第16話 『祓魔師になるということ』

 朝は頼まなくてもやってくる。時刻は午前六時半。今日は『もみじ保育園』からの指定依頼を受けており、その準備をしている……ところなのだが、現在俺は廊下に隔離されている。

 新倉姉弟のことがあってから、定期的にあの保育園は依頼をくれている。なんでも、園児たちの元気を消費しきれるのは俺たちだけらしい。


 まあ、園児たちの中には妖怪の子達もいる。人間が遊びに付き合うってのは少し難しい話だろう。近々妖怪の先生も雇う、みたいな話も挙がってたっけ。


 子供ってのは難しいもんで、満足いくまで遊ばないと昼寝の時間にしっかり眠ってくれない。俺たちの協力はかなり助かる、とは恵先生の弁だ。


 クローゼットの中で寝たせいでバキバキに凝り固まった身体を伸ばしながら、欠伸をひとつ。そこでようやく扉の向こうから「入っていいですよ」なんて天音の声がかかり、居間の扉を開く。


「……ん、おお」


 視界に映ったのは二人の制服姿の女の子。片方は天音で見慣れたものだが、宮咲は天音の予備の制服を身に纏っている。ついでに肩甲骨まで伸びた栗色の髪を結わえていて、雰囲気がガラッと変わったみたいだった。

 天音の制服を貸し出す。外に寝巻きで出るわけにもいかないし、昨日着ていたワンピースを着せるわけにもいかない、という天音からの発案だった。


 確かにあの格好は目立つ。洗濯したおかげで血の汚れは目立たなくはなっているものの、それでもだ。

 かといって家にひとりで置いていくのもアレだ。


「どうですか、白雪ちゃん」

「うん、大丈夫大丈夫。……制服って新鮮だな。ありがとう、天音ちゃん」


 二人はすっかり仲良くなったみたいだった。昨日見たつらそうな表情は宮咲から消え去っているし、ひと安心と言ったところ。


「……ちょっと、胸がキツい気がするけど」

「は????」


 …………うん、ひと安心と言ったところ。

 今にも殴りかかりそうな天音を他所に、宮咲の視線は俺に向く。それから申し訳なさそうに眉をひそめて、


「ごめんね、榮倉。あんなとこで寝たんだし、身体痛いでしょ」

「あー、それはまあ。そう」


 痛まないと言えば嘘になる。けどまあ、女二人と何も隔てず寝るわけにもいかないし。

 明らかに一人暮らし用の部屋であろう我が家には、もうひとつ残った部屋はある。けどまあそこは物置と化してて寝れたもんじゃないし、クローゼットの中で寝るのは仕方ないこと。廊下に出されなかっただけ救いがあるってもんだ。


「澄人くんに何かする勇気は無い、ということは実証済みですが……一応。保険をかけておいて損はないので」


 なんて、自分の胸元を見下ろしながらの天音の言葉だ。

 ……当然だろう。天音やら宮咲に襲いかかった日にはどうなるかわかったもんじゃない。流石に俺だって自分の命を投げ打つような真似はしないし、したくない。


 それに、


「アイツらとは、一緒になりたくないしな」


 ……かつて、天音に聞いた話が脳裏によぎる。

 それは最悪の行為。それだけはしてはいけないと、常に頭の隅に置いてる行為だから。


 ◇◆◇


 黄色く色づいた銀杏いちょうの大木が、夏の風に揺れている。

 極東第弐人妖特区きょくとうだいにじんようとっく鴨脚樹おうきゃく町。その中央区に位置する祓魔師育成学校第弐支部の会議室に、五人の人物が集まっていた。その影は四角形を描くように並べられた長机を囲うように腰を下ろしている。

 極東────日本に設けられた四つの人妖特区。そこから一名ずつ派遣された代表者と、医療責任者の霧ヶ峰きりがみね 藍蘭。そこには各育成学校の責任者の姿は見えず、全員が憂鬱な表情を浮かべている。


 それも仕方のないことだ。言ってしまえば、彼らは俗に言うパシリである。


 未だに人妖特区壊滅を狙う連中が多く、学校の責任者は常に命を狙われる立場────という理由はあれど。よく思わないのは当然だ。


「それでは第三十九回、妖魔対策並びに人妖特区方針会議を始めます」


 そんな憂鬱な雰囲気を断ち切り、会話の舵を取ったのは意外なことに藍蘭だった。

 いつになく真面目な声音で会話を切り出し、辺りに静寂を求める。何やら世間話や愚痴に花を咲かせていた連中は一瞬にして黙り込み、ある者は口の中を飲み物で潤し、ある者はタバコに火をつけ、その続きを待つ。


「今回の議題は第よん人妖特区を騒がせている、海底火山の活性化による海水の温度の上昇。そして」


 言葉は途切れ、藍蘭の背後の壁にひとつの映像が映し出される。

 一面の青。入道雲と広々とした海の中心に、巨大な影がひとつ。


 そう、影。影としか形容できなかった。


 真っ黒い人形の体躯。その人影は空を仰ぐと、咆哮をあげた。

 その咆哮とまなこは怒りの色に染まり、ギョロリ、と。こちらを────撮影を行っているカメラを捉えた。

 巨大な腕のひと振り。ソレによる凄まじい破壊音とノイズにより、映像は終了している。


「突如暴走を始めた災害級妖怪・海坊主うみぼうずの処置についてです」


 ◇◆◇


 園児の騒がしい声が園庭に響いている。

 ちょうど視線の先では宮咲がおままごとに、天音が鬼ごっこに付き合わされているところだった。

 俺はとりあえず一旦解放され、園庭の隅の樫の木の下に設けられたベンチに腰掛けている。


 ……いや、流石子供。めちゃくちゃパワフル。


 それなりの回数園児たちと遊んだつもりだが、未だに慣れない。


 天音には『澄人くんは元気が有り余ってるし丁度いいんじゃないですか?』なんて言われたモノだがそんなことはない。俺の元気だって底なしじゃないんだぞ。

 思わず項垂れつつ、地面と睨めっこ。少し休んだら天音と交代してやらなきゃいけないし、今のうちに回復しておこう。


「お疲れ様、澄人くん」


 突然名前を呼ばれ、ゆるりと視線をあげると恵先生と目があった。

 その片手にはスポーツドリンク。あまりの暑さに汗をかいているそのボトルを俺に差し出しているのも見て取れた。


「あ、アザっす」


 軽く礼をしてそれを受け取りひと口。喉元を過ぎ去る冷たさに大きくひと息を吐くと、恵先生は俺の隣に腰を下ろす。


「ごめんなさい、何度もあの子達に付き合ってもらっちゃって」

「ああいや、いいんスよ。俺たちも定期的に指定依頼を貰えるのは助かってる」


 指定依頼は俺たちの評価に関わってくる。まだ依頼をくれる人たちはこの保育園くらいで、正直暇を持て余しているところだし。

 ……食堂に貼り出されている依頼をひたすらこなすのも悪くないけど。


 ほんの少しの沈黙。追いかけ回されている天音を眺めるだけの時間が続き、恵先生がゆっくりと再び口を開いた。


「あの……白雪ちゃん、だっけ。あの子はその……どうしたの?」


 視線の先には娘役を任されている宮咲。片手にマグカップを携えたまま、困ったような笑みを浮かべているのが見える。

 どうやら宮咲はこういう遊びに慣れていないようで。しきりに助けを求めるようにこっちに視線を投げかけてきている。その光景は何処か微笑ましい。……すまんな宮咲。俺もそういうの苦手なんだ。


 じゃなくて。


「東区域の商店街で、ボロボロになってたところを天音が拾ってきたんスよ。なんかワケありみたいで」


 こうしていれば普通の女の子にしか見えない。あの小さな身体に、どれだけのモノを抱えているのか。


「……力になりたいな、とは思ってるんですけど」


 困った笑みと立ち振る舞い。その節々から、何処か────何かに怯えているような色が見て取れる。

 俺達半妖は感情の起伏に敏感だ。だからこそ、半妖俺達でなければ気づけないほどの小さなものだけれど。


 力になりたいと切に思う。


「……私ね、ちょっと誤解してたかも」

「誤解?」


 いつのまにか、恵先生の視線は宮咲ではなく俺に向けられている。

 優しい笑顔を浮かべながら。ほんの少しむず痒いけど、しっかり向き合うことにした。


「祓魔師って、もっと怖い人たちばかりだと思ってて……妖怪憎しって感じの。でも天音ちゃんと澄人くんは違うから」

「あー……なるほど」


 確か恵先生────それから柳二も、人妖戦争の経験者だったっけ。あの頃の祓魔師は殺伐としていた、なんて聞いている。


 でも、


「……あながち、その認識は間違いじゃないですよ。今だって妖怪が憎いってヤツは沢山いる」


 かえって昔より多いかもしれない。祓魔師を目指すような連中には、戦争で両親を殺された人だとか、何かしら妖怪に怨みがあるヤツは沢山いる。

 むしろ俺や天音みたいに、妖怪と人間の共存を望んでいるヤツの方が少ないんじゃないかって思うほどに。


「でもそういうヤツの方が学校を早く辞めていくんですよ。俺達祓魔師の卵が学ぶのは自分の身を守る術がほとんどで……妖怪みんなを殺す手段じゃない」


 かつての祓魔師と、今の祓魔師では意味合いが違ってくる。

 かつての祓魔師は妖怪を殺し、秩序を守る集団。

 そして今の祓魔師は人妖の間の平和と秩序を取り持つ集団。


 かつての祓魔師を望む連中には、少し残酷な現状だと思う。


 それに祓魔師になれば人妖法だとかいう制限が付いてしまう。自由に妖怪を殺害できず、万一してしまった場合は即座に見つかり罰されてしまう。


 だからこそ。そういう連中は祓魔師を目指すことを辞めて、人妖特区反対派閥だとか。そういうのに入って、俺たちの敵に成り下がる。


「……そんなんじゃ、本当の平和はやって来ないのに」


 今と昔の世界は違う。妖怪の存在はあまりにも身近になりすぎた。

 妖怪を無差別に殺せばまた戦争が起きる。沢山の人が死ぬ。


 それでもなお、妖怪が憎いと。殺したいと願う連中は、少なくない。


「でもま、そうならないために俺たちがいるんだけどさ。どうにかするよ、ちゃんと」


 暗い思考を振り払い立ち上がる。恵先生の返事を待たずに駆け出し、疲労困憊の様子の天音と交代するべく。ちょうど天音は限界がきたようで、両膝に手をついてギブアップの意思を示しているところだった。

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