第20話 『俺はおまえを、』

「やっぱり来たんだ、榮倉」


 降り立った道。育成学校の校舎まで続く道のあちこちには、宮咲にやられた生徒や教師たちが転がっていて。その場には静寂だけが満ちている。

 宮咲の視線は俺から上空へ。その視線が向けられた先には、育成学校の最上階がある。きっとそこには、俺と宮咲を見下ろす牧乃瀬の姿も。


「退いて。アイツを殺せば、あたしの目的は達成できる」

「だってんなら余計に退けねえよ。俺はアイツのことが大っ嫌いだ。……でも、アイツが居なくなればこの街は機能しなくなる」


 気に入らない話だが、アイツは優秀な祓魔師だ。その存在が今、この街の抑止力になっているのも事実。


 暴動を起こせば殺される。間違った気を起こせば命はない────妖怪を容易く殺すだけの実力と性格。

 そして、この人ならこの街を守ってくれるという安心感。それらが欠ければ、途端にこの街はダメになるだろう。


 宮咲のような人妖特区反対派に襲われることもあるだろう。抑止力を失った妖怪の反乱も、考えたくはないけど有り得ない話じゃない。


 この街の平和は不安定だからこそ。アイツの存在は必要なんだ。


「そう。じゃあ────」


 それだけが開戦の合図だった。

 宙にかざされる宮咲の手のひら。途端に辺りの空気が反応し、冷気を纏う。宮咲の身体を囲うように生み出された氷柱つららの数々が、指示を受けて俺に向かって解き放たれた。


 視線は宮咲から離さない。


「づ、あ────」


 氷柱のうち二本が俺の両腿に突き刺さり、鮮血を撒き散らす。

 一瞬苦痛で曇る思考と視界。それらを無理やり奮い立たせて、一歩。

 息つく暇さえ与えられない。視界の外────背後から何かがせり上がる音が聞こえ、背中に衝撃が走った。

 痛みを抱えたまま地面に転がり前へ。体の中の何処かが切れたのか、吐き出した唾に血液が混ざっていた。


「……なんで」


 立ち上がる。腿に突き刺さった氷柱を引き抜き、必死に力を込めて。痛々しいまでに腿から吹き出す血液からは、せめて痛みを意識しないように目を逸らした。


「なんで、抵抗しないの? なんで何もしないのさ」


 そんな俺に震えた声で問いを投げる宮咲。その声と同様に視線は揺れて、弱々しく俺を捉えているのが見える。


 ────愚問だよ。


「だって俺は、おまえを殺しに来たわけじゃない」

「だとしたら何で────」

「話を、聞きに来たんだ」


 応えながら、一歩。これで宮咲との距離は五歩。背中への一撃で前に転がったのが活きて、自分の足で全然歩いてないってのに距離は半分ほどに縮まっていた。


「……何言ってんの。あたしはもう妖怪でも、人間でも、半妖でもない────立派な〝妖魔〟なんでしょ? なら祓魔師の榮倉は、あたしを殺さないと」

「んなことはわかってる。俺だって、おまえが正真正銘、嘘偽りない敵だってんならボコボコにしてたさ」

「その通りだよ。あたしはこの街を壊す存在。紛れもない榮倉たちの敵だ。だったら────」

「違うだろ」


 宮咲の言葉に短く否定を返す。そして、視線は再び宮咲の顔へ。


「なら何で、そんな顔しながら俺と戦ってるんだよ」


 泣きそうな目で俺を見つめる宮咲に、視線を返す。


 俺だって宮咲が心の底から俺を殺すつもりなら……誰かを殺すことになんの躊躇いもないなら、倒すしかないと思ってた。

 だってそれが俺の仕事だから。でも宮咲は、そうじゃない。


「この世に理由のない暴力はある。誰でもいいから殴りたい、誰でもいいから殺したい。そう願う妖怪や半妖が〝妖魔〟になって、そう思う人間が〝人殺し〟に成り下がるんだろうさ。でも、宮咲はそうは見えない」


 だから話を聞く。何も知らずに相手を殺すのは嫌だし、何か理由があるなら一緒に解決法を探したい。

 俺はそれしかやり方を知らないから。心の底から、そうしたいと思うから。


 俺の思う、街の秩序を守るという祓魔師の仕事は────そういうことだ。


「……何でよ。何で。あたしは沢山の人を殺して来た。立派な妖魔だ。取り返しのつかない程に、沢山……」


 震えた声で宮咲は呟き、俺から逃げるように、引きずるように半歩後退する。その距離を埋めるように、一歩。


「だからあたしは、ここで殺されるべきだ」

「違う」


 一歩。


「小さい命だって摘み取った! 今だってこうして沢山の人を殺してる!! もう、慣れっ子なんだよ────」

「自分の感情にくだらない嘘吐いてんなよ」


 一歩。二歩。フラつきながら、大きく息を吐き出して。


「あたしは殺されるしかない……殺されるべきなんだ。死ぬべき、なんだよ……それしか────」


 その先の言葉は紡がれることはない。けど、聞かなくたってわかるさ。


 涙で膜が張った瞳は。それしか救われる方法はないのだと語っている。


 沢山の人を殺した。宮咲の言葉にきっと、偽りはない。


 その罪から解放されたい。気持ちはわかる、なんて安い同情も同意もする気は無いけれど。


「……確かに理由があったとしても、沢山の人や妖怪を殺したってのは取り返しのつかない罪かもしれない。許されないことだ」

「そうでしょ!? だったら────」


 俺がここで宮咲を殺すことで救いになるというのなら。宮咲が殺されることで、解放されるというのなら。


「それでも、俺はおまえを殺さ助けない」


 こんなにも涙を流して、怯えて、殺してくれと必死に懇願する宮咲を殺すのは簡単な話だろう。それでも俺は、絶対に殺さない。


「甘えたこと言ってんな。ここで死んで解放されるなんて許すわけないだろ。おまえが死ぬことで、おまえが殺して来た連中が生き返るわけでもない。親族が流した涙が無かったことになるわけでもない」

「────、────」

「おまえは生きて罪を償うべきだ。殺したって事実を背負って、その苦しさを抱えて生きろ。それに、」


 最後の一歩。手を伸ばせば触れられる距離にまで歩み寄り、宮咲の目を真っ直ぐに見つめる。


「おまえはまだやり直せる。俺が死んでないのと、この街の人間も妖怪も、誰ひとり死んでないのがその証拠だ」


 本当に躊躇いがないのなら。本当に宮咲が悪いやつだってんなら。今頃俺は生きてないし、この街にいる祓魔師は軒並み死んでるはずだ。

 俺がこうして喋れているのも、辺り転がる連中に息があるのも。宮咲の中にまだ迷いや躊躇い、その手の後ろめたい感情がある証拠だ。


 まだ善意を捨てきれてない。妖魔になりきれてない。その証拠だろう。


「それでもおまえ自身が本当に妖魔だって言うんなら、人妖特区を潰すって言うんなら、俺を殺していけ」


 再び静寂が満ちる。聞こえてくるのは宮咲の小さな呼吸音と、遠くから聞こえてくる、祓魔師の連中が避難を促す声の数々。

 数秒の間の後、宮咲の視線は地面へと突き刺さった。


「……もう、嘘を吐くのはやめろよ。おまえは、どうしたい?」


 宮咲が心の底から笑うには。真っ当に罪を償うには、宮咲の心の底からの声を聞かなくちゃいけない。


 俺の問いを受けて、宮咲は数度口を開く。迷うように、言葉をまとめるように。喉が震え、怯えを押し流すように生唾を飲み下してから。ようやく、ゆっくりと言葉を並べ始めた。


「あたしは、たくさん人を殺した。小さい子も、年寄りも、そうで無い人も」


「ああ」


「その度に次はあたしなんだ、って。いつかあたしが殺される。次はあたしが殺される。そう思って、ここまで生きて来た」


「……ああ」


「自分で死ぬことも考えた。でも怖くて。あたしが死んだら、次はきっと……あたしの立ち位置に他の子が立たされる。他の子の手が汚れる。その〝他の子〟が、弟かもしれない。自分が死ぬことより、そのことの方が怖かった」


「……うん」


「頭の中がぐちゃぐちゃになって。どうしていいかわからなくなって。誰かを殺すのは、怖くて……つらくて。気の迷いで逃げ出して、逃げきれなくて────」


 地面に水滴が落ちる。宮咲の瞳からこぼれ落ちた涙が、一滴。一度決壊した涙腺は、最早機能を投げ捨てた。


「────あたし、死ななくていいのかな。生きてても、良いのかな。罪を償えるのかな」


「死ななくて良い。死ぬな。さっきも言ったけど、宮咲が誰かを殺したことに罪悪感を持ってるんなら、生きて償うべきだよ」


 助かる余地があるのなら。前に進む気があるのなら、その芽を摘むことはするべきじゃ無い。一緒に寄り添って、前に進んでやるべきだと。心の底からそう思う。


「…………もうあたしは、誰も殺したく無い。もううんざりだ。嫌だ、嫌だよ……だから、」


 視線が俺にまっすぐと突き刺さる。涙で濡れた弱々しい視線が。

 ここに来て初めて、宮咲の心の底からの感情を見た気がする。


「……あたしを、助けて。罪を償わせて」


 俺は、それを。


「ああ、その救いなら大歓迎だ。おまえのことも、その〝他の子〟のこともまとめて助けてやるよ。まずは、そこからだ」


 笑顔で頷いて、右手を差し出す。


「その依頼、俺たち第六班が引き受けた!!」

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