第7話 『ゆめうつつ』

 楓街と呼ばれる名前の由来。街の四方を囲む大きな楓の木が、夏の夕日を受けながら風に揺れている。


 極東第壱人妖特区楓街。ここはかつて、人と妖怪による戦争があった街。


 結界の役割を成している楓の神木を越えれば、発展した街から一変。未だ復興が成されていない、荒れた街並みが見えてくる。


 崩れ落ちた家屋と、ひび割れたコンクリートの地面。戦争の爪痕を垣間見る事ができ、妖怪も人間も、かつての間違いを忘れないように意図的に残されている地帯だ。


 その地帯の一角。戦前は公民館として建っていた建物の中に、数名の人影がある。

 部屋の隅に蹲る、五の子供達。麻縄で手足を拘束され、逃げ出すことすら叶わず。恐怖に顔を歪めながら、その口は何の言葉を発することはない。


 その場にあるのは絶対的な恐怖による支配。恐怖の源は対角の部屋の隅で、木箱に腰をかけながら寝息を立てているのにも関わらず。


 ────逆らえば、余計なことをすれば殺される。


 それだけの気迫が、恐怖の源────その男にはあった。

 加えて、拘束されているものは妖怪とはいえ、ひとりの例外もなく子供である。

 未だ戦う術を知らず、自分を守る術もない。

 戦時ならともかく。こんな平和な世の中なら、尚のこと。


 夢の中身を視るマジックアイテムや妖術、魔術を持つものがこの場に在れば、男の────新倉にいくら 柳二りゅうじのソレからは、戦時の惨状が読み取れる。


 柳二の見る夢は、決まってその夢。あちこちで上がる火の手の中、瓦礫の後ろで出来るだけ体を丸め、震えている夢だった。


『柳二はお姉ちゃんと一緒にここで待ってるのよ? 今、助けを呼んでくるから』


 優しい声で囁くと、柳二の頭を撫でて何処かへ歩いて行く両親。


 姉と抱き合いながら震えているしかない自分。


 両耳を塞いでも聞こえてくる、地を揺らすような足音と。


 殺さないで、と悲鳴をあげながら朽ちて行く、もう二度と聞くことのできない声。


 それは柳二にとって苦い記憶であり、恐怖の象徴。


 決して忘れることを許されない。決して忘れることはない、こびりついた恐怖だ。


 そして、決まって────、


『柳二のことは、絶対に。お姉ちゃんが守るから』


 ────その言葉を最後に、目を覚ます。


 ゆっくりと瞼をあげ、ポケットから取り出したスマートフォンで時刻を確認。時刻は夕方の五時半にさしかかろうとしているところで、半刻ほど眠りこけていた自分に柳二はため息を吐き出した。


「……アレの影響か。体力落ちてるな」


 自身に、本来持ち得ない力を植え付ける薬。破格の効果を発揮してくれているし、これくらいの副作用は別に気にするほどでもないが。そう呟いた柳二の声音は何処か憂鬱である。


『姉ちゃん』と登録された連絡先からの無数の着信には無視を決め込み、ネットニュースのアプリを起動。そのまま大方目を通し終えて、苛立ちを隠しきれずに立ち上がった。


「……んでだよ。なんで、まだ」


 放つ声は静かな怒りを。それでも行動だけは押さえきれず、先程まで腰掛けていた木箱を勢いよく蹴り飛ばした。


 板張りにされた窓の隙間から差し込む夕日に照らされ、埃が舞うのが見える。

 柳二はゆっくりと振り返ると、視線を攫ってきた園児たちに向けた。


「まだ騒ぎにすらなってない。可哀想だなァ、おまえら。おまえらの親は、自分の子供なんてどうでもいいってよ!!」


 狂気に染まった、甲高い笑い声が部屋の中に響く。

 ゲラゲラと、視線は園児たちを見下し、生物としてすら扱っていないような。


 怯える声が高笑いに掻き消される。それでも、


「違いま────違う、もん。お父さんたちはそんな、薄情な人じゃない」


 その中で、確かに、強く。真っ向から向かい合う声があった。


 声の主は園児の中に。視線が真っ直ぐに、柳二に突き刺さっている。

 丁度半刻前に攫ってきた新顔だった。真っ直ぐな視線と言葉に今の柳二が耐えられるはずもなく、怒りを露わにずかずかと園児に歩み寄っては、


「反抗的だな、おまえ」


 胸ぐらを引っ掴み、睨みつける。

 絡み合う真っ直ぐな視線と鋭い視線。意外なことに、先に目を逸らしたのは柳二の方だった。

 幼児の首からぶら下げられた、子供用の携帯。今は柳二に裏面が向けられているソレが視線に入ったからだ。


「は、はは。良いことを思いついた。そっちがなら、オレの方から動いてやる」


 地面に園児を投げ捨てて、その携帯に手を伸ばす。


「おまえを殺して、見せしめに街の道路に投げ捨ててやろう。その後で親にでも電話して────、」


 言葉は途切れる。

 裏返し、視認したその画面には、『通話中』の文字。


 表示されている名前は、『榮倉えいくら 澄人』────そして。


『「ウチの娘に何してくれてやがる!!」』


 受話器の向こう側と重なる大きな声。同時に背後の壁に大穴が開き、強い西日が部屋を照らす。

 肩越しに柳二が視線を向けた、その先に。


「どーも、デリバリー祓魔師 榮倉澄人です。不幸をお届けにきてやったぞ────なんてな」


 夕日を背中に受ける、スマートフォンを片手にこちらを睨む制服姿の少年。振り抜いたままの右足で部屋に踏み込む異分子が、そこに居た。


 ◇◆◇


 俺が提案した作戦は単純なもの。の操作に長けている天音が変幻を行い、不完全な幼児に化けて。あからさまに攫いやすい場所に居てもらい、わざわざ犯人に攫ってもらうというものだった。


 ────っつうか間に合った。危ねえ。危ねえよ。


 通話を繋ぎっぱなしで居てもらい、GPSでその姿を追いかけては居たもんだが。ギリギリの戦いだった気がする。天音も幼児の姿のまま、俺を睨みつけてきてるし。ごめんて。


 まあでもとりあえず、謝り倒すのは後だ。


「遅いんですよ、澄人くん!」

「お父さんと呼んで!!」

「ふざけてる場合です、か!!」


 短いやり取りの後。天音は幼児の姿からいつもの姿に煙を纏って戻り、そのまま自身の胸ぐらを掴む手首を両手で鷲掴みにし、体重をかけることで弟さん────柳二の身体を引き倒す。そのまま右手を拘束し、俺に視線を投げてくる。


 わかってる。わかってるって。まずはクスリの没収だ。


 部屋に踏み込んだ右足で床を蹴り、そのままの勢いで柳二を目掛けて駆け出す。


 が、


「邪魔、すんな!!」


 右腕に組み付いた天音を俺を目掛けて振り飛ばし、避けるわけにもいかず受け止める。なまじ勢いが強いせいで、二人揃って床に倒れこんだ。


「マズ────」


 やらかした。配慮が足らなかった。

 天音を片手で────園児の姿だったとはいえ────持ち上げて居た時点で、その力が既に人間を超えていることを配慮するべきだった。


 一瞬の隙。しかしこの場において、その〝一瞬〟はあまりにも大きすぎる。


 立ち上がることすらせず、柳二はポケットから小瓶を取り出した。

 中に詰まっているのは青色のカプセル錠剤。ソレをひと粒、口の中へと放り込む。


 そこに俺たちが割り込む隙は無い。


「オレが……オレが、やらなくちゃいけない」


 呻きによく似た独白。ソレに混ざる形で、柳二の身体に変化が生じる。

 膨れ上がる肩甲骨。頭を抱える腕の皮膚が泡立ち、鱗が皮膚を割いて現れる。

 憎しみを込めて向けられた瞳。その瞳孔は縦に長く細められ、爬虫類じみている。


「天音、外に先生たちが待機してる。園児を連れてとりあえず外に逃げろ」

「でも────、」

「でもじゃない。これだけの数庇って戦うのはちょっとどころじゃなくかなりキツい」


 倍以上の時間をかけて先生たちを連れてきてよかった。

 天音ひとりなら連携を取って二対一の状況に持ち込める。

 しかしここには園児たちが居て、ソレを庇いながら戦うとなれば戦況は一気に不利になる。

 かと言ってこの場に先生たちを入れるわけにはいかないし、怯えきった園児たちだけを逃すわけにもいかない。


 立ち上がる柳二の背中には、映像で見た掌のような不気味な翼と。その対に、白い綺麗な翼がある。

 まるで物語に出てくるキメラのような。細められた瞳孔と皮膚を覆う鱗が、更に不気味さを際立てている。


 もはや、今のコイツは人間では無い。


「……わかり、ました」


 渋々ではあるが、天音は大人しく頷きを返してくれた。

 立ち上がり、未だ動き出さない柳二の横をすり抜けて、園児たちの元へ向かう。


 まだ意識が朦朧としているのか。


「そんな偽物の力に頼りきってるからそんなんになるんだよ」


 言葉は届かない。返事はない。

 天音が園児を先導し、建物から出るのを横目に捉えながら、


「────ホンモノの力ってやつを、見せてやる」


 自身のうちに眠る力に、意識を向けた。


「────妖血ようけつ、起動。我が肉体は、原種にかえる」

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