第9話 『差し伸べられた手』
園児をつれて、公民館の廃墟から出ました。
出た先には荒れ果てた大通り。コンクリートの地面には足跡やヒビが残り、戦時の惨状を彷彿とさせます。
……しかし、感傷に浸っている暇はありません。一刻も早く園児たちを避難させて、中に戻らないと。
見たところ彼のクスリの進行段階は三。大凡彼は助からない。殺さなければいけない────その罪を、澄人くんひとりに背負わせるわけにはいかないから。
「
私を呼ぶ声と共に、駆け寄ってくる園の先生たち。園児たちは見知った顔を見たことで安心したのか、何人か声を出しながら泣いてしまっているのが見えます。
ですが、
「────、────!!」
膨大な妖力の余波。背中を寒気が走り、視線は思わず背後の公民館へ。
「今の、澄人くん……」
大方自分の力を解放したのでしょう。チラリと盗み見た澄人くんの横顔……ソレはまさしく、『覚悟』一色でした。
本当に、弟さんを殺す気で、澄人くんは。
その寒気を感じ取ったのは私だけじゃありません。園児に囲まれていた恵先生が駆け出し、私の脇を抜けていく。
「恵先生!!」
私の声は届かない。制止の声も物ともせず、その背中は遠ざかっていく。
「ああ、もう!! なんで恵先生まで連れてきたんですか!!」
こんなことになることは澄人くんだってわかりきっていたはず。自分の家族が殺されると解っていて、大人しくできないわけがない。
なのになんで、ここに連れてきたんでしょうか。
ここにはいない澄人くんに悪態をつきながら、恵先生の背中を追いかけるしかない私。
……はぁ。なんで私、いつもこんな役回りばかりなんでしょうか。
◇◆◇
轟音を纏い、鱗が生えた拳が迫る。
……遅い。あまりにも遅い。ソレを躱すには、首を傾けるだけで充分だ。
頰をかすめることもなく、拳が俺の横を過ぎ去っていく。
がら空きの腹に膝を食らわせる。苦悶の声をあげた柳二の後頭部に、異形の腕を振り下ろした。
「い、づ────が、」
呼吸を奪う。隙を生む。自分を失った相手なんて、殺すことは容易かった。
俺を見上げる恐怖の視線。憎しみの色。その全部を振り払って、
「……終わりだよ。じゃあな」
最後の一撃を────。
「待ってください!!」
そのトドメ。最後の一撃が、俺と柳二の間に割り込む影と、悲痛な叫びが遮った。
「やめて……やめてください。都合のいいことだって解ってます! でも、でも……」
涙を流しながら首を必死に横に振る乱入者。俺にすがりつくその影は、目の前のバケモノと化した男────新倉 柳二の、唯一無二の家族であった。
「大切な家族なんです……大切な弟なんです。たったひとりだけの、大切な……」
震えた掌が俺のズボンの裾を握る。震えた声が必死に祈る。
殺さないでくれ。助けてくれ。やめて欲しい。並べ立てられたその言葉は、
「……はぁ、うん。よかった。ようやく本音で話してくれたな」
初めて俺たちと顔を合わせたその時から、必死に隠していた本心に思えた。
「…………え?」
「ああいや、試すような真似してごめんな、恵先生。俺ずっと疑ってたんだ。心の底から、自分の家族を殺して欲しいなんて願うワケないだろーって」
だって家族は大切だ。かけがえの無いものだ。この世界ではそうされている。
ソレを殺してくれ、なんて心の底から思えるような人には、恵先生は見えっこ無い。
自分の内に意識を向けて、妖怪の力を鎮めて行く。
腕が人のソレに戻って行く気配。コイツの仕事はもうお終いだ。
誰も怒ろうとしない妖怪たち。ここまでの攻撃は、その妖怪たちの代弁だ。
だからここからは、人間の俺として。ただの榮倉 澄人として。
「心の底から出たわけじゃ無い依頼を受けるのは気がひける。だから俺は、恵先生の本音が聞きたかった。……柳二さん、姉さんに愛されてて良かったな」
未だ戸惑いの表情を浮かべたままの柳二。地面に膝をつき、俺を見上げるだけの視線に合わせるように、その場にしゃがみこむ。
「電話で聞いてたけどさ。アンタの目的は『もみじ保育園』を潰すこと────何度か誘拐を繰り返して、人妖が一緒に預かってる場所を問題視させるとか、人間の子にも危害が及ぶかも、みたいなことを思わせることだろ」
「…………あぁ、その通りだよ。妖怪ってのはトラブルの元。そう、思わせたかった」
苦虫を噛み締めたような顔。柳二の視線は俺と絡むことはない。
地面に突き刺さる視線。ソレに大きなため息を吐き出した。
「アンタ、その『トラブルの元』に助けられてたんだよ。まあ、姉さんの功績のがデカい感はあるけど」
自分の家族は大切だ。それは、人間だけに言えたことじゃない。
妖怪だって人と同じように心を持ってる。愛がある。
「当然警察だとか、
普段から人妖分け隔てなく接していた恵先生。妖怪からの好感度も高かった。
だから、そんな人の頼みなら断れるはずがない。泣きながら頭なんて下げられれば、尚のこと。
まあ潡兵衛さんが言ってた通り、仕方ないって気持ちも多かっただろうけど。
「知ってるか、柳二さん。アンタが見抜けなかった
「…………?」
「自分が使える妖力の九割近くを、人の形の形成に使う。つまりアレを使ってるうちって、何の危害もない……ってより、人に手を出せないんだ」
残された一割の妖力で、人を殺せるほどの妖術を放てる者は多くない。
つまりは、自分たちに争う意思はないって意思表示になる。
「そこまで身を削って妖怪たちは人間に歩み寄ってる。仲良くしたいって思ってる。誰だって歩み寄って、差し伸べた手を払いのけられたら辛いし、痛いよ」
沢山の人を殺したんだから仕方ない。
そのひと言で済ませるような痛みじゃないはずだ。
好意を振り払い、投げ捨てる。その行為から生み出される痛みは計り知れない。
「妖怪はアンタが思ってる以上に優しい連中だ。愉快な連中なんだよ。それは、妖怪と人間の混じりモノの────俺が保証する」
人間と妖怪の間に生まれた子供。
半妖であるからこそ、どっちもの魅力を知ってる。
だから、
「……だから、いい加減姉さんの足を引っ張って、足踏みしてるのはやめにしないか。妖怪は歩み寄ってきてる。だから、今度は
俺が手を引かなきゃいけない。
どちらかだけが歩み寄った先に、ホントの平和は存在しない。心の底からそう思う。
どっちかが我慢するなんて間違ってる。どっちかの意見だけが通るなんて間違ってる。
俺はもみじ保育園に在ったような、分け隔てない平和が欲しい。
「頼むよ。妖怪の手を、取ってやってくんねえか」
「……説教されてたはずなのに頼み込まれてるってのはおかしな話だな」
「俺もそこんとこは自覚済みだよ。器用じゃないんだ。まっすぐぶち当たるしか、やり方を知らない」
やりたいようにやれ。色んな大人が背中を押してくれた。
これが俺のやりたいこと。やるべきこと。まっすぐにぶち当たって、人間と妖怪の間にある壁をぶち壊す。頭の硬さと腕っ節だけには自信があるんだ。
本当の平和を目指して。
「アンタの姉ちゃんにできたんだ。アンタにできないわけがないだろ?」
手を伸ばす。よろしく頼むよって意思を込めて。
俺の言葉が放たれて、数秒の間があった。柳二は小さなため息を吐き出して、苦笑いを漏らした。
「……そうだな。そこまで熱心に頼まれて断れるわけがねーよ。何より、オレはここで死ぬかもしれない存在だった。……命を救われたんだからな」
柳二の右手が俺の手を握る。ちょっとだけ、呆れられてるのが不服ではあるけれど。
「すぐには難しい。やっぱ、妖怪は怖い。……でも、オレも歩み寄ってみようと思う。姉ちゃんと一緒に」
「はは、そりゃ難しいだろうな。ゆっくりでいいよ。でもまあ────、」
奥に根付いた恐怖を全て振り払うのは難しい。人の心ってのはそう簡単に変わらないモノだ。
「いつか、アンタの口から『妖怪も良いやつだ、最高だ』って言わせてやるよ。そのために、俺はこの街に居る」
それでも真っ向から向き合って、妖怪と人間が笑い合う日々が来たのなら。俺が祓魔師になった甲斐がある。
もう二度と、争うことの無いように。
────こうして、俺と天音、第六班の初めての指定依頼は幕を下ろした。
俺の不器用なやり方で。相談すらしなかった天音には、この後すぐに俺の頭を引っ叩かれたりしたけれど。
まあ、犠牲者も出さなかったし。とりあえずは、俺にしては良い結果だったってことにしよう。
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