第24話 『還れ』

「クソ、クソ、クソクソクソクソクソ!!」


 自分の身体の違和感に気づいたのが十五分と少し前。

 電話越しに何かをされた、なんて気づくのは簡単なことではある。しかし魔術の心得がない赤坂は、それをどうにかするところまではできなかった。

 得体も知れない違和感が身体の中に蟠っている。どういうわけか、白雪の弟────悠人を殺そうとすると、身体の隅から隅まで、殺意というものが消え去ってしまうのだ。


 赤坂自身が強力な妖怪であれば、妖力を無理矢理循環させることで天音のかけた、呪じみた妖術を押し流すことが可能だったかも知れない。


 しかし、赤坂 浩二は人間である。


 自身を支配していた殺意が消え失せれば、代わりに湧き上がって来るのは怒りと無力感。それから、宮咲 白雪と天野 天音得体の知れない女への怒りだ。


 その怒りが、赤坂の思考を加速させていく。


「……ああ、そうだ」


 加速した思考が導き出した答えは、たったひとつの簡単なこと。


 ────何も、自分が手を下して殺すことはないじゃないか、と。


 気味の悪い笑みが浮かぶ。趣味の悪い笑みが漏れる。

 くつくつと押さえ込んだその笑い声に、周囲にいる数名の半妖────赤坂の奴隷たちが、わかりやすく怯えた。


「おい、おまえら。誰でも良い。ソイツを殺せ」


 懐から取り出した銃を地面に転がす。地下シェルターの第二層に、がちゃん、と無機質な音が響いた。


「ほら、早くしねえか。今の俺は、取り繕う程の余裕がない。気が立ってるんだ。おまえらを殺しちまうかもしれないなァ?」


 言ってしまえば、半妖をこの銃ひとつで殺せるはずはない。神秘をまとったモノを殺すのであれば、神秘をぶつけなければならない。それはこの世界に知れ渡った常識のひとつだ。


 しかし、悠人は幸い────赤坂にとっては、の話だが────母の血を継いでおらず、ただの人間である。


 その銃があれば殺せる。引き金を引くだけで殺せてしまう。


 自分たちが死ぬ心配はない。半妖である奴隷たちも理解はしている。


 けれど、どうしようもない恐怖が、奴隷たちを支配しているのも事実だった。


 神秘を纏わぬ攻撃なら死ぬことはない。それは利点であり欠点でもあるのだから。


 死ぬことはなくとも痛みは覚える。恐怖は覚える。


 彼らは全員────ひとりの例外もなく、死ぬことすら許されず痛めつけられる恐怖を知っているのだから。


 だから、奴隷のひとりが銃を拾い上げたのは仕方のないこと。


 その銃口を悠人に向けたのも、誰も責めることはできない事。


 引き金にかけた指がどうしようもなく震えるのも、仕方のないことだった。


「────ごめん、ね」


 震えた声で謝り、指に力を込めて。その銃口から火花が迸る。


 瞬間。突如地面からせり上がった氷の壁が、銃弾を弾き飛ばした。


「────っ、ぁ、ふ……間に合った……!!」


 死にものぐるいで足を回し。


 三段飛ばしで階段を駆け下りて。


 手を振り上げた、白雪の妖術によって。


 必死に足を回すその感覚に、白雪は覚えがあった。

 あの絶望から逃げ出した日のこと。死にたくないと、殺したくないと願ったあの日のこと。


 しかし今、足を回した理由は違う。


 必死に足を回し、呼吸を乱れさせ、ここに現れたのは逃げるためではなく。


 何でもない明日に向かって。罪を償う日々に向かって、前向きに駆け出すためである。


「来やがったか……テメェ、本気で俺のことを殺すつもりかよ!!」


 白雪は一瞬で息を整え、赤坂の叫びを聞いたのと同時。振り上げ、広げたままの掌を閉じると、ソレに従うように、赤坂の四方を囲うように氷の壁が出現した。


 湧き上がるのは不思議な感情。あんなにも恐怖していた赤坂に対し、今はもう白雪は一切の恐怖を抱いていない。

 そして放たれた、殺すつもりなのかという問い。ソレへの応えは簡単である。


「……殺すつもりはないよ。残念だけど、楽にはしてあげない」

「何を、言って……」

「……あたしはね、ただ普通に生きたいだけだった。平和な日々が欲しいだけだった。でもあたしの人生をめちゃくちゃにした────だから、絶対に楽にはしない。その罪を抱えて、苦しみながら生きて」


 彼が自分にそう言ってくれたように。白雪は、柔らかな笑みで赤坂に笑いかける。


「あたしは平和な日々が欲しい。当たり前の毎日が欲しい。恐怖に怯えず、心の底から笑える日が欲しい。だから……その為には、アンタは邪魔だ」


 ────こんなに、簡単な話だったんだ。


 ひとり、白雪はため息を吐き出す。

 自分には、赤坂を捉えるだけの力がある。反抗できるだけの力がある。

 捉えるのも殺すのも簡単だったのに。きっと、白雪がそうしなかったのは、怖かったからだ。


 赤坂を殺してしまえば、半妖で────それでいて、人殺しの自分に、この世界には居場所がなくなってしまう、という恐怖。


 でも今の白雪に、そんな恐怖は存在しない。


 自分の在り方を他の誰かに決められたりしない。


 誰かが救ってくれるのを待っていることもしない。


 自分のことは自分で決める。自分の生き方は自分で決める。


 自分の居場所は、自分で作るのだと。


「……ッ、ソが。簡単に捕まってたまるかよ!!」


 白雪の反抗に、赤坂は声を大にして叫びをあげる。そして懐から取り出したのは、今度は薬の入ったカプセルだ。


 別段、白雪は予想していなかったわけではない。赤坂は自分の身が一番可愛いことを知っている。


 だとすれば、万一のことを考えて自分が服用する薬を取っておかないワケがない。ソレがわかっていても、白雪は赤坂の自由を奪うことはなかった。


「うん、解ってた。解ってたよ……こうなることは」


 敢えて赤坂の全力を引き出し、


「全力同士でぶつかって、あたしも全力でアンタを叩き潰す」


 そして赤坂を完膚なきまでに叩き、捉える。


「これが、あたしなりの……アンタとの決別だ」


 赤坂が薬を自身の口の中に放り込んだのと同時、白雪は自分の家族たち────残された奴隷たちに視線を向けた。


「あたしの後ろに隠れてて。大丈夫、終わらせてくるから」


 これは白雪なりの決別であり、白雪なりの悠人たちへの謝罪でもある。

 一度は置いて逃げ出してしまった悠人たちへの。


 駆け寄ってくる奴隷たちを横目に見やり、すれ違うように歩みを進めていく。

 そして視線は再び赤坂へ。変貌していく身体を眺めながら、自身の肉体に唄を紡ぐ。


「────かえれ。は、全てを眠らせる凍結。かえれ。は、何者も受け付けぬ零度」


 呼び起こす。身体に眠るもうひとつの自分を。

 循環する。濃密な妖血ようけつが、凍りつくまでもの温度を以って。


 殻を破り、眠った本能が眼を覚ます。


「十字の交点。強欲たる大盃は選択する。血は別たれ、道は閉じ、あらわるはあだし者」


 風が吹く。視界を塗りつぶすのは白。最早ソレは風ではなく、吹雪。吹雪は其処彼処を氷に染め上げ、


「纏え────我が身は告げよう」


 そして。吹雪をその身に纏っていく。


 轟々と鳴り荒ぶ風音。ソレが晴れた頃には、赤坂を見つめ、最後の一節を唱える白雪は、白雪であって白雪ではない。


「────愚者に、静かな幕引きを」


 見に纏うは天音から借りた制服ではなく。吹雪の名残に揺れる長髪は、栗色のソレではない。


 白い着物に、床に届かんばかりに伸びた髪は白く。向ける視線は、冷たい空色。


 まさしくその姿は伝承に残る【雪女】その者であった。


 これこそが半妖に許された、現代に残る最上級妖術、『始祖還しそがえり』────その身に眠る妖血を呼び覚まし、本来の姿に生まれ還る妖術。


 妖怪は認知を力に変換する者。その存在を認知する者が多ければ多いほど力を発揮し、脅威を纏う。


 雪女は人妖戦争時、『鬼』と呼ばれる種族に並び、脅威とされる存在であった。


 だとすれば、今。雪女本来の姿へともどった白雪は。


 赤坂の作戦は完璧であった。赤坂の人生は、非の打ち所がないモノだったかもしれない。


 けれど、赤坂はたったひとつの────大きな過ちを犯した。


 雪女の血を継いだ宮咲 白雪という存在をその手の下に置き、そして其れを憤慨させたことである。

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