第17話 『心の底から』

 園児たちが奏でる賑やかな音色が響く中────これは後に、新倉姉弟の一件でも使用された監視カメラで確認された映像である。


 園を囲う柵の外。多様な影が行き交う中、異様な男が園内を覗くように立っている。

 それでもなお通報に至らないのは、この人妖特区に住まう連中が皆特徴的────というには飛び抜けすぎているが────な容姿、格好をしているからだろうか。

 夏だというのに黒服を身に纏った男。ジャケットまで羽織っており、暑苦しいことこの上ない。

 カメラに映ったその男は澄人が遭遇した者とは違う。男は数秒後にジャケットからスマートフォンを取り出すと、耳にあてがった。


 音声までは撮れていない。しかし、その口の動きは────、


『発見しました』


 ────と。確かに、ゆっくりと紡いでいるのが、映像に残されていた。


 ◇◆◇


 保育園の手伝いが終わった時にはもう夕方。遠くに見える御神木の向こう側に、太陽が沈んで行くのが見える。

 商店街を、両手にビニール袋をぶら下げて宮咲と二人で歩いて行く。天音は昨日午後の診断を受けに行けなかったから、なんて、そろそろ帰ってくる藍蘭先生を迎えに街の中央にある駅へと向かっていった。

 買い物もすっかり慣れたものだが……未だに『無駄遣いしないでくださいね』なんて釘を刺されるあたり、天音は俺のことを子供扱いしているんじゃなかろうか。


「片方持とうか?」

「いいよ。慣れない園児の相手で疲れてるだろ?」

「いや、それはそうなんだけど……」


 何やら宮咲は不満げな様子。まあ女子に荷物を持たせるのもアレだし、ここは大人しくむくれたままでいてくれ。

 しばらく会話もなく歩いて行く。宮咲は口数が多くない。かと言って、打っても響かないわけでもないのだが。

 たぶん負い目に感じているのだろう……色々と。まだ心の整理がつかないのも仕方がない。


「なあ、宮咲。あの保育園すごかったろ」


 だからというわけではないが。何気ない話題を投げかけ、横目に宮咲に視線を向ける。


「……ああ、うん。確かに凄かった」

「だろ? 妖怪も人間も一緒に遊んでてさ」


 分け隔てない友好。そして、その光景。

 夢のようだ、なんで表現するのは詩的すぎるかもしれないけれど。夢、と形容するのは間違いじゃない。


「アレは、俺の将来の夢の形と同じでさ」


 俺がただひたすらに目指すもの。一心不乱に駆けていく、その先。


「妖怪も人間も、一緒に心の底から笑い合える日がくればなって思って」


 蟠りが全て消えたその日には。本当に笑い合える日が来ればいいな、と。


「宮咲も半妖だろ。肩身が狭かったりしないか? ならさ────、」


 不安にさせるこの世の中。何かしらの形で苦痛を与え、蝕んでくると言うのなら。

 宮咲も────、


「……宮咲?」


 振り返る。視線を向けた、その先には。

 宮咲の姿は何処にもなかった。


 ◇◆◇


「ああ、うん。確かに凄かった」


 何気なく榮倉の言葉に相槌を打った瞬間。スカートのポケットの中に、何かが入ったような異物感を覚える。

 振り返るとそこには見覚えのある背中が在り、背中に寒気が走った。

 異物を取り出す。それは、これもまた見覚えのあるもの。


 あたしがに与えられた、ガラパゴスケータイ。白い、飾り気のないソレだった。


 飾り気のない、というのは嘘になる。あたしが放り投げたせいで隅には傷がつき、開けば画面は割れてしまっている。


 しかし画面に入ったヒビからはすぐに意識が逸れた。


 待ち受けにされている写真は、あたしの唯一の肉親。ぼろ切れを身に纏った、弟の悠人ゆうと


 その首元に、ナイフの切っ先が向けられている。


 まるで、あたしに『逃げられると思うな』なんて意思表示をしているようだった。


「────、────」


 途端、着信を知らせるべくケータイが震えだす。そのまま数秒の間を設けて、近くの路地に入り込み。ケータイを操作して耳に当てがった。


『よぉ。束の間の平和は楽しめたか?』


 気に入らないヤツの声。楽しそうな声。喉の奥で、笑いを押しこらえているようなムカつく気配。


 それでもあたしは、コイツに逆らうことができない。


『作戦開始だ。戻ってこい。じゃなきゃ、どうなるかわかるよな?』


 返事は無くともアイツの言葉は前に進んで行く。あたしは小さく、震えを押しこらえて溜息を吐き出すしかない。


『わかってんだろ? おまえの居場所はそこにはない。俺の所に居るしかねーんだよ』


 そんなの。そんなこと、わかりきってる。


「……はい。わかりました」


 あたしには平和は訪れない。誰も救ってくれやしない。

 言うなれば、最初からあたしの人生は終わっていた。どうしようもなく、間違っていたのだから。


「妖怪も人間も、一緒に心の底から笑い合える日がくればなって思って」


 榮倉から放たれた何気ないその言葉は、虚しくあたしの胸に響く。


「……ごめんね。あたしには、無理な話だよ」


 心の底から笑える日。何も気にせず生きられる夢のような日々は、きっと。あたしには来ない。

 どうしようもなく、眩しすぎる。

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