第22話 『煙薫る』

「▂▅▇▇▇█▂▇▂!!」


 突如時空の裂け目から現れた黒い人影の一体が、拳を構え直した塚本へと鼓膜を破らんばかりの音量で吠えた。

 天を仰ぐその様はまさしく狼であり、その一体の叫び声に呼応するように広がっていく叫びの波は獣である。

 その様は、まるで自身がこの世界に存在してはいけないものだと主張しているようで。塚本の背筋に寒気が走る。


「……キリがねえな、まったくよ」


 視線の先にはくだんの裂け目。まるで宙を真っ黒に染め上げたような異質なそれは依然存在しており、そこからは際限なく人影が出現し続けている。


 学生寮では、第六班の二人が白雪の話を聞いている頃。西楓が凍りついてから、早い事十五分から二十分ほど────戦闘を続けている塚本は正確な時間把握ができていない────が経過している。

 その間、倒した影の数は六体。それでも底が見えないのが、塚本の憂鬱を加速させている。


 言ってしまえば、消耗戦になってしまっていた。


 塚本の身体が根をあげるのが先か、影のストックが尽きるのが先か。そんな思考を逸らすように、塚本はポケットから新しいタバコを取り出して、咥えていたそれを地面に吐き捨て火を踏み消し、新しく火をつけ直す。


 これは単純な喫煙行為ではなくれっきとした魔術の一環である。


 塚本は隠属性の魔術の使い手であり、煙を利用した魔術に長けている。

 今もタバコの先から立ち上る紫煙に両拳を潜らせた────途端、煙が魔力を纏い、拳にメリケンサックを形成していく。

 そして体内を循環する魔力をもちいて、身体能力を強化。そのままの勢いで駆け出した。


 拳を振りかぶる。狙いは影の顔面を覆う赤い球体。振り抜いた拳は違わずそこへと命中し、ヒビ割れた球体から黒い靄が溢れ出た。


「────、っ! ▂▅▇▇▇……」


 短い叫びと共に影は霧散していく。どす黒い靄だけを残して。

 七体も殺傷を繰り返せばもう慣れたもので、影の絶命を見送ることすらせず、拳を緩く開くと咥えたままのタバコを口から抜き、ため息と共に煙を吐き出した。

 煙は宙に漂い、硬質を持った槍へと変化する。槍は塚本の指示に従うように、背後に立つ影の急所めがけて放たれた。


 これもまた命中。影たちは回避行動すら取ることはなく、ただひたすらに塚本をめがけて駆けてくるだけ。長い爪の振り下ろしを利用した攻撃も、脅威に感じるほどではない。

 しかし連中から漂う黒い靄と謎の雰囲気が、塚本の胸に焦燥を募らせる。それだけが現状、塚本の動力源であった。


「体力落ちたなあ……タバコ、やめるべきか?」


 誰に聞かせるわけでもない独り言。既に息は上がり、身体に乳酸が溜まっているのか何処と無く重みを感じる。若い頃はこれくらいなんともなかった、とは塚本本人の弁だ。

 しかし既に、住人の避難という目的は達された。あとはもう逃げるだけ、というところではあるのだが。


「……逃げるにもメンドクセェのが問題だわな」


 既に影は塚本を囲うように、無数に出現している。逃げるにも突破口を開くしかない。増援を呼ぶにも電話の暇すら与えられず、どちらにしろ別の人妖特区に要請するとすれば、ここに辿り着くまでの時間を稼がなければいけなかった。


 現状戦えるだけの祓魔師は、街に出現した妖魔────宮咲 白雪の対応に追われている。その上、既にその九割ほどが戦闘不能に追い込まれているのだから。


「万事休すかァ……?」


 そんなため息を孕んだ言葉を放つと。ふと、視界の隅に何かが映り込む。


 ソレは靄。影たちが纏うものと恐らく同一。恐らく、という不確定な枕詞が乗せられているのは、その靄の濃度が影たちのものに比べて濃かったからだ。少なくとも、塚本はそう感じている。


 靄は人型へ。そして影とは違う、ひとりの人間を────少女を象る。


 白い髪をした赤目の少女。見たところ、歳は十七から十九ほど。にも関わらず浮かべている表情は異常なまでに大人びていて、艶かしい視線と、塚本の視線が絡み合う。


 瞬間、塚本に攻撃を加えようとしていた影たちが一斉に動きを止めた。


「……ダメよ。アナタ達の出番は、まだでしょ」


 辺りに響く声は少女のもの。何処と無く子供らしさを残した声音ではあるが、酷く落ち着きを持った声。


「────深淵、閉門。まだ、その時じゃないわ」


 その声は魔力を孕んでいる。

 声に反応するように、影を出現させていた裂け目が閉じ、まるで狐にでも化かされていたように影が瞬きの間に消失した。


 そして、白髪の少女も例外ではない。


 残されたのは塚本だけ。現実を受け止めきれず、夜の帳が下りた空を仰いで、煙を大きく吐き出した。


「ああくそ、いったい……」


 ────何だってんだよ。


 問いに応えるモノはなく。ただ蟠った疲労感と、拳に残る殴りつけた衝撃だけが、全ての現象は紛れもない現実であったと主張していた。


 ◇◆◇


「で、だ。意気込んだのは良いものの……」


 恐ろしいくらいにノープランだった。天音のお陰で宮咲の弟の安全は保障されたが、気に入らない男────赤坂の野郎が何処にいるのかわからない限りは、この事件を解決に導くのは難しい。

 街で出会った時に拘束しておくべきだったとは思うけれど、そんなのは後の祭りと言うべきか。


「宮咲は赤坂が何処に居るのか、とか知らされてないのか?」

「力になれなくてごめんだけど、あたしは知らないや。だいたい、事が終わった後に居場所を知らされて回収されるから」

「なるほどなあ」


 こうして裏切られる可能性を常に考慮してるんだろう。何ともまあ周到なヤツである。腹立つな。

 宮咲とうんうん頭を唸らせて居ると、床を見つめていた天音の視線が勢いよく上がる。そのまま「ああ、」なんて小さく手を打ち、


「……私、あの人の居場所わかったかもしれません」

「マジか。さすまね」


 そのままくだらないジョークを放った俺に冷たい視線をくれる。……そんな顔しなくたって良いじゃんか。


「電話越しではありましたが、あの人の声は反響して居るように聞こえてました。これは間違いないです」

「ああ、疑いっこないよ。おまえの耳だし……」


 天音は俺より嗅覚も聴覚も、視力も優れている。なら疑う余地もない。

 ……にしても反響。反響か。


「声が反響する場所……赤坂の性格を、聞いた話から推察するならそれでいて安全な場所────」


 そこまで思考して、俺も思わず手のひらを打った。

 あるじゃんか。最適な場所が。安全かつ、声が反響するような場所。


「────災害指定級妖怪用の地下シェルターか」

「そう、それです」


 災害指定級とされる、その存在自体が天災のような妖怪が街に訪れた際、避難するために街に設けられた地下シェルター。

 それはこの街に二箇所。東区域と西区域。今東区域に非難が集中────西は西楓が凍らされているし、危険とされているだろう────してるだろうし、そうなれば向かうべき場所はひとつ。


「……行ってみる価値はある、か。居なかったらまた考え直せば良い」


 じっとしてるのも性に合わない。第六班俺たちは足で稼ぐタイプなんだ。とりあえず、動き出すことにしよう。

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