10
部屋に流れる和やかな雰囲気の中で、瀬名は綱からの強い視線を感じた。
からだを取り巻くオーラのように、怒気が感覚に伝わってくる。桟橋で決着をつけようとしていた綱の本気を感じて、瀬名は思わず顔を伏せた。
かっとなって売り言葉に買い言葉を返したが、どんな方法を使っても自分は負けるだろう。無謀なケンカだ。
綱にだってそれがわからないはずはない。
「それで」
瀬名から視線をはずした綱が、鋭く声を放った。
「京都からの返事は」
「うん? 来たよ」
頼光がのらりくらりと答える。綱は苛立ちを隠そうとせずに、身を乗り出した。
「方法は」
「まぁ、そう、焦るな。土蜘蛛のかけた呪が効いているなら、ここに置いていても仕方がないって話さ」
「では、京都に」
「綱ぁ、おまえはどうして、そうせっかちなんだ?」
「あなたさまが呑気なんです」
鼻息荒く答えた綱に、
「友愛は、いつの世も美しいな」
にやりと笑って返し、頼光は立ち上がった。
長い髪が身体へとまとわりつく。絡まることのない艶やかな髪は、伸びるのが異常に早い。ここ数日で目に見えて長さが変わっている。
「あれを試してから寄こせとのお達しよ」
瀬名を除く三人が一斉に息を飲んだ。
左右を見た瀬名は、視線を頼光に戻した。
「いきなりやれと言われて、出来るものではないでしょう」
卜部が膝を進めた。
白い花の美貌を体現した頼光は、片手を懐手に薄笑みを浮かべて、もう一方の手を首の後ろへと這わせた。白い頸すじに血管が透けて見える。
「綱、おまえが手本を示せ」
「頼光さま!」
公時が両手を畳について声をあげた。
「死にはしないよ。五本引き抜いた過去もある」
「あれは精進潔斎の上で!」
「公時よ。何の準備もせずに言い出せるはずがあるまい」
「でも、ご負担は力分けとは次元が違います。まずは力分けを」
「京都からの助言であれば」
卜部が表情を曇らせた。
「避けては通れないことですね」
「卜部さん!」
「力分けは大太刀があってこそだ。それを使えないものには意味がない。だから、今までもやりようがなかったんだ」
卜部に諭されて、公時はしょんぼりと肩を落とした。
「綱さま」
背後から声がかかる。開いた襖の向こうに、ひなぎくが正座していた。
「潔斎のご準備が整ってございます」
平安時代の侍女のように、頬の両側で髪をたゆませて一つに結んだひなぎくはゆっくりと顔をあげた。
「何を、するんですか」
綱が出て行ったばかりの襖を振り返ったまま、瀬名は誰へ問うでもなく口にした。
立ち上がったままの頼光は部屋を歩き回り、しばらくしてから唐突に答えた。
「儀式さ」
その声は静けさに満ちた広間に響き渡り、誰もがためらっている事実を白日の下にさらす。
「覚醒の証、とでも言うのかな」
公時の前にしゃがみこんだ頼光は、幼い顎先に向けて指先を伸ばしたが、ぷいっとつれなく顔を背けられて苦笑をこぼす。
「そんなに怒るな。公時。気に食わないなら、退席を命じてもいいが? 『霜降り』と遊んでくるか、ん?」
「初霜、です! 勝手に名前を変えないでくださいッ」
噛みつく勢いで、拗ねた顔を繕おうともしない公時は頬を思いっきり膨らませた。
「こわいな、公時は」
「退いてくださいよ。潔斎したんでしょ。触れたら振り出しじゃないですか」
「まっとうなことを言うなぁ」
笑って立ち上がった頼光は、
「結界を敷いてくれ」
卜部に向って命じてから上座に戻る。
「御意」
きちんと揃えた両膝のそばに拳をついて頭を下げた卜部は、
「花槻、祓えの用意を持て」
凛とした声で宣言するように言った。
「すでに、こちらに」
襖の向こうから声が返る。出入り口にしている襖ではない方だ。
静かに開いた先に、薄緑の和服に身を包んだ花槻が手をついていた。そばには桐箱が置いてある。
「場を祓って、結界を敷く」
「心得ております」
卜部が立ち上がって次の間に入るのを、顔をあげた花槻はそのまま待った。結界を張るところなど初めて見る瀬名の熱い視線に気づいて小さな会釈を返す。
三つ編みを頭に沿わせて巻いたまとめ髪の花槻は、事務仕事が多い卜部の補佐役を務めている式神だ。
特訓の最中もよくそばに付き添っていて、面識は多い方だ。長い指をした女性で、冗談も口にするし、快活に良く笑う。
神経質な卜部をサポートするにふさわしい対照的な部分があって、必要があれば主人にも意見することを厭わない気丈さも兼ね備えていた。
根を詰める卜部の特訓の中で、花槻がタイミングよく勧める休憩の時間が瀬名にとってどれほど嬉しかったか。
長身の卜部の隣に立っても、わずかにしか背丈の変わらない花槻はすらりとした腰高で足が長い。次の間に入って座った卜部に酒と塩で清めを行い、二人は見るからに慣れたコンビネーションで広間に結界を敷いた。
とは言え、瀬名には行動の半分も意味がわからなかった。ただ座って、二人の動きを眺め、まだ拗ねて不機嫌そうな公時を覗きこみ、ときどきは頼光をうかがっている間に時間は過ぎた。
やがて白い和服姿で綱が戻って来た。長じゅばんのような薄いものではない。ふっくらとした二重の絹で、裾をさばくたびにシュッシュッと小気味のいい衣擦れの音がする。
上の衣を脱いだ頼光の席は、一段下がった場所へ移されていた。瀬名たちと続きの畳の上だ。
赤い布でふちどりされたゴザの上に直接座った頼光は、左足を右腿の上に乗せ、右足を左腿上に乗せる蓮華坐の結跏趺坐の形を取り、長い亜麻色の髪を首筋で二つに分けて胸元へと流している。
綱と同じ厚みある絹の着物だが、色は渋い赤の単色で、織り込まれた細やかな地紋が浮かび上がっていた。
いつもの気だるさが嘘のように背筋を伸ばして座っている頼光は、足の上で交互に組み合わせた指をほどかずに綱を見た。
「遠慮せずにやれよ」
「仰せのままに。どうしますか? 獅子の子も見せますか」
頼光がうなずくのを見て、綱が振り返る。
「瀬名。俺たちが戦う時の方法はいくつかある。ひとつは、これだ」
綱の座布団を片付けて横並びに座り直した瀬名たちに向って、綱は手のひらを下にして差し伸ばした腕をゆっくりと半回転させた。手のひらを上に向ける。
小さな炎の華が開いた。じりじりとはぜる音さえ聞こえそうな紅蓮の炎だ。綱が軽く手を振ると、炎は火のカケラになって舞うが、畳の上に落ちても畳を焼くこともない。
消えもしなかった。
「コントロールできるんだ。消すことも、意志の中で行える」
畳の上に散った火が跡形もなく消え、焦げ跡さえも残らない。まるでCGで描いたような炎だった。
瀬名は瞬きもせずに、じっと見つめる。膝に置いた手が無意識に拳を握った。
桟橋での感覚がおぼろげながら思い出された。あの時。指先から滴り落ちた水は、瀬名の意志じゃなかった。
「それから、これだ」
綱が両手を一度、高らかに打ち鳴らした。
合わせた手のひらをより合わせ、右手をゆっくりと左の手のひらから離していく。
その、手と手の間に、赤い、炎をまとった刀身が見えた。
「俺の愛刀、『獅子の子』。降魔の剣だ」
抜き切った刀は身に炎をまとい、まるで仁王が持つ剣そのものに見えた。
「たいていの土蜘蛛や、霊体ならこれで斬れる」
「貞光殿の刀は浄化の剣だ」
卜部が言った。
「浄化の、剣」
人の手から火が出るだけでも驚きなのに、さらに手のひらから剣が出たことに目を丸くした瀬名は、力が抜けた声で繰り返した。
「ぼくは小刀。卜部さんは弓を使う」
公時が付け加える。
「すべて頼光さまに収めている大太刀から力を分けてもらってるんだよ。だから、定期的に力分けをしなければ、使えなくなる」
「手入れをしなければ、錆が来るのと同じだ」
「収めてるって、どこに」
唖然とした瀬名に向って、『獅子の子』を肩に担いだ綱がアゴをそらした。
「お身体の中に」
目を、伏せていた頼光が、まぶたを静かに押し上げる。
長いまつげが揺れた。
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