第8話 『ホンモノとニセモノ』

 世間では、神秘現象を〝音〟と表現することが多い。

 魔術を使用するのに必要な詠唱や祝詞のりとを奏で、【神秘の溜まり場】とされる世界の中心から、神秘現象を引きずり出す。


 歌詞詠唱や祝詞に世界が後付けで音色を返す。この世界の神秘は、そういう風に出来ている。


 しかし妖怪のモノはまた別だ。


 体内を流れる妖怪の血。そのものが、謂わば【神秘の溜まり場】とされている。

 詠唱や祝詞で神秘を奏でる人間が〝奏者〟ならば、妖怪はもはや〝楽器〟である。

 自身の力のみで神秘を奏でる妖怪たちに、詠唱や祝詞は必要とされない。


 ────だがそれは、の妖怪とされる場合である。


「────妖血ようけつ、起動。我が肉体は、原種へかえる」


 自身の内に眠る妖怪の血を高めるための、自己暗示のようなもの。ソレを唱える榮倉 澄人は、妖怪で在りながら妖怪では無い。


 辺りに、澄人の身体を中心として漂う妖力。ソレは妖力や魔力を視認する力を持たずとも視認してしまうような濃密で、質の高い妖力の本流。


「────変還へんかん


 そして、澄人の肉体に変化が生まれる。

 右腕。人の形をしていたはずのソレに赤黒い体毛が生まれ、爪が獣のように伸びて行く。ただそれだけでは飽き足らず、右腕が徐々にその質量を増し、等々制服の短い袖を破った。


 ふた回り────否、それ以上に膨れ上がった人間離れした右腕は、まるで妖怪。

 人間の身体を保ちながら、妖怪のソレを持つ澄人は、


「……祓魔師育成学校第壱支部・第六班、『半妖』榮倉澄人────」


 妖怪で在りながら人間では無い。どちらの血を持つ、人間と妖怪の間に産み落とされた子供。

 終戦の理由となった、世間では『平和の象徴』とされる裏で、どちらともなりきれない半端者と白い目を向けられる差別の対象。


「────人妖法・第四節に基づき、おまえの処刑を執行する」


 半人半妖。それこそが、榮倉 澄人の正体である。


 ◇◆◇


 人間離れした右腕を振り上げ、床を蹴り駆け出す。

 板張りの床は鈍い音を立ててめくれ上がり、俺と相手の距離はひと息の間に消え失せる。


「────ッ!!」


 まだほんの少しでも意識が残っているのか。その表情が驚愕に染まった。

 藍蘭あいら先生の言っていた、クスリの進行段階は三つ。


 ひとつは人間とは違う部位と妖力の付与。初めてクスリを投与したものは大体がここで止まっている。


 しかし服用回数を重ねるごとに、その身体を着実に蝕んで行く。


 二つ目。怒りや闘争本能の過激化。

 この力があればなんでもできる、とまで思わせてしまうほどの高揚感だ。


 大凡クスリを使って犯罪に走る連中はこの段階。その力を使って人を殺し、妖怪を殺し、人の道を外れて行く。

 妖怪は神秘の塊だ。それを傷つけるためには、それ相応の神秘を使用しなければいけない。


 一般人は妖怪に歯向い、立ち向かう力すら持たない。

 そんな世界の構造が生んだ、負の連鎖。


 そして三つ目。極度な倦怠感と眠気。そして、服用時の意識や自我の消失。


 この時点で服用者はもはや人でもなく、妖怪でも無い。俺とはまた違った意味で、どちらにもなりきれない存在となる。


 人に仇を成すバケモノ。

 妖怪にも危害を加えかねない獣────、


 ────妖魔。祓魔師が生んだ人と妖怪の間にある法律における、処刑対象だ。


 自我を失い、人や妖怪たちを殺して回る域にまで達した妖怪たちがこれに当たり、第三段階まで進んでしまった服用者もこれに適応される。


 俺たち祓魔師の仕事は妖怪と人間の架け橋になり、そして。妖魔を殺し、世界の平和を守ること。


「お、ら、ぁ────!!」


 だから振り抜いた拳に加減はない。コイツは殺さないと、これ以上に罪を重ねてしまう。

 大好きな人を殺すことだって。無いとは言い切れない。


 拳は相手の腹部に直撃し、凄まじい音を立てて後方に吹き飛んだ。

 そのまま勢いを殺しきれず壁に激突────途端、建物が軋む音がした。


 それでも歩みは止まらない。咳き込む相手へと歩み寄り、未だ人間の部位を保っている頭部を左手で引っ掴み、無理やり立たせた。

 表情は苦悶に歪んでいる。そのまま床に顔から叩きつけ、鼻っ面をへし折った。


「が、ぁ……!」


 鼻の骨がへし折れる音。上がる苦悶の声。床を地の赤色が染め上げるが、横目に向けられる視線からは憎悪と戦意の色が消え失せない。

 人間や生物ってものは自分の血を見ると少しでも戦意を失うものだが。服用者にそのタガはない。


 掌のような形をした醜い翼を力一杯に引き抜く。途端根元から吐き気がするほど質の悪い妖力が溢れ出し、相手の瞳にようやく自我の色が戻った。


「んの、バケモンが!!」

「ハ、どっちが!!」


 憎悪の色が乗った拳が、俺の足を目掛けて振るわれる。

 しかしそれも視認できない速度じゃない。相手の横っ腹を蹴り飛ばし、吹き飛ばすことでその拳を回避。しかし今度は痛みに備えるだけの覚悟は出来ていたようで、床を跳ねながら受け身を取り、ゆっくりすぎるほどの速度で立ち上がった。


「オレが……オレが、間違ったことをしたかよ。妖怪は色んなモンをオレたちから奪って行った。母さんも、父さんも……みんな……」


 瞳に涙の膜が張る。奥歯を噛み締めソレを流さぬよう必死にこらえているのだろう。離れた俺にも、歯を噛みしめる音が聞こえてくる。


「今度は姉ちゃんまで奪うのか、アイツらは。信用できないんだよ、妖怪バケモンなんて!!」

「自分が妖怪ソレに片足を突っ込んでもか?」

「そうだよ。妖怪は人間を殺す────今どれだけ平和に暮らしていたとしても、その恐怖は拭いきれない!! だから、オレが……オレがあの園を壊さないと、また……姉ちゃんが……」


 一瞬の間。迷いや何もかもを振り切る為の、一瞬の。


「オレが……バケモンになってでも、」

「化け物になったアンタを殺すのが、アンタの姉さんの依頼だとしてもか?」


 その振り払った迷いを引き戻す。

 言葉のナイフで的確に胸を抉り、突き刺し、間違いを突きつけなければいけない。


「アンタはそれだけのことをした。人の道を外れすぎた。まだわからねぇのかよ」

「────、────」


 ソレがトドメになったらしい。柳二の瞳から涙が溢れ出た。


 ……胸の奥が痛い。でも、罪は自覚させなきゃ意味がない。


 俺は殺人鬼でも、暴力団体でもない。

 人と妖怪を守る、祓魔師なんだから。


「あ、ぁ────ああああああああ!!」


 悲痛な叫びをあげながら柳二が駆け出し、その拳を振り上げる。

 鱗がびっしり詰め込まれた拳が。俺の顔面めがけて迫る────。

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