11


「頼光さまは、その身に五本の宝刀を収めておられる。御身自体を鞘として」


 卜部の声は朗々と、瀬名の耳に流れ込んだ。


「我々は頼光さまと繋がることで、一番大きな力を得ることができるんだ。それを、今から綱が見せる」


「良く見ておけよ」


 頼光が静かに言った。

 いつもの気だるさも、軽薄さもない。


「綱、行くぞ」


「御意」


 答えを待たずに、頼光はまぶたを閉じた。

 白い頬がいっそう青白くなったように見えたのは、瀬名の気のせいだったろうか。

 『獅子の子』を自分の体内に戻した綱は、右手で拳を作り、精神集中のための腹式の呼吸を幾度か繰り返した。

 広間の空気が、変わっていく。

 頼光の身体から放たれる気配が、目には見えないままに波打ち、立ちのぼり、綱の手を包んだかに思えた。

 綱が身体をわずかに沈ませる。頼光の肩に触れた指先が光を放った。目を覆うほどの眩しさはないが、直視するには痛い真綿色の光の中へ綱は手を差し入れる。


「・・・・・・くっ」


 声を漏らしたのは、頼光の方だった。だが、綱も眉根を寄せる。

 二人は痛みをこらえる苦悶の表情を眉間に浮かべた。

 息を飲んだ瀬名は、瞬きも忘れた。

 光の中から、太刀が生まれる。

 丁寧にゆっくりと綱が引き抜くのに合わせて、くちびるを噛んで息を詰めた頼光は背中をわずかに反らした。

 紅蓮の炎をまとった大太刀の切先が、細い肩を離れた瞬間、


「あぁッ」


 綱が苦しげな声をあげた。

 自分が引き出されたわけでもないのに、息を乱す綱に引きずられた瀬名は、口をぽかんと開いたまま、綱の手に握られた長く立派な大太刀に見惚れた。動悸が激しい。まるで自分が刀を引き抜いたような気分だ。

 息をゆるりと吐き出す。


「綱・・・・・・、どうだ」


 指をほどき、畳に片手をついた頼光が顔をあげた。みだれ髪が白い額にかかる。

 激しく肩で息を繰り返しながら、うっとりとした目で炎に包まれた愛刀を見ていた綱は、ハッと我に返って、両手に大太刀を捧げ持って膝をついた。


「見事な鍛練でございます」


 頼光に示しながら、頭を垂れる。


「たまには、抜いてみるものだな」


 御前に差し出されたためか、刀身を包む炎は小さく静まっていた。


「振ってみるか」


 指先で、そっと刃紋をなぞった頼光の言葉に、ぱっと表情を輝かせた綱だったが、瞬間を置いてかぶりを振った。


「いまは、そのときでは」


「良い心がけだ。落ち着けば、また機会を作ろう」


「はい」


 うなずいた綱は正面へと回って座り直し、頼光は手のひらを『獅子の子』の切先へと当てた。

 大太刀の刀身が小さな火花を散らして、頼光の中へと溶け込んでいく。それはまるで、鉄が再び溶けるようだ。

 頼光の目が綱の表情を覗き込んだ。

 引き抜くときも、元に戻すときも、よほどの苦痛が伴うのか、くちびるがかすかに震え、形のいい柳眉が歪んだ。

 見る者の背筋をぞくりとさせる凄絶さが、潜んでいた。それは恐ろしさと言うよりも、もっと生々しい何かだ。


「綱、下がれ。・・・・・・瀬名、ここへ」


 不意を突かれた。

 目を丸くして動けずにいる瀬名の元へ、綱が近付いた。


「無理もないけどな」


 そう言いながら腕を引かれ、よろりと立ち上がる。

 嫌な予感だ。


「頼光さま。やはり、お命じになられますか」


「・・・・・・あぁ」


 話すことも億劫そうにうなずいた頼光に、卜部は目礼を返して瀬名を見た。

 綱に腕を引かれながら助けを求めた瀬名は、視線が合った瞬間、ぎくりと表情を凍らせた。

 卜部の発する言葉が想像できたからだ。


「同じように、自分の宝刀を引き出して見ろと仰せだ」


「そんなっ!」


 叫んだのは公時だったが、気持ちは瀬名も同じだ。

 無理に決まっている。

 ついさっき、指から水を滴らせただけだ。こんな大技ができるとは、うぬぼれにも思えない。


「卜部さん、無理ですよ。そうでなくても、瀬名さんは潔斎もしていない」


「私が祓えを行っただろう。これは頼光さまのご意思だ。黙っておいで」


「でも」


 ぐずるようにくちびるを噛んだ公時の顔がくしゃくしゃに歪む。泣き出しそうだ。


「遠慮は、するなよ」


 頼光の言葉に、瀬名は素直にうなずくことができなかった。


「瀬名、いいか。何も考えるな」


 瀬名を引いてきた綱が言った。

 思いもかけず柔らかな優しい声に、瀬名はすがるように顔を見上げた。


「指先が入れば、おのずから宝刀はやってくる」


「ど、どうやって」


「息を整えて。自分のタイミングでいい」


「どこに、入れんの」


「柔らかそうだと、感じるところだ」


「感じるとこ!?」


「そうだ、自分を信じればいい」


「わ、わかった」


 わかるしか、ない。

 理解はできていなくても、そう答えるほかに道があるだろうか。

 瀬名は大きく息を吸いこんで、大きく吐き出した。深く深く、出来る限りすべて吐き出して。吸いこんで、また吐き出して、少しづつ乱れた息を整えていく。

 公時が泣いている。

 くしゃくしゃにした顔が涙に濡れている。

 視界の端に映る景色に目を細めた。

 泣き虫だ。公時は。いつもいつも、そこだけが成長しない。


「あッ・・・・・・!」


 頼光の苦しげな声に、瀬名は意識を取り戻した。自分の指が、根元まで、光に包まれて頼光の中へ入っている。

 生暖かさと、じりじりと締め付けられる感覚に襲われた。指に何かがあたる。骨かと驚くような硬さだ。

 指先に触れ、指の中へ。

 滑り込んでくると思った。


「瀬名ッ!」


 綱の叫ぶ声と、


「頼光さま!」


 卜部が叫ぶ声が重なった。

 急激にかすむ視界の中で、光から指が引き抜けるのと同時に、頼光がその場に昏倒するのがわかった。

 綱の腕に支えられて、なんとか目眩を抑えようと両足を踏ん張った瀬名は、頭の奥に刺すような痛みを覚えた。

 卜部が小夜鳥を呼んでいる。公時が這うようにして頼光へすがりつく。


「思い出せ、貞光」


 綱の声がした。

 もう何度も聞いた、この声。

 何度、声の主が変わっても、口調の変わることのない声。


 

 瀬名は、歪んでいく視界の中で意識を失った。

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