第25話 『背中、夢』
体に流れる妖力が桁違いだ。あたしの身体のはずなのに、まるで自分の身体じゃないみたい。
……母さんを身近に感じるのもタチが悪い。ほんの少し涙腺が緩んだけど、感傷に浸ってる暇はない。
最上級妖術、始祖還り────この存在は知ってたけど、使うのは初めてだ。
思った以上に身体に負担がかかってる。当然だ。いつも以上に、自分の身体を別のモノに作り変えてるんだから。
妖力に飲み込まれていく気配を感じる。きっと、長引けば『あたし』は身体の中から無くなる。そうなったらいよいよ、榮倉たちに殺されるしかなくなっちゃうな。
「────そうなるわけに、いかないよね」
丁度、赤坂の身体も変貌を終えたみたいだった。
氷の壁の向こう側に見えるその身体は、酷く不恰好。あえて表現するなら怪物だった。
ふた回り近く大きくなった胴体。だっていうのに、頭だけ元の形を保ってて、ぎょろりと、血走った目があたしに向けられた。
当然胴体が大きくなれば腕も大きくなるというもので、その辺の木と同じくらいの太さにまで変わってしまっている。手の先にある五本の指先は全て、馬の蹄みたいに変化して……いや気持ち悪いな。観察するのはもうやめよう。
太い腕を振るい、氷の壁を砕く赤坂。爆風が着物の裾を揺らして、なんか叫んでるのを聞きながら。自分の体の周りに、無数の氷柱を作成する。
その数二百。まるで、何処かの軍隊みたいだ。
「────いけ」
だからというわけではないけれど。緩く腕を伸ばし、指先で赤坂の身体を指す。指示を受けた氷柱が勢いよく赤坂の身体に突き刺さる。
……これでもかなり加減はしたんだけど。上がる悲鳴が、すごく痛そうだった。
血液と一緒に溢れ出る妖力。質が悪すぎて臭くて気持ち悪くて仕方がない。
「Gi、ぁ、ああああああ!!」
腕が振り上げられる。太い足であたしに数歩歩み寄る。そんな大きな身体でこっちに寄って来たら、良い
踏み出した赤坂の足の甲。そこに注視しながら、伸ばした腕をそのままに、人差し指を立てる。
想像するのは針だ。足が大きいから、それに合わせて大きくしなくちゃいけない。
イメージしてからほんの一瞬。コンマ数秒で針は足の甲を貫通する形で現れ出て、赤坂の歩みを止めた。
「……痛いでしょう。でもね、あたしたちの心はもっと痛かった」
もっと痛めつけてやらないと気が済まない。けど、早く勝負をつけないと。こっちの身体がもたなくなる。
突き刺した針状の氷をもとに、氷の幕が赤坂の身体を伝っていく。目指す先は、その右腕。
「潰れて」
指を立てた掌を開き、強く握る。たったそれだけで氷は広がり、赤坂の腕を覆い、そして潰す。
右腕の残骸と一緒に飛び散る氷。遅れて今日一番の血飛沫が床を染めて、悪臭を漂わせてくれる。
それがトドメになったらしい。痛みに耐えかねた赤坂が地面に倒れ込み、とうとう声すらもあげなくなった。
静寂がやってくる。聞こえてくるのは、あたしの小さな呼吸の音と、後ろで家族たちが息を呑む音。
……終わった。これで、終わったんだ。
嬉しくないわけじゃない。悲しいわけでもない。けど、でも。なんだろう。
────とっても、呆気なかったな。
こんなに、簡単なことができずにいたんだと思うと、ほんの少し情けない。
◇◆◇
夢を見ている。
目の前に広がる光景が夢だと断言できる理由は、いつもより視線が低いことと。俺の目の前に、今はもう会うことができない
大きいな、と感じる背中。ソレを眺めてると、ゆっくりと。肩越しに、俺に視線が向けられる。
「どうかした、澄人?」
胸が温かくなる。胸が痛くなる。目頭が熱くて痛くて仕方がない声。
それでも、夢に俺は鑑賞できなくて。視線は左右に小さく揺れた後、「ううん、なんでもない」なんて、今より幼い俺の声が聞こえて来た。
視界に映るのは煌びやかなアトラクションの数々と、楽しそうに笑う人々。その声に混じって、何やら喧嘩している声が聞こえてくる。
────ああ、この先は、見たくない。
言い合いしてるのは女と、何やら露店を構えた男。数度、「許可とってるの? 邪魔なんだけど」「うるせえ!」なんて会話を繰り返して。男は、目の前の女を殴りつける。
驚愕を隠しきれないまま倒れこむ女。足元に広がった露店の商品が辺りに散らばり、そのうちのひとつが俺の足先に触れる。
「ねえ母さん。これ、すっげー綺麗だよ!」
透明な石のペンダント。何かの宝石だと思い拾い上げたソレを、母さんは困った笑みを浮かべて俺の手から受け取った。
「もう、ダメじゃない澄人────」
瞬間。その透明だった石が、紅葉色に輝いた。
母さんの、変幻が解ける。
視界が暗転する。
まるでフィルムの変わった映画のように。
目の前には怒りの表情を浮かべるたくさんの人たちと、
ただただその人たちに謝りながら殴られ続ける母さんの姿。
「やめろ、やめろよ!!」
俺の声は届かない。
ただ母さんに守られるだけ。
殴られ続ける背中を見つめることしかできない。
警察や祓魔師の連中がようやく辿り着いたのは、母さんが弱りきった時だった。
「……澄人。良い? いつかね、人と妖怪が一緒に笑い合える日が来る」
涙を流しながら頷くしかなくて。
「だから、絶対に諦めないで。母さんはね、澄人には澄んだ綺麗な心を持つヒトで居て欲しいの」
胸が苦しくて。
「……お父さんによろしくね」
悲しくて、仕方がなくて。
「────【澄人くんは、絶対に人には戻れない】!!」
聞きなれた声で、視界が暗転する。
夢から引きずり戻される。
暖かくて、優しくて。冷たくて、残酷で。
忘れたくても忘れられない夢の中から。
◇◆◇
目を覚ます。軋む身体の節々から痛みを感じつつ、目を開くと視界は霞きっていた。
目の前に見える肌色はきっと誰かの顔で。思考がまだぼんやりとしていて、誰だろう、なんて思考を回す。
「……目は覚めましたか、澄人くん」
「………………天音か」
口から出た声音すらもぼんやりと。遅れて倦怠感と口の中に満ちる血の味に、顔を歪める。
後頭部に触れる柔らかさを堪能する暇なんてなくて。耐えきれずに半身を勢いよく起こし、地面に胃の内容物をぶちまけた。
吐瀉物は赤黒い。床がそんな趣味の悪い色に染まったが、元から同じような色に染まっていたらしくて。あまり気にはならなかった。
「無茶するからですよ。……大丈夫ですか?」
「……悪い」
天音の声音は不機嫌で。それでも、俺の背中を優しくさすってくれる。
未だに意識は混濁している。頭が重い。口の中が、気持ち悪い。
床を睨みつけている今も。天音の何か言いたげな視線が突き刺さる。
「……仕方ない、だろ。あれが最短で、最高で、最善だった」
「澄人くんがそんなになるのが最善、ですか? 私の反転が効くということは、澄人くんも心の底から理解してるはずです」
天音の現実反転は、相手が心の底から放った言葉でなければ効果が及ばない。
上っ面の言葉には言霊は宿らない、なんてのは天音とチームを組んだ当初に聞いた話だ。
────始祖還りを使えば、俺はこの姿に戻れない。
心の底から理解はしている。それでも、俺の命を投げ打つことで誰かが助かるのなら。それは最善で、最高なんじゃなかろうかと。
「……澄人くんの血は特殊なんですから。気をつけてください」
「でも天音が居てくれるうちは平気だろ。まあ、自分の手でどうにかできるのが一番だけどさ」
天音に負担はかけたくない。これは俺の力だ。俺が、自分でどうにかできるのが一番なんだろうけど。
「…………まったく。澄人くんは本当、手がかかる人ですね」
仕方ない人だ。
呆れ気味のその言葉は、静かな第一層に虚しく響いた。
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