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 まず姿を見せたのは、ひざをついたボブスタイルの美少女だ。低い姿勢で入って来ると、ひなぎくと向かい合うように内側に座ってふすまを完全に開いた。

 瀬名は今度こそ息を飲む。

 片手に閉じた扇子をもてあそび、腰まで伸びた亜麻色の髪をなびかせた男は、瀬名たちの間を通って上座へ向かう。一人だけ着流し姿だ。

 くっきりした二重と薄いくちびる。

 一度見たら二度と忘れられない美形は間違いようがない。瀬名の夢に現れ、会話を交わした相手。

 呆然と目で追った瀬名は、もう一人、後に続いて入って来たことにようやく気がついた。

 最後の席がこれで埋まる。

 地味な茶色ながら、男の狩衣には他の誰よりも手の込んだ織の模様が入っていて、時代劇俳優だって真っ青になるぐらい似合っている。

 細く見えるが、姿勢の良さや布地のラインから、鍛えられている身体だとわかる。

 端正な顔立ちは美男で、上座についた女顔の美貌に相対するように男らしい。

 その点では綱と系統としては似ているのだが、比べてみると相手の方が垢抜けた感じがある。

 おずおずと観察していた瀬名の視線が、男の眼差しに絡め取られた。

 同時に、パチン、と、扇子を閉じる音がして、男は瀬名の顔を見据えたまま居住まいを正して口を開いた。


「久方ぶりの対面、まずはこうして無事に一同が参集致しこと、ご報告申し上げる」


 瀬名から視線をはずし、上座に頭を下げた男は、また顔を戻した。


「記憶が戻らないらしいな」


 低すぎもせず、高くもない声は、妙に耳馴染みがする。知っている声だと瀬名は思った。


「何度もあったことだ。じきに戻る。それまでは理解できないことの方が多いだろうが、何事もあきらめて励むことだ。今はそれしかない」


「瀬名」


 上座の男が、そばに置かれたひじ掛けにもたれながら口を開いた。扇子の先が向けられる。


「これで三度目だな。一度は八幡宮で、二度は先の部屋で、これが三度目。わたしが源頼光みなもとのよりみつだ。皆はライコウと呼ぶ」


 男はおっとりと話した。


「そして、おれが藤原保昌ふじわらのやすまさ。今の名前は平井保。官房長官、一條幸次郎の私設秘書をしている」


「一條、…長官」


「そう。頼光殿を頭領として、我々が仕えている方だ」


「仕えて、る?」


「正確に言えば、保昌殿と頼光さまは共に一條さまにお仕えしている。私たちは頼光さまの部下に過ぎない」


 卜部が言った。


「そう言うこともないさ」


 頼光が笑った。整った顔がやわらかにほころび、また別の美しさに変わる。


「渡辺綱、卜部季武すえたけ、碓井貞光、坂田公時。わたしの四天王だ」


「記憶はまったくないのか」


 保昌にたずねられた頼光は、二人を交互に見ている瀬名に視線を投げ、首をひねるように気だるげにうなずいた。


「じゃあ、何か、聞きたいことがあれば、それに答えよう」


「聞きたいことって」


 声はもうほとんど、いつもの調子に戻っていた。困惑した瀬名は、思わず目の前の卜部にすがった。

 卜部はまばたきで受け止め、


「この日本にはもう何千年も前から、幾重にも術がかけられているんだよ。それでこその、神州、神の国だ。でも、術が強ければ強いほど、歪みも生まれる。それが土蜘蛛だ。わたしたちは土蜘蛛の動きが活発になると、こうして集まって退治するのが役目なんだ」


「いつから、ですか」


「わたしたちが集まったのは、平安の時代。その前のことはわからない。お集めになったのは、一條様の元のお姿である藤原道長様だ」


 それぐらいは知っているだろうと言われて、瀬名は古典の授業で勉強した紫式部についておぼろげに思い出した。

 あの時代の、もっとも強い権力を持っていた人物だ。


「これだけ、人数がいるなら、オレが参加しなくても」


 小さな声の発言に、一同が黙った。

 思わず呟いてしまった瀬名は、即座に取り繕う言葉が見つからず居心地悪く肩をすぼめた。

 しばらくの沈黙の後に口を開いたのは、扇子を開いては閉じ、閉じては開いている頼光だった。


「それで、両親はどうする。どうせ、助からないと見殺すか」


「オレは、なにもできないから」


 綱や公時のような力はない。本当は持っているとしても、いつ元に戻るのか保証がなくては時間が無駄に過ぎるだけだ。


「土蜘蛛は、おまえの力を、魂を狙っているのに。逃げ続けられると思うのか」


 保昌の口調が厳しくなる。


「そうじゃ、ない、ですけど」


 瀬名は萎縮した。

 自分でなくてもいいと思う気持は変わらなかった。それが他力本願であることも理解しているが、仕方のないことだと思う。

 思いたかった。


「貞光、いや、桐野瀬名」


 立ち上がり、頼光は段差に腰かけ直すと、扇子で自分の肩を叩いた。開いた足もとの裾が乱れ、白いふくらはぎがあらわになる。

 性別を問わない色気を振りまきながら、そんなことなど気にも留めないしぐさで言った。


「おまえたちは常に転生する。そのたびに、、おまえのように記憶をなくす者もいれば、公時のように覚醒したまま生まれる者もいる。だが、決められた宿命がそれぞれにある。おまえは決まって両親が健在の中で生まれ、幸福に育つ。それも、両親はすべてを知っての上でだ」


「すべて、知って」


「桐野の夫妻も、説明を受けた上で碓井貞光の魂を受け入れた。おまえの『瀬名』と言う名も両親が知っていてつけた名だ」


「じゃあ、どうして今まで、誰もオレの前に現れなかったんですか」


「土蜘蛛が先に目をつけたからだ」


 不機嫌な声は綱だ。


「俺たちも、召集がいつかなんて知らない。何事もないまま一生を終えることもあるんだ。あの土蜘蛛はおまえの力を取り込むために、長い時間をかけて結界を作っていた」


「その影響で、記憶も深く封じ込められているんだろう」


 卜部が付け加える。


「暮らしを守るためには、瀬名が記憶を取り戻し、対抗する力を得るしかない」


 頼光の言葉は、瀬名の胸に刺さった。


「よく考えればわかることだ。綱や公時が都合のいいときだけ現われて助け続けることはできない」


 追い打ちは、保昌が。


「我々の役目は、桐野瀬名を守ることじゃない。でも、おまえが覚醒しない限り、倒しても倒しても新しい土蜘蛛が狙ってくる」


 新しい土蜘蛛。

 瀬名は愕然として言葉を失った。それは今、瀬名を狙っている土蜘蛛の死を意味する。

 死ねば、きららは開放されるのだろうか。また、次の土蜘蛛がきららの意識やからだを利用するのか。


「記憶を取り戻せ、瀬名。力を得れば、道が開ける」


 突きつける扇子の向こうで、たおやかな美貌の頼光は柔らかな口調で命令を放っていた。

 狩衣姿の男たち。

 着崩した姿の首領。

 この構図はもう、何度も見た気がする。

 既視感に襲われた瀬名は、人間とは思えない頼光の存在をふいにあやういと思った。

 常に転生するのは、おまえたちだと言った。ならば、頼光はどうなのだ。

 口にできない質問だった。

 それさえも、覚醒すれば自然と思い出す事実なのかもしれない。


「わかりました」


 声は思いのほか、腹の底から出た。


「やれるだけのことは、やります」


 答えた直後に、ほだされたのだと感じた。

 雰囲気に呑まれ、言いくるめられ、両親ときららを助けるのは自分しかないと納得させられ、最後には頼光の言葉を信じてしまった。

 おっとりと気だるげなこの主人に、いつだって逆らい切れないのだ。


 夢の中で瀬名が同化した碓井貞光は、そんな考え方をする男だった。 


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