第13話 『七月二十七日 澄人サイド』

 基本、半妖には定期検診が定められてる。

 俺たちは人と妖怪の血を共に持つ不安定な存在だ。そのどちらかに極端に偏りすぎては、何かと面倒なことになる────らしい。

 特に妖怪側に偏りすぎた日には、妖魔ようまと同等の存在に成り下がり、殺されてしまうとか。


「まあ、そうならないためにワタシが居るんだけどねェ」


 藍蘭あいら先生は何度となく聞いた説明を終えると、ふああ、なんて可愛らしく────だが男である────欠伸を漏らし、俺に笑みを向けて来た。

 場所は祓魔師育成学校ふつましいくせいがっこうの保健室。今日は俺ひとりの来訪だ。

 天音あまねの定期検診は俺の後で、藍蘭先生には苦手意識を持って居るらしく、憂鬱げに表情を歪めていたのを覚えてる。


「結果は良好。人妖の比率も人四、妖怪六で少し妖怪のが多い気はするけど……いつものことだしね。この調子で頼むよ」

「うす」


 血を抜かれたり心音を聞かれたり、いつもの手順が終わってからの先生の言葉だ。

 俺の中に宿る妖怪の血は普通の連中よりも強いらしく、妖怪の血が人間の比率を超えたことは無い。

 まあ、モノがモノなだけに仕方ないとは言えるけど。


 ほんの少しの沈黙。

 これで検診は以上だ。ならこの後行く場所もあるし、なんて立ち上がろうとしたところものだが、先生が短く俺の名前を呼び、その足を止める。


「最近どう?」

「どうって、見た通りぴんしゃんしてるけど」

「ああごめん、澄人くんのことじゃなくて。柳二りゅうじくんのことね」


 なるほど、と小さく頷きを返し、椅子に座り直す。

 新倉にいくら姉弟のことがあって、早い事二週間。七月も、もう残り四日に差し掛かったところだ。

 藍蘭先生は柳二の治療とリハビリを担当してくれていた。だからか、だいぶ気にかけてくれて居るらしい。


「元気にやってるよ。だいぶしごかれてるみたいだけど」

「ははは、そりゃあ良い。彼、ずっと例のこと気にしてたからねェ」


 もみじ保育園にはすっかり平和が戻ってきている。

 柳二が妖怪の親御さんたちに頭を下げて回ったのはリハビリを終えてからのこと。

 まだ体のそこかしこに包帯を巻きつけ、まだ本調子じゃ無いってのに……早い事ちゃんとケリをつけたい、なんて本人たっての希望で、俺たちの同行のもと被害者の親に謝って回った。


『本当に申し訳ありませんでした』


 恵先生と頭を下げながらのその言葉には、嘘や偽りはなかったと思う。

 心の底からの後悔と謝罪の念がそこには込められていた。一番最初に謝りに行った相手になんて、土下座するくらいの勢いだったくらいだ。


 それもあってか、苦笑いを浮かべながらではあるが、保護者陣は許してくれた。


 それでも柳二の気は済まない。いっそ、怒鳴りつけてくれた方が気が楽だったと、口元に複雑な表情を浮かべながら。


 気持ちはわかる。取り返しのつかないことをした。一歩遅ければ死者が出ていたかもしれない。だってのに特に咎めなく許されるのは、かえって辛い。


 そんな柳二に意外な言葉をかけたのは一番最後に謝りに行った先。潡兵衛さんだった。


『まあ、本当に悪いと思ってるなら……なに、罪滅ぼしついでにウチで働いてみないか?』


 なんてモノ。極潰死ごくつぶしが常に人手不足、なんてのは頻繁に店の手伝いに駆り出されていた俺が一番知っている。

 人気店だってのに、忙しさに人員が追いついてない。


 妖怪のために働く。たぶん、柳二にとって一番の罪滅ぼしになるだろう。

 あそこなら妖怪と触れ合う機会も多いだろうし。


「今日も店に顔出すつもりさ」

「ン、そっかそっか。よろしく伝えといてネ。あとお大事に、って」


 からからと愉快そうに藍蘭先生は笑う。ついでにこれ届けといて、なんて俺に薬が入った袋を差し出すのと同時に、藍蘭先生は何かを思い出したかのように、俺の目を真っ直ぐに見つめてきた。


「そういえば、薬の影響で意識がない間────彼、なんか幻覚を見たって言ってたよ。興味深い話だった。知的探究心を擽られるねェ」

「……幻覚?」


 藍蘭先生の知的探究心を擽るもの、なんてのはロクでもないモノのような気もするが。

 袋の中を確認しながら、黙ってその話の続きを待つ。


「何もない真っ暗な空間。そこで、ひとりの女性を見たって。その容姿が特徴的でね────」


 一瞬の間。何気なく手元の袋から上がった俺の視線が、藍蘭先生の視線と絡み合う。


「九本の尾を持った着物の女性。ソレが、『まだ貴方はここに来るべきじゃない』────って」


 ◇◆◇


 育成学校を出て、強い日差しに当たりながら東区域を歩いていく。

 コンクリートの地面には陽炎が揺らいでいて、まさしく夏真っ盛りって感じだ。まだ八月に入ってないってのに、ここまで暑いと気が滅入る。

 遠くには空。入道雲をバックに立つ、赤々と紅葉した御神木の一本────東楓とうふう。季節感なんてものは一切無い。


「あっちぃ……」


 汗が滝のように出るとはこの事か。額の汗を拭いながら、人混みを縫うように前へ前へ。そこで、


「おう澄人。なんだ、おまえまた忙しそうだな」

「……? いや、見ての通りどちゃくそ暇だけど」


 客引きに勤しむ八百屋の兄ちゃんに呼び止められた。

 俺のくたびれきった言葉に八百屋の兄ちゃんは目を丸くして、


「なんだ、まだ天音ちゃんから連絡行ってねえのか」

「………………? 連絡?」


 ……頭が回らない。いくら回しても、出てくるのは疑問符だけだ。

 でも俺の問いに応える八百屋の兄ちゃんの言葉を聞くことは無かった。何気なく視線を向けた先に人だかりが出来ていたからだ。

 なんとも無しに嫌な予感がして、片手を挙げて短く八百屋の兄ちゃんに詫びを入れてから、その人たがりに歩み寄っていく。


 人と妖怪が輪を作るように囲む中心にいたのは黒服の男。

 真夏だというのに黒いジャケットを羽織っており、その顔には笑顔が

 人だかりから上がるあまり良く無い色の話し声にも物ともせず笑顔を向ける先には、三人の少女がいた。


 ……その格好があまりよろしく無い。


 身に纏っているのはボロボロの白いワンピース。肌のあちこちに汚れが目立ち、良く無い扱いを受けているのは一目瞭然だった。


「……何かお困りっすか。見ない顔ですね」


 だから、ソイツに声をかけることに躊躇いはなかった。何かあった時のために、妖血ようけつを起動する準備も忘れない。

 黒服の男は俺の声を聞くと、少女たちに向けていた薄っぺらい笑顔を俺に向けてくる。


「おやおや、貴方は?」

「俺はこの街の『祓魔師育成学校』の生徒です。なんかあったってんなら、話くらいなら聞きますけど」


 自然と声色が無愛想になってしまう。……いけない、不機嫌な時の天音みたいになっちまってる。笑顔、笑顔。


「いやあ、実は探し物をしていましてね。なかなかに見つからず困り果てていたところで」

「探し物?」

「ええ。逃げ足が速く、厄介ななのですが」


 ペットか何かを探しているのだろうか。でも何処か、その言葉には含みを感じる。

 ただの杞憂で終わればいいんだが、『杞憂』の二文字で済ませるには明らかに怪しすぎた。男が声をあげる度に少女たちは怯えたように肩を跳ねさせ、声を押し殺すように唇を噤んでいるのがわかる。

 ……コイツらには何かある。それでも決定的な証拠や、事を起こしていない限り祓魔師俺たちは誰かを取り締まることはできない。


「んなら俺たちに依頼するって手もありますよ……で、その子たちはアンタの娘かなんかですか? 過激すぎるくらいに躾が行き届いてるみたいっすけど」


 気づいた時には問いを投げていた。一切の躊躇いはない。

 恐怖に歪んだ少女の顔。それらが俺に、助けを求めている気がして。

 そんな俺の問いを受け、男の表情が一瞬にして剥がれ落ちる。結果、そこに残るのは嫌なほどに冷たくて仕方がない『無』の表情。


 その『無』を浮かべたまま、


「ペットだよ、ペット。……コイツらに、他に利用価値があるかな?」

「────は?」


 冷たい声音で、言い放った。


「今アンタ、この子らをペットって言ったか?」

「ああ、そうだとも。……のキミが何故そこまで憤る?」

「────馬鹿に、してるのか?」


 俺をじゃない。ここにいる妖怪たちを、コイツは馬鹿にしている。

 男と対照的に思考が沸騰していく。血が煮えたぎる。自分の中の人妖を切り替えるスイッチ────ソレにかけられた手に、力を込めた。


 拳を振り上げる。気に入らない。コイツの顔面を吹き飛ばしてやらないと気が済まない。


 それを、


「やめとけ、澄人」


 咎める声がある。

 同時に俺の右手首が掴まれ、俺と入れ替わるようにひとりの影が躍り出た。

 腰元にエプロン、頭にはタオルを巻きつけた男の影だ。


「柳二……」


 柳二は俺に肩越しに視線を向けた後、俺の代わりに黒服の男と正面から向き合った。


「悪いな、コイツ癇癪癖があるんだ。許してやってほしい」


 誰が癇癪持ちだ。

 口を挟みたい気持ちでいっぱいだったが、柳二の背中が『黙ってろ』と言っているようで、口をへの字に曲げて押し黙るしかない。


「まあ、その探し物とやらは警察だとか、祓魔師に任せるとして……人妖特区こんなとこで、そんなこと大声で言うもんじゃないよ。報復が怖いぞ」


 瞬間、辺りに満ちる沈黙。

 それは怒りの念か、肯定の念か。どちらにしろ、良くない色の視線を、黒服の男が一身に浴びているのは事実であった。

 ようやく男の意識が周囲に向く。それから大袈裟な動作で肩を竦めて、


「……そうですね、この場では敵の方が多いようだ」


 失礼します、とばかりに一礼。黒服の男は三人の少女を連れて、その人だかりの中心から何処かへ歩いていく。

 これでようやく、再び東区域に日常が戻ってきた。それを確認してから柳二は大きなため息を吐いて、


「ったくよ澄人……アイツを殴りたいって気持ちはわかるけどさ。店の前で騒ぎを起こすのはやめてくれ。壊れる」

「……悪い」


 騒ぎが起こっていたのは極潰死ごくつぶしの目の前だったらしい。今更気づいた辺り、頭にかなり血が上ってたんだな、なんて柳二につられるようにため息を吐く。


「んで……さっきの子ら妖怪だよな。男の方は人間っぽかったけど」


 吐いた、のだが。それに対しての柳二の発言に、大きく目を見開く。


「……そう、だったのか。っつか柳二、妖力が見えるようになったのか?」


 あの男の言い振りから勘付いてはいた。けれど、俺が感知できるほど色濃い妖力ではなかった。

 変幻へんげを使用し、人の形を保ってる妖怪ならすぐに解る。アレは妖力を身に纏って変身しているようなものだからな。

 けどあの子達はそうじゃない。妖力を纏っているわけではなく、俺が感知できるほど濃いものを放っていなかったということは────半妖の可能性が高いか。


「ああ、なんつか……薬のせいで自分を失いかけて、戻ってきてからずっと。大気のマナ? まで見えるようになっちまって。困る」

「すげぇなそれ」

「……すげぇの?」


 自覚がないのは正直仕方がない。つい最近まで魔術にも妖術にも関わってこなかった人間だ。

 でもそこまで〝見える〟ヤツは数少ない。俺が知ってるヤツだと、育成学校ウチの第一班の班長と学校長くらい。

 半妖はスイッチでも切り替えない限り、見える目を使っても普通の人間とはなんら変わらない。それまで感知できてしまうのは異常だ。


「……あの人に貰ったのかもしれねェな。この目」

「あの人って……暗闇の中で見たっていう?」

「そうそう。はっきり見た目は覚えてないんだけど……九本の尾っぽを生やした、女の人」


 その特徴には覚えがある。まだ、確信を持てないけれど。


「ソイツ────、」


 確信を持てない、その『女』の正体。ソレを口に仕掛けて、口を噤む。

 確信を持てないから、なんて理由ではなく。


 ここでは、まだ。柳二に対してでも、話すわけにはいかないから。

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