第23話 『多勢に無勢』
既に日は沈み、夜がやって来ている。
俺と天音、宮咲が寮から出ると俺たちを迎えてくれたのは街灯の明かり。
妖力を呼び起こし、未だに若干痛む両足に鞭を打って。そのまま思いっきり駆け出す。
十分も西楓を目指して休むことなく走っていけば、住宅街は見えて来る。少しでもショートカットするべく上に飛ぶと、見えたのは閑散とした風景だ。
「……静かだな」
シェルターに避難しているわけだし、当たり前ではあるけれど。家の灯りはそのままに、一切の人影や妖怪の影が見えない住宅街は、ひどく寂しく見えた。いつもの日常が生む暖かさは、ここにはない。
屋根に飛び乗り、屋根を破壊しない程度の脚力で屋根から屋根へ。その間宮咲の表情はほんの少し沈んでおり、その横顔は自分のしたことを悔いているようにも見える。
俺も天音も、そんな宮咲に何か言葉をかけることはない。
────それでいい。とりあえずは、今したことを少しずつ反省すれば、それで。
そして更に走ること五分ほど。舗装されたコンクリートの道と家の群が終わり、見えて来るのはだだっ広い草っ原と凍りついた西楓。その麓に、俺たちの目的地はある。
既に宮咲が倒したのであろう見張りの祓魔師は誰かに────粗方
地下に続く長い階段は大きく口を開けて、俺たちを待ち構えて居る。
転々と設置された灯りが何処か怪しく揺らめき、ほんの少しの緊張感を煽ってきた。
「……天音」
「居ますね。一層に何人かと……二層にも。当たりです。正確な人数はわかりません」
階段の向こうに耳をすませて居た天音が簡素に応えて、指示を仰ぐよう視線をくれる。
災害指定級妖怪とされる、天災の域に達した妖怪たち。
一般的には風神や雷神などと言った、街を通過するだけで何かしらの被害をもたらしてしまう妖怪たちのことを指す。
その妖怪たちから町の人たちを守るために、街に必ず設置することが決まったのが確か二年前。このシェルターは三層構造になっていて、楓町の人間と妖怪が入れるだけの広さが確保されている。
……で、指示を待たれてるわけだけど。正直ここから出来るような小細工は、俺たちにはない。正面からぶち当たるしかないだろうな。
だから、せめて。
「……よし。行くか。気合い入れてけ」
無難に、そして真っ直ぐに。気持ちを高めるだけの言葉を放つ。
ゆっくりと踏み出した歩み。地下へと続く階段は、俺たち三人が横に並んで歩いても少し余裕があるくらいだ。
俺たちの間に会話はない。少しでも緊張をほぐすように気の利いた会話でもするべきなんだろうけど。口下手が祟ったな。
まあ、天音と俺にはそんなものは必要ない。天音の横顔はいつも通り。緊張なんて一ミリもしてないように見える。
会話のない、俺たちの足音だけが響く時間が続いて。ようやく、ソレは見えた。
視界が開く。薄い光で照らされた第一層。俺たちがおりてきた階段の脇には大きな藍色のコンテナがある。確か避難してきた連中に配る食料や寝具なんかが入ってたはずだ。
遠い正面の壁にも同じもの。ついでに第二層に続く階段もある。そして、
「……ああ、来た来た。来た来た来た来た来た……は、ハハ」
響くのは狂気に染まった声。向けられた視線の数は五。その全てがひとつの例外もなく、正気ではない。
その手の中には
「久し振りだなァ……うん、久しい。久しいな。榮倉とバケモンの天野。はは、元気そうでなによりじゃないか」
しかも見覚えのある顔だってのが、尚のことたちが悪い。
……訓練期間に学校を辞めて行った連中だ。何処で何をしてるのかと思えば、まさか
「……宮咲、先に行け。おまえの弟のことも心配だし、これだけの連中の祓魔師────しかもクスリを飲む気満々の連中を相手にして、短時間で片付けられる自信無い」
横目で宮咲に視線をやる。帰って来たのは戸惑いの色に染まった視線。しかし、戦況は俺たちを待ってくれやしない。
「行ってください。それで……弟くんを助けてから、私たちのところに来てくれればいいですから」
「でも……」
「でもじゃねえよ。大丈夫だ、安心しろって」
連中が一斉にクスリを口の中へと放り込む。一錠なんて生易しい量じゃなく、カプセルの中に入っていたもの全てを口の中に流し込み、重なった咀嚼音がこっちまで聞こえて来た。
「行け。おまえの手で、終わらせて来い」
背中を押す。そして自分の中の人と妖怪を切り替えるスイッチに手を添えるイメージ。
「……わかった」
宮咲の頷きを皮切りに、俺たちも同時に走り出し、
「────
自己暗示の言葉と共に、そのスイッチを叩き下ろした。
右腕が膨れ上がり、赤黒い体毛が生えていく。音を立てて爪が獣のように伸び、生え変わり、
「────
人間と妖怪の血を持つ半端モノ。その姿の片鱗が、現界した。
もはや加減はできない。極端に増した脚力を用いての跳躍。そのまま階段の目の前を陣取る相手のひとりに蹴りを食らわせ、宮咲の道を作ってやる。
「あ、がが、あが────ははははは!」
蹴りを食らって吹き飛んだはずのソイツは肉体が蠢く音と共に甲高い笑い声をあげ、血走った目を向けてくる。まるで身体が破壊されていくような痛みすらも快感に感じているように。
ソイツを気にしている暇は無い。既に肉体の変貌が済んだ元人間が視界の隅から飛び出し、長く伸びた爪が俺の横っ腹を目掛けて迫ってくる。
「ッソ!」
着地の勢いをなんとか殺し、そのまま左脚を軸に半回転。膨れ上がった右腕を振り抜くと、相手は回避行動すらとるつもりはないのか拳が直撃。
それでも。殴った方の拳が痛くなるってのはどういう了見だよ、畜生。
目を凝らすまでもなくわかる。その全員の肉体に、妖力で出来た薄い膜がある。それが鎧の役割でもしてくれてるんだろう。厄介な話だ。
「ごめんね、すぐに終わらせて来るから!」
「ああ、あんま期待せずに待ってんよ!」
背中で宮咲の言葉を受け、呼吸を整えるように大きくひと息。俺の返事を待っていたのか、遅れて階段を下っていく音が聞こえた。
これでとりあえず第一関門は突破。問題は、俺たちがコイツらをどう処理するかだ。
「……思ったより厄介ですね」
「ああ。変還如きじゃ破れねぇぞ、アレ」
クスリの服用数が尋常じゃない。なら、その肉体内部で生み出される妖力だってケタ違いのはずだ。
……自分の身の可愛さに持ってるもんを全部渡しやがったのか。本当、必死になってんだな。アイツも。
天音の【現実反転】で膜の強度を落とすことはできるかもしれない。だけど、たった今俺に背中合わせで着地した天音の体調はお世辞にも良いとは言えなかった。
多分反転の妖術を使った時点で、天音の戦闘は難しくなる。ならあの膜の強度を落としたところで、五対一とかいうめちゃくちゃ不利な対面が出来るだけ。
あくまでも俺が、クスリを服用した柳二をボコボコに出来たのは、相手に戦闘経験が無かったからに過ぎない。相手はなまじ戦闘経験がある上に、祓魔師を志してた連中。流石にこの人数となればひとりじゃキツい。宮咲が残ってても若干危うかったくらいだ。
「……アレ、使うしかないか」
となれば手段はひとつだけ。
「何言ってるんですか澄人くん! 他に方法を探して────」
「消耗戦になる方が勘弁だよ。コレが一番確実の方法だ。頼んだぞ天音、少し休んでろ」
天音には少し無理をさせることになるだろうからな。だって、
「アレを使えば、俺は人に戻れない────」
「澄人くん!!」
俺が元に戻るには、天音の反転が必要だ。じゃなきゃ、ただの妖魔に成り下がっちまう。
身体から溢れる妖力の本流。濃密な赤黒いソレは、身体を包み込んでいく。
そして、
「────
俺は。なんの躊躇いもなく。自身の本質を呼び起こす引き金を引いた。
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