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【5】


「起きたばかりのところ、悪いんだが、この流れで京都まで行って来てくれないか」


「はい?」


 自室としてあてがわれている和室に敷かれた布団の上で瀬名は、手渡された湯呑みを口元へ近づけた。

 甘ったるい匂いがする。


「薬草だよ。小夜鳥が煎じたものだから」

 そばに座った卜部が京都の話を脇へ置いて勧めてくる。

 ぼんやりした顔の瀬名はおそるおそる口をつけ、中身を喉へ流し込んだ。何の匂いだろうか、花や果実の甘さが鼻に抜けて。

 直後に、尋常じゃない苦味が瀬名を襲った。


「!」


 咳き込む間も与えないほどの衝撃だ。眠りから覚めたばかりの頭を殴られるようなショックに目を見開いて、本能的に舌を思い切り伸ばした。


「水だよ」


 差し出されたコップをひったくって、水を一気に飲み干す。


「小夜鳥の気付けはよく効く」


 瀬名からコップを受け取った卜部の声に、笑いのニュアンスがにじんでいた。


「これ、って」


「一口飲めば、それでいいんだよ」


「え」


「目が覚めただろう。調子が悪ければ、匂いを嗅ぐのも嫌な代物だから、口に含めただけ良かったみたいだな」


 怜悧な印象の眼鏡のふちを光らせて、卜部は湯呑みとコップの乗った盆を遠ざけた。

 さっきまでぼんやりとうつろだった瀬名の目はすっきりと冴えている。


「頼光さまは・・・・・・」 


 気を失う前に見た、倒れ込む頼光の姿を思い出して、瀬名は苦く顔をゆがめた。

 公時の叫びが、耳の奥に残っている。

 乱暴な行為だった。経験してみて、本来は神聖な儀式として行われていることだと実感した。軽く考えれば、互いがただでは済まないだろう。


「眠っていらっしゃる。瀬名に責任はないよ。わかっていてやったことだ。公時以外は」


 指先で、眼鏡を押し上げ、


「あの子には話さなかった。承知するはずがないからね」


 下を向いて、くちびるの端を上げた。


「瀬名にも負担をかけたな」


「いや、俺は言われるままにやっただけで」


「あぁなるとわかっていて、させたんだ。悪かった」


「謝らないでくださいよ・・・・・・」


 みんなが、誰よりも頼光を大切に思い敬っていることは、一緒に過ごして来て知っている。

 そんな卜部と綱が、瀬名だけでなく頼光も昏倒するとわかっていて試したのだ。


「申し訳ないが、ついでと言っては何だが、京都まで」


 卜部の言葉に、瀬名は目をぱちくりさせた。寝起きの頭が聞き間違えていたわけではなかったようだ。

 京都、と言えば、新幹線で二時間。

 近いようだが距離は相当なものだ。


「向こうに、貞光の記憶を取り戻すための最後の手段がある」


「さっき、話してましたよね」


 綱が言い出し、頼光にたしなめられていた。その時は意味がわからなかったが。


「詳しくは車の中で綱から聞いてくれ」


 卜部が手を叩くと、花槻が部屋に入って来た。手には小さなボストンと、瀬名の着替えらしき衣服を抱えている。


「瀬名さま。ご用意は整っております。お召しかえになられましたら、おでかけを」


 畳の上をすり足でやってきて、にこりと笑った。


「卜部さん?」


「そういうことだから」


「そう言うことって!」


「もう時間が遅くて、ここからでは新幹線の駅にも間に合わない。少し窮屈な思いをするかもしれないが、車の運転はひなぎくが行うから何の心配もないよ」


 こともなげに言ってくれるが。


「本気なんですよね」


「朝には着いてもらわねば、向こうがうるさい」


 神経質そうにぎゅっと眉をひそめた。


「向こうって、なんですか」


「それも、綱さまがご説明になりますわ。さぁさぁ、お着替えを。花槻がお手伝いを致しましょうか」  


 そう言えば、瀬名が慌てふためくとわかっていて、意地が悪い。


「自分でやります!」


 花槻の手から服を奪って、瀬名は立ち上がった。


「一瞬で京都まで行けるとか、そういう不思議部屋とかはないんですか」


 卜部を振り返ると、


「ないねぇ。あいにくと」


「式神ならできますけれども」


 二人は顔を見合わせて笑っている。


「卜部さん、おもしろがってます?」


「まさか。出来ることなら私が一緒に行きたいぐらいだよ。久しぶりに顔を合わせて、瀬名がどんな反応をするか、本当に楽しみなんだが」


 今までにない人の悪い顔をして笑いながら、卜部は立ち上がった。


「綱の方は準備できているのか」


「えぇ、すでに」


「様子でも見ておくか」


「よろしゅうございますね。瀬名さま。お着替えになられましたら、玄関のほうへおいでください。お車の準備もすでにできておりますので」


「あんまり、のんびりしていると、ひなぎくが手伝いに来るぞ」


「着替えるぐらいで、時間は取りませんよ」


 瀬名は開き直って二人を部屋から追い出した。

 どうにも式神たちは瀬名の着替えを手伝いたがる。

 自分が恥ずかしがるから面白がっているのだろうが、卜部や綱は手伝わせているのだろうか。

 卜部と花槻で想像してみたが、あまりにもありえる光景すぎた。



「ちょ、ちょっと! ひ、ひなぎくッ! は、速くないない!? カーブ、カーブ」


 助手席のシートにしがみついて、後部座席に座る瀬名は悲鳴をあげた。

 フロントグラスの向こうに迫る岩肌。車はブレーキ音を響かせて右に曲がる。タイヤが軽くスリップした。


「ブレーキ! ブレーキ! ひなぎくぅッ!」


 幼さの残る容姿に似合わず、運転免許を持っているのかどうかも怪しいひなぎくのドライビングはスピード狂そのものだ。

 エンジン音とブレーキ音を響かせ、その度にタイヤと瀬名が甲高い声をあげる。


「ちょっと落ちつけよ」


 隣に座る綱に、ぐいっと肩を引かれた。


「お、落ち着けないよ!」


 カーブを曲がる瞬間の強いGに、シートから手が外れ、瀬名は転がるように綱の胸に頭をぶつけた。


「シートベルト締めていれば、じきに慣れる。第一、山を過ぎれば、すぐに高速に乗るんだから」


 言いながら綱は瀬名のからだを後部座席に押し付けてベルトを止めた。


「事故ったら、どうするんだよ」


「しないよ、そんなこと。子供用のジェットコースターにでも乗ってる気分でいればいい」


 軽く言って、目を閉じてしまう。

 瀬名はなおも何か言おうとしたが、口を開けば舌を噛みそうで止めた。子供用のジェットコースターであろうと、命に危機にさらされればこわさは同じだ。

 車は夜道を爆走する。

 ひなぎくの指先が手元のシフトレバーをなぞる。いまどき、珍しくミッションカー。

 電灯もろくにない山道を駆け上り、峠を越えて、驚異的なスピードで駆け下りていく。

 ろくに対向車がいないからいいものの、カーブを過ぎた先に遅い先行車なんかが現れた時には、考えたくもない結果になりそうだ。


「どうして、俺なんだろうな。マメが行けばいいと思わないか」


 ふいに綱が口を開く。

 車のライトに、ガードレールが照らし出された。


「思いませんわ」


 ひなぎくが軽やかな含み笑いをこぼす。

 マメと言うのは、公時のことだ。綱一人がふざけて使う愛称だ。


「ごめん。オレのせいで。迷惑かけて」


 窓の上部に取り付けられた手すりに掴まりながら、瀬名は二人の会話に割って入った。


「瀬名さまが気に病まれることではありませんわ」


 肩越しに振り返ろうとするひなぎくに、


「前! 前、見て!」 


 瀬名は飛び上がらんばかりの勢いで叫んだ。油断も隙もない。


「あら、失礼しました」


「き、気を付けて。ホント。ガードレール突き破ったら大変だから」


 冷や汗が背中ににじむ。


「オレ一人なら、新幹線でだって」


「いや、それは卜部が渋るだろ」


 綱が苦笑した。


「卜部が過保護じゃないのは、俺に対してだけだからな。貞光ならともかく、瀬名を一人でなんて行かせるわけがない」


「はぁ」


 瀬名は中途半端な相づちを打った。


「綱さまは、晴明さまが苦手なだけですし、私たちもあちらに用がありますから、本当にお気にならさなくていいんですよ」


「マメみたいに懐けるほうが不思議なんだよ」


 ぼやいた綱はちらりと瀬名を見て、


「貞光も苦手じゃなかったけどな。おまえは、どうだろうな」


 胸の前で腕を組んだ。


「セイメイって人が、今から会いに行く相手?」


「安倍晴明だよ。名前ぐらいは知ってるだろ。映画だの小説だので、さんざん名前が売れたからな」


「陰陽師の」


「まぁ、言ってしまえばそれだけど」


「綱さま」


 車が市街地に出たからか、ひなぎくの運転が少しはなごやかになる。

 たしなめるように名前を呼ばれた綱は、気にもせずに、にやりと笑い、


「あれはキツネだよ」


「キツネ?」


 おうむ返しに口にした瀬名は、バックミラーに映るひなぎくを確かめた。

 軽くため息をついたのがわかる。


「晴明さんも仲間?」


「まぁ、そんなもんだな。今風に言えばアドバイザーってヤツ? 会えばわかるけど、俺たちみたいな人間じゃないから、京都から出ることもない」


「人間じゃないって。本当に、キツネ、なのか」


 こっそりと声をひそめた瀬名をちらりと見て、綱が楽しそうな表情で肩をすくめた。


「狐のときもあるし、そうじゃないときもある。俺たちが土蜘蛛を狩る理由を作ってるのがヤツだよ。晴明が敷いた呪術で日本は守られてる。でも、メンテナンスまで手が回らないんだよ。さすがに一人じゃな」


「晴明さまは神州日本の守護の要」


 ひなぎくが詠うように言った。


「この国に張り巡らされた術をお守りになるために、肉体はご放棄なさったんです」


「必要ないさ。あいつには。・・・・・・完成させるために必要としただけだった」


 つぶやくような綱の向こうに対向車が走り去る。ライトの光が流れた。


「その術をかけさせたのって、一條官房長官ってこと?」


「あの人は、しいて言うなら監視者か。根っからの政治家だよ」


「じゃあ、」


 なおも聞こうとした瀬名に、綱が顔を向けた。くっきりとした眉の凛々しい顔立ちに、真剣そのものの表情を乗せ、


「口にするのははばかられる」


 言ってから、ふっと笑った。


「思い出せよ」


 もう聞くなと言外に釘を刺された。

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