
「いいえ」
優しい声がひそやかな響きになる。
「瀬名さまは、瀬名さまのままでいいんですよ」
「でも」
「誰ひとりとして、貞光さまになれとはおっしゃっていませんわ」
瀬名は黙った。
ひなぎくが続ける。
「貞光さまのご記憶とお力を取り戻していただきたいだけです。すぐにおわかりになります。あなたはあなたらしく、いらっしゃれば、それでいいのですから」
車が左に逸れ、高速道路の出口へと降りていく。
「オレらしく」
そんなに明らかなアイデンティティがそもそもあっただろうか。
瀬名はぼんやりと空を見上げた。
「わざわざ、外で会う必要がどこにあるんだよ」
隣を歩く綱がぼやいた。
高速道路を降りて京都市内に入ってからも、ひなぎくのぶっ飛ばし運転は続き、早朝で車の少ない大通りを走り抜けた車は、バス専用の駐車場で止まった。山道とも高速道路とも違う、信号をすり抜けるような恐怖におののいていた瀬名は、車から出るなりに大きく息を吸い込んで胸をなで下ろした。
ある意味、生きていることが奇跡に近い。
「瀬名さま、京都は初めてでいらっしゃいますか?」
人に与える恐怖については、あえて無視しているのだろう式神は、瀬名と綱の前を軽やかな足取りで歩きながら振り返った。
長い髪とワンピースの裾が柔らかく揺れる。
まだ早朝過ぎるせいか、観光地には三人の他に人影もない。
チチチと、細くて高い鳴き声が遠く聞こえた。
空は高く澄んでいる。
「え、あぁ。高校の修学旅行が京都なんだけど」
綱のぼやきに気を取られていた瀬名は慌てて答えてから、
「行けるのかな。オレ」
ぽつりとこぼす。道路沿いに植えられた松の木はどれも立派だ。伸びた枝に常緑の葉を茂らせている。
「おまえ次第だろ」
すかさず言った綱の向こうに、松の枝の間に見え隠れする巨大な鳥居の一角がよぎった。
鶴岡八幡宮の大鳥居を漠然と思い出した。
すべてはあの景色から始まったのかもしれない。
ふいに物思いへ捕らわれた瀬名は、綱があご先で示した反対側に顔を向け、巡らせた思考もそこそこにあんぐりと口を開いた。
大鳥居と同じ、あざやかな朱色の柱。深緑色の甍。まぶしいほど白い壁面。
まだ拝観開始前なのだろう。圧倒してくる大門の扉はどれもぴっちりと閉まっている。
「すっげ」
瀬名は息を吸い込んだ。
「平安神宮です」
ひなぎくは明るく言った。その足は正面に三つ並んだ大きな扉を避け、一直線に右端の戸へ向かう。
ぴったりと閉まっている戸は、それでも人が二人、並んで入れるほどの余裕がある。
「門だけで驚いてんだからな。中を見たら、あごがはずれるんじゃないのか」
重そうな扉をいとも軽そうに開いたひなぎくに促された綱が、笑いながら中へ入る。
「びっくりしただけだよ。京都って茶色の建物ばっかりだと思ってたから」
瀬名も次へ続いた。
「それは偏見だろ」
「偏見じゃないよ」
綱の背中を追いかける。
門を抜けた先で綱がひょいと横にずれ、瀬名の視界が広がった。
初秋の涼しい朝の風が、開けた空に薄雲を流している。人のいないがらんとした広場は白石で覆われ、ずっと先に、威風堂々としたたたずまい。
赤と緑と白がまぶしい、優雅な姿だ。
「な。あごがはずれるって言っただろ」
綱の勝ち誇った声。
瀬名は二度、まばたきをした。
「人がいないから、壮観だな」
腰に手を当てた姿勢で、綱があたりを見回した。
「映画の、セット・・・・・・?」
銅板細工の釣り灯籠がかかった回廊に囲まれた広場は、半ばで一段あがって続き、絢爛な社殿の左にはつややかな枝の橘が、右にはやわらかく咲いた季節はずれの桜が植わっている。
「いえ、れっきとした神宮です」
いつのまにか、ひなぎくが隣に並んでいる。入ってきた戸は再び閉じていた。
「平安京創始者の桓武天皇と平安京最後の孝明天皇をお祀りしています。目の前の大極殿、左右の蒼龍楼、白虎楼、今通られた応天門は建都当時の御所内にあったものを縮小して建てられています」
「建都当時って。今の御所じゃないの?」
右方向に東山のなだらかな姿が見えるが、正面の大極殿の向こうにはただ空が広がるだけだ。
まるで中国王朝の映画を見ているようで、瀬名はただただ細長い息を吐く。
「現在の御所は場所も当時とは違いますので」
「え。そうなの」
「第一、平安時代だって何度も燃えてるからな」
綱が振り返る。
「はー」
「なんだ、そのあいづちは」
「すごいな、と思って。御所の中ってこんな建物があったのか」
「そうそう。あったんですよ」
「でも、誰も見たことないんだよな」
歩き出した綱を追いかける。
「これを作った人間はな。建てられたのは明治だ」
「それって、ほぼ妄想ってこと?」
「それは、言い過ぎだろ」
笑った綱に拳で軽く腕を叩かれた。
指で指し示す桜の木のそばに、人が立っている。
「あれって」
建物に気を取られていたが、確かに長身の人物が二人並んでいる。
近づくと顔がはっきりしてきた。薄手のジャケットを着た男の方は、久しぶりに見る知った顔だ。
「保昌さんだ」
もう一人の方は、保昌に隠れてよく見えない。
「あいつ、顔を見せないと思ったら、あんなところにいやがんの」
「綱さま、お言葉が汚のうございます」
「ごめん、ごめん。ついつい本音が」
ひなぎくにたしなめられ、綱は顔の前で手のひらを立てるようにして振り返る。
瀬名は二人のやりとりを聞きながら、目をこらした。
造花だと思っていた桜が散っている。
まだ満開に花開いているというのに、木の下はあざやかにピンクのじゅうたんを敷いたような有様だ。
片手をポケットに入れた保昌が気心知れた仲のように、瀬名に向かって手をあげた。
その瞬間、風が吹いた。
と、瀬名は思ったのだ。
保昌が動いたことで、隠れていた女が姿を見せ、桜が一斉に吹き流れた。
見たことのない、絵のような美女がそこにいた。
長身な上に頭部はきゅっと小さく、でっぱりとくびれのはっきりとしたグラマラスな体のラインに沿った白いワンピースは、たっぷりとした袖のドレープの先端へ向けて白から桃色へのグラデーションが美しい。
スカートは前上がりにスリットが入り、長くて細いすねとひざをあらわにしていた。
長い髪はするりと胸元から流れて、腰のあたりまで覆っている。
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