第21話 『反転』
生まれて初めて、お母さんに貰ったプレゼント。それはボロボロの絵本だった。
タイトルは白雪姫。どこかの古本屋で買ってきてくれたもの。
あたしの名前と同じ本。
絵本の内容は一語一句違わず覚えている。それくらい、あたしには大事なものだった。
『いい、白雪? 貴女はね。お母さんのようになってはダメよ?』
大きなお腹を撫でながら、お母さんはあたしに何度もそう言った。
『普通の幸せを見つけて、普通の毎日を送って……それで、素敵な王子様と幸せになるの』
絵本の中のお姫様がそうなったように。あたしも幸せになるべきだと。何度も、お母さんはそう言った。
その度、涙を流していたのを覚えている。小さいながらに、お母さんには抱えきれない何かがあったんだと。ぼんやりと思った。
そしてお母さんは、あたしの弟────悠人の出産を最後に、この世を立つ。
一生分の涙を流したんじゃないかって思うくらいに泣いた。同時に、あたしがしっかりしなきゃって。そう思って。
弟が出来たのなら。お母さんが居ないのなら。あたしが、この子の親代わりにならなくちゃ。
そうすればきっと、いつかあたしを王子様が助けに来てくれる。
店の食べ物を盗んで食いつなぎ、なんとか毎日を生きて来て。三年くらいが経った頃。
とうとうあたしと悠人は警察に捕まって、迎えに来てくれたのは知らない男の人。
どうやら、あたしたちの親になってくれるらしい。
それから始まったのは地獄の毎日だった。
内側に眠っていた妖怪の部分を無理矢理起こされ、誰かを殺すための方法を徹底的に叩き込まれて。
出来上がったのはお姫様なんてものじゃなく、殺人鬼。
ソイツの言うことを聞いてるうちは、その男の機嫌もよかったし。悠人に手出しをしなかったから、あたしは必死に従った。
その頃からだろうか。あたしが、本当の感情を隠して生きるようになったのは。
────鏡よ鏡。あたしを助けに来てくれるのは誰?
鏡は何も応えない。だってここは、
絵本のように、都合よく助けに来てくれる王子様は居ない。救ってくれる人は、誰も居ない。
だからせめて。大切な人が傷つかないように。自分の心を押し殺し、生きるために誰かを殺していく。
誰かが苦しむハメになるなら。あたしが身代わりになればと、そう思って。
でもそんな毎日にも限界がくる。今なら逃げ切れる────なんて、魔が差して。あたしは、地獄のような毎日から逃げ出した。
たった数時間の平和な日常。小さな子たちに触れて、優しい人たちに触れて。
あたしも、こうやって過ごせればって。心の底からそう思った。
そんなこと、出来っこないのに。
あたしは沢山の罪を重ねた。もう引き返すことなんて出来ない。
だからせめて。優しい人に殺されたい。
きっと、ここがあたしの死に場所だったのに。
「おまえは生きて罪を償うべきだ。殺したって事実を背負って、その苦しさを抱えて生きろ」
あたしの目の前に現れた王子様は。あたし以上に汗を流して、血だらけになりながらそう言った。
あたしは生きるべきだと。死んじゃダメだと。生きて罪を償えと。
あたしは生きててもいいんだ。あたしは、罪を償って────遠い未来に、救われる日が来てもいいんだと。
助かるなら、自分の手で這い上がれと。
不器用な言葉はあたしに突き刺さる。
真っ直ぐな言葉は、どうしようもないくらいに、深く、深く。
この時からあたしは、ゆっくりだけど歩き出した。
心から笑える、その日に向かって。
地獄の毎日から救い出してくれるのは、都合のいい王子様なんかじゃない。
紛れもない、自分自身だ。
◇◆◇
「おまえ加減なしにやりやがってよォ〜〜致命傷じゃねぇからいいけどよぉ……半妖は丈夫だからいいんだけどもさ」
「ごめんて……」
足を引きずりながら、とりあえずは寮に戻るべく。宮咲に肩を貸してもらいながら、ゆるりと歩いて行く。
学校の前に転がされた祓魔師たちは、宮咲が学校の入り口まで運んでくれた。とりあえずはこれで誰かが助けてくれるなり、自分で助かるなりしてくれるだろう。治療の魔術は俺の専門じゃない。
さて。俺たちが今するべきことは、宮咲が助かるためにこの状況をどうにかすることだ。天音にはさっき連絡を入れたし、全員集まり次第作戦会議をしなくちゃならない。
その為には俺がまず元気にならないと。妖力を血液と一緒に身体に回して、再生力を強化して行く。
考え事は後回しに。基本、俺は二つのことは一緒にできないし。
ただただ回復と歩くことに専念して、道を歩くこと十数分。俺たちが住む寮が見えて来たところで、
「……………………澄人くん」
聞き慣れた、宮咲の氷なんかよりよっぽど冷たい声音が俺の背中に突き刺さった。
ギギ、と壊れたロボットヨロシクゆっくりと振り返る。視界の隅で、宮咲までもが同じような動作で振り返ったのが見えた。
「……また無茶して。しかも独断で」
「し、仕方ないだろ……! 俺がどうにかすんのが一番早かった。誰だってそうする。俺だってそうする!」
「それが最善とは言い難いですけどね。結果、澄人くんが怪我を負ってますし」
呆れ気味に大きなため息を吐き出す天音。それから宮咲の反対側────空いた肩へと回り込み、俺に肩を貸してくれた。
そして、俺越しに横目で宮咲を見つめて。
「……とりあえず、無事でよかったです。しっかりと話は聞かせてもらいますからね」
その言葉を最後に、俺たちは歩みを進めて行く。
宮咲は俺たちに現状を伝える為に言葉をまとめているのか……はたまた天音に気圧されて怯えているのか。何も応えることはなかった。
◇◆◇
応急処置を受けながら、学校前での出来事を話しておく。
俺がクッサいことを言ったことはとりあえず置いといてだ。何があったのかの状況くらいは共有しておかなくちゃいけない。
俺が話してる間、天音は黙々と治療を進めて。俺が説明を終えた頃には、完璧な処置がなされていた。
いくら俺の回復力が高いとはいえ、傷を放置しておくとどうなるかわからないし有難い。
「……じゃああとは、白雪ちゃんの話を聞くだけですね」
「いっでぇぁ!?」
言いながら、天音は俺の背中に思いっきり平手をくれる。それで満足したのか口元に笑みを浮かべながら、机を挟んで向かいに座った宮咲へと視線を投げた。
数秒の間。宮咲は順に、俺と天音に視線を向けて。ゆっくりと口を開く。
「……端的に言うとね、あたしはとある人の奴隷、みたいなものなの」
「……奴隷。そうきたか」
人間を取り締まる法律と、妖怪を取り締まる法律は数年前に日本に────いや、世界にできた。
それでも俺たち半妖はどっちつかずの存在として、未だにその法の抜け穴とされている。
つまり、言ってしまえば俺たちは意地汚い連中にしてみれば人権がないのだ。
今でも半妖の連中が人妖特区反対派の奴隷にされていると言う話は少なくない。そう言った連中を匿う為にも、育成学校があるわけだが。
「ソイツの名前は
「その……赤坂って人は、魔術は使えるんですか?」
「使えなかったはず。だからあたしたちみたいな半妖とか、身寄りのない子達を引き取って奴隷にしてるの」
……腹が立つやつだ。余計にムカついてきた。自分では何もできないくせに、他の連中にやることやらせて自分は高みの見物か。
「……それであたしは弟の悠人を人質に取られて、言うことを聞くしかなくて。沢山の人を殺してきた」
「……成る程。白雪ちゃん、その人の連絡先とかわかりますか? すぐに、電話とかできます?」
「ああうん、出来るけど、どうするつもり────」
制服のポケットから旧型のケータイを机の上に取り出すなり、天音が半ばひったくる形でその手に取り上げた。
驚いた宮咲なんて他所に、天音はそのままケータイを開いて。着信履歴の中で一番最近の連絡先を開き、そのまま発信した。
「天音ちゃん!?」
「…………いいから。このまま天音に任せておけ」
天音も相当頭に来てるらしい。スピーカーモードに切り替えて机の上に置いたその横顔は、かなり怒りに染まっている。
部屋に響くコール音。その無機質な音が数秒続いて、スピーカーの向こう側から声が聞こえて来た。
『テメェ、そんなとこで何してやがる!! さっさと牧乃瀬の野郎を殺せ!!』
開口一番に怒号である。その声に俺たちの正面では宮咲が怯えた様子で肩を跳ねさせ、震え始めるのが見て取れた。
それが天音の背中をひと押ししたらしい。まさしく額に青筋を立てて、その口元を意地の悪い笑みに染めた。
「テメェ、というのは白雪ちゃんの事でしょうか。彼女なら今、私の目の前に居ますが」
『……誰だおまえ』
「申し遅れました。私は祓魔師育成学校第一支部、第六班の天野天音です。貴方を今から地獄に叩き落とす
名乗りながら中指まで立てそうな勢いである。やめておけ。今おまえ女の子がしちゃいけない類の顔をしてるぞ。
『は、ははははは! そうか、そうかそうか。
そして、その言葉の瞬間。部屋に妖力が満ち、天音の姿に変化が生じる。
眉まで伸びた前髪の間から現れる一本のツノ。ソレが紫色の稲妻を纏って、現界した。
『育学のヤツってことは野郎も一緒だろ? あの保育園にいた。粗方、自分の身体を使って陥れたってワケだ。どうだ、初モノはめちゃくちゃ美味かっただろ!!』
甲高い不快な笑い声。ソレに拳を握るだけでとどめ、俺は何も言わずに状況を見守るだけ。
天音は大きな溜息を吐き出して。その口撃を以って、相手の背中を確かに押す。
「強い言葉と威圧的な言葉を並べて挑発するなんて、貴方は弱っちいんですね。糞虫みたいな声をひたすらにあげても、誰も心の底から信頼はしてくれませんよ。底が知れてる。酷く惨めです」
『………………テメェ、状況わかってンなこと言ってんのか? 喧嘩売ってるんだろ、この俺に』
「ええ、売ってます。大盤振る舞いです。生憎
通話越しにでも、天音の挑発に腹を立てているのがわかる。
それが、天音の目的だとも知らずに。
『ハンッ。いいぜ、そっちがその気なら俺も乗ってやる。いいか、白雪! 【テメェの手じゃ誰も救えない! 愛する弟さえもテメェのせいで俺に殺される!! 今まで、おまえ自身がそうして来たようにな!!】』
「────ええ、そうですね。【白雪ちゃんは誰のことも救えない。愛する弟さえも、貴方の手で殺される】」
その言葉と同時。天音の額から溢れ出た妖力が受話器に入り込み、そのままツノが役割を終えたように引っ込んでいく。瞬間スピーカー越しに何か戸惑うような声が聞こえたが、返答すらも許さず、通話を着ることすらせず……ケータイを握りしめ、鯖折りにした。
「……え、今天音ちゃん、何を」
「少しお灸を据えてあげたんです。これで、彼は白雪ちゃんの弟に何もできない。おまけに今回白雪ちゃんが攻撃した人たちの無事も確保されちゃいました。やりましたね」
宮咲だけが現状から置いていかれていく。……まあ、ここは俺が説明してやらにゃならんか。
「天音は天邪鬼との半妖でな。その能力────【現実反転】を使ったんだよ。言霊ってのは本当にあるもんでな。相手の発言を裏返して、行動を制限できるんだよ」
効果時間は確か半日。一日三回って制約はついてるけど、それでも強力な妖術だ。
「つまり、アイツの手では弟は殺せないし、祓魔師連中の無事も確定した。あとは────」
「赤坂をぶち転がすだけですね。弟さんを他の子達に殺させる、なんて外道なことを行う可能性もあります。ゆっくりしてる暇はありませんよ」
「ぶち転がすて……」
ぶっ殺す、と言わなかっただけまだマシか。天音は心の底からスッキリした様子で両掌を合わせてみせた。
相手に手は打った。あとは、アイツを殺すだけ。
宮咲の平和のために、叛旗を翻す時だろう。
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